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5.1992年3月末、ドンブウェからの脱出

 接戦というわけでもなく、対抗馬が早々に諦めてくれたためショウはそれを落札するに至り、ホテルで簡易的な鑑定を行っていた。


 落札額は7000米ドル。まあ、そんなものだろう。


 スフェーンならスフェーンで自身のコレクションに加えればいい。それほど好きな石ではないし、メジャーな石というわけでもない。だが買い手はいつか現れるだろうから、それを待つのもいい。


 そう、いくら混乱期にある国であろうとも、政府が発行した書類があるのだから杞憂に違いない。これがダイヤかもしれない、だなんてショウのくだらない妄想に決まっている——、それくらいの気持ちでいたのだが。


「……あれま」


 思わず上げたのは間抜けなことこの上ない声。

 ダイヤモンドテスターが示すのはダイヤ。念の為に何度もテストに掛けるが答えは同じであった。


 部屋に小さな音が響き、ランプがダイヤを示して点滅を繰り返す。


 嫌な汗が背中を伝う。


 ショウはルーペを取り出しそれを覗き込む。

 軽く指先で触れると油脂が膜を張ってダイヤ特有の親油反応を見せた。


 ——八割方、ダイヤだ。


 背中が粟立つのを感じた。


 何がどう間違えスフェーンとして鑑定され、出品されるに至ったのかは定かではないが、それはそう、まさしく、驚くべきことにファンシーディープイエロイッシュオレンジ、つまりショウが考えるところのスフェーン色のダイヤモンドであったのだ——、暫定ではあるのだが。


 ショウは親指を軽く噛んだ。


 さてどうするべきだろうか。

 事実はただ一つ、そう確定したわけではないが、ショウが詐欺を働いたことになってしまった——、()()()()()()ということだろう。


 ダイヤと確定したのなら、ショウは、オークション開催国であるドンブウェの、本来130万米ドル程度、いやそれ以上の収入が見込める品を掠め取ったこととなる。ショウにその意図はなかったとしても、結果そう見えることが問題なのである。


 良くて没収、その上返金はなし——、最悪の場合命を奪われる。


 何が起きてこうなった?

 ショウは腕を組んで考え込む。


 押収品ということは、もしかしたら元の持ち主の行った政府への意趣返しだったのかもしれない。恨みつらみが募った末にそっと石を入れ替え提出した……、いや、そんなことが起き得るのだろうか?


 だが。


 ホテルの空調が奇妙な音を立てている。

 すう、っとした空気が首筋を掠めた。そのせいで冷静さを取り戻せた。

 ショウはそっとルースケースの蓋を閉じる。


(俺は何も知らなかった。俺の専門はプラチナだ)


 ショウは宝石商を名乗っているが実態は少々異なる。プラチナの売買で生計を立てている……、いや、正確には立てていた、と言うべきか。


 プラチナの売買を目的に、1980年代半ばに日本からヨハネスブルクに移住した。その傍らでツテを通して色石獲得の依頼を受けていたのである。プラチナが生活の主軸とならなくなるのにはそう時間は掛からなかった。


 ヨハネスブルクの治安が悪化しケープタウンへの移住を余儀なくされたのはそれから僅か二年後のことだ。


 とはいえそう、プラチナの売買は未だ続けているのである。

 無理難題を解決する宝石商として名を馳せているのは、あくまでもニューヨークの一部の富豪の間のみでの話だ。日々の小規模ながら、細々と行われるプラチナ売買は最早ショウの生活の一部と化していた。儲けはダイヤに比べるべくもなく多くはないが、なんとなく日々の習慣として続けていた売買は、世相を読むのにも適していたから苦ではなかった。


 ならば。


 これはスフェーンだ。

 幸い、万が一のためにと落札したスフェーンがいくつかある。


 ショウはスフェーンの買い付けに来た。

 その中に何故かスフェーンとされているダイヤがあった。

 間抜けなショウは何も気づかなかった——、もしもこれがダイヤと露見した場合は、こういうことにしてしまおう。


 そうと決まれば早急にダイヤモンドテスターを処分しなければならない。

 てきとうな紙袋にあらゆるゴミと一緒にテスターを詰める。道すがら、ドブにでも投げ込めばいい。

 

 身支度を整えながらも、ショウの頭は高速回転させ次のステップについて考えていた。

 ネクタイを締め直しながらも思考を止めたりはしない。


 まず考えるべきは、どうすれば安全にこの()()()()()をニューヨークへと持ち込めるか、またどうすれば安全にこの石を手放せるかであろう。


 この落札物がダイヤであると何者かが把握している場合——、つまり、何かしらの意図を持って、敢えてスフェーンとして出品がなされていたとしたら、その場合は間違いなくショウの命が狙われる。


 状況は恐ろしく不可解だ。


 例えば落札者の中に、横領を目論む役人がいたとしたら納得がいく。安く落札して高く売り捌く。そうすれば悠々自適の生活も夢ではない。

 だが、競った入札者がそう多くなく、その殆どが早々に離脱したことから、彼らはただの入札者であるとショウは判断した。


 では横領以外の、何らかの意図を持ってこのダイヤをスフェーンだと偽った者がいて、その人物はこれがスフェーンとして持ち去られることを寧ろ望んでいるのではないか。


「ねぇわな」


 ショウは笑ってアタッシェケースを持った。


 事は、何かしらの胸躍るロマンが隠された御伽話ではないのだろう。


 種明かしをするなら、これは単純明快、汚れきった政治の話だとショウは思うのだ。


 まずスフェーンはスフェーンとして出品されただけに過ぎない。そこに意図があったとすれば押収時。押収された人物は無理やりこれをスフェーンとした。

 おそらく押収自体が極めて理不尽、そして納得のいかないものであったのだろう。そして一矢報いるためにダイヤにスフェーンのフリをさせた——、そう考えれば辻褄が合う。


 ドンブウェ政府はそれに気づかなかったのだろう。

 なぜか。

 そういう国だから、の一言に尽きる。

 戦前の汚職政治、戦後の混乱。真っ当な政治運営ができていなかったに違いない。


 大体、()()()オークションなどというものを政府主導で開くこと自体がその国の不安定さの証左だ。

 そんな国の催したオークションがまともであるはずがない。


 出自を隠したいモノ、イチャモンをつけて無理やり奪い去ったモノをさっさと処分をしたい、といったところだろう。


 真っ当に外貨が欲しいのならオープンなオークションが開かれる。


 つまりほぼマネロンが目的のオークションであろうということは予想がついていた。

 さて、()()()は誰だったのか、である。


 当然ドンブウェ新政府だ。


 クリーンな政治、国民を想った政治。そんなものは最初から存在しないに違いない。


 押収品を元の持ち主に返さないのがその根拠の一端とも言える。


 結局はアタマが変わっただけで、私利私欲に塗れた時代遅れの政治が継続されるのだろう。


しょう


 耳元で父の声が聞こえたような気がした。


 ——お前は少々楽観的だ。いつでも最悪を想定して動きなさい。


「判ってますよ、父さん」

 

 師と呼ぶべき実父の顔を思い浮かべる。

 状況が状況だ。ならば父の指南通り、事を大袈裟に捉えねばなるまい。


 ではどうすべきか。さっさと出国して売り払うに限る。

 長居は無用だ。


 頭はずっと思考を続けている。


 二つ目のリスク、それは輸出だ。


 ショウのゴールは、この石をスフェーンとしてニューヨークに持ち込むことだ。道中でこれがダイヤと露見するのは最悪のシナリオだろう。


 この石は登録上はスフェーンだ。

 ドンブウェ政府の正式な書類——、オークション開催証明書、インボイス、輸出許可証——、は揃っているが輸出時にダイヤと露見する可能性がないわけではない。


 スフェーンがスフェーンではなくダイヤである——、それが税関で発覚すれば、当然、この石はどこから来たものなのか、という話になる。

 自然、照会がドンブウェまで飛ぶことになる。


 かと言って、一度住まいのある南アフリカ共和国に持ち込むのは愚策中の愚策、最も避けたいプランの一つだ。

 南アはダイヤの取り扱いについて、アフリカ大陸南部でも随一の厳しさである。

 空路に比べていくらか検査の甘い陸路であっても、誤魔化せるとは思えなかった。


 つまりショウは、このスフェーンを携え今すぐにニューヨークへと向かい、安全に税関を通過させるしか道がないのである。

 通過できるかどうかは賭けのようなもの。本来ならばそのような行動は避けるべきであるが致し方あるまい。


 勝算とは言えない杜撰なプランであったが、国交という盾を信じようとショウは考えた。


 ドンブウェが自ら催したオークションで落札された品を、輸出の許可書、インボイスを携えて、持ち込む。

 しかもショウが持ち込むのはこの世に存在しないはずのオレンジダイヤ(仮)だ。

 提示された書類を疑うことは即ちドンブウェ政府を疑うということと同義だ。

 これはダイヤではないですか、などとなかなか口に出せないはずである。


 詰めが甘いが日本の父には頼れない。ベストな選択とは言い難いが、バレたらバレたでその時だ。


 最後に、契約の不履行。これが最も厄介な問題だとショウは考えている。


 アンダーソン夫人が求めるのはあくまでダイヤである。ショウは彼女とそう契約した。


 しかしこの石は今、表向きはただのスフェーンなのだ。アンダーソン夫人の求める石ではない。

 この石を、しっかりとした機関で鑑定しなおし、ダイヤのラベルを貼り付ける必要があった。

 だが。


「嫌だなぁ」

 

 ショウはため息混じりに呟いた。


 嫌だ。そして癪だ。癪ではあるが、これを行うにはピースがあと一つ必要だ。

 そのピース、はこの世でたった一人きり。

 ショウはため息をつきながらある男の顔を思い浮かべた。


 そう、天敵でもあるユダヤ人宝石商の男、デヴィッド・スタインの顔だ。

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