第三話 得意な技術
実技試験会場へ向かう途中、ルークは隣を歩くミレイアを何度も見てしまっていた。
やっぱり、まだ信じきれていない。
本当にミレイア本人で、しかも今は学園教師。あの夜明の灯の炎魔法士が、セフィリア魔法学園で教えている。
ルークの視線に気づいたのか、ミレイアが小さく笑った。
「なによ、その顔」
「……いや、その。学園教師って聞いてなくて」
「あら」
ミレイアは少しだけ目を丸くする。
「ガルド、話してなかったの?」
「何も聞いてません」
一瞬、ミレイアが呆れたように額へ手を当てた。
「……はぁ。あいつらしいわね」
その反応が妙に自然で、ルークは少しだけ懐かしくなる。昔からそうだった。ガルドは本当に必要なことしか言わない。いや、必要なことすら言わない時がある。
「改めて自己紹介するわ」
ミレイアが軽く髪をかき上げる。
「今はセフィリア魔法学園で、魔法士学科の主任をやってるわ」
さらっと言う。
でも、よく考えるとかなり凄い。
「主任って……」
「まあ、色々あったのよ」
ミレイアは軽く笑った。
「あなたのことはガルドから聞いてたわ。無茶ばっかしてるって」
「いや、してませんけど……」
「へぇ?」
完全に信じていない顔だった。
そんなやり取りをしているうちに、演習場が見えてくる。
◇
実技試験会場は、屋外演習場だった。
白い石床で作られた巨大な円形フィールドの周囲には観覧席が設けられ、外周には魔法防壁を展開するための術式柱が並んでいる。魔法士学科らしい、実戦を想定した造りだった。
「うわ……」
ルークは思わず周囲を見回した。
広い。
第一印象はそれだった。
普通の訓練場とは規模が違う。しかも、ただ広いだけじゃない。石床には無数の傷跡が刻まれ、焼け焦げた痕や、霜が張ったような白い跡まで残っていて、過去の訓練の跡がそのまま残されていた。
「本当に戦う場所なんだな……」
小さく呟く。
観覧席では、すでに他の受験生達が待機しており、教師達も数人配置されていた。その中心にいるのは、やはりミレイアだった。腕を組みながら演習場を見渡している。
ルークが少しだけ視線を向けると、ミレイアもこちらに気づき、軽く笑った。
「緊張してる?」
「……少しは」
「いいことよ。緊張しない新人は大体無茶するから」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。
その時、試験官の教師が前へ出た。
「これより実技試験を開始する」
演習場の空気が変わった。
「内容は自由形式。自分が最も得意とする魔法、または技術を見せろ」
受験生達が小さくざわつく。
自由形式。
つまり、単純な火力だけではなく、実戦運用や適性も見られるということだ。
「順番に行う。危険と判断した場合はこちらで停止する」
教師の声が響く中、ルークは静かに息を吐いた。
ついに来た。
自分の“異端”を見せる時が。
そう思った、その直後だった。試験官の教師が、もう一度口を開く。
「実技試験開始前に、高等部生徒による模範演舞を行う」
観覧席がざわついた。
「今年の担当は――」
一瞬、間が空く。
「高等部魔法士学科特待生、ユノ」
空気が変わった。
受験生達の視線が一斉に演習場入口へ向き、そこに白金色の髪が視界へ入った。
静かな足取り。無駄のない姿勢。黒を基調とした高等部制服。それだけなのに、自然と周囲の視線を集めてしまう。
「ユノ先輩だ……」
「やっぱり来た」
「本物初めて見た……」
小声が広がる。でも、誰も気軽には話しかけない。どこか遠巻きに見てしまう空気があった。
ルークはそんな周囲を少しだけ見た後、演習場へ視線を戻す。ユノは静かに中央へ立ち、教師が短く説明した。
「光属性魔法による模範演舞だ。よく見ておけ」
ユノは小さく頷いた。
次の瞬間、白煌色の魔法陣が一瞬で展開される。
「――っ」
ルークは思わず目を見開いた。
速い。
術式構築から発動までの間が、ほとんど存在しない。
通常なら、術式を組み、魔力を流し込み、属性へ転換し、発動するという工程が必要だ。でも、ユノは違う。まるで“完成した魔法”が、最初からそこにあったみたいに発動する。
白煌色の光が空中へ走り、直後、演習場端の標的群が一斉に貫かれた。
轟音。
爆発ではない。圧縮された高密度の魔力が、一瞬で撃ち抜いた音だった。
さらにユノは続けて術式を展開する。二重、三重と高速で重なっていく白煌色の魔法陣。そのどれもが、ほとんど遅れなく光へ変わっていく。
「……嘘だろ」
「速すぎる……」
受験生達が息を呑み、教師達ですら真剣な顔で見ていた。
最後に、白煌色の光槍が空中へ展開される。数は十以上。その全てが寸分違わず、標的の中心へ突き刺さった。
沈黙。
そして遅れて、どよめきが広がる。
「やっぱり別格……」
「これが特待生……」
「光属性ってあんななのかよ」
周囲は圧倒されていた。憧れ、畏怖、距離感。色んな感情が混ざった視線が、ユノへ向けられている。
そんな中で、ルークだけは少し違う顔でユノを見ていた。
「やっぱりユノだ」
思わず、小さく笑う。
(……すごいな、ユノ)
昔から凄いとは思っていた。でも、それ以上に、ちゃんと努力してきたんだと分かる。そして同時に、少しだけ遠くも見えた。
ルークが知っている幼馴染で、けれど今は、誰もが見上げる特待生でもある。
ユノは演舞を終えると、静かに視線を上げた。そして一瞬だけ、ルークの方を見る。
ほんの僅か。
口元が柔らかくなった気がした。
◇
ユノの模範演舞が終わった後も、しばらく演習場はざわついていた。
「速すぎだろ……」
「術式構築見えなかったんだけど」
「やっぱ特待生って別格なんだな」
受験生達が興奮気味に話している中、教師の一人が咳払いした。
「静かにしろ。実技試験を再開する」
空気が少し引き締まる。
最初の受験生が演習場へ降り立った。
火球。氷槍。風をまとった移動。
受験生達は順番に、自分の得意な魔法を見せていく。派手な威力に歓声が上がる一方で、制御を乱して教師に止められる者もいた。
そして、何人目かの試験が終わった頃、教師が書類を確認する。その瞬間、周囲の空気がわずかに変わった。
「次、ルーク君」
教師が名前を呼んだ瞬間、観覧席側がざわつく。
「……あいつ、属性反応無しの」
「本当に実技やるのか?」
「魔法、成立しないんじゃないのか?」
興味、疑問、半信半疑。色んな視線が集まった。
ルークは静かに立ち上がる。胸の奥が少しだけ熱い。怖くないわけじゃない。でも、ここまで来て逃げる気は無かった。
「行ってきます」
小さく呟く。
ミレイアが軽く笑った。
「好きにやりなさい。あなたがここまでやってきたものを見せればいいわ」
「はい」
「……まあ、無茶はしないことね」
「努力します」
「それ、ちょっと不安になる返事ね」
ミレイアが小さく笑う。その空気が少しだけ懐かしくて、ルークの肩から力が抜けた。
ルークは演習場へ降り、中央まで歩く。
静かだった。
さっきまでとは違う種類の空気。
“分からないものを見る視線”。
教師の一人が口を開いた。
「内容は自由」
「はい」
「始めろ」
ルークはゆっくり息を吐いた。
そして、灰銀色の魔力を静かに放つ。
観覧席がざわついた。
「灰色……?」
「属性反応が無い」
「やっぱり本当に無属性なのか」
ルークは構わず右手を前へ出す。
灰銀色の魔力が、足元から影のように広がっていく。そこに、見慣れた魔法陣の形の術式はない。火にも、風にも、氷にも変わらない。ただ、魔力そのものが形を取っていく。
「……え?」
誰かが声を漏らした。
次の瞬間、伸びた魔力の先で地面がわずかに震える。
そして。
灰銀色の板が突き上がった。
長方形。板状。半透明の構造体。
数ヶ月かけて、ようやく安定して作れるようになった障壁。けれど、今は防ぐためじゃない。
「なんだあれ……」
「術式じゃない?」
教師達の表情も変わる。
ミレイアだけが、静かに見ていた。
ルークは標的へ向かって走り、斜め前に出した障壁へ足をかける。
「っ!」
硬い感触。
障壁を蹴る。
身体の向きが変わり、ルークは標的の側面へ回り込んだ。
「今の、何を蹴った?」
「壁……だよな?」
観覧席から驚愕の声が上がる。
ルークは障壁を足場にした。その使い方に、誰もすぐには反応できなかった。
さらに、灰銀色の魔力が右手へ集まる。
剣。
細長い形状。
だが、まだ不安定だった。輪郭は激しく揺れ、維持するだけで魔力が削られていく。実戦で使い続けられる代物ではない。
それでも、今この一瞬なら。
ルークは踏み込んだ。
「――っ!」
障壁を蹴った勢いのまま、標的へ迫る。
加速。
灰銀色の剣が、標的を斬り裂いた。
直後、剣が耐え切れず崩壊する。灰銀色の粒子が弾け、衝撃だけが遅れて広がった。
静寂。
そして。
観覧席が大きくざわついた。
「今の何だ!?」
「術式がなかったぞ!」
「いや、でも魔力で――」
教師達も完全に困惑していた。
「魔力を……形にしているのか?」
「術式を介していない?」
「いや、属性転換も起きていない……」
ルークは荒く息を吐く。消耗が重い。特に魔力剣は、まだ全然安定していない。輪郭を維持するだけで、かなり持っていかれる。
でも。
ちゃんと届いた。
教師達の顔が、それを証明していた。
その時、ミレイアが小さく目を細める。その視線は斬撃そのものではなく、踏み込みの癖を追っていた。
「……懐かしい剣筋ね」
◇
実技試験が終わった後も、演習場のざわめきはすぐには収まらなかった。
「無属性の魔力って、本当にあるんだな……」
「属性転換なしで形を作ったのか?」
「でも、あれで魔法って言えるのか?」
聞こえてくる声には、驚きと疑問が混ざっていた。
ルークは演習場の端へ戻りながら、静かに息を整える。身体が重い。たった一度、魔力剣を振っただけで、想像以上に魔力を持っていかれた。
けれど、後悔はなかった。
見せられた。
自分が積み上げてきたものを。
そう思った時、試験官の教師達が短く言葉を交わし始めた。
「通常の属性術式とは異なるな」
「属性魔法としての評価は困難だ」
「だが、魔力操作、形成、実戦運用の三点は明確に確認できた」
淡々とした声だった。
けれど、その内容に、ルークの胸がわずかに高鳴る。
ミレイアは腕を組んだまま、少し離れた位置で黙っていた。余計な口出しはしない。ただ、視線だけはルークから外さない。
やがて、試験官の一人が顔を上げた。
「ルーク君」
「はい」
ルークは姿勢を正す。
「君の技術は、既存の属性魔法とは異なる。通常の評価基準に当てはめることは難しい」
周囲が静まった。
一瞬、嫌な沈黙が落ちる。
けれど、教師は続けた。
「だが、魔力制御技術、戦闘時の応用力、そして独自性については、実技試験の基準を満たしていると判断する」
ルークは息を止めた。
「よって、実技試験は合格とする」
その言葉が、演習場に響いた。
すぐに歓声は上がらなかった。周囲の受験生達は、まだ戸惑っている。何を見せられたのか、どう評価すればいいのか、誰も整理できていない。
それでも、ルークには十分だった。
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
胸の奥が、じわりと熱くなった。
ようやく、一つ通った。
無属性でも。
魔法士学科に届いた。
「やったじゃない」
背後から声がした。
振り返ると、ミレイアが軽く笑っていた。
「まあ、まだ合格しただけで満足されても困るけど」
「分かってます」
「ならいいわ」
ミレイアはそう言ってから、少しだけ目を細めた。
「でも、今のはちゃんと、あなたの技術だった」
「……はい」
その一言が、思った以上に嬉しかった。
昔、自分を助けてくれた人達の一人に、今の自分を見てもらえた。それだけで、少し報われた気がした。
その時だった。
「ルーク」
静かな声が聞こえた。
ルークは顔を上げる。
演習場の入口近くに、ユノが立っていた。
白金色の髪が、陽の光を受けて淡く輝いている。さっきまで模範演舞をしていた時と同じように、表情は静かだった。
でも、ルークを見たその目だけは、少しだけ柔らかい。
「ユノ」
名前を呼ぶと、周囲の受験生達がまた小さくざわついた。
「知り合いなのか?」
「特待生と?」
「さっき名前で……」
その声が、ルークとユノの間に薄い壁のように挟まる。
少しだけ、距離を感じた。
昔は、もっと普通に話せた。村で並んで歩いて、魔法のことを話して、互いに当たり前のように隣にいた。
でも今のユノは、学園の特待生だった。誰もが見上げる存在で、自分はようやく試験に合格したばかりの無属性。
その差は、思ったよりも大きい。
ユノはルークを見つめたまま、少しだけ目を細める。
「……本当に来たんだ」
「来たよ」
ルークは笑った。
懐かしい声だった。それだけで、胸の奥にあった緊張が少しだけ解ける。
「ずっと、来るつもりだった」
「うん」
ユノは小さく頷く。
それ以上、すぐには言葉が続かなかった。
本当は聞きたいことがたくさんある。今までどうしていたのか、学園ではどう過ごしているのか、さっきの光魔法はどれだけ練習したのか。
でも、周囲の視線がある。教師達もいる。受験生達も、遠巻きにこちらを見ている。
今ここで、昔みたいに話すことはできない。それは、ルークにも分かった。
だから、ルークはユノをまっすぐ見た。
「まだ、同じ場所に立てたわけじゃない。姿が見えただけだ」
ユノが静かに瞬きをする。
「でも、すぐ追いつく」
言ってから、少しだけ笑う。
「……いや、追いつくために来た」
ユノの表情が、ほんの少しだけ揺れた。
それは驚きにも見えたし、嬉しさにも見えた。けれど、ユノはすぐにいつもの静かな顔に戻る。
「待ってる」
短い言葉。
でも、ルークにはそれで十分だった。
ユノは少しだけ視線を伏せた。
もっと話したい。
そんな想いがあるように見えた。けれど、ユノはそれを言葉にはしなかった。
ルークは合格したばかり。ユノは特待生として、この場に立っている。
昔みたいに隣へ並ぶには、まだ少しだけ時間がいる。
だからユノは、ほんの僅かに口元を緩めた。
「合格、おめでとう」
「ありがとう」
ルークは素直に答えた。
それだけの会話だった。
短くて、ぎこちなくて、昔とは少し違う。
それでも。
止まっていた時間が、少しだけ動き出した気がした。
その様子を見ていたミレイアが、小さく息を吐く。
ルークがここまで来た理由。その一つが、少しだけ見えた気がした。
「……なるほどね」
どこか納得したような声だった。
ルークが振り返る。
「何がですか?」
「別に」
ミレイアは軽く肩をすくめた。
「ただ、面白くなりそうだと思っただけよ」
「それ、嫌な予感がするんですけど」
「あら。教師の勘は当たるわよ?」
楽しそうに笑うミレイアに、ルークは少しだけ顔を引きつらせた。
ユノはそんな二人を見て、静かに目を細める。
懐かしい誰かの気配。少しだけ変わったルークの姿。そして、これから始まる学園生活。
胸の奥に、小さな期待が灯る。
けれど、その期待を言葉にはしない。
今はまだ。
そのくらいでいい。
試験官の声が響いた。
「次の受験生、前へ」
止まっていた空気が動き出す。
ルークはもう一度ユノを見た。
ユノも、静かに頷く。
それだけ交わして、二人はそれぞれの場所へ歩き出した。




