↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星紡ぎのステラ  作者: YOU
第1章_幼少期編
9/14

第9話_実践


ステラの七歳の誕生日から、一夜が明けた。


 朝食を終えたマクスウェルは、昨日贈ったばかりの

着物を身に纏うステラを、満足そうに眺めていた。


 漆黒を基調とした生地に、鮮やかな赤と白の装飾。


 白銀の髪と透き通るような白い肌が、黒い衣装に

よって一層美しく引き立てられている。


 ステラ自身もよほど気に入ったらしい。


 朝起きるとすぐに着替え、鏡の前で何度もくるくる

と回っていた。


「おししょうさま、どう?」


「うむ。今日もよく似合っておるぞ」


「えへへー!」


 褒められたステラは、嬉しそうに袖を揺らす。


 その姿をしばらく眺めていたマクスウェルだったが、

ふと本来の目的を思い出した。


「そうじゃ。昨日は説明しておらんかったが、その

着物―ユリには、いくつか特別な力が込められておる」


「とくべつなちから?」


 ステラが小首を傾げる。


「まず、ユリの布はおぬしの髪から作ったものじゃ」


「わたしの、かみ?」


「うむ。散髪をするたびに集めておいた髪を、魔法で

一枚の布へ加工したのじゃよ」


 ステラは驚いたように、自分の袖と長い白髪を交互

に見比べた。


「でも、ぜんぜんいろがちがうね」


「最初は真っ白じゃった。そこへ状態異常を防ぐため

の素材を混ぜ込んだ結果、今の黒色へ変わったのじゃ」


 マクスウェルは着物の袖を軽くつまみながら、得意

げに説明を続ける。


「元がおぬしの髪だけあって、ちょっとやそっとでは

傷つかん。汚れも付きにくく、仮に付いたとしても

魔気力を流せば簡単に落とせるようになっておる」


「すごい!」


「それだけではないぞ。本人の身体の一部だった素材

じゃから、魔気力との相性も良いはずじゃ」


「やってみる!」


 ステラは待ち切れない様子で、両手を胸元へ添えた。


 銀白色の中へ淡い桜色が溶け込んだ魔気力が、少女

の身体から静かに溢れ出す。


 その力は抵抗を受けることなく着物へ染み渡り、

黒い生地の表面を淡い光が駆け抜けていった。


「ほんとだ!」


 ステラが目を輝かせる。


「すぐにちからがとおる! それに、いつもより

つよい!」


「む?」


 マクスウェルも着物を流れる力へ意識を集中させる。


 確かに、魔気力は極めて滑らかに循環していた。


 ただ流れやすいだけではない。


 身体から放たれた魔気力を布全体が受け止め、再び

ステラへ返している。


 循環する力は少しずつ密度を増し、まるで衣装その

ものが魔気力を増幅しているように見えた。


(……想定以上じゃな)


 元が本人の髪なのだから、相性が良いとは考えて

いた。


 しかし、ここまでとは思っていなかった。


 着物を纏う前と比べれば、身体強化の出力は明らか

に増している。


 単純に見積もっても、二倍近い。


(わし、そんな機能を付けたかの……?)


 マクスウェルは首を傾げる。


 もちろん、意図して組み込んだ覚えはない。


 どうやらステラの魔気力と、本人の髪から作られた

布が共鳴したことで、偶然生まれた効果らしい。


(……まあ、強くなる分にはよいか)


 今後の研究課題として頭の片隅へ置き、説明を

続ける。


「ほかにも、毒や麻痺、眠り、幻覚といった状態異常

を防ぐ素材が織り込まれておる」


「どくも、へいきなの?」


「完全に、とは言い切れんが、並の毒ならまず問題

ないじゃろう。ただし、ユリが守ってくれるからと

いって油断してはならんぞ」


「はーい!」


「そして――」


 マクスウェルは少しだけ胸を張った。


「デザインは、すべてわしの趣味じゃ!」


「おししょうさまの、しゅみ?」


「うむ!」


「じゃあ、おししょうさまが、かわいいっておもう

ふくなの?」


「その通りじゃ!」


 迷いのない返答だった。


 ステラは自分の着物を見下ろしたあと、嬉しそうに

笑う。


「じゃあ、もっとだいじにするね!」


「……うむ」


 純粋な言葉が胸へ突き刺さり、マクスウェルは照れ

隠しをするように咳払いした。


「それから、木刀は背中側の帯へ差し込めるように

してある。試してみるとよい」


「ここ?」


 ステラは手にしていた木刀を背中へ回し、帯へ差し

込んだ。


 黒い着物。


 赤い帯。


 その背へ斜めに収められた木刀。


 先ほどまで可憐な少女だった姿に、凛々しさが

加わる。


「できた!」


「……おお」


 マクスウェルは思わず拳を握った。


(よし! 想定以上の格好よさじゃ!)


 昨日は可愛らしさに感動した。


 今日は木刀を背負った姿の凛々しさに心を奪われる。


 どちらも捨て難い。


 むしろ両方を同時に満たしている時点で、この着物

は完璧ではなかろうか。


(我ながら、素晴らしい仕事をしたものじゃ)


 一人で満足そうに頷いていると、ステラが不思議

そうに覗き込んできた。


「おししょうさま?」


「何でもない。それより、今日は出掛けるとしよう

かの」


「おでかけ?」


 ステラは少し考えたあと、いつものように木刀へ

手を添える。


「じゃあ、ステラはいつもどおり、しゅぎょうしてる

のです」


「いや、今日は一人で留守番ではない」


「え?」


 マクスウェルは穏やかに笑った。


「二人で出掛けるのじゃ」


「ふたりで?」


 桃色の瞳が大きく見開かれる。


「おししょうさまと、いっしょに?」


「そうじゃ」


 一瞬の沈黙。


 そして――。


「おでかけ! おでかけー!」


 家中へ響き渡るほどの歓声が上がった。


「やったー!おししょうさまと、ふたりでおでかけ!」


 ステラは両腕を上げ、その場で何度も飛び跳ねる。


 これまで、二人で結界の外へ出たことは一度も

なかった。


 マクスウェルが外へ出るのは、食料や素材を確保

する時か、周辺の魔物を討伐する時だけである。


 どちらも幼いステラを連れて行くには危険が大きい。


 魔法の修行で草原まで足を延ばすことはあっても、

そこは結界の内側。


 ステラにとって、守られた場所の外側は、まだ一度

も足を踏み入れたことのない未知の世界だった。


「それでは、準備ができ次第出発するとしよう」


「もうできてるよ!」


 着物を纏い、木刀も背負っている。


 確かに準備は整っているように見える。


「水と食料も必要じゃぞ」


「あっ」


「浮かれるのは分かるが、出掛ける時は準備を怠って

はならん」


「はい、おししょうさま!」


 二人で簡単な食料と水を用意し、家の戸締まりを

済ませる。


 マクスウェルは念のため周辺の安全を確かめ、最後

にステラの着物と木刀を確認した。


「よし。それでは行くかの」


「はい!」


 二人は並んで家を出た。


 森へ続く道を歩くステラの足取りは、いつも以上

に軽い。


 目に映るものすべてが新鮮なのだろう。


 小鳥が飛べば空を見上げ。


 草むらで音がすれば足を止め。


 少し先へ進んでは、嬉しそうにマクスウェルを

振り返る。


「おししょうさま、はやく!」


「そんなに急ぐでない。転ぶぞ」


「だいじょうぶ!」


「おぬしの『大丈夫』ほど信用ならぬ言葉もないのぉ」


 苦笑しながら、その小さな背中を追い掛ける。


 今日の目的は、ただの散歩ではない。


 結界の外へ出て、魔物との実戦を経験させる。


 そう考えるだけで、マクスウェルの表情は自然と

引き締まった。


「ステラよ。歩きながら、今日の修行について話して

おく」


「はい!」


「今日は結界の外で、実際の魔物と戦ってもらう」


「まものと?」


 好奇心に輝く瞳。


 そこに恐怖は見えない。


 だからこそ、マクスウェルは普段よりも真剣な声で

告げた。


「よく聞くのじゃ。実戦は、わしとの稽古とは違う」


 木刀での打ち合いなら、マクスウェルはステラへ

致命傷を与えることはない。


 ステラが間違えたとしても、その場で止めて教えら

れる。


 だが、魔物は違う。


「相手は、おぬしの命を奪うために牙や爪を振るって

くる。毒や呪いを使うものもおる。見た目が弱そう

だからといって、決して油断してはならん」


「うん」


「自分の手に負えないと思った時は、すぐに逃げる

のじゃ」


「でも、おししょうさまがいるよ?」


「わしがおってもじゃ。戦うことだけが強さではない。

勝てぬ相手から逃げ、生き残ることも立派な強さじゃ」


 ステラは少しだけ考え込んだあと、真剣な表情で

頷く。


「わかった。あぶなかったら、にげる」


「うむ。それを忘れるでないぞ」


「はい!」


 返事は立派だった。


 だが、その直後には見慣れない花を見つけて駆け

寄っている。


(……本当に頭へ入っておるのかのぉ)


 先行きへ不安を覚えながらも、二人は結界を維持

する最初の魔力結晶へ向かった。


 森の奥へ続く道をしばらく進むと、二人は最初の

魔力結晶へ辿り着いた。


 大木の根元。


 苔と草に覆われた地面の一部へ、拳ほどの青白い

結晶が埋め込まれている。


 事情を知らない者が見れば、ただの鉱石だと思う

だろう。


 だが、その内部にはマクスウェルの魔力が幾重にも

圧縮され、絶えず周囲の術式へ供給され続けていた。


「これが、魔力結晶じゃ」


「これが、けっかいをつくってるの?」


「正確には、この結晶へ蓄えられた魔力が、森の中へ

刻んだ術式を維持しておる」


 マクスウェルは地面へ膝をつき、魔力結晶へと左手

を添えた


「結界を抜けるには、この結晶を一時的に取り外す

必要がある。外へ出たあとで元の場所へ戻せば、再び

結界が発動する仕組みじゃ」


「はずしても、だいじょうぶなの?」


「短い時間なら問題ない。ほかの二枚の結界は残って

おるからの」


 そう説明しながら、マクスウェルは結晶を慎重に

引き抜いた。


 その瞬間。


 周囲の空気が、僅かに揺らいだ。


 今までそこに存在していた見えない壁が、音もなく

消えていく。


「わぁ……」


 ステラは目を丸くし、何もない空間へそっと手を

伸ばした。


「さっきまで、ここがぐにゃぐにゃしてたのに、

なくなった!」


「結界の境界が見えておったのか?」


「うん。うすく、ゆらゆらしてたよ?」


「……そうか」


 普通の人間には、結界の存在を感じ取ることすら

難しい。


 術式へ精通した魔法使いであっても、注意深く探ら

なければ境界を見つけることはできないだろう。


 だが、空間魔法を自在に操るステラには、空間の

歪みとして見えているらしい。


(隠し事をするには、ますます厄介な目を持って

しまったのぉ)


 感心半分、困惑半分。


 複雑な気持ちで苦笑しながら、マクスウェルは先へ

進んだ。


     ◇


 二つ目の結界。


 三つ目の結界。


 それぞれを維持する魔力結晶を一時的に取り外し、

二人は順番に境界を越えていく。


 最後の結界を抜けたあと、マクスウェルは結晶を

元の位置へ戻した。


 青白い光が地面を走り、複雑な術式へ魔力が満ちて

いく。


 背後の景色が水面のように揺らぎ、三重の結界が

再び閉じられた。


「これで、家の周りは元通りじゃ」


 マクスウェルは立ち上がり、森の奥へ視線を向ける。


「ここから先は、いつ魔物が襲ってきてもおかしく

ない」


 先ほどまでの穏やかな声とは違う。


 大賢者として、そして師としての真剣な声だった。


「もう一度言っておく。決して油断するでないぞ」


「はい、おししょうさま!」


 ステラも表情を引き締める。


 ……とはいえ、その瞳は未知の世界への期待で

輝いていた。


 黒い着物の裾を揺らしながら、周囲をきょろきょろ

と見回している。


 木々の形。


 地面へ生えた草花。


 遠くから聞こえてくる獣の声。


 結界の内側と同じ森であるはずなのに、少女に

とっては何もかもが新鮮に映っているのだろう。


 マクスウェルはその背中を眺めながら、いつでも

魔法を放てるよう意識を研ぎ澄ませた。


 ステラの初めての実戦。


 できる限り自分の力だけで経験させるつもりでは

ある。


 しかし、本当に危険だと判断すれば、即座に割って

入る。


(わしがついておる以上、絶対に死なせはせん)


 そう心へ誓いながら、二人は森の奥へ足を進めた。


     ◇


 一キロほど歩いた頃だった。


 先を歩いていたマクスウェルが、不意に片手を

上げる。


「止まるのじゃ」


 ステラはすぐに足を止め、近くの木陰へ身を寄せた。


 マクスウェルの視線を追う。


 少し離れた茂みの向こう。


 黒い毛皮に覆われた一匹の狼が、低い姿勢で周囲を

警戒していた。


 普通の狼より一回り大きい。


 肩の高さだけでも、幼いステラの胸元ほどはある

だろう。


 口元から覗く牙は不自然なほど長く、その表面には

紫色の光が淡く浮かんでいた。


「あれは、デスウォルフじゃな」


 息を潜めながら、マクスウェルが小声で説明する。


「ですうぉるふ?」


「牙へ特殊な力を宿した魔物じゃ。あやつに噛み

つかれると、傷の深さにかかわらず相手の命を奪う

ことがある」


「かまれたら、しんじゃうの?」


「そうじゃ。じゃが、噛みつかれさえしなければ

大丈夫じゃ。身体能力そのものは極端に高くない」


 もっとも、この死の森へ棲む魔物である。


 外の世界にいる普通の狼とは比べものにならない

速度と力を持っている。


 それでも、ステラの相手としては比較的安全な部類

だった。


「たたかっていいの?」


 ステラが期待に満ちた目で尋ねる。


 マクスウェルはデスウォルフの様子と周囲の気配を

確かめた。


「そうじゃな。最初の相手としては悪くない」


「やった!」


「ただし、噛みつきだけは絶対に受けるでないぞ。

ユリが守ってくれるとは思うが、命を奪う類いの

力がどこまで防げるかは、まだ分からん」


「うん。かまれないようにする!」


 ステラは声を抑えながら、ゆっくりと茂みを離れた。


 身体を覆う魔気力が淡く揺らぎ、そのまま周囲の

空間へ溶け込んでいく。


 自分の存在を完全に消すことはできない。


 だが、身体から漏れ出す魔気力や熱、匂いを空間の

歪みの中へ閉じ込めることで、相手から感知されに

くくすることは可能だった。


(空間魔法を、こういう使い方までしておるのか)


 後方から見守るマクスウェルは、小さく感心する。


 足音を抑え。


 呼吸を殺し。


 木々の陰を縫うように距離を縮めていく。


 しかし、相手は野生の獣だ。


 どれほど魔気力や匂いを隠しても、落ち葉を踏む

音や枝が揺れる気配までは完全に消せない。


 カサッ。


 僅かな音が森へ響く。


 デスウォルフの耳がぴくりと動いた。


 次の瞬間、狼は鋭く振り返る。


 金色の瞳が、真っすぐステラを捉えた。


「きづかれた……!」


 ステラが小さく呟く。


 デスウォルフは牙を剥き、空へ向かって大きく息

を吸い込んだ。


「ウォオオオオオオオンッ!」


 森を震わせる遠吠え。


 木々の間を音が駆け抜け、遠くまで響き渡っていく。


「おそらく、仲間を呼んだのじゃな」


 マクスウェルは杖代わりの木刀へ手を添え、体内の

魔力を高める。


 多対一。


 それもまた、実戦では避けて通れない状況だった。


(さて。どう対処する、ステラ)


 助けようと思えば、いつでも助けられる。


 だが今は、少女がどう判断するのかを見極める。


 遠吠えを聞いたステラは、慌てる様子もなく右手を

前へ掲げた。


 銀白色へ淡い桜色が混ざった魔気力が、掌の上へ

集まっていく。


 最初に生まれたのは、小さな赤い炎だった。


 炎は周囲の空気を吸い込み、徐々に勢いを増して

いく。


 赤から橙へ。


 橙から青へ。


 温度が上昇するにつれて、火球の色が変化して

いった。


 同時に空間魔法によって熱と空気が逃げないよう

周囲を覆い、さらに内部へ圧縮していく。


 火球は小さい。


 だが、その中へ込められた熱量は、見た目からは

想像できないほど膨大だった。


 ステラはすぐには放たない。


 右手へ火球を浮かべたまま、静かに周囲へ視線を

巡らせる。


 やがて。


 右側の茂みが揺れた。


 一匹。


 左側から、もう一匹。


 背後から二匹。


 最初にいた個体を合わせて、全部で五匹。


 デスウォルフたちはステラを囲むように姿を現し、

喉の奥から低い唸り声を漏らしていた。


「ぜんぶで、五ひき」


 ステラは落ち着いた声で数を確認する。


「グルルルル……」


 狼たちは少しずつ距離を詰めてくる。


 一匹だけなら正面から飛び掛かる。


 だが、群れで狩りを行うデスウォルフは、獲物の

逃げ道を塞いでから一斉に襲い掛かる習性を持って

いた。


 前。


 左右。


 背後。


 完全に囲まれている。


 普通の子どもであれば、その光景だけで恐怖に

動けなくなっただろう。


 しかし、ステラの表情は変わらない。


 右手の火球を維持したまま、僅かに腰を落とす。


 一歩。


 ステラが前へ踏み出した。


 それを合図にしたかのように、五匹のデスウォルフ

が一斉に地面を蹴った。


 鋭い牙を剥き出しにし、四方から少女へ飛び掛かる。


 死の森でも相当な速度を持つ魔物。


 普通の人間には、黒い影が同時に迫ってきたように

しか見えない。


 だが――。


 ステラにとって、その動きはあまりにも遅かった。


 空中を進む狼たち。


 開かれた口。


 剥き出しの牙。


 伸ばされた前脚。


 一つひとつの動きが、まるで止まっているかのよう

に見える。


 それも当然だった。


 ステラ自身は、デスウォルフを遥かに上回る速度で

動ける。


 日々の修行でマクスウェルと打ち合ってきた少女に

とって、この程度の突進は脅威にすらならなかった。


 ステラは火球を頭上へ掲げる。


 そして――。


「えいっ!」


 魔気力の外殻を、一気に圧縮した。


 火球が押し潰され、内部へ蓄積されていた炎と熱が五方向へ分裂する。


 正確に五等分された青い炎が、それぞれの

デスウォルフへ向かって飛び散った。


 逃げ場はない。


 空中へ飛び出した狼たちは、身体の向きを変える

ことすらできなかった。


 五つの炎が、ほぼ同時に直撃する。


 次の瞬間――。


 ドオオオオオンッ!!


 五つの爆発音が、一つへ重なった。


 青白い炎が森を照らし、熱風が周囲の落ち葉を巻き

上げる。


 衝撃を受けたデスウォルフたちは地面へ叩き落と

され、その黒い毛皮を焼かれたまま動かなくなった。


 ドサッ。


 ドサッ。


 重い音が、続けて響く。


 炎が消える。


 黒い煙が立ち上る。


 確実に直撃した。


 それでもステラは、構えを解かなかった。


 倒れているだけかもしれない。


 死んだふりをしている可能性もある。


 魔法が直撃したからといって、相手が絶命したとは

限らない。


 それはマクスウェルから、何度も教えられてきた

ことだった。


 ステラは背中の帯へ手を伸ばし、木刀を抜き放つ。


 黒い着物の袖が揺れた。


 次の瞬間。


 少女の姿が、その場から消える。


「つぎ!」


 一匹目の傍らへ踏み込み、木刀を振り抜く。


 魔気力を纏った刃が、焼け焦げた首を一閃した。


 胴体と頭部が分かれる。


「つぎ!」


 二匹目。


「つぎ!」


 三匹目。


 一切の迷いなく。


 そして、決して気を緩めることなく。


 五匹すべての首を切断し、確実に息の根を止めて

いく。


 それもまた、マクスウェルの教えだった。


 魔法で倒したか分からない時。


 まだ反撃の可能性が残っている時。


 確実に相手が絶命する方法を選ぶ。


 戦いに慈悲を持ち込めば、自分だけではなく、守る

べき誰かまで命を落とすことがある。


 幼い少女へ教えるには、あまりにも厳しい考え方

かもしれない。


 だが、実戦とはそういうものだった。


 五匹目の首を落としたステラは、周囲を見回す。


 ほかに動く気配はない。


 それを確認してから、ようやく木刀を下ろした。


 そして、先ほどまでの凛々しい姿が嘘のように笑顔

を浮かべる。


「おししょうさま!」


 ぱたぱたとマクスウェルのもとへ駆け戻ってくる。


「どうでしたか?」


 期待と不安が入り交じった桃色の瞳。


 マクスウェルは一瞬だけ、倒されたデスウォルフ

たちへ視線を向けた。


 魔法の選択。


 相手の数の確認。


 攻撃の分散。


 そして、倒した後の確認まで。


 どれを取っても初めての実戦とは思えないほど冷静

だった。


「完璧じゃ!」


 マクスウェルは満面の笑みで、ステラの頭を

ぐしゃぐしゃと撫でる。


「見事じゃったぞ。初めての実戦としては、申し分

ない!」


「わっ、かみぐしゃぐしゃになるー!」


 そう言いながらも、ステラは嬉しそうに笑っている。


 「よかったぁ……」


 胸へ手を当てながら、ステラはほっと息を吐いた。


 張り詰めていた緊張が解けたのだろう。


 戦闘中は冷静だった表情も、今は年相応の少女へ

戻っている。


 マクスウェルはそんなステラの肩を軽く叩くと、

倒れたデスウォルフのもとへ歩いていった。


「実戦はここで終わりではないぞ。」


「え?」


「倒したあとの処理までが修行じゃ。」


 腰へ下げていた小刀を抜き、慣れた手つきで

デスウォルフの腹を裂く。


 血が流れ出る。


 ステラは少しだけ顔をしかめたが、目を逸らすこと

はしなかった。


 マクスウェルは胸の奥から赤黒い心臓を取り出し、

その中心へ刃を滑らせる。


 すると――。


 コロン。


 小さな透明な宝石が、血に濡れながら転がり落ちた。


「これじゃ。」


 指先でつまみ上げ、軽く水魔法で血を洗い流す。


 太陽の光を受けた宝石は、美しい淡青色の輝きを

放っていた。


「わぁ……」


 ステラは思わず声を漏らす。


「きれい……」


 マクスウェルは宝石を手渡した。


「これが魔石じゃ。」


 小さな手のひらへ乗せられた魔石は、陽の光を受け

てきらきらと輝いている。


 ステラは宝石を様々な角度から眺め、目を輝かせた。


「この石は、魔力を蓄える器のようなものじゃ。」


「どんな生き物でも、多かれ少なかれ魔石を持って

おる。」


「おししょうさまも?」


「もちろんじゃ。」


「わたしも?」


「当然、おぬしもじゃ。」


「へぇー!」


 自分の胸元をぽんぽんと叩きながら、不思議そうな

表情を浮かべる。


 その様子が可笑しく、マクスウェルは思わず笑みを

零した。


「魔物を倒したら、この魔石は忘れずに回収するの

じゃ。」


「どうして?」


「金になるからじゃ。」


「おかね?」


 聞き慣れない言葉に、ステラは首を傾げる。


 無理もない。


 今まで二人だけで生活してきた彼女にとって、お金

という概念そのものが存在しなかった。


「町や村では、食べ物も服も道具もお金と交換する。」


「魔石は、そのお金へ換えることができるんじゃ。」


「ふーん……」


 どうやら完全には理解していないらしい。


 それでも「大事なもの」ということだけは分かった

ようで、魔石を大切そうに両手で包み込んだ。


「これは、ステラのはじめてのおかね?」


「そうじゃな。」


「初めて自分の力で手に入れた報酬じゃ。」


 その一言に、ステラは嬉しそうに笑う。


「じゃあ、たいせつにする!」


「うむ。」


 マクスウェルは満足そうに頷きながら、残り四匹の

魔石も手際よく取り出していく。


 五匹分の魔石を小袋へ入れ終えると、立ち上がって

デスウォルフたちを見下ろした。


「さて……」


 顎へ手を当てる。


「食べられんことはないが……」


 少し考えたあと、小さく首を振った。


「こやつらは肉が硬くて臭みも強い。」


「正直、あまり美味くないのぉ。」


「たべられるの?」


「食べられる。」


「じゃが、美味いとは言えん。」


 研究者らしく即答する。


「せっかくなら、もっと美味い獲物を探した方が良い

じゃろう。」


「おいしいおにく!」


 その言葉だけで、ステラの瞳が再び輝いた。


「それじゃあ、いこ!」


「うむ。」


 二人は再び森の奥へ歩き始める。


     ◇


 しかし――。


 それからしばらく歩いても、魔物は姿を見せな

かった。


 鳥のさえずり。


 木々を揺らす風。


 川のせせらぎ。


 森は驚くほど静かだった。


「今日は静かじゃのぉ。」


 マクスウェルが辺りを見回す。


「この森も相当広い。」


「魔物と出会うにも運が必要じゃ。」


 歩き続けること数十分。


 木々が途切れ、視界が一気に開けた。


 目の前には澄み切った川が流れ、太陽の光を受けた

水面が宝石のように輝いている。


「きれい!」


 ステラは思わず駆け出しそうになる。


「待つのじゃ。」


「まずは周囲を確認してからじゃ。」


「はーい。」


 少しだけ残念そうにしながらも、素直に足を止める。


 周囲へ危険がないことを確認すると、二人は河原の

大きな岩へ腰を下ろした。


 川風が心地よく吹き抜ける。


 緊張していた身体から、自然と力が抜けていく。


「ところで、どうじゃ。」


 マクスウェルがステラへ視線を向けた。


「その服は動きにくくないか?」


 これが一番気掛かりだった。


 どれだけ性能を盛り込んでも、動きづらければ

本末転倒である。


 ステラは立ち上がると、その場で軽く跳ねてみせた。


 くるり。


 ぴょん。


 しゃがみ込み、また立ち上がる。


「ぜんぜん!」


 満面の笑みで答えた。


「すごくうごきやすい!」


「ほう?」


「うごくときね、かってにふくがよけてくれるの!」


「…………」


 マクスウェルは固まった。


(うちの子が、また何を言っておるのか分からん。)


 着物が勝手に避ける。


 普通なら意味不明な言葉である。


 だが、ステラが嘘を言う子ではないことも知って

いる。


 少し考え込み、ようやく一つの結論へ辿り着いた。


(本人の髪から作った布じゃ。)


(魔気力を通すことで、身体の一部として認識されて

おるのかもしれん。)


 だから、身体を動かそうとすると。


 着物も先回りするように動きを補助する。


 理屈としては説明できなくもない。


 もっとも。


(……こんな機能、付けた覚えはないんじゃが。)


 今日だけで何度目になるか分からない疑問だった。


 ステラは嬉しそうに袖を揺らしている。


「すごいね、ユリ!」


 着物へ向かって話し掛ける姿を見て、マクスウェル

は苦笑した。


「そうか。」


「なら、作った甲斐があったというものじゃ。」


 その笑顔だけで、二か月掛けた苦労は十分報われた

気がした。


 穏やかな時間が流れる。


 川のせせらぎだけが静かに響いていた。


 ――その時だった。


 ズシンッ。


 地面が、小さく震えた。


 ズシンッ――。


 地面を揺らすような重い振動が、河原へ響いた。


 ステラとマクスウェルは同時に音のした方へ視線を

向ける。


 木々の奥から、ゆっくりと巨大な影が姿を現した。


 高さは五メートルほどだろうか。


 岩のように逞しい身体。


 全身を覆う毛並みは白銀とも白金とも見える美しい

輝きを放ち、陽光を浴びるたび幻想的な光沢を生み

出している。


 その姿には魔物特有の禍々しさよりも、森の主と

呼ぶに相応しい威厳があった。


「……あれは」


 マクスウェルの表情が僅かに強張る。


「カムイじゃ。」


その名を口にしただけで、空気が張り詰める。


 カムイは二人へ一瞥を向けたが、興味を示すこと

なく川辺まで歩いていく。


 そして静かに水面へ口を近づけ、水を飲み始めた。


 その姿には隙しかない。


 しかし、その隙へ飛び込もうなどとは微塵も思え

なかった。


(相変わらずじゃな……)


 マクスウェルは静かに息を呑む。


 この森で最も恐ろしい存在。


 それがカムイだった。


「おししょうさま。」


「うん?」


「あれも、たたかうの?」


 純粋な疑問。


 その一言に、マクスウェルは即座に首を横へ振る。


「駄目じゃ。」


 いつになく強い口調だった。


「カムイだけは駄目じゃ。」


「どうして?」


 ステラは不思議そうに首を傾げる。


 マクスウェルはしばらくカムイを見つめたあと、

静かに口を開いた。


「カムイは、この森の王じゃ。」


「他の魔物とは格が違う。」


「……今のわしでは勝てん。」


 その言葉に、ステラは目を丸くした。


「おししょうさまでも?」


「うむ。」


 迷いなく頷く。


「昔のわしならどうだったかは分からん。」


「じゃが今は違う。」


 脳裏へ、あの日の光景が蘇る。


 実験を失敗し魔力経路がずたずたになった日。


 全身へ走った激痛。


 そして、二度と元へ戻らないと悟った絶望。


 魔力経路は、今もなお傷だらけのままだ。


 大魔法を連続して放つこともできない。


 膨大な魔力を一気に練り上げることもできない。


 今の自分は、全盛期とは程遠い。


「正面から戦えば……」


 マクスウェルは小さく息を吐く。


「間違いなく、わしが負ける。」


 その一言は重かった。


 大賢者マクスウェルが、自ら敗北を認める。


 それほどまでに、カムイという存在は別格だった。


 ステラも、その声色から冗談ではないことを理解

したらしい。


「そうなんだ……」


 小さく呟きながらも、その瞳はカムイから離れない。


 その様子を見た瞬間。


 マクスウェルの胸へ、嫌な予感が走る。


「……まさかとは思うが。」


「ちょっと、やってみてもいい?」


「やっぱりか!」


 思わず大きな声が出る。


 本人は至って真面目だった。


 純粋に、自分の力がどこまで通用するのか試したい

だけなのだ。


「いや、待つのじゃ。」


「危険じゃぞ?」


「でも、おししょうさまいるよ?」


「だからそういう問題では……」


 言い掛けた、その時だった。


 ステラはすでに立ち上がっていた。


 黒い着物の裾がふわりと揺れる。


 木刀を静かに抜き放ち、ゆっくりと正面へ構えた。


 魔気力が身体中から溢れ出す。


 銀白色の中へ、淡い桜色が混じり合い、美しい光と

なって少女を包み込む。


 その気配に反応したのだろう。


 水を飲んでいたカムイが顔を上げた。


 黄金色の瞳が、真っ直ぐステラを射抜く。


 次の瞬間。


 ゴォッ……


 巨体が低く沈み込む。


 鋭い牙を剥き出しにし、巨大な爪を地面へ突き

立てる。


 完全な臨戦態勢だった。


(……しまった)


マクスウェルは木刀を強く握り締めた。


今さら止めても遅い。


体内へ残された魔力を静かに巡らせる。


傷付いた魔力経路が、鈍い痛みと共に軋んだ。


(今のわしでは、カムイは止められん。)


(それでも――)


(あの子だけは守る。)


(命に代えてでも、逃がしてみせる。)


 その覚悟を決めた直後だった。


 ――フッ。


 ステラの姿が消える。


 いや。


 速すぎて見失っただけだ。


 少女は一瞬でカムイの懐へ潜り込んでいた。


「速っ……!」


 マクスウェルですら思わず息を呑む。


 地面を蹴った瞬間には、すでに熊の足元まで到達していた。


 しかし。


 カムイもまた規格外だった。


 普通の魔物なら視認すらできない速度。


 それにもかかわらず、その黄金色の瞳は確かに

ステラを捉えていた。


 巨大な身体とは思えないほど滑らかに左腕を持ち

上げる。


 防御。


 迷いのない動作だった。


 ステラは構わず木刀を振り抜く。


 バシィィィンッ!!


 乾いた衝撃音が河原へ響き渡る。


 木刀と熊の腕が正面から激突した。


 凄まじい衝撃。


 河原の小石が跳ね上がり、周囲の草木が風圧で

大きく揺れる。


 だが――。


 カムイは一歩も動かなかった。


 巨大な身体は微動だにせず、その場へ立ち続けて

いる。


(止めたじゃと……!?)


 マクスウェルは目を見開く。


 あの一撃を、真正面から受け止めた。


 しかも腕一本で。


 防御を終えたカムイは、そのまま右腕を大きく

振り上げる。


 鋭い爪が陽光を反射した。


 振り下ろされれば、人間など紙切れ同然。


 だが。


 その爪が届くより早く、ステラは軽やかに後方へ

飛び退いていた。


 ぴょん。


 ぴょん。


 まるで遊んでいるかのような軽快なバックステップ。


 熊の攻撃は空を切り、地面だけが大きく抉られる。


 ステラはそのままマクスウェルの隣まで戻ってくる

と、目を輝かせながら叫んだ。


「おししょうさま!」


「すごい! すごい!」


「あのくますごいよ!」


 攻撃を防がれたにもかかわらず、悔しそうな様子はまるでない。


 むしろ、心から楽しそうだった。


(……全く、この子は)


 マクスウェルは心の中で大きくため息をつく。


 こちらは寿命が縮む思いで見守っているというのに。


 当の本人は、ようやく全力で遊べる相手を見つけた子どものような笑顔を浮かべている。


 その無邪気さに呆れながらも、自然と口元には苦笑

が浮かんでいた。


「さて……」


 ステラは再びカムイへ向き直る。


 桃色の瞳が、楽しそうに細められた。


「つぎは、これでいってみよう!」


 そう呟くと、少女は静かに右手を前へ差し出した。


 掌の上へ、銀白色と淡い桜色の魔気力が集まり

始めた。


 その中心へ、小さな火種が灯る。


 赤く揺らめく炎。


 その炎はどんどん周囲の空気を巻き込み大きく成長

していく。


 それをさらに圧縮し、取り込みを繰り返し炎の色は

青色から徐々に白色へと変化し始めた。


 周囲の空気が揺らぎ始める。


 熱が一点へ凝縮されている証拠だった。


 炎からキンキンと甲高い音が漏れ始める。


 マクスウェルの表情が凍り付いた。


(……なんじゃ、あれは。)


「おししょうさま。これなら、どうかな?」


 無邪気な笑顔で振り返る。


 火球ではない。


 あれは、もはや火という概念ですらない。


 魔気力で作られた器の中へ、炎と熱、空気の膨張

エネルギーを異常な密度で閉じ込めている。


 しかも、その圧縮率は先ほどデスウォルフへ放った

火球とは比較にならない。


(まずい……!)


 直感が警鐘を鳴らす。


 もし、あれがここで暴発すれば。


 河原どころでは済まない。


 周囲一帯が吹き飛ぶ。


「ステラ!」


 思わず叫ぶ。


「少し威力を落とすのじゃ!」


「え?」


「そのまま放てば――」


 最後まで言い切る前だった。


 カムイが動いた。


 ドンッ!!


 巨大な身体とは思えない速度で地面を蹴る。


 河原が陥没し、小石が一斉に宙へ舞い上がる。


 その巨体が一直線にステラへ迫った。


「速い!」


 マクスウェルが思わず声を漏らす。


 先ほどまで悠然と歩いていた姿とは別物だった。


 本気。


 カムイは、初めて本気で少女を敵と認めたのである。


 カムイの体からも大量の魔力が放出されて周りの

空間さえも歪めるほどだ。


 それだけ強化された巨大な右腕が振り上げられる。


 空気を裂きながら迫る一撃。


 その威圧感だけで木々の枝葉が震え、河原の水面が

波打った。


 だが。


 ステラは逃げない。


 火球を維持したまま、小さく息を吸う。


「いけっ!」


 閉じ込められていた炎が、一瞬で解き放たれる。


 解き放たれた火球は至近距離まで近づいたカムイの

腹へと命中し、突っ込んできた巨体を押し返す。


 腹へと命中した火球はどんどん周囲の空気も巻き

込みさらに大きな火球と成長しながら、5メートル

もの巨体を河原の反対までへと吹き飛ばした。


 そして、


 ドゴォォォォォォンッ!!


 轟音。


 灼熱。


 爆風。


 三つが同時に河原を飲み込んだ。


 爆発音が山々へ反響する。


 河原一帯が白い閃光に包まれ、猛烈な熱風が

マクスウェルの髪と衣服を激しく揺らした。


 思わず防御魔法を展開し腕で顔を庇う。


 砂煙。


 水蒸気。


 焼けた土の匂い。


 視界は完全に白煙へ閉ざされていた。


(……やり過ぎじゃ。)


 マクスウェルは呆然と呟く。


 あの規模の爆発は、自分の知る火魔法とは根本から

違う。


 火球を飛ばしただけではない。


 自然そのものを吸収しながら成長する魔法へと変え

てしまった。


 まさに、ステラだけが扱える複合型魔法だった。


 煙がゆっくり晴れていく。


 だが、徐々に見え始める白銀の巨体。


 全身の毛並みは煤で黒く汚れ、お腹全体には焦げ

跡も残っている。


 しかし。


 倒れてはいなかった。


 (ここまでの魔法を放っても倒れないとは。

  流石はカムイといったところじゃな。)


 その黄金色の瞳は、先ほどよりも強い光を宿し、

真っ直ぐステラを見据えていた。


 低く。


 腹の底へ響くような唸り声が漏れる。


「グルルルルル……」


 敵意。


 いや。


 警戒。


 カムイは目の前の小さな少女を「自分と戦える存在」

と感じ取ったのだろう。


 ゆっくりと身を低くし、黄金色の瞳でステラを見据

える。


 その視線には怒りはない。


 あるのは、強者へ向ける純粋な警戒だけだった。


「おししょうさま。」


 ステラはカムイから目を離さないまま、小さく声を

掛ける。


「このくま、まだげんき。」


「当然じゃ。」


 マクスウェルも視線を逸らさず答える。


「今の一撃で倒れる相手なら、森の王とは呼ばれん。」


 それどころか。


 焦げ跡こそ残っているものの、致命傷には程遠い。


 あの爆発を受けてなお立ち上がる耐久力。


 まさしく規格外だった。


(やはり恐ろしいの……)


 マクスウェルは無意識に木刀を握る手へ力を込める。


 もし自分があの一撃を受けていたなら。


 全盛期だったとしても防ぎ切れたかどうかすら

怪しい。


 それほどまでに、ステラの複合型魔法は常識外れの

威力へ達していた。


 そして。


 それを真正面から受け止めて立っているカムイも

また、常識の外にいる存在だった。


「グオオオオォッ!!」


 咆哮。


 空気が震え、木々の葉が一斉に舞い上がる。


 次の瞬間。


 カムイの巨体が地面を蹴った。


 轟音と共に一直線。


 カムイはさらにもう一段階魔力の出力を上げ、

さらに速度を増して突進してきた。


「来るぞ!」


 マクスウェルが叫ぶ。


 しかし、叫ぶよりも早く。


 ステラも地面を蹴っていた。


 お互いに飛び込み合うステラとカムイ。


 カムイの巨大な前脚が空を裂き、少女が元いた場所

を叩き潰す。


 ステラは鋭い爪が届く前に身体を横へ滑らせるよう

に躱し、その勢いを利用してカムイの側面へ回り込む。


 ドゴォンッ!!


 河原が爆ぜる。


 岩が砕け、土砂が吹き飛び、水飛沫が高く舞い上が

った。


 その威力を目の当たりにし、マクスウェルは冷や

汗を流す。


(直撃すれば……終わりじゃ。)


 ユリの防御性能をもってしても、あの一撃だけは

受けさせられない。


 ステラも、それを理解しているのだろう。


 真正面から力比べをしようとはしない。


 側面へと回り込んだステラはその勢いごと木刀を

振りぬく。


 バシィィィンッ!!


 凄まじい衝撃が駆け抜ける。


 が、さらに魔力で強化されたカムイの体に傷一つ

付けることが叶わない。


 ステラも魔気力で体も木刀も強化はしているはず

だが、それでもカムイは動じない。


 それがわかっているからだろう、そんなステラの

斬撃を気にせず巨大な前脚を構わず振るってくる。


 今度はその速さにステラのステップは間に合わず

木刀で防御するしかなかった。


 ドゴォンッ!!


 衝撃とともに体の軽いステラは吹き飛ばされる。


 「ステラッ!!」


 まともに食らってはいないもののマクスウェルの

背中には冷や汗が流れる。


 ステラはその勢いのまま森の中まで吹き飛ばされた。


 小さい体が何本もの木を貫いていき、大きな岩へ

衝突し何とか止まった。


 だが、大量の魔気力とユリに守られたステラの体も

また傷一つない状態だった。


 その瞳には恐怖ではなく、驚きが浮かんでいる。


 ステラにとってこれまで生きてきて初めてくらった

攻撃だった。


「すごい……。」


 思わず零れた一言。


「おししょうさまより、ちからある。」


 近づいてきたマクスウェルの心配をよそに、そんな

軽口を叩く余裕があるのを見て安堵する。


「わしと比べるでない……。」


 再び低く唸りを上げながら、黄金色の瞳は、

なおもステラだけを捕えている。


 そして間髪入れずに突っ込んできた。


 ステラは逃げなかった。


 その桃色の瞳もまた、迫り来る森の王を真っ直ぐ見据えている。


 そして。


 その小さな口元が、楽しそうに微笑んだ。


「たのしい!」


 次の瞬間。


 少女の姿は再び風のように掻き消えた。


カムイの巨大な爪が振り下ろされた瞬間には、すでにその場にはもういない。


 ドゴォォンッ!!


 その一撃は空を切り、岩だけを砕いた。


 ステラはまるで踊るような軽やかな足取りで、

カムイの周囲を駆け回っていた。


 右へ。


 左へ。


 背後へ。


 その動きはあまりにも速く、残像だけが幾重にも

残る。


「グルルル……」


 カムイは身体を回転させながら、黄金色の瞳だけで

少女を追い続ける。


 焦る様子はない。


 怒る様子もない。


 ただ静かに、相手の動きを観察していた。


(見切っておる……。)


 マクスウェルは息を呑む。


 ステラの速度は、人間の常識を遥かに超えている。


 それでもカムイは目で追えている。


 反応もできている。


 あと一歩。


 ほんの僅かでもステラの動きが遅ければ、その巨大

な爪が少女を捉えていただろう。


(やはり……。)


(化け物じゃ。)


 思わず苦笑が漏れる。


 七歳の少女と。


 森の王。


 その二つが、互角に渡り合っているのである。


「えいっ!」


 ステラが木刀を振るう。


 カムイの肩を狙った一撃。


 しかし。


 ガギィン!!


 硬い衝撃音が響く。


 木刀は白銀の毛並みへ当たった瞬間、大きく弾き

返された。


「かたい!」


 毛も。


 その下にある筋肉も。


 骨も。


 すべてが鋼鉄のような硬さだった。


 木刀程度では致命傷どころか、有効打すら与えられ

ない。


 カムイは静かに振り返る。


 そして再び腕を振るう。


 ブォン!!


 空気そのものが唸りを上げる。


 質量だけで生まれた暴風が河原を薙ぎ払った。


 ステラは咄嗟に後方へ跳び退き、その風圧を避ける。


 だが。


「わっ!」


 身体が浮く。


 攻撃そのものではない。


 振るわれた腕が生み出した風だけで、少女の身体がまた、大きく吹き飛ばされる。


「ステラ!」


 マクスウェルが叫ぶ。


 しかし。


 空中で一回転したステラは、軽やかに着地する。


 トン。


 まるで木の葉が落ちるような静かな着地だった。


「だいじょうぶ!」


 笑顔で手を振る。


 その姿を見て、マクスウェルは胸を撫で下ろした。


(……心臓に悪いの。)


 本人は楽しそうだが、見ているこちらの寿命が縮み

そうだった。


 ステラはもう一度カムイを見上げる。


「ほんとうにつよいね。」


 その声へ反応するように。


「グオォォォォ……。」


 それは威嚇ではない。


 どこか穏やかで。


 どこか楽しそうな鳴き声だった。


 まるで。


 「もっと来い」


 そう言っているようにも聞こえる。


 その声を聞いたステラは、にっこりと笑った。


「うん!」


「まだまだいくよ!」


 少女の身体から、再び魔気力が溢れ始める。


 銀白色と桜色の光が『ユリ』を優しく包み込み、

その輝きは先ほどまでより一段と強くなっていく。


 それを見つめながら、マクスウェルは静かに息を

吐く。


(……ステラ。)


(おぬしは一体、どこまで強くなるつもりなんじゃ。)


 その問いに答えられる者は、この場には誰一人

としていなかった。


「ふぅ……。」


 ステラは小さく息を吐く。


 そして、にこりと笑った。


「もっと、もーっと、つよくいくよー!」


 その瞬間。


 少女の身体から溢れ出す魔気力が、さらに膨れ

上がっていく。


 銀白色へ淡い桜色が混ざり合い、その輝きは先ほどまでとは比べものにならないほど濃くなる。


 髪の先端も淡い桃色に発光し始めた。


 河原の空気が震える。


 足元の小石が小さく跳ね、川面には幾重もの波紋が

広がっていく。


(……まだ上があるというのか。)


 マクスウェルは思わず息を呑む。


 その魔気力は、自分の全盛期と比べても遥かに上。


 数十倍以上の魔力を纏っているように見える。


(末恐ろしい子じゃ……。)


 そう呟く間もなく。


 ――ドンッ!!


 ステラの姿が掻き消える。


 先ほどと変わらない速度。


 しかし、その一歩へ込められた力はまるで別物

だった。


 一瞬でカムイの左側へと距離を詰める。


 そして。


 木刀を迷いなく思い切り振り下した。


 カムイも先ほどと同じように左腕を掲げ、防御する。


 だが――。


 ドゴンッ!!


 鈍く重い衝撃音が河原へ響いた。


 今度は違う。


 微動だにしなかった巨腕が、大きく地面へ弾き飛ば

される。


「グォッ!?」


 初めて、カムイの体勢が崩れ、金色の瞳が大きく

見開かれた。


 その瞬間を、ステラは見逃さなかった。


 振りぬいた勢いを利用し、そのまま身体を空中で

一回転。


 回転の遠心力を乗せた左足が、大きくしなる。


「えいっ!!」


 ドンッ!!


 鋭い回し蹴りが、カムイの左肩へ突き刺さった。


 轟音。


 五メートルを超える巨体が、まるで紙切れのように

宙へ浮く。


 そのまま一直線に吹き飛ばされ――。


 ドボォォォン!!


 大きな水柱を上げながら、川の中へ叩き込まれた。


 しばらくして。


 ゆっくりと立ち上がったカムイは、左腕を力なく

垂らしていた。


 どうやら、あの一撃で骨まで砕かれたらしい。


 黄金色の瞳が静かにステラを見つめる。


 数秒の沈黙。


「グルルルルル……」


 ステラの瞳をまっすぐと見つめるカムイ。


 やがてカムイは静かに踵を返すと、そのまま森の

奥へ走り去っていった。


「あー!」


 ステラは思わず声を上げる。


「にげたー!!」


 ぷくぅっと頬を膨らませる。


「これからだったのにー!」


 心底残念そうな表情だった。


 その姿を見ながら、マクスウェルは苦笑する。


(……あのカムイと渡り合って。)


(しかも、まだ余裕があるとはの。)


 こうして。


 ステラとカムイの戦いは、カムイの撤退という形で

幕を閉じた。


 初めての実戦で森の王と相対したことは、ある意味

では幸運だったのかもしれない。


 あのカムイを退けられるのであれば。


 少なくとも、この死の森でステラを追い詰められる

魔物は、そう多くは存在しないだろう。


 まだ、その底知れぬ実力のすべては見えていない。


 それでも。


 ステラの力が、この森でも十分に通用することだけ

は、誰の目にも明らかだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。