16.1992年11月、南ア、クリフトン
「あー、いえ、大丈夫です。ああ、ブルーダイヤ、なるほど。ええ、ええ……はいはい、判ってます。はは、やだな、そんなんじゃないですよ。はいはい。では……」
肩口に挟んだ電話を戻し、ショウは傍らに立つ男を見上げ「すみませんね」と続けた。
「同業の父からでして」
男は無表情のまま「そうですか」と返事をしてみせたが、ショウのあれこれについてはそう興味がないよう振る舞って見せている。
男はジェームズ・ウィルソンなどと名乗ったがどうせ偽名だろう。
ライアン・スミスはこの男について「昨今、何かと物騒なアフリカ大陸を歩くにあたって非常に役に立つであろうキチンとした護衛」などと言っていたが、つまりは首につけた鈴というわけだ。
CIAか、はたまた元CIAか。ズブの素人ではあるまい。電話も盗聴されているはずだ。
与えられた前金は100万米ドル。
探索、渡航、鑑定、そして前金の支払い。それだけならば破格中の破格の支払いだが——、実際の仕事内容は大きく異なる。
スミスの失言にアメリカ政府が気づいているのかどうかは判らない。
以前のアメリカならばこんなことは起き得なかったのだろうが、何せ今は「お子様ランチ」だ。
あれもしたい、これもしたい、何もかもをアメリカの思うように動かしたい。
そのツケが回っているのかどうかは判らないが、とにかくその行動にアラが見え始めている。
ショウのことも「尻尾を振って依頼を受けた宝石商」にしか見えていない可能性が高かった。いや、そうでなければ困るのだが。
正直なところ、危険だ。
プランとしての詰めが甘い。そんな泥舟に乗ったところで無事目的地に到着できるわけがない。
だが、とショウは傍のウィルソンを見た。そしてこっそりとため息を吐く。
だが、そう、引き下がれる状況ではないのだ。
やるしかない。手元にあるいくつかの依頼の順番を前後させ着手する予定だ。
さて、依頼されたダイヤの特徴として示されたのは、やや赤み掛かった、しかし僅かにシルバーの発色を伴うダイヤ、と言うものである。
そのまま、幻しとも呼ばれるディタボラ産のピンクダイヤを示す言葉だ。
だがである。
こんにちは、ダイヤをくださいな、アメリカとは話がついているんでしょ? などと言って、直接ディタボラへと探索に行けるわけがない。
ショウはいつものように、世界各地を巡りダイヤを探し、やっとのことでディタボラでそれを見つけた——、そう言う形を取らなければならないのだ。
手間のかかることだ。
更にショウの頭に伸し掛かるのはダンペイ問題である。
ディタボラはかつて、ダンペイとの協定を結んでいた。ところがあろうことか、政府主導のもと、彼らを通さずに高値でダイヤを売り払ったのである。
そうなれば何が起きるかなど火を見るよりも明らかだ。
彼らと協定を結ぶということはダイヤを安定して市場に流せるということ。
逆に、ダンペイの庇護下にありながら裏切る行為はペナルティとされ以後市場から締め出されることを意味していた。
ショウはこれから、そのダンペイが煮湯を飲まされたディタボラとマシュー・ミラー、その二つと仲良しこよしのお買い物ごっこをしなければならないのである。
ダンペイの視線がとにかく気になるところであるが、これはもうスタインにどうにかしてもらうしかない。
だがである。ショウの今回の行動は、あの老獪への借りを返すだけのこと。仮にスタインが無事に自由となったとしても「で、俺はこれからどすりゃいいんですか」とお伺いを立てたところで、彼がショウのために動いてくれる保証もなかった。
それでも現状、ショウは予定調和的に動くしかない。
それに実のところ、スタインの拘束もそうそう長持ちはしないだろうとショウは考えていたのだ。
あのスタインが何をやらかしたのかをショウが知る由もないが、アメリカのやりようにそれほど正当性があるとは思えなかった。
相手はあのスタインだ。尾を踏まれるような間抜けはそうそうやらかすことはないはずだ。そういう男だ。
おそらくスタインの動きを一時的に封ずるために、急拵えに貼り付けた『罪状』に違いない。
(何をしたんだろうな、あの人。俺にこの仕事がスムーズに落ちてくるようにするためだけとは到底思えない。アメリカは、できることならこの機会にじいさんもまとめて処分したいんだろうな)
政治の世界に食い込むことは妙なリスクを踏み抜きやすい。ショウも注意せねばならないだろう。大金が動く仕事は穴に落とされやすいのだ。
スタインが何をしでかしたのかは判らないが、警戒の必要性を改めて認識する。
大金が動く世界は、往々にして人に言えないやり取りが常態化しているものだ。
宝石商にとってそれはダイヤモンドもだろう。
ダイヤほど関わると碌なことがない宝石はない。
違法労度による採掘やら武装組織の資金源。
この世の宝石で最も人の血で汚れているのはダイヤモンドであることは間違いがない。
美しい輝きの裏で死体が転がっているかもしれないなど、人々は微塵も考えない筈だ。
汚れているのは自分の掌だけで充分だ。扱う商品まで汚れまみれでどうするのだ——、そうは思うが、宝石商から足を洗えない、いや、洗う意思がない己をショウは強く自覚していた。
しかたがない、ショウはそういう風に育った。
そういう風に生きる道を選んだのもまた自分だ。
今更、巡り巡って人を間接的に殺めているその可能性に心を痛めることもない。
「旦那様、宜しいですか?」
ノックの後、メアリーが扉の向こうから呼んだ。おそらく搭乗についての連絡だろう。
「リコンファーム、できた?」
「はい、滞りなく」
「ありがとう」
メアリーが視線を持ち上げ一瞬ウィルソンを見る。
何か言いたげな表情で、結局口を閉ざして彼女は仕事に戻っていった。
メアリーと夫のジョンが、ショウを気にかけてくれているのは、雇い主だからということだけではないのは充分に理解している。
去年、少年兵に追いかけ回され、衣類だけは綺麗な状態で帰宅したショウは、しかしその中身、体は全身が打撲だらけ、顔さえもあざまみれであったのだ。
いつものように出迎えたメアリーは、ショウの惨状を目にするやいなや、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
ショウには母がいない。
母は移民二世としてアメリカで生を受け、戦時下で迫害され生きてきた。大人になった彼女はショウの父と出会い彼を産んだがそれから三年ほどで離婚に至り、以後ショウは父と二人で生きてきたのだ。
だから、母というものがどんなものか判らないが、それはおそらく、メアリーのような存在なのだろうと感じていた。
あまり心配を掛けたくはない。だがそれは無理だろう。
この先同じ生き方をしていればまたメアリーを困惑させることになるだろう。
さて、感傷に浸るのはここまでにしなくてはならない。ショウはこれから世界各国をいつも通り飛び回らなくてはならない。それからたまたま手に入れた情報をもとに、ディタボラへと赴く。
なんともまあ面倒だ。




