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19.1992年11月初旬、ディタボラへ(2)

 ヤン・スマッツ空港の空気はひりつていた。絶賛警戒体制である。クリフトンとは明らかに異なる重く、緊張感のある空気。

 ごたつく南ア国内の様子が如実に現れたそれに、ショウも気分を立て直す。


 アパルトヘイト下で日本人は『名誉白人』として扱われていた。なるべく目立たぬよういるのが得策だろう。


 チラとウィルソンを見れば、あれだけ言っても彼はどうやらショウについていくつもりでいるようだ。

 ショウよりも六インチ(十五センチ強)近く巨大な身長であるにも関わらず、様子がまるで怒られた子供である。


(馬鹿だな……どうなっても知らね)


 ウィルソンが何も言わないのをいいことに、ショウは彼を振り返りもせずに予定をこなすべくささっと歩く。


 滞りなく手続きを済ませてAVISカウンターで予約をしてあったTOYOTAハイラックスを借りた。

 一番目立たずスタンダードな車であること、農場主や警備会社にも幅広く使われる頑丈な車であることもこの南アでは思っている以上に重要視すべきことだ。


 とにかく悪目立ちしてはならない。

 アパルトヘイト撤廃、それに付随する混乱、それに旱魃。これ以上にないくらいに南アは緊張状態なのである。


 かつては住まいのあった場所であるが、いかんせん治安の悪化が気になり、郷愁を胸に呑気に滞在、という気にはなれなかった。


 急速な時代の変化を肌で感じる。

 うろつく警官がこれ見よがしに銃を携行しているのも気になった。


「私は帰れと言いましたよ」


 一応を警告をしたが、ウィルソンは車に乗り込んだ。


 車を走らせればすぐに金鉱のテーリングダンプが目に入る。採掘場の跡地だ。それを過ぎれば郊外の街へと辿り着くが、そこにも寄らずに車をひた走らせた。


 確かに自分で運転した方が楽ではあるのだが、運転さえしないウィルソンが一体何のためにショウについて回っているのかまったく判らない。

 車くらいは手配するだとか自分で運転するだとか、こう、あるではないか。


 あくまで護衛。そう言いたのかもしれないが、万が一の乱闘でも彼が役立つとはどうにも思えなかったのである。


 バックミラーで彼の様子を見ると、ふと、ショウは違和感を抱いた。


(いや、でもまさかな……)


 ふわりと浮かび上がる疑念を振り切り運転に集中する。


 旱魃の影響で大地はどこも乾き切っていた。

 砂煙を浴びながら車を一時間も走らせればプレトリア。

 それから大して変わり映えのしない景色を横目に四時間強のドライブとなるはずだ。


 ハンドルを握りつつ、ショウは視線を路肩へと投げる。


 道路傍に燃えたタイヤが転がっていたりと不穏な空気をその身にひしひしと感じる。

 四時間強で到着——、計算上は、となりそうだ。

 五時間、いや六時間で到着すれば御の字といったところだろう。


 ショウはバックミラーを見た。


 正直なところ、この道中にこの工程では、移動慣れしたショウとて疲れないわけではない。


 特に混乱期にある南アの事情、それがより一層に己とウィルソンを疲弊させるであろうということを、ショウは熟知していた。


 暫く行くと、検問がまばらに現れるようになる。


 その多くは治安維持のためではあるが、その都度トランクを検められ銃器の確認をされパスポートの提示を求められるのは面倒だった。


 検問突破のための行列にかち合うと最悪だ。

 避けるわけにも行かずご丁寧に検問を受けることになるわけだが、アジア人然とショウはともかく、アメリ国籍のウィルソンについては必ず細かな説明を求められた。


 そんな状態でもショウは運転の合間に時々隙を見ては適度に休憩を取っているが、ウィルソンは微動だにせず後部座席に座っているだけである。


 やはりおかしい、と感じた。


 ウィルソンはベラベラと喋る方では決してないが、それでもその様子があまりにも不自然だったのだ。


 最初はショウの言葉がキツすぎたのかと考えたが相手はおそらくその道のプロ、そんなものくそくらえで腹の中で煮えたぎる怒りをお首にも出さずに「ミスター・サトナカは昼食はなにをお召し上がりに?」などと言い放ってもおかしくない。


 だがどうだ、今のウィルソンはやたらと静かだ。

 そして覇気もない。

 真っ直ぐにコケシよろしく真っ直ぐ綺麗な姿勢で座ってはいるが、静かすぎて不気味だ。


 お伺いを立てる必要はないが、どうにも気になる。寝首を掻く算段をしているのではないか、などと考えてしまう。


 夕方も十七時になるころ、ショウはようやくエンジンを切った。

 北トランスヴァール州最大の都市、ピーターズブルグに到着である。

 思った通り、様々なトラブルに巻き込まれてしまい、結局は到着までに六時間近くが費やされることとなった。

 国道沿いの老舗ホテルが今夜の宿だ。

 といってもホテルとは名ばかりで車中泊よりはマシといったものだろう。そう期待はできない。


「ミスター・ウィルソン、着きましたよ。降りてください」


 前金として受け取った金の中にはウィルソンの衣食住にまつわるものも含まれているとなれば、宿の手配もショウ、いや、メアリーの仕事になってしまう。

 どうにも勝手が悪い。

 仕事には一人で赴くことがほとんどであるショウには誰かがついて回ることは安心よりも気疲れを生む。

 ウィルソンが這い出すような仕草で、ノソノソと後部座席から降りてきた。


「ミスター?」


 ウィルソンの歩行が妙に鈍い。

 様子がおかしい。ダルそうだ。息が荒いしふらついている。

 よくよく見れば、ウィルソンは小刻みに痙攣、いや、震えていた。


 ——合点がいく。


 嘘だろ、とショウは閉口する。

 マラリアだ。

 予防はアフリカに来るならば当然のことだ。まさかとは思ったが、そのまさかだったわけである。


「……ミスター・ウィルソン、あなたメフロキン飲んでないんですか?」


 ウィルソンが小さく頷いた。


(阿呆がすぎる。どうなってんだ、アメリカ)


 アントワープにいる時点ですでに体調がおかしかったのかもしれない。道理で無能なわけである。


(アメリカごたつきすぎだろ! 予算削減されてんのか。いや、ソ連崩壊で燃え尽きちまってんのか? いやそんなことどうでもいい、この木偶の坊どうすんだよ。少しはやる気出せやステイツ!)


「ねむけざましに……」


 ウィルソンが小さな声で言った。

 なるほど、つまりウィルソンはマラリア感染よりも向精神薬を優先したというわけか。飲み合わせが最悪な二種類を天秤にかけこのザマである。


(なんでだ? ああ、旱魃か……というかどこで感染した? ヨハネスブルグ、ケープタウン、クリフトン。ここでは感染リスクは基本的に低い……、じゃあクリフトンに向かうときに車を拾ったか)


 症状の出方から逆算すると感染はおそらくクリフトン入りの前。


「……あなた、ケープタウンから()()()()()クリフトンに来ましたか? 車?」


 ウィルソンは頷いた。


「……レンタカー……ストライキ……」


 ショウは額に手を当て「ああ」と呟いた。


 予約していたレンタカーがストライキをしていたのだろう。よくある話だ。南アは今、凄まじい混乱の中にある。

 ストライキにインフラの混乱、暴力事件は日常茶飯事だ。


 レンタカーに乗れなかった。ではどうするか。

 この南アでヒッチハイクは死にに行くようなものだ。

 彼がCIAだろうがそうでなかろうがヒッチハイクをすることは流石にないだろう。


 となれば、感染多発地帯あたりからの車——、タクシーに乗ったのかもしれない。

 そう、例えば国立公園帰りの旅行者がちょうど降りたタクシーだとか。

 それならば防犯面での安全性は高いと判断しても不思議はない。

 交通手段としては最適解だ。その中に蚊がいた可能性がある。


 いや、どこで感染したかはどうでもいいが、とにかく病院だ。


 まったく世話の焼けることだ。ショウは舌打ちし後部座席のドアを開ける。


「車に乗って」


 今降りたばかりの車に無理やりウィルソンを詰め込む。抵抗する仕草を見せたが、それが用をなさぬほどウィルソンはふらついていた。


「ミスター・サトナカ……、」 


 何やらウィルソンが呼びかけるが返事はしなかった。

 少しはホテルでゆっくりできると思ったがそうもいかないようだ。

 地図片手に病院を探してそちらに向かう。ショウ一人ならばこんな面倒は起きなかっただろうに。



 

「血液検査をしました。やはり熱帯熱マラリアでしたよ」

Dang it(最悪だ)!」


 平然と言ってのける医師の言葉にショウは思わず吐き捨てた。

 ぜえはあと息をつくウィルソンの様子は刻一刻と悪くなっている。どう見てもディタボラまでは連れていけそうになかった。


「入院が必要ですね。どうします?」


「お願いします」


 かえって好都合だ。ショウにとっても、ウィルソンにとっても、である。


 ここから北部には行けば行くほど医療施設は減っていく。

 寧ろこのピーターズブルグで発症したことは特にウィルソンにとっても幸いだったはずだ。

 だが、と視線を移すと、ウィルソンは抵抗する様子を見せた。


 小さく何やらぶつぶつと呟いている。

 耳をそばだてれば「入院は……」などと訴えているのだ。


「入院したくない? ああそう、結構ですよ。死にますけどね」


 医師がギョッとした顔でショウを見た。

 ウィルソンもゆっくりとショウを見上げる。


「私は構わない。死んだらその辺にあなたを放るだけだ」


 実際、熱帯熱マラリアは治療をしなければ重症化し死に至ることもある。

 旱魃であればマラリアの危険も低いと踏んだのだろうが、あまりにも杜撰だ。


「で、どうするんですか? 私はあなたがどうなろうが知ったことではない」


「……」


 ウィルソンは何も答えない。任務と死。どちらを選ぶかなど、考え込むほどのことではあるまい。


 この体調では無理をしたところでショウを追いかけるのは土台不可能、そしてそのまま死ぬ。

 ならばここで治療を受けるのが正しい選択だろう。幼児でも判る理屈だ。


「入院させてください。手続きは私がします。ミスター・ウィルソン。これ以上私の足を引っ張らないで頂きたい」


 ウィルソンの意向など確かめずに入院に向けての諸手続きを済ませ、そのまま宿へと帰る。

 これで少しは自由に動けそうである。ようやく暫しの休息と行きそうだ。

 明日の朝には朝食もそこそこにすぐ発たねばならない。

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