4.1992年3月末、ドンブウェ
いやぁ、ドンブウェ。ひどい国だ。
ショウはそんなことを思いながらドンブウェへの入国を果たしていた。
入国審査も税関もボロボロ。ほとんど機能していないと言っていい様相であった。
一応の体裁は整えてある、という程度で、ほとんど高速の流れ作業である。
人員が避けないのか、元々こうなのかは定かではない。
アタッシェケースに収めた色石についてもあれこれ尋ねられることも記録されることもなかった。
色石——、これはカラーサンプルとして携行したものである。
ドンブウェ入国の一週間前、ショウはインドにいた。
インドで色合いを確認し、サイトホルダーの営業窓口に「一応」と前置きした上で、「依頼人に尋ね、購入の意思を確かめてからにしたい」と無理難題を聞き入れてもらい取り置きの約束を結んだのだ。
イエローブラウンダイヤ——、アンダーソン夫人は「是」とは言わないだろうが、一応はお伺いを立てられるだけの色合いだとショウは認識している。
この数日後にドンブウェからアメリカ入りを果たす予定であるが、売買契約を結んでいない石を持ち出せるわけもなく、ショウは色味と大きさのよく似た石をアンダーソン夫人に見せるべく、サンプルとして今日もそれを持ち歩いていているというわけだ。
それにしてもひどい。
ショウはもう一度考えた。
オークション会場というにはあまりにも……、公民館か? と尋ねたくなる会場であることはまあいいとして、その建物の壁面がさまざまな傷や汚れで満たされていた。
この国が如何に混乱をしているかが窺い知れる。
ショウはそのまま招待状を提示し会場に入るが、しかし中は思ったよりも絶望的ではなかった。
ただ、よくはない。オークションとしての基準を満たしていないように見えた。
美術品などはともかくとして、宝飾品の扱いがとにかく荒い。
石の造詣が浅い下級職員が色だけを見て適当に書き込んだような雑な添え書き、そんなものばかりで、それがなんの石であるのかの確認すらマトモに行われていないのではないか、と言う体たらくであった。
一応政府としての正式書類は付くとのことではあるが、果たしてその鑑定書もどきもどれほど信用のおけるものであるのかは定かではない。
政治的理由、つまりこのアフリカ大陸にありがちな内戦によって鑑定施設も稼働しておらず、機材もまともに揃えられなかったのだろうと容易に推測された。
(来るんじゃなかった……)
ショウの予想に反して、それなりに賑わっている下見会ではあるが、ダイヤ産出国ではないためか、あの輝きを放つ石はほとんど出品されていない。あっても小粒で、面白みのない石が殆どだ。
期待はずれがすぎる。
こちらに来る前にインドで押さえた石はイエローブラウンダイヤであったが、そちらのサンプルを夫人に提出しにいくしかないだろう。
尤も、よい返事を貰えないのは目に見えているのだが。
とは言え、イエローブラウンダイヤとて、簡単に見つけたものでは決してない。
サイトホルダーは、本来ショウのような個人の宝石商などまともに相手にしてくれる存在ではないのだ。
彼らサイトホルダーの営業マンがなぜショウの曖昧な取り置き依頼——、今は買い取れない、依頼人がゴーサインを出したら買い取る、というものだ——、などに応じてくれたかは、皮肉なことにスタインが投げた依頼をショウがこなした履歴がいくつも残されていたからであった。
スタインはニューヨークのトップディーラーだ。社交界にも顔がきく。
それにヤツはなんといっても、ダンペイとゆかりのあるさる大物とコネクションがあるのだ。そのスタインが子飼いにしている日系アメリカ人の宝石商であるショウ。
頻繁に彼らの元へと顔を出すショウは、彼らに取って無視のできない馴染み客と化していたのである。
——それはともかくしてである。
ショウはつい、と会場を見回しそして小さく溜息をついた。
まったくの期待はずれだ。やはりオークション、それも非公開のものなどに頼るべきではなかったのだ。
(あーあ、帰ろう帰ろう)
気軽に来て気軽に帰れる距離ではなかったため落胆もひとしお、だが仕方がない。何もない場所に留まっていたところで石の出品が増えるわけでないのだから、さっさとホテルに帰って明日、早々に発つべきだ。
一応のところ情勢は落ち着いてはいるが、長居は避けた方がいいだろう。
しかしなあ、とショウは自身の間抜けを棚に上げ「なんて杜撰さだ」と呆れ返る。
不安定な時勢の合間に開催されたオークションのためか、とても質が悪い。出品物ではなく、このオークションそのものが、である。
この手の競売では殆どの場合は配布される出品リストも非常に簡素なもので、それもこの下見会で初めて配布されるという始末。
おまけに警備として配置されているのはどう見ても兵士だ。参加者を威圧してどうするというのだ。
考えても仕方がない。さっさとこの場を離れるに限る。
そうと決まれば話は早い。ショウはスルスルと警備員の脇をすり抜け人混みの合間を縫って歩く。
ついでにショーケースを見遣っていく。どうせ遠出したついでだ、なにか落札しようかと思案したが、やはりこれといっためぼしいものはない。
サファイア、エメラルド、タンザナイト。どれも大粒で美しくはあるが強烈に惹かれる石はなかった。
ダイヤ、ダイヤ。小粒でシンプルなクリアカラー。またまたダイヤ。ショウはこれらに用はない。
(わざわざオークションに出すような物じゃあないだろ。ケツに火でも付いてんのかね)
鮮やかタンザナイト、これには少しばかりの食指が動くが入札するほどのものではないだろう。
スフェーン、タンザナイト、ガーネット、そしてやはりスフェーン。この国の周辺ではスフェーンが採れるから不思議ではない。
スフェーン、スフェーン、スフェーン。
「……スフェーン……、」
足が不意に止まる。
オレンジカラーに執着しているのだから、ふと足が止まるのはそう不思議ではないのだが、ショウはそのケースの中身、それがやたらと気になったのである。
見事な石が、ガラスケースの中に鎮座していたのだ。
その石は、6カラット級、そして見事なオレンジ色であった。
商品詳細によればノントリートメントで色むらはおろか、インクルージョンもなければチッピングやクラックさえもない一級品であるとのこと。
スフェーン。そう記されていた。
たくさんの人が行き交う下見会の中、そこで足を止めているのはショウは一人きりである。
ショウはまじまじとそれを見た。
凄まじい違和感に襲われる。
——これは本当にスフェーンだろうか。
ふと、そんな疑念が浮かんだのだ。
スフェーンであるとの記載がされているのだからスフェーンであるとするのが当然だ。
だが——そう、スフェーンならば、この石は輝きがあまりにも落ち着きすぎている。
そう感じたのだ。
ショウは首を傾げショーケースの中を方々から眺めた。
スフェーンならば角度によって、もっと強くファイアが現れるような気がしてならない。
カットが拙いわけではない。見事に均整の取れた美しいオーバル・ブリリアントカットである。
なんらかのコーティングがされているのだろうか。
だが、なんのために? これがスフェーンと銘打たれて出品されている以上、輝きを落とす意味がない。
だが、とショウは穴が開くほどそれを見つめる。
許される限界にまでショーケースへと顔を近づけ確認を続けた。
個人蔵の品を数年前に政府が押収したもの、と記されており、つまりは長いこと保管庫で眠っていたもの、ということになる。
スフェーンはモース硬度5程度、ダイヤよりもはるかに脆い石だ。
にも関わらず、長期の保管——、それも宝石の管理に長けているわけではない政府のだ——、を経てもエッジが極めてシャープであったのだ。出品に際して整えられたのだろうか?
だが、その鋭さに反して、取ってつけたかのように微細な傷がテーブル面に確認できたのである。作為的なものを感じてならない。
それに、ショウが疑いを深めたの理由はまだあった。
まず、スフェーンにしては完璧すぎるのだ。この大きさのスフェーンにクラックがない、などということはあり得るのだろうか。
モース硬度5だぞ、とショウは考えた。
「オレンジ、ねえ……」
小さな呟きは空調のそれにかき消される程度の大きさだ。
ナンセンスだ。馬鹿げている。ショウは一人、誰かに言い訳をするかのように自嘲する。
産出国が記されていない以上、どこで採れたものかは定かではない。であるからして、これを疑念を抱く理由とするのは浅はかというものかもしれない——、が、仮にアフリカ大陸産とすると、この色も少々おかしかった。
アフリカ大陸から産出されるのスフェーンは、その含有物の関係で、多くがイエローやグリーンなのである。オレンジも採れないことはないが、なんとなくそれが疑念を後押しするかのような錯覚が生じる。
次に、スフェーン特有の強い複屈折によるエッジのダブリングが見えないことに引っ掛かりを感じた。ショウが疑いを深めた一番の理由はこれだ。
どうにも違和感が拭い去れない。キュービックジルコニアの線も疑ったが、やはり輝きが落ち着いておりあまりにも上品なのだ。
宝石商のカンが『これはスフェーンでもキュービックジルコニアでもない』と告げている。
(スフェーン……、スフェーンねえ)
馬鹿馬鹿しい。そんなことがあるわけがないだろう。自身の考えを何度も否定する。
——これがダイヤかもしれない、だなんて。
そう思いながらも、ショウはガラスケースに収められたそれを幾度も眺めた。
落札予想額はUS$6000-10000。
脆いはずのスフェーンがこれだけ完璧な状態で保管されていることはまずないだろうから、やや高値ではあるが妥当と言えば妥当な落札予想額である。
(まあいい……、スフェーンならスフェーンで問題はない)
考えあぐねた結果、ショウは二日後に開催されるオークションで、このスフェーンに入札することにしたのである。
作中のアレコレは、1990年代前半ごろの事情を前提としています。




