10.1992年4月下旬
「……ショウ! 待っていたわ!」
明るい茶の髪に青い瞳の女性がショウを出迎えた。
サンプルを携えニューヨークへと赴くこと数回、彼女はショウをファーストネームで呼ぶ程度には気に入ってくれていた。
出鼻になにか言葉に詰まっていたが、敢えてそれに気づかない振りのまま、ショウは微笑んだ。夫人は毎回ショウに会うたびにこうして一瞬困惑するのである。
いい加減、慣れて欲しいものだ。
「こちらこそお待たせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「いいのよ! あなたが自信を持って『完璧』と仰るものを見つけてくれたのだもの、時間なんて瑣末な問題だわ! ではショウ、こちらにいらして。早く例のものを見せてくださる?」
アンダーソン夫人に導かれてリビングと思しき場所へと通される。
いつも招かれるのとは異なる部屋であった。天井が高い。四メートルはあるのではないか。
だが、建物の豪華さに反して室内はシックで落ち着いた雰囲気である。
華美な装飾はなく、家具もまた同様に、ヴィンテージであることは窺えるもののいかにも高級家具、という様相のものは避けられている。
落ち着いた、品のある生活が見て取れる。足元の絨毯もまた同様だ。
このコープも敢えて最上階を選ばなかったのかもしれない。
つまり、アンダーソン夫人はいかにも成金、と言った生活は避けているのではないか、とショウは考えたのだ。
いや、アンダーソン家の内情はどうでもいい問題である。あれこれ尋ねられる立場であるわけでもなし、宝石商らしくさっさと商品を受け渡してここを出るべきだ。
どうにもこのような場所は落ち着かない。
ショウは土足のまま絨毯を踏み締め、促されるままにソファへと座った。
視線が夫人と同じ高さになったところで、期待に満ちた彼女の笑顔が目に留まる。
「……では早速、ご依頼の品を」
そう切り出すと、夫人の瞳が、輝きを増したように見えた。
「あなたがお見えになるのを本当に、本当に楽しみにしていましたのよ」
期待に応えられる逸品だ。ショウもなんの緊張もなく、アタッシェケースを持ち上げ、それを広げた。
それから手袋を装着し、何重にも梱包されたルースケースを取り出してみせる。こういった場面には、それ相応の仰々しさが要される。
それからショウは、革張りのそれの中にたった一粒収められたそれが見えるようにして持ち上げ、恭しく取り出す。
夫人の口角が緩やかに持ち上がるのが見えた。
それは、室内灯の下で見ても見事な——、やはり不適切な表現と言わざるを得ないが——、スフェーン色のダイヤであった。
だがスフェーンと異なるのはその分散度。
ダイヤらしい落ち着いた上品なきらめきを放っている。
彼女の希望のその殆どを満たした、美しい石である。
「ああ……、」
夫人がため息混じりの感嘆をあげた。
「完璧よ、完璧だわ、ショウ。本当にありがとう。娘の結婚に間に合うわ。ありがとう」
博物館級のダイヤを目の前にして、慄くでもなくテンションが上がるわけでもない。
ただ、期待していた品が届いて本当に嬉しい——、その程度の感想であるのは流石である。
「こちらこそ、御息女の御結婚、そのお手伝いをさせて頂きまして光栄です」
「本当は、難しいのではないかと思っていましたのよ。ミスター・スタインをはじめとするニューヨークのトップディーラー全員が『見たことがない』と仰っていたのだもの……、」
紹介料を払ってよかったわ、などとアンダーソン夫人は微笑んで言った。
「それはよかったです……」
ショウも曖昧に笑んだ。
——本来なら、こんな回りくどいやり取りをスタインと交わす必要はなかった。
ショウがアメリカに持ち込んだルースをすべてスタインへと売り払い、最初から「スタインからスフェーン探索の依頼を受けていた」形にしてしまえばいい。
それからスタイン経由で夫人に石が渡り、ショウは成功報酬として金を受け取る。それだけで、ショウは金——、ダイヤにしては安いがまあ仕方ない——、も安全も手に入る。
だが、それは成り立たない。
なぜなら、アンダーソン夫人は、スタインに「紹介料」を支払っているのである。
にもかかわらず、ショウはスタインの依頼を優先させた——そんな構図になれば、夫人は自分が軽んじられたと感じるだろう。
しかも説明はこうだ。
——スタインが買い取ったスフェーンの一つが、鑑定の結果ダイヤだった。だからあなたに売った。
そんな説明、納得できるはずがない。
話は分かりにくいうえに、夫人には不信感だけが残る。石にも、売り手であるショウにもだ。
だからショウは、あのオフィスで小細工をする必要があった。
どのルースを売り、どのルースを残したのか。
その境界を意図的に曖昧にするための、小さくて面倒な細工。
すべては、夫人の顔を立て、スタインの立場を守り、そして自分の身の保全するための一手間であった。
「……奇跡的な出会いでした。時代の変革がなければ表に出ることはなかったでしょう」
なんらかの事情があり手放された可能性が高い石であることは、予め了承を得ている。
どんな曰くがこの石にあるのかを、ショウには知る術もない。
良いとは言い難い道筋を辿って非公開オークションへと辿り着いた可能性もないわけではないが、なにせ相手は今を逃せば将来的に手に入る可能性がほぼない一級品。
めでたい娘の結婚ではあるが、依頼人が満足している以上、慶次に相応しい品であるかどうかは、ショウがとやかくいう問題ではないだろう。
さて、取引は成立した。
早々にアンダーソン邸を去るべきだろう。クリフトンの高級住宅地に住まうショウではあるが、こういった桁違いな富豪の邸宅は、とにかく居心地が悪い。
それなりの振る舞いはできるが身の丈に合わぬ環境に肩が凝る。
辞する旨を伝えると、アンダーソン夫人は手を差し出した。
「また、なにか依頼するかもしれないわ。その時はお願いね」
ショウはその手を握り返し、営業用の笑みを浮かべた。
「かしこまりました。素晴らしいお仕事に携わらせていただきました。この度は御息女の御結婚、誠におめでとうございます。それでは私はこれにて失礼いたします」
コープを出る頃には夕方近い時刻となっていた。
空港まで送るという申し出は辞退して、ショウは久しぶりのニューヨークを楽しむこととした。
仕事終わりにバーに行くことは、南アを発つ前から決めていた。
だがしかし、とショウは静かに視線を巡らせる。
この辺りのバーは上品すぎていただけない。
ミッドタウンイーストに足を伸ばそう。
そう決意し暫く歩き、記憶にあったバーに足を踏み入れた——、のだが。
「お客様、IDのご提示をお願いいたします」
上品そうな男性が軽く屈んで尋ねてきた。
アジア人が受けがちな洗礼である。
アンダーソン夫人が僅かに言葉に詰まったのは、つまりこういうことである。
求められた通り、IDを提示すると、店員が小さく「Twenty eight!?」と呟いたのが聞こえた。
(まったく……、)
この仕事で飯を食うには、若く見えすぎる容姿というのは不利だ。
入ってもいいだろうか。
そう視線で問うと、男性は慌てた様子でショウを店内へと導いたのであった。




