8.1992年4月、策略
「やあジョウイ。元気かい」
人を騙すのなど慣れたものである。
CIAに入局して早数年、何枚もの仮面を身につけ、何人もの人物にも成り済ました。
それに比べれば内勤となった今は、そう小難しいことなどなく、ちょっとした会話をすればいいだけなのだからなんとも楽なものである。
耳障りのいい台詞を口にするだけ。
それは相手がケネディ・スクール時代の学友であっても変わりない。いつも通り上手く誘導し、事がアメリカにとって有利に運ばれるよう調整をするだけだ。
『ああ、なんとかやっているよ。心配をかけてすまないね』
電話の相手はジョウイ・モレフェスという男だ。
ディタボラ共和国の内務大臣、カバラ・モレフェスの息子である。
声には疲弊が滲み出ていた。
ディタボラは現在、体制維持派と反体制である民主化組織との間で小競り合いが勃発しているのだ。
ジョウイにはまだ幼い子供がおり、その身の安全が彼の中で急務であろうということは、想像に容易かった。
「いいや、友人なのだから心配ぐらいさせてくれ。それで、大丈夫なのか? 国の中が随分とごたついているようじゃないか。ご家族は?」
『……あまりいい状況とは言えない。旱魃も相まって、国内はかなり消耗している』
ケネディ・スクール時代、特別親しい間柄であった訳ではない。
しかし相手はアフリカ大陸南部に位置するディタボラ—— 、コバルト、白金族金属、クロムなどの戦略鉱物の産出国だ——、の高官の息子である。
となればCIA職員たるもの、日頃からそれなりの接触を持つのもまた職務のうちであろう。
そうしたたゆまぬ努力の結果、現在こうして彼と不自然さなく接触を持っている訳である。
そう、同じ学舎で教育を受けた友人として、だ。
男は腰掛けた椅子の上で脚を組み直した。片手でペンをクルクルと回しながら、ジョウイに対してあれこれと気遣わしげに声をかけていく。
「そうか、それは大変だな……、親父さんの調子はどうだい?」
『……大きな声では言えないが、なにか思うところがあるようだ』
ビンゴだ。暗い室内で男は口角を持ち上げた。
父親のカバラは目立つことはしていないが、それは表立ってのこと。裏ではこっそりと小粒のダイヤを売っては貧民の救済に充てている履歴が確認された。
彼はきっと現政権に対して思うところがあるに違いない——、CIAはそう目していたのである。
そう結論づけたのはそれなりの理由がある。
CIAはそれほど素直な集団ではない。
カバラに後ろ暗い過去の一つや二つがあってもおかしくはない。
そう考えカバラの周辺を探ったところ、そのカバラ自身が、民主化組織の立役者であるとの経歴が確認されたのである。混迷を極めるアフリカ大陸ではよくある話だ。
ジョウイの言葉から察するに、つまりカバラはそろそろ動く、という意味だろう。ジョウイもそれを知っている。知った上で悩んでいる。
「思うところ? ああ、国民救済の提言を行うということか?」
わざと判っていない男を演じて問いかける。
『……そのようだ』
ジョウイは口籠もり、それから電話口で小さくため息を吐いた。
ディタボラの腐敗政治はもう何年もの間、問題となっていた。
そして今回、民の貧困に拍車をかけたのが旱魃だ。
とは言え腐敗しきった政治運営が行われてはいるものの、今のところ処刑だのなんだの野蛮な粛清は行われてはいない。
つまり、国として正常な状態とは言い難いものの、独裁政権としてはやや良心的と言えなくもないという状態だ。
いっそのこと、大量虐殺でも起こっていりゃ介入も容易いのになァ——、などと軽口を叩く職員もいるが、起きていないのなら火種を蒔くまで。
そのためのプランをCIAでも練っている。小細工が必要なのは多少面倒ではあるが仕方あるまい。
『私もこのままではいけないとは思っている。ただ……、』
ただ。それを行った者は、何かしらの理由を持ってその任を解かれるなどしているのである。
任を解かれたが最後、政治の中枢への復帰は難しくなる。ゆえに父の行動を手放しで支持することはできない、ということだろう。
「そうか……」
『……母たちや、兄弟のこともある……』
ジョウイは悩ましいよ、と言った。
おそらくカバラはクーデターを起こすつもりなのだろう。
ディタボラに送り込んだ現場工作官の報告では、カバラは近頃、民主化組織との接触を活発化させていた。
何人もの人員を間に噛ませての接触であることから、ディタボラ国内ではカバラの行動に気づくものはいないのだろう——が、これはつまり、情報漏洩が起きやすいという事だ。
現場工作官もその伝言ゲームの隙間から細々とした情報を拾うことも少なくはない。
『父の提言がどのように働くか判らない』
カバラがクーデターを起こした場合、虐殺の発生リスクの上昇、それが懸念される。
ジョウイの口ぶりから察するに、彼の目下の悩みは人々の安全、それだった。
特に彼の家族に関しての、だ。
彼には母が複数人いるのだ。
ジョウイは幼い頃に母親を亡くしたため、別の母たちが彼を育てくれたのだという。
ディタボラは一夫多妻制であるため、ジョウイは文化の違う母たちの教育の中、戸惑いながら育ったらしい。
東アジア出身のジョウイの母の教育のとは、文化、作法、しきたりのすべてが大きく異なったようだ。
だがそれでも、我が子と分け隔てなく育ててくれた義母たちに感謝しているのだ、とジョウイは嘗て語った。
彼が特に気にしているのは、その母たちとその親族だろう。
国内のさまざまな土地から嫁いできた彼女たちの中には庶民も含まれ、つまりその親族もまた庶民ということ。
戦闘ともなれば彼らも割りを食うに違いない。
また、カバラがクーデターを起こすとなれば母たちとその子供の避難が必須となる。
『私はどうするべきだろうか……』
独り言のようにジョウイが言った。
現在、旱魃が引き金となった貧困にディタボラの民は苦しんでいるが、しかしクーデターを起こした場合、彼らに更なる苦しみを与えることとなる。
「親父さんを支えている君は素晴らしいよ。自分の家族を守るのに精一杯だろうに、国民のことを思っているのだから」
『……いや、何もできていない』
「そんなことはないさ。そうだ、なにかあったら力になるよ」
『……ありがとう』
「なに、同窓生のよしみだ。何も遠慮することはないさ。私が今、政府関連の仕事をしているのは知っているだろう? できる限り力になるよ」
『気を使わせてしまって悪いな』
「水臭いことを言うなよ。あの学校では『助けを求められるのは能力のうち』と学んだだろう」
ケネディ・スクールでのあれこれのエピソードをさりげなく出して、ジョウイの心の奥底をほぐして介入しやすい足場を作る。
ロナルド・レーガンがジョン・F・ケネディ・フォーラムを訪れたのを見たこと、チャールズ・ホテルのバーで少しばかり背伸びをして酒を飲んだこと、ケンブリッジの地獄の寒さに震えたこと。
ひとしきり話したあと、男はなあジョウイ、と切り出した。
「ジョウイ——、私はワシントンの知り合いを頼ることもできる」
電話口で、ジョウイが息を呑むのが判った。
『——、ワシントン……、』
電話口でジョウイは何かを察したようだった。
これで種は蒔いた。
頭の悪い男ではない。こちらが何を言わんとしているか、それは察したはずだ。
ワシントンとは即ち「アメリカ政府」という意味である。
要はお前の父親を助けてやる。私はその窓口とゆかりが深いのだ、と伝えたのである。
実際は窓口そのものであるのだが、それはいちいち開示する必要などない話だ。
さあ、どう出るか。
ジョウイ自身に後ろ暗いところはないと確認されている。驚くほどにクリーンなのは、一度アメリカに出て外界の空気を吸ったことがことが理由だろう。彼自身も頻繁に「アメリカへの留学が私を変えた」と話していた。
「私もできる限りのツテを使うよ。君を助けたいんだ。人道支援の一環だと思ってくれ」
旱魃、大変なのだろう? と伝えるが、ジョウイは困惑の色を浮かべるばかりだ。
実際問題、アフリカ南部を襲った旱魃、その被害は甚大だ。
だが、国連が速やかな助け船を出せない理由がある。そう、治安の悪化だ。通常は国連というのは『諦めない』集団だ。飢餓、貧困に際しての動きは機敏。
しかし、治安が極度に悪化している場所にはそれなりの手続きを踏んでの実行となるため、どうしても初動が遅くなる。
『待ってくれ、そこまで君を頼るわけにはいかないよ』
「国内の混乱を放置するわけにはいかないのだろう? この件は、親父さんとは切り離して考えたらどうだ。君自身が動く。そこに何の問題がある」
『……だが』
「……リベリアはどうだ?」
『……っ』
小競り合いから内戦に発展した事例を挙げると、ジョウイは言葉を詰まらせる。正に今のディタボラと同じ状況だ。
「ジョウイ、これは非公式ルートだ」
『……君……、』
ジョウイは今会話している男が、どの部署のどのあたりにいるのかをようやく悟ったようだった。
つまり、ことを荒立てずに秘密裏に支援を行える、という意味だ。
即ち、これは正式な外交としてのやり取りではない、ということ。これが何を意味するかなど赤ん坊でも判る。
アメリカに何かしらの利があって支援を申し出ているが、それが公になるのはまずい状況という話だ。
お互いに秘密裏に、関係を悟られずに動きたい——、暗にそう伝えたのである。
『……どこまで君に頼っていい?』
乗ってきた。
学生時代、国内の民主化、そして政治の正常化の夢を語っていたジョウイだ。あれから時折連絡を取って彼の思想に変わりがないことを確かめていた。
ジョウイは変わっていない。
下拵えは済んだ。
男は口角を持ち上げた。




