第八話 初クエスト(前編)
朝。
セフィリア学園都市、外縁層。
ギルド前の広場には、
学園内とはまるで違う空気が流れていた。
武装した魔法士達。
荷車を押す職員。
依頼書を確認する魔法士。
剣の鞘が鳴る音。
革鎧の擦れる音。
誰かの笑い声。
誰かの怒鳴り声。
その全部が混ざって、
広場全体がざわついている。
ルークはそんな光景を見回した。
入学前、
ギルド近くの宿へ泊まっていた時期もある。
外縁層の空気自体は知っている。
だが。
今日は違った。
見学じゃない。
自分達が依頼を受ける側だ。
「やっと実戦ってわけね」
隣で、
カレンが少しだけ口元を上げる。
「張り切りすぎるなよ」
「分かってるわよ」
分かっている顔ではなかった。
シエルは依頼書をじっと見ていた。
「……ケイブバット十体」
「新人向けって書いてあるな」
「……群れ。音に敏感。洞窟低級魔物」
必要な情報だけを拾い、
短く口にする。
一方で。
フィアは少し肩に力が入っていた。
視線が忙しなく動いている。
人の流れ。
武器の音。
魔力の気配。
学園とは違う空気を、
敏感に拾いすぎているようだった。
「大丈夫か?」
ルークが声を掛ける。
「は、はい……
大丈夫、です」
そう答えた声は、
少し硬い。
その時。
「揃ってるわね」
背後からミレイアの声がした。
いつものように軽い調子。
だが、
今日は実戦用の装備を身につけている。
それだけで、
空気が少し締まった。
「今日の私は同行者。
基本は見守りよ」
「基本は?」
ルークが聞き返す。
「死にそうなら助ける」
ミレイアはさらっと言った。
「でも、その前に」
一拍。
「死ぬな」
軽い声。
けれど。
その言葉だけは、
妙に重かった。
カレンの表情から、
少しだけ浮ついた色が消える。
シエルも依頼書から顔を上げた。
フィアは小さく息を呑む。
ルークも、
自然と短剣の柄へ手を添えていた。
「対象は、
黒霧の森外縁部《風鳴洞》に発生したケイブバット群」
「低難度。
新人向け。
でも実戦は実戦よ」
ミレイアが歩き出す。
四人は顔を見合わせた。
そして。
初めての正式クエストへ向かった。
《風鳴洞》の入口は、
黒霧の森外縁部の岩場にあった。
ぽっかりと開いた暗い穴。
入口付近には湿った空気が漂い、
奥から冷たい風が漏れている。
「陣形、崩さないで」
ミレイアが軽く言う。
「ルーク前。
カレン中衛。
シエルとフィアは後ろ」
「はい」
ルークは短剣へ灰銀色魔力を纏わせた。
薄い魔力刃が形成される。
その隣で。
フィアが小さく息を吸った。
「――《風読》」
青翠色の薄い風が、
静かに洞窟内へ広がっていく。
空気へ溶け込むように。
壁を撫でるように。
奥の気配を探るように。
「……います」
フィアが小さく呟く。
「上。
奥に、数体」
ルークが視線を上げた。
暗闇。
その中で。
黒い影が揺れる。
ケイブバット。
翼を広げれば、
大人の両腕ほどもある洞窟低級魔物。
革のような黒い翼を震わせ、
甲高い鳴き声を洞窟内へ響かせる。
単体なら脅威は低い。
だが。
群れで後衛へ襲い掛かる習性があり、
新人魔法士が崩される原因にもなりやすい魔物だった。
ケイブバット達が、
こちらへ気付く。
甲高い鳴き声。
直後。
数体が一斉に飛び掛かってきた。
「上、三!」
フィアが即座に言う。
黒い影が、
後衛側へ突っ込む。
「っ!」
ルークが前へ出た。
灰銀色魔力展開。
障壁。
ケイブバットの突進を、
真正面から止める。
鈍い衝突音。
思った以上に重い。
訓練用ゴーレムとは違う、
生き物の勢いが障壁越しに伝わってくる。
羽音が荒れる。
爪が障壁表面を引っ掻いた。
その間に。
シエルの魔法陣が展開する。
「……右逃げる」
青白い氷槍。
洞窟壁面へ着弾。
氷が広がり、
右側通路を塞ぐ。
逃走方向が限定される。
「そこ!」
カレンが一歩踏み込んだ。
深紅色魔法陣。
熱量上昇。
「――《紅蓮砲》!」
轟炎。
爆音。
熱風。
残ったケイブバット達を、
炎がまとめて呑み込んだ。
焼けた翼が、
地面へ落ちる。
「……やった」
フィアが小さく息を吐く。
だが。
奥側にいた数体が、
洞窟深部へ飛び去った。
「あ」
カレンの眉が寄る。
「……逃がした」
少し悔しそうな声。
だが。
ミレイアは首を振った。
「別に間違っちゃいないわ」
カレンが振り返る。
「討伐対象なんだから。
倒せる時に倒す判断自体は正しい」
「でも、数が足りない」
シエルが地面の死骸を見ながら言う。
「……四体」
「残り六体か」
ルークが洞窟奥を見る。
逃げたケイブバット達。
その先。
洞窟はさらに暗く、
細く続いていた。
フィアが少しだけ眉を寄せる。
「……奥、空気が変です」
「逃げただけでしょ」
カレンが言う。
けれど。
ルークも、
何となく同じ違和感を覚えていた。
ただの洞窟にしては、
奥が静かすぎる。
ミレイアが洞窟の先を見つめる。
「討伐数が足りない以上、
確認は必要ね」
そして。
少しだけ声を低くした。
「奥は慎重に行きなさい」
その言葉に、
四人は小さく頷いた。
《風鳴洞》の奥へ進むにつれて、
空気が少しずつ重くなっていった。
湿気。
冷気。
薄暗さ。
それだけじゃない。
妙に静かだった。
本来なら、
もっと羽音が響いていてもおかしくない。
だが。
聞こえるのは、
水滴の落ちる音と、
自分達の足音ばかりだった。
「……少ない」
シエルが小さく呟く。
「何が?」
「ケイブバット」
視線だけで天井付近を示す。
「群れ行動にしては、
気配薄い」
確かに。
洞窟内には、
ところどころ糞や羽根は残っている。
生息している痕跡はある。
だが。
生きた気配が妙に少ない。
フィアの《風読》が、
静かに広がっていく。
青翠色の薄い風。
空気の流れ。
魔力の揺れ。
気配。
それらが、
フィアへ流れ込む。
「……変です」
小さな声。
「風、淀んでる……」
ルークが周囲を見る。
洞窟壁面。
天井。
その時。
ぱら……と、
細かな砂が落ちた。
ルークが反射的に上を見る。
天井に、
細かな亀裂が走っている。
「脆くなってる……?」
「元々古い洞窟よ」
後方からミレイアが言う。
「黒霧の森周辺は、
魔力の流れで地盤が崩れやすいの」
その時。
奥側から、
何かを引き裂くような音が聞こえた。
ぐちゃり。
湿った音。
全員の足が止まる。
ルークが短剣を構えた。
カレンも魔法陣を展開しかける。
シエルは静かに周囲を観察。
フィアは《風読》へ集中していた。
ゆっくり。
慎重に。
さらに奥へ進む。
そこで。
ルークが足を止めた。
「……なんだこれ」
地面。
そこには、
引き裂かれたケイブバットの死骸が転がっていた。
翼が裂け、
胴体が噛み千切られている。
周囲には、
乾きかけた血。
そして。
鋭い爪痕。
「……別の魔物」
シエルが静かに言う。
さらに奥。
洞窟壁面には、
獣の爪跡が深く刻まれていた。
獣臭。
生臭い匂い。
そして。
フィアの表情が強張る。
「……います」
震える声。
「ケイブバットじゃない」
その時。
ルークも感じた。
空気が変わる。
重い。
嫌な圧迫感。
さらに。
地面近くに、
黒紫色の薄い魔力残滓が漂っていた。
どこか濁ったような色。
見ているだけで、
妙に嫌な感覚がする。
ミレイアの表情が、
少しだけ引き締まった。
「……奥、警戒強めなさい」
軽い口調ではなかった。
空気が静かに張り詰めていく。
その時だった。
暗闇の奥。
複数の赤い光が、
ゆっくり浮かび上がった。
赤い瞳。
低い唸り声。
「……グレイウルフ」
シエルが小さく呟く。
暗闇から姿を現したのは、
灰色の体毛を持つ狼型魔物だった。
グレイウルフ。
肩高はルークの腰ほど。
だが、
低く構えた四肢には獣らしい瞬発力が宿っている。
鋭い牙を覗かせながら、
こちらを囲むように広がっていく。
三体。
ケイブバットとは違う。
明確な“狩る側”の気配。
ルークが短剣を握り直す。
カレンも小さく息を呑んだ。
「新人向けじゃないんだけど」
「黒霧の森周辺なら、
出ても不思議じゃないわ」
ミレイアは即座に答える。
だが。
その視線は、
グレイウルフ達ではなく。
さらに奥へ向いていた。
フィアの顔色が変わる。
「……まだ、います」
奥側の暗闇から、
重い呼吸音が響いた。
ずる……と、
巨大な影が動く。
次の瞬間。
洞窟奥の闇から、
一際大きな狼型魔物が姿を現した。
グレイファング。
通常のグレイウルフより、
一回り大きい。
筋肉量も違う。
だが。
異常なのはそこじゃなかった。
黒紫色の魔力。
濁ったような色が、
体表へまとわりついている。
荒い呼吸。
重く濁った魔力圧。
嫌な圧迫感が、
洞窟内へ広がった。
ミレイアの眉が僅かに寄る。
「……その個体、普通じゃないわね」
カレンが思わず息を呑む。
ルークも本能的に理解していた。
危険だ。
明らかに。
新人が相手にする魔物じゃない。
さらに。
天井付近では、
奥へ逃げ込んでいたケイブバット達が、
混乱したように飛び回っている。
羽音。
鳴き声。
空気が一気に荒れた。
フィアの瞳が揺れる。
気流。
魔力。
振動。
壁面。
亀裂の奥を走る、
嫌な軋み。
それらが一気に流れ込む。
「……壁、崩れます――!」
フィアが叫ぶ。
直後。
グレイファングが地面を蹴った。
「っ!?」
速い。
巨体とは思えない速度。
一直線に突進。
ルークが咄嗟に前へ出る。
灰銀色魔力展開。
障壁――
だが。
グレイファングは、
その直前で大きく軌道を変えた。
横。
洞窟壁面へ激突する。
轟音。
「な――」
壁面が砕けた。
ただでさえ脆くなっていた洞窟が、
衝撃で一気に崩れる。
天井亀裂。
岩盤崩落。
視界が土煙で埋まった。
「伏せろ!!」
ミレイアの声。
次の瞬間。
大量の岩盤が落下した。
轟音。
衝撃。
土煙。
視界不良。
ルークは咄嗟に障壁を展開する。
灰銀色魔力。
頭上へ。
落石を止める。
「ぐっ……!」
重い。
岩盤の衝撃が腕へ響く。
横では、
カレンがフィアを庇うように引き寄せていた。
シエルも咄嗟に氷壁を生成し、
降り注ぐ岩盤を逸らす。
砕けた氷片が周囲へ散った。
そして。
崩落音が、
ようやく止まった。
静寂。
粉塵だけが漂う。
「っ、全員無事か!?」
ルークが即座に叫ぶ。
「……無事」
シエル。
「だ、大丈夫です……!」
フィア。
「アンタこそ生きてんでしょうね!」
カレン。
全員いる。
だが。
その直後。
ルーク達の背後で、
重い音が響いた。
振り返る。
巨大な岩盤。
完全に通路が塞がっていた。
「……ミレイア先生?」
返事が無い。
代わりに。
崩落向こう側から、
小さく舌打ちが聞こえた。
「……駄目ね」
ミレイアの声。
「ここ吹き飛ばしたら、
洞窟ごと落ちる」
冷静な判断。
つまり。
すぐには合流できない。
フィアの顔色が青くなる。
カレンも表情を引き締めた。
ルークは短剣を握り直す。
その奥。
土煙の向こうで。
再び、
赤い瞳がゆっくり浮かび上がった。




