13.1992年10月
朝食を済ませると、メアリーが茶を入れてくれる。赤みが特徴のルイボスティーはほんのり酸味が感じられた。
季節は十月、南アは春である。
アンダーソンの難題とも言える初の依頼から一年近くが経っていた。
寝癖も治さないまま寝巻きで朝食を終えたショウは、新聞に目を通していた。朝の日課だ。
「メアリー、モザンビークが停戦だって」
「左様でございますか。喜ばしい限りですね。このまま終戦となるのでしょうか?」
「どうかなぁ……」
停戦ねえ、とショウは呟く。
いい動きではあるが、紙切れ一枚で交わされた約束がいつまで維持されるか判ったものではない。
民主化に向けてここ南アフリカ共和国もゴタついてはいるが、この大陸は今、どこも似たり寄ったりである。
紛争未満の暴動はもはや日常だ。燃えていない国など果たしてあるのだろうか。
「どこの国も物騒で不安です」
「上手く落ち着けばいいんだけどね……」
燃えている、と言えば南アフリカと隣接するディタボラ共和国は特にひどい有様だ。
反体制派の民主化組織と体制維持派の軍が連日連夜の衝突を繰り返しているのである。
実質的には内戦状態だ——、今のところ、小競り合いに留まってはいるが。
ディタボラの両隣、ボツワナとジンバブエが「比較的落ち着いている」などと錯覚しそうになるほどだ。
とはいえアフリカ南部を襲った大旱魃の被害は極めて甚大、両国の民は痛々しいまでの悲鳴をあげていた。
銃弾が飛び交っていないだけマシというものであろうが、旱魃とて決して軽視できる問題ではない。
死活問題だ。
しかし、しかし、だ。謎はディタボラだ。
旱魃の被害はディタボラもまた同様であるはずだが、どう言うわけか国力の殆どが争いへと注がれてきる。
ドンパチやってる余裕がよくあるものだ、と感心とも侮蔑ともつかない感情が浮上する。
まあ、隣国のことだ。こちらに火の粉が降りかからないとも限らないが、今ところは国外のあれこれへと南アフリカ共和国自ら関わりに行くことはないだろうと推測された。
なぜなら第一に憂慮すべきは南アフリカ国内の情勢だからだ。
先にも述べたように、南アフリカも民主化に向けて何かと忙しい昨今である。国内で火種が発生しないとも限らず、トップは擦り切れそうな心持ちで情勢に目を光らせているに違いない。
「……と言っても、起こされてしまうのが衝突と紛争……、と」
「旦那さま」
紛争の火種を作るのはアメリカにイギリスなどの先進国。あとは滅んだソ連か。
自国の国土を傷めずに行う代理戦争なんぞまったく、まったくクソ食らえである。よそ様の国を使ってオセロとは本当に趣味が悪い。
まあ、今回の民主化の波はそのオセロゲームの成れの果てではないようではあるが、国同士のいざこざにしゃしゃり出てきて我が国こそが正義の味方、などと名乗るヒーローごっこはソ連なきあともまだまだ続きそうである。
「内政干渉だっての」
小さく呟き新聞に目を通していく。
「……旦那さま」
「んー?」
「旦那さま、明日からの買い付けは何を?」
「うん……、タンザナイト。非加熱が欲しいんだってさ」
ショウは「メアリーとジョンにも土産買ってくるよ。何がいい?」などと新聞を捲りながら尋ねる。
「ではコーヒー豆を……、またアンダーソンさまですか?」
「コーヒー豆ね。そう、アンダーソン夫人」
最初の依頼を経て、アンダーソン夫人はたびたびショウを頼るようになった。
今までの依頼は比較的大きなサファイアをまとめていくつか——、どこで聞きつけたのか、敢えてのイラカカ産をご所望であった——、それに小粒でもいいから、とブルーダイヤを二つ。
カシミール産、アーガイル産などの指定はなく「あなたが素敵だと思った石を」などという試されているとしか思えない依頼であった。
まあ、それについてはなんとか夫人が満足する品を揃えることができたようだ。
そして今回はタンザナイトときた。
どうやらアンダーソン夫人は青みの美しい宝石に惹かれるようだ。
また何か依頼するかもしれない——、との言葉をショウは社交辞令として受け止めていたわけではあるが、彼女の方はそうではなかったということであろう。
スタインを噛ませずに直接依頼を頂けるのは有難いことである。
「ルースディラーを訪ねるんですか?」
「いや、タンザニアまで直接買い付け」
「随分遠くまで赴かれるんですね」
「うん、フライトがないからナイロビを経由してアルーシャに、」
そこまで言って、ショウはハッとして新聞から顔を上げてメアリーを見た。
「……、ので三週間……」
メアリーはジッとコチラを見ている。どうにも居心地が悪い。
ショウは母親不在、つまり父子家庭育ちではあるが、人から伝え聞く「報・連・相を怠った時の母ちゃん」の姿というものは、メアリーのこの態度に近いものがあるのではないかと考えた。
母親という生き物、いや女の機微に疎いのはショウの欠点だろう。
「三週間……じゃなくて、もしかしたら三週間以上は帰らないかも、です……あ、でも多分、四週間は掛かりません」
「……」
メアリーはなおもジッとショウを見つめている。
行き先は告げた、期間も言った。彼女はあと何を待っているのか。
暫く考え、それから再びハッとする。
「あ、ええと。帰りが早まるにしろ遅れるにしろ、連絡、連絡は必ずします……」
ここまで言うと、ようやくメアリーは笑みを作った。
「畏まりました。ルイボスティーのおかわりは?」
「クダサイ……」
メアリーは怖いのだ。
さて、依頼はアンダーソン夫人のものだけではない。こなすべき仕事は二、三あり、だがまあ、難題というほどではないだろうとショウは判断していた。
馴染みのサイトホルダー、その営業窓口を尋ねればどうにかなるものだろうというものばかりだ。
つまりありふれた、しかし少しばかり大きめのダイヤがいくつか、という依頼である。
目玉が飛び出るほどのカラット数を依頼された訳でなし、すぐに見つかることだろう。
とはいえ、気を抜くわけにはいくまい。贔屓にしてくれている個人のジュエリーデザイナー、それに趣味で宝石を蒐集している好事家。そういう顧客は大切にしなくてはならない。
同じく宝石商の父も、依頼を受けては世界中を飛び回っていた。
宝石商として最も近しく、また尊敬する父の姿を指針にショウもまたフットワーク軽くこのアフリカ大陸を闊歩するのである。
父は元気だろうか。今は半分隠居状態で、国外に出ることは減っている。とは言え便りがないのは元気な証拠、元気なのだろう。
さて、そろそろ支度をするか、とショウは椅子を立ったそのとき、電話が鳴った。
メアリーが電話を取り、いくつかの定型的な対応をする。
「お待ちくださいませ……、旦那さま、アメリカのジュエリーブランドの、『マシュー・ミラー』の経営アドバイザー、ライアン・スミス様からお電話です」
——マシュー・ミラー?
ショウは首を傾げた。
マシュー・ミラーはアメリカで中規模展開する高級ジュエリーブランドだ。
創業は確か五十年ほど前。時計メーカーだったが、今から二十年ほど前に事業をジュエリー一本へと切り替えた。
だが苦しい時代が続き、光明が指したのは十年ほど前の話だ。
なんでも新しい経営アドバイザーを入れたとかで、それが功を奏したのか、僅か十年でアメリカ屈指のジュエリーブランドへと急成長を遂げたのだ。
ジュエリーに関しては、色石使った大胆なデザインが非常に有名で、ハリウッドの若手女優たちがこぞって身につけているブランド、という認識だ。
だが、とショウは首を傾げる。
マシュー・ミラーレベルのブランドが、ショウなどの個人宝石商に敢えて接触するとは思えなかった。
そもそもマシュー・ミラーといえば、創業者の一族には宝石商がいる。
おかしい、とショウは考えた。なぜ宝石商を使わない? いや、使えない案件ということだろう。
「どうなさいます?」
こんな胡散臭い話に乗れるはずがない。
「お断りを、」
「あ、お待ちください……、ええ、はい、はい……、少々お待ちを。旦那さま、アンダーソンさまからのご紹介と申しておいでです」
「夫人から?」
妙な電話だ。
だが、夫人の名を出されては無視を決め込むわけにもいくまい。
ショウは首を傾げながらも嫌々といった感じに、電話を取ったのだ。




