↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星紡ぎのステラ  作者: YOU
第1章_幼少期編
8/14

第8話_衣装作成


マクスウェルの家は、王都や町、村から大きく離れた

東の果て――いくつもの山を越えた先に広がる深い森

の中に建っている。


 人の営みとは無縁のその場所は、一年を通して静寂

に包まれていた。


 鳥のさえずりと木々を揺らす風の音。


 そして時折、遠くから聞こえてくる魔物たちの咆哮。


 それ以外に聞こえる音はない。


 ここを住処に選んだ理由は単純だった。


 どれほど大規模な魔法を放とうとも、誰にも迷惑を

掛けず、研究へ没頭できる場所だったからである。


 その代わり、この森には人が近づかない。


 いや、近づけないと言った方が正しいだろう。


 森の奥には強力な魔物が数多く棲みつき、周囲の

山々までも危険地帯として知られている。


 いつしか人々は、この地をこう呼ぶようになった。


 ――『死の森』。


 ある者は『死の山』とも呼び、その名を口にする

だけで震え上がる者も少なくない。


 もっとも、そんな呼び名などマクスウェルにとって

は些細なことだった。


 危険ならば、安全にしてしまえばいい。


 その一言で片付けられる程度の問題だったのである。


 彼はこの森へ住み始めると同時に、家を中心として

巨大な結界を築き上げた。


 その広さは直径数キロメートル。


 しかも一枚ではない。


 三重。


 三層構造の結界である。


 一枚目は侵入者の感覚を狂わせる迷いの結界。


 進んでいるつもりでも、気づけば同じ場所を

ぐるぐると歩き続ける。


 本人は真っ直ぐ進んでいるつもりでも、目的地へ

辿り着くことは決してない。


 二枚目は状態異常を付与する結界。


 不用意に触れた者は幻覚や麻痺、睡眠など様々な

異常へ蝕まれ、まともに動くことすら困難となる。


 そして最後。


 三枚目は転移結界。


 ようやくここまで辿り着いた侵入者も、結界へ

触れた瞬間、森の外や別の場所へ強制的に送り

返される。


 どれほど強力な魔物であろうと、人間であろうと

例外ではない。


 これら三重の結界は、森の各所へ埋め込まれた

魔力結晶によって維持されていた。


 常人であれば、その存在に気づくことさえできない。


 仮に突破しようと思えば、森中へ隠された魔力結晶

を一つひとつ見つけ出し、すべて破壊するしか方法は

ないだろう。


「……我ながら、やり過ぎたかもしれんのぉ」


 家の縁側へ腰掛けたマクスウェルは、苦笑交じり

に呟く。


 もっとも、その口元はどこか満足そうだった。


 最終的には一人の少女を守るための結界へ繋がった

からだ。


 ステラが安心して笑い、眠り、成長できる場所。


 最初からこのために築き上げた結界だったのでは

といっても過言ではないだろう。


 だからこそ、この数年間、家の周囲へ魔物が姿を

現すことは一度もなかった。


     ◇


 庭先では、七歳になったステラが木刀を振っている。


 小柄な身体からは想像もできないほど鋭い風切り音

が響き、木刀を振るたびに地面の草花が揺れた。


 魔法も。


 剣術も。


 順調すぎるほど成長している。


 だからこそ、マクスウェルは思う。


(…そろそろ、実戦を経験させる頃合いかもしれんの)


とはいえ、簡単に森の外へ連れ出すわけにはいかな

かった。


 魔法も剣術も順調に身につけている。


 身体能力も、七歳とは思えないほど成長している。


 それでも、実戦は訓練とはまるで違う。


 相手は木刀を合わせてくれる師ではない。


 命を奪おうと牙を剥く魔物である。


 マクスウェルは腕を組み、小さく息を吐いた。


(問題は……何と戦わせるか)


 危険な魔物がこの森にはうじゃうじゃといるが、

自分が傍についていれば、命を落とすことはない

だろう。


 そんな自信はある。


 しかし、それでも不安は消えなかった。


(魔物の種類をすべて把握しておるわけではない

からの)


 鋭い牙や爪による攻撃ならまだいい。


 魔気力を常に纏っているステラなら、大抵は防いで

しまうだろう。


 だが、中には力任せではない魔物も存在する。


 毒。


 幻覚。


 眠り。


 精神を惑わす咆哮。


 鼻を利かせて獲物を追うもの。


 視線を合わせただけで呪いを掛けるもの。


 そうした特殊な能力を持つ魔物が相手となれば、

いくら身体が頑丈でも意味を成さない。


 何より――。


(ステラは、まだ七歳じゃ)


 あの子は好奇心旺盛だ。


 見たことのない花があれば近寄る。


 珍しい虫がいれば捕まえようとする。


 可愛らしい動物を見つければ、きっと笑顔で駆け

寄ってしまう。


 その相手が魔物だったとしても。


 悪意というものを、まだ十分には知らない。


 だからこそ心配だった。


(せめて、もう一つ安心できる材料があればのぉ……)


 その日から、マクスウェルは考え始めた。


 朝も。


 昼も。


 夜も。


 本を読みながら。


 畑を耕しながら。


 ステラが庭で遊ぶ姿を眺めながら。


 部屋へ籠って魔道具を作っている最中でさえ、

そのことばかり考えていた。


 しかし、名案は浮かばない。


 剣を持たせるか。


 盾を持たせるか。


 護衛用のゴーレムでも作るか。


 どれも決定打にはならなかった。


 気が付けば、一か月という時間が過ぎていた。


「……む?」


 その日も工房で頭を抱えていたマクスウェルは、

不意に顔を上げる。


 ふと視線の先では、ステラが木刀を片手に庭を走り

回っていた。


 元気いっぱいに駆け回る少女。


 その姿を見た瞬間、一つの考えが脳裏をよぎる。


「……そうか」


 ぽん、と手を叩いた。


「身体そのものを守るのではなく、纏うものを守れば

よいのか」


 魔気力で身体は守られている。


 ならば、その魔気力では防ぎきれないものを補えば

いい。


 状態異常。


 毒。


 幻覚。


 精神干渉。


 そういった特殊な攻撃を無効化できる衣装。


 それさえ完成すれば、安心して実戦経験を積ませ

られる。


 名案だった。


 研究者としての顔が、思わず緩む。


「善は急げ、じゃな」


 立ち上がったマクスウェルは、そのまま工房へ

向かう。


 すでに頭の中では、完成図が浮かび始めていた。


 ……いや。


 正確には。


 防具の完成図ではない。


 彼の脳裏へ真っ先に浮かんだのは、一着の美しい

衣装だった。


 以前、この森へ向かう途中で立ち寄った町。


 偶然見かけ、一瞬で目を奪われた衣装。


 黒髪の少女が嬉しそうに着ていた、あの姿。


(……あれは絶対に、ステラに似合う)


 研究者ではなく、一人の親として確信していた。


「着物……じゃ」


 自然と口元が緩む。


 上品でありながら可愛らしい。


 華やかでありながら凛としている。


 そして何より――。


(あの白い髪と桜色の瞳には、きっと誰よりも似合う)


 そう思った瞬間だった。


「……いや待て」


 マクスウェルは一人で首を振る。


「目的は戦闘衣装じゃ。」


「決して、可愛い姿が見たいからではない。」


 誰へ言い訳するでもなく、小さく咳払いをする。


 だが、その数秒後には。


(……少しくらい可愛いデザインでも問題あるまい)


 と、すでに考えが揺らぎ始めていた。


工房の扉を勢いよく開く。


 棚には木材や金属、布地、魔力結晶など、長年集め

てきた材料が整然と並んでいた。


 研究者として必要になるものは、ほとんど自作して

きた。


 だから道具にも不足はない。


 問題は――。


「さて、何を使うべきかの」


 布地は柔らかく、それでいて丈夫でなければなら

ない。


 魔気力も通しやすく、状態異常を防ぐための術式も

織り込める素材が望ましい。


 市販の布では強度が足りない。


 魔物の皮では重すぎる。


 魔獣の糸は扱いが難しい。


 一つひとつ候補を思い浮かべては首を振る。


「……いや」


 その時、視線が机の隅へ止まった。


 そこには、小さな箱が一つ置かれている。


 蓋を開けると、中には白銀色の髪が丁寧に束ねられ

ていた。


 ステラの髪である。


 幼い頃から髪を整えるたび、何となく捨てる気に

なれず保管していたものだった。


「これじゃ……!」


 思わず立ち上がる。


 さらさらと指の間を滑る髪は、絹にも負けないほど

滑らかだった。


 それでいて、一本一本が異常なまでに丈夫である。


 散髪で切断しようとした時も、普通の刃物では

ほとんど歯が立たなかった。


 魔気力を常に纏っている影響なのか、それとも体質

によるものなのか。


 理由は未だ解明できていない。


 だが、研究者として一つだけ確信していることが

あった。


「元が本人の身体の一部なら、魔気力を最も通し

やすいはずじゃ」


 これ以上の素材はない。


 そう判断したマクスウェルは、すぐさま作業へ

取り掛かった。


 しかし、その考えは甘かった。


 髪を一本一本丁寧に編み込んでみる。


 完成した布を指でなぞった瞬間――。


「痛っ!」


 思わず手を引っ込める。


 毛先が立ち、布全体がごわついている。


 肌へ触れれば、ちくちくと痛みを感じるほどだった。


「……駄目じゃな」


 ならば、と今度は髪を熱で溶かしてみる。


 柔らかくなれば布状に加工しやすいはず。


 そう考えたのだが――。


「……おおぅ」


 目の前に残ったのは、どろりと溶けた白い塊だった。


 滑らかさも。


 しなやかさも。


 髪本来の美しさは跡形もなく失われていた。


「これも失敗じゃ」


 その後も、何度となく実験を繰り返す。


 編み方を変える。


 圧縮してみる。


 薬品へ浸してみる。


 魔法で硬度だけを変えてみる。


 思いつく限りの方法を試した。


 それでも納得できる結果は得られない。


 工房の机には失敗作が山のように積み上がっていく。


「むぅ……」


 数日が過ぎても答えは見つからない。


 だが、そんな時だった。


 失敗作を眺めながら、ふと一つの考えが頭をよぎる。


「……一体化させれば良いのではないか?」


 髪を編むのではない。


 溶かすのでもない。


 一本一本の髪を、魔法によって一つの物質として

融合させる。


 素材そのものを傷付けず、繊維だけを繋ぎ合わせる

のである。


「試してみる価値はあるの」


 マクスウェルは静かに補助用の魔法陣を展開した。


 白銀の髪がゆっくりと宙へ浮かび上がる。


 一本。


 また一本。


 互いに触れ合った髪が淡く光り始め、まるで最初

から一つだったかのように溶け合っていく。


 やがて無数の髪は、一つの真っ白な毛玉へ姿を

変えた。


「……ここまでは成功じゃ」


 次に圧力を加える。


 少しずつ。


 少しずつ。


 均等に力を掛けながら薄く伸ばしていく。


 しかし、素材が素材である。


 魔気力を宿した髪は驚くほど頑丈で、思うように

形が変わらない。


 わずか数ミリ広げるだけでも、何時間という時間が

必要だった。


「まったく……」


 苦笑しながらも、手を止めることはない。


「娘のためじゃ。」


「これくらいで音を上げていては、親失格じゃろう」


 誰に聞かせるでもない独り言を漏らしながら、

老人は今日も黙々と作業を続けるのだった。


魔法による融合と圧縮。


 その工程を何度も繰り返しながら、少しずつ布へ

近づけていく。


 一日。


 二日。


 一週間。


 時間だけが静かに過ぎていった。


 工房へ籠もりきりのマクスウェルを、ステラは

不思議そうに見つめる。


「おししょうさまー?」


「ん? どうした、ステラ」


「さいきん、ずっとおへやにいるね?」


「ちと研究じゃよ」


「けんきゅう?」


 首を傾げる少女へ、マクスウェルは苦笑する。


「ステラには、まだ秘密じゃ」


「むぅー」


 頬を膨らませるステラ。


 どうやら少し拗ねてしまったらしい。


 そんな様子を見て思わず笑みが零れる。


(すまんのぉ。)


(もう少しだけ待っておれ)


(きっと喜んでくれるはずじゃ)


 その笑顔を思い浮かべるだけで、不思議と疲れは

感じなかった。


     ◇


 さらに数日後。


「……できた!」


 工房中へ響く声。


 長い時間を掛け、ようやく一枚の布が完成した。


 真っ白で、美しく、絹のような艶を持つ布。


 指先で撫でると、さらりと滑り、それでいて強靭

さも感じられる。


 軽く引っ張ってみても、まるで伸びる気配がない。


 刃物を当てても傷一つ付かない。


「うむ……」


 満足そうに頷く。


「期待以上じゃな」


 完成まで、およそ一か月。


 布一枚にこれほど苦労したのは、さすがの

マクスウェルも初めてだった。


 しかし、本番はここからである。


「さて、防具としての役目も果たしてもらわねば

ならん」


 机の上へ次々と並べられる薬草、鉱石、魔物の素材。


 どれも状態異常への耐性を持つ希少な材料ばかり

だった。


 これらを、そのまま縫い付けるわけではない。


 布そのものへ溶け込ませる。


 髪を融合させた時と同じ理論で、素材を布へ一体化

させるのである。


 慎重に魔力を流し込みながら、一つ、また一つと

素材を取り込んでいく。


 すると、純白だった布へ少しずつ色が混ざり始めた。


 赤。


 青。


 紫。


 緑。


 様々な色彩が渦を巻き、やがてゆっくりと一つへ

溶け合っていく。


 そして最後に残った色は――。


「黒、か」


 漆黒。


 光を吸い込むような深い黒だった。


 理由は分からない。


 おそらく、あまりにも多くの色が混ざり合った結果

なのだろう。


 だが、不思議と嫌な印象は受けなかった。


 むしろ、その黒には静かな美しさがあった。


 白銀の髪。


 透き通る白い肌。


 淡く桜色が差した毛先。


 そして桃色の瞳。


 頭の中へ、着物を纏ったステラの姿が自然と浮かぶ。


(……似合う)


 即座にそう思った。


「もともと眩しいほど白い子じゃ。」


「ならば黒の方が、その美しさを引き立ててくれる

じゃろう。」


 そう呟きながら、完成した布を優しく撫でる。


 しかし。


「……いや」


 ふと腕を組む。


「黒一色では、少々寂しいのぉ。七歳の女の子が身に

 つけるものじゃ。

 少しは華やかさも欲しいところじゃな」


 誰に言い訳するでもなく呟く。


 そして棚から赤や白の素材を取り出すと、それらも

同じように融合させ、新たな布を作り始めた。


 赤は帯や装飾用。


 白は模様や差し色として使う。


 必要最低限。


 ……の、つもりだった。


 しかし。


「袖口にも少し入れるか。」


「いや、裾にもあった方が可愛いかの。」


「帯も赤だけでは物足りん…金糸があれば映えるか?」


 ぶつぶつと独り言を呟きながら、いつしか机の上に

は何枚もの試作品が並び始める。


 防具として必要な工程は、とっくに終わっていた。


 今や彼の頭を占めているのは、いかに可愛く仕上げ

るか、それだけである。


「……はっ!」


 我に返ったマクスウェルは咳払いを一つ。


「いかんいかん。」


「これは戦闘衣装じゃ。」


「決して、可愛い姿を見たいだけではない。」


 そう言い聞かせる。


 しかし数分後には。


「帯飾りくらいなら問題あるまい。」


 などと言いながら、再び針を手に取っていた。


 その様子を見た者がいれば、誰もがこう思った

だろう。


 完全に親バカである。


     ◇


 布が揃い、いよいよ仕立ての工程へ入る。


 糸には、着色したステラの髪を細く加工したものを

使用した。


 布と同じ素材だからこそ強度も高く、魔気力の流れ

も妨げない。


 型紙を広げ、一針ずつ丁寧に縫い進める。


 襟元は少し広めに。


 袖も動きやすいよう余裕を持たせる。


 丈は膝より少し短く。


 これは見た目ではなく、戦闘時に裾が足へ絡まない

ようにするためだった。


「ここは実用性を優先じゃ。」


 誰へともなく呟きながら針を進める。


 帯も工夫した。


 普通の帯では七歳の少女が一人で結ぶには難しい。


 そこで簡単に締められる構造とし、結び目を横へ

持ってきても自然に見えるよう細工を施す。


 見た目も。


 機能も。


 どちらも妥協はしない。


 縫っては広げ。


 着せる姿を想像し。


 少しほどいて縫い直す。


 また広げて確認し。


 さらに縫い直す。


 その繰り返しだった。


「……裁縫は得意ではないんじゃがの」


 苦笑しながらも、手は止まらない。


 針仕事で何度指を刺したか分からない。


 縫い目が曲がってはほどき、最初からやり直すこと

も何度もあった。


 それでも、不思議と苦ではなかった。


(ステラのためじゃ。)


(あの子が笑ってくれるなら、この程度どうという

ことはない。)


 その想いだけで、老人は黙々と針を動かし続ける。


 そして――。


 一か月。


 布作りと合わせ、およそ二か月もの歳月を費やした

末に。


 ついに。


 ステラだけのために作られた、一着の着物が完成

した。


完成した着物を、マクスウェルはそっと両手で持ち

上げる。


 黒を基調とした生地。


 袖や裾には赤と白の装飾。


 少女が動くたび、美しく揺れるよう細部まで計算

された一着。


 さらに膝上まで覆うソックス型の足袋。


 軽量で動きやすく、それでいて防御性能も備えた

特製のブーツ。


 すべてが、世界に一着しか存在しない。


 ステラだけのために作られた衣装だった。


 その姿を眺めながら、マクスウェルは満足そうに

頷く。


「……うむ。」


「我ながら、良い出来じゃ。」


 研究者としての評価ではない。


 一人の祖父として。


 一人の親として。


 心からそう思えた。


 もっとも。


 最初の目的は、魔物との実戦へ向けた戦闘衣装

だったはずである。


 だが、気付けば。


 防御性能を考えていた時間よりも。


 色合い。


 装飾。


 着た時の可愛らしさ。


 そんなことを考えている時間の方が、よほど

長かった。


「……いかんな。」


 苦笑しながら頭を掻く。


「途中から完全に趣味へ走ってしもうた。」


 とはいえ、後悔はまったくない。


 むしろ、これ以上ないほど満足していた。


 そして、ふと暦へ目を向ける。


「そういえば……」


 指折り数える。


「あと少しで、ステラの誕生日ではないか。」


 七歳。


 あの小さな赤子を拾ってから、もう七年。


 長かったようで、あっという間だった。


「ならば、ちょうど良い。」


 戦闘衣装として渡すより。


 誕生日プレゼントとして贈った方が、きっと喜んで

くれる。


「決まりじゃな。」


 そう呟く老人の顔は、どこか少年のようだった。


     ◇


 それから数日。


 マクスウェルは妙に落ち着かなかった。


 工房へ入っては着物を眺め。


 畳んでみては広げ。


 また細かな糸のほつれがないか確認する。


「……問題なし。」


 数分後。


「いや、やはりもう一度確認しておくか。」


 再び広げる。


 そんなことを一日に何度も繰り返していた。


 完全に親バカである。


 それでも本人は気付いていない。


(……喜んでくれるじゃろうか。)


 その一言だけが、何度も頭を巡る。


 魔法を教えた時も。


 木刀を渡した時も。


 もちろん喜んではくれた。


 だが、今回は少し違う。


 これは修行道具ではない。


 純粋な誕生日プレゼント。


 だからこそ、妙に緊張してしまう。


「……落ち着かんのぉ。」


 苦笑しながら椅子へ腰掛ける。


 そんな老人の様子など知らず、外ではステラが元気

いっぱいに木刀を振っていた。


 もう少し。


 あと少しで。


 その姿は、この着物へ変わる。


 そう思うだけで、自然と口元が緩んでしまうの

だった。


そして――。


 待ちに待った日がやってきた。


 ステラ、七歳の誕生日。


 朝からマクスウェルはどこか落ち着かない。


 何度も家の中を歩き回り、時計を見ては窓の外を

見る。


(まだ朝じゃ。)


(……いや、もう昼か。)


(夜までは長いのぉ。)


 普段なら研究へ没頭している時間でさえ、今日は

集中できなかった。


 着物を取り出しては畳み直し。


 また箱へしまう。


 そんなことを何度繰り返したか分からない。


 一方、そのことなど知らないステラはいつも通り

だった。


 朝は畑仕事を手伝い。


 昼は魔法と剣術の修行。


 休憩時間には森の小鳥と遊び、夕方には笑顔で

夕食の支度を手伝う。


 そんな何気ない一日が、ゆっくりと過ぎていく。


 そして夜。


 食卓には、いつもより少し豪華な料理が並んでいた。


「わぁ……!」


 ステラは目を輝かせる。


「きょう、ごちそうだ!」


「今日は特別な日じゃからの。」


「たんじょうび!」


「そうじゃ。」


 二人は向かい合って席へ座る。


 料理を食べながら、今日あった出来事を話し合う。


 笑い声が絶えない、穏やかな時間だった。


 やがて食事を終え、お茶を飲みながら一息ついた

ところで。


 マクスウェルは静かに立ち上がる。


「ステラよ。」


「ん?」


「実は、ささやかではあるが……お前に渡したいもの

がある。」


「わたしに?」


 不思議そうに首を傾げる少女。


 その姿へ自然と笑みが零れる。


「誕生日プレゼントじゃ。」


「ぷれぜんと?」


 その言葉を聞いた瞬間、桃色の瞳がぱっと輝いた。


 マクスウェルは部屋の隅へ置いてあった大きな包み

を両手で抱え上げる。


 ゆっくりと机の上へ置き。


 一呼吸。


「これじゃ!」


 勢いよく布を取り払う。


 ふわり。


 黒を基調とした着物が照明の光を受け、美しく

広がった。


 赤と白の装飾が映え、静かな気品を漂わせている。


 その瞬間。


 ステラは言葉を失った。


 瞳を丸くし、小さく口を開けたまま着物を見つめて

いる。


 やがて――。


「わぁぁぁぁぁっ!」


 弾けるような笑顔が咲いた。


「すごくきれい!」


「これ……これ、くれるの!?」


 その声には隠しきれない喜びが溢れていた。


 マクスウェルは優しく頷く。


「もちろんじゃ。」


「ステラも、もう立派な女の子じゃからの。」


「それに、これから先は実戦も増える。」


「ちゃんとした戦闘衣装が必要じゃと思ってな。」


 少し照れくさそうに頭を掻きながら続ける。


「……着て、くれるかの?」


 一瞬の沈黙。


 次の瞬間。


「着るっ!」


「着る、着るーっ!」


 満面の笑みで飛びついてくる。


 勢いそのまま胸へ飛び込んできた少女を、

マクスウェルは慌てて受け止めた。


「ありがとう、おししょうさま!」


 その一言だけで。


 二か月かけた苦労は、すべて報われた気がした。


(……よかった。)


(本当に、喜んでくれた。)


 自然と頬が緩む。


 今この瞬間だけは。


 世界最高の魔法よりも。


 どんな研究成果よりも。


 少女の笑顔の方が、何倍も価値があるように思えた。


マクスウェルは優しく微笑むと、箱の中から大切そう

に着物を取り出した。


「ほれ、こちらへ来るのじゃ。」


「うん!」


 ステラは嬉しそうに駆け寄ってくる。


 本来なら、一人でも着られるよう工夫した作りに

なっている。


 帯も簡単に締められ、袖も動きやすさを重視して

仕立ててある。


 それでも――。


(最初くらいは、わしが着せてやりたい。)


 そんな想いが自然と胸へ浮かんでいた。


「ばんざいしてみるのじゃ。」


「こう?」


 小さな両腕を精一杯広げる。


 その姿が可愛らしく、思わず頬が緩む。


「そうじゃ、そのままで良い。」


 袖へ腕を通し。


 襟元を丁寧に整え。


 皺が残らないよう一つひとつ確認しながら帯を

締めていく。


 まるで壊れ物を扱うように。


 ゆっくりと。


 優しく。


 世界に一人だけの大切な娘へ着せるように。


 そうして最後に帯を整え終えると、マクスウェルは

一歩後ろへ下がった。


「……よし。」


 その瞬間だった。


 そこへ立っていたのは――。


 一人の可憐な少女。


 黒を基調とした着物に、赤い装飾が鮮やかに映える。


 白銀の髪と透き通るような白い肌が、その黒をさら

に際立たせ、淡い桜色の毛先が柔らかな彩りを添えて

いた。


 まるで夜空へ一輪だけ咲いた花のような、美しくも

幻想的な姿。


 マクスウェルは思わず息を呑む。


(……なんじゃ。)


(これは。)


 自分で作ったはずなのに。


 想像していた何倍も似合っている。


 ただ可愛いだけではない。


 どこか気高く、それでいて幼さも残る。


 少女らしい愛らしさと、凛とした美しさが見事に

調和していた。


「わぁ!」


 ステラはぱっと笑顔を咲かせる。


「すごくかわいい!」


 嬉しそうに両腕を広げ、その場でくるりと一回転。


 ふわり。


 袖が風を受けて舞い、裾が花びらのように揺れる。


 もう一度。


 くるり。


 また一度。


 嬉しそうに何度も回るその姿は、まるで森の中を

舞う妖精のようだった。


 その様子を見つめながら、マクスウェルは静かに

目を細める。


 胸の奥から熱いものが込み上げてきた。


(……ここまで生きてきて、良かった。)


 数十年という長い年月。


 魔法を極め。


 研究へ人生を捧げ。


 数え切れないほどの成果を残してきた。


 それでも。


 今この瞬間ほど心が満たされたことは、一度も

なかった。


「ねぇ、ねぇ!」


 くるりと回るのを止めたステラが、期待に満ちた

瞳で見上げる。


「おししょうさま!」


「このふくのなまえは、なんていうの?」


 その問いに、マクスウェルは「あっ」と小さく声を

漏らした。


「名前……か。」


 そこまでは考えていなかった。


 しばらく腕を組み考え込む。


 黒。


 赤。


 闇のような色彩。


 そして、その闇の中でも美しく咲き続ける少女。


 ふっと一つの名が浮かんだ。


「そうじゃな。」


「もし名前を付けるなら――」


「『常闇のユリ』」


「……なんて、どうじゃ?」


 ステラは小首を傾げる。


「とこやみの……ゆり?」


「うむ。」


「黒は永遠に続く闇を。」


「そして、その闇へ咲く赤い花を百合に見立てた

名じゃ。」


「お前によく似合うと思っての。」


 その説明を聞いたステラは、少しだけ考え込み――。


 やがて、満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ!」


「ユリちゃんだね!」


 嬉しそうに着物をぎゅっと抱き締める。


 そうして、その日から。


 その着物は『常闇のユリ』ではなく。


 ステラにとっては、大切な友達のように。


 **『ユリ』**という名前で呼ばれるようになった。


 それからもしばらく。


 鏡の前で眺めては笑い。


 くるくる回っては袖を揺らし。


 また鏡を見ては照れ笑いを浮かべる。


 そんな姿を何度も繰り返していた。


 その様子を見守るマクスウェルは――。


(可愛い。)


(可愛すぎる……!)


(わしは、きっとこの瞬間のために生まれてきたの

じゃ!)


 心の中で何度も叫ぶ。


 もはや、防具を作るという本来の目的など頭の

片隅にも残っていない。


 そこにいるのは、大賢者でも研究者でもなかった。


 ただ一人、娘の成長へ心を奪われた親バカな老人

だけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。