15.1992年10月下旬、ニューヨーク(2)
アンダーソン邸を出て、それからニューヨークをぶらついた。
バーで酒を飲んだ後、再びの街歩きだ。酒でも飲まねばやっていられない。
イエローキャブを拾おうかと考えたが、酔い覚ましに歩くうちにいつのまにかタイムズスクエアまで辿り着いていた。
突然思いついたように道端のペイフォンで電話を掛ける。
何度もかけた番号だ。頭の中にナンバーは入っていた。
吹き荒ぶ風が冷たい。
ビルとビルの隙間を通り抜ける風は、身を切るような鋭さである。オープン型の電話機は、受話器そのものが氷のようだ。
騒がしい街の喧騒、派手な街並みに辟易する。
大型電光掲示板が忙しなく様々な映像を映し出しているが、その明るい色合いとは対照的に、空気は冷え切っている
小銭を取り出す指も、手袋に包まれていてもなお悴んでおり、危うく25セント硬貨を取り落としそうになった。
だが電話は一向に繋がらない。ショウは嫌な感覚を手に一旦電話を切った。
少しだけ悩み、今度はプライベートなナンバーへと掛け直す。
アッパー・イースト・サイドを離れれば、ニューヨークの治安などあってないようなものだ。周囲を警戒しながらのコールである。
三回の呼び出しでスタインは電話を取った。
『ハロー?』
「……ミスター・スタイン、お元気ですか」
『おや、坊やかい。まあまあ元気さ』
「そりゃあよかったです」
本当に。
『電話など珍しいじゃあないか。借りを返す気にでもなったかい』
「だから借りなんざないって申し上げたでしょうが」
まさか殴る蹴るの暴行を加えられているなどということはなかろうとは思ったが、それでもスタインに変わった様子がないことに、ショウはひとまず息をついた。
一体全体、何があってこうなったかと言えば心当たりはありすぎる。
彼が貧乏くじを引いたその要因の一端は例のオレンジダイヤにもある——、そう考えると頭が痛かった。眉間を指で揉み込みながら考える。
電話口でスタインが低く笑った。
『借りはおいおい返してくれればいいさ。まあ、雑談ここまでだ。ビジネスの話をしようじゃないか。この間坊やから依頼を受けた石だがね、やはりあれは難しそうだ』
「依頼……、」
依頼など出してはいない。一瞬の遅れを経て、「どの石ですか、いくつか出したでしょう」と慎重に言葉を選んで尋ねる。
『坊やが研磨してくれと持ち込んだ方の石さ。硬度が低すぎるね。下手に触れると欠けてしまいそうでいけない。悪いがうちでは無理そうだ』
硬度が低い、磨けない、欠けそう——、すべての言葉を総合し考えるに、つまりスタインは、身動きが取れない、と言っているのだろう。
「……近いうちに引き取りに伺いますよ。それでいいですね」
『いいや、それは困るね。今うちは業務一時停止命令が出ているんだよ』
息を呑む。
ニューヨークのトップディーラーであるスタインに業務一時停止を喰らわすなど、そう容易くできることではない。
「……何やらかしたんですか、あんた」
『当局が言うには盗品等売買とのことだよ』
「——、ご冗談を」
スタインならば例えグレーな石を扱うにしても、もっと上手くやるだろう。
だが、完全にイリーガルな石に、彼が手を出すとはどうしても思えなかった。
『私は何もやらかしちゃあいないさ。身に覚えがないのだから心配は要らない』
——やり口が些か大掛かりすぎる。
ショウは考え込んだ。
一体、アメリカ政府は何を考えているのだろう。アメリカがどうしてもショウを使いたいその背景は判らないでもない。
ショウはアフリカ大陸を歩き慣れている。
おまけに重国籍者。いざという時は知らぬ存ぜぬで通すつもりに違いない。
ショウが想像するに、やつらのプランはこうだ。
ショウがお使いに行かされる先はおそらくディタボラの反政府軍かつその中でも比較的親米派の組織。
そのリーダーへと金を融通することで政府を倒させる算段であろう。
その後、何かしらがアメリカへと有利に動くよう事を仕組んでいるに違いない。
そこまでしてアメリカが欲しいのはおそらく戦略的金属。
万が一失敗してもスミスとショウを切り捨てるだけ。
数百万米ドルも消えるがアメリカが国際社会から批判を受けることはない。
そこまでは判る。理解したくはないが、理解できるのだ。
だが天下のアメリカ様のやりようにしては、素人臭いのだ。
「……あんたがプロヴェナンスをチェックし忘れたとは思えませんね。書類が偽造でもされていたんですか?」
スタインほどの男が、何処の馬の骨とも判らない人間から石を買うとは思えない。ならば懇意にしている業者から裏切り者が出たか——。
兎にも角にも今回のアメリカのやり方は美しくない。均整が取れていないという意味だ。
(何が起きている……? 理解が追いつかない。あまりにも杜撰だ)
『だから引き取りも業務再開後に頼む。悪いね。ああ、心配は必要ない。何せ私は何もしていない』
「ミスター・スタイン、」
『そうそう、坊や、顧客にうちの連絡先を教えただろう。随分気難しい依頼人じゃあないか。頻繁に連絡を寄越すからこちらもいい迷惑だ』
遮るように紡がれた言葉の意味を瞬時に把握する。
頻繁に連絡を寄越す——、つまり、盗聴されているぞ、と言う意味だろう。
その可能性はあるだろうと思っていたが、そこまでスタインという一個人の動きを無理やり封じてまでショウを早急に動かそうと言うやり方が不自然だ。
スタインを同時に片付けようとする意図が見える。
(どんな知り合いと何をした?)
だがそこまではショウが関与するべき話ではない。
ショウにできることは依頼を受けることだけだ。
それ以上にショウにできることなどありはしないのだ——、だが。
(……恩は売っておくべきか)
「……すみませんね、俺からも顧客には連絡します」
『そうしておくれ。すまないね。そろそろ切るよ』
電話は切れた。
ため息が出る。
まずは南アに帰らねばなるまい。
それからディタボラまで赴き指定のダイヤを買い取る。
簡単なお使いだ。
簡単だが簡単ではない。
アメリカ政府はショウを自覚のない協力者に仕立て上げようとしている。それをスミスがゲロった。
こんな初歩的なミスをするほど、アメリカの内情はゴタついているということだ。
湾岸戦争終結、冷戦終結、そして今回ソマリアへの支援開始が開始されるらしい。
更にその裏ではディタボラの実質的支配。
世界中が混沌としているが、アメリカは一国であちらもこちらもという感じだ。
「……お子様ランチじゃねえんだぞ」
プリンもピラフもパスタもハンバーグも欲しい。欲張りすぎだ。
眉間に込める指の力を強くする。
酒に酔っている場合ではない。
帰国、いや出国しなくてはならないだろうが、一先ず今夜はホテルへ帰るしかない。
ルームサービスのサンドウィッチを片手にショウはテレビをつけた。ブラウン管に流れるのはCNNである。
天気に株価の変動、それらを横目にショウは大して美味くもないそれを食べた。
不味いものはなるべく食べたくはないが、食えと言われれば蛇の蒲焼ぐらいは食べられる。
それに比べれば多少パサついたサンドウィッチなどマシな方であろう。
『速報です』
クルリと振り返り画面を見る。
『たった今入ってきた情報です。アフリカ大陸南部に位置するディタボラ共和国の大統領、アーサー・マドゥ氏が民主化組織によって殺害されました。マドゥ氏は昨日、拘束されたことが報じられていましたが……、』
(……情報は常に最新のものを。父に言われていたのにな。間抜けすぎる)
反省しつつ合点が行ったとショウは嗤った。
杜撰な計画、杜撰な進行。
なるほど、もっと穏やかにゆっくりと事を進める予定であったが事情が変わった、と言うことだ。
大統領殺害は想定外の事態。
一刻も早く、ショウを動かしたかったのだろう。
民主化組織が大統領を倒したとなれば加速度的に事が進んでしまう。
すべてが解決する前に食い込みたい、と言うことに違いない。
「クソッタレ」
ショウは小さくつぶやいた。
まったく難儀な仕事である。




