第6話_魔法
季節は巡り、ステラは今日も元気いっぱいに成長して
いた。
身長は百センチを優に超え、幼さを残しながらも、
その桃色の瞳にはどこか凛とした力強さが宿り始め
ている。
今日は久しぶりの散髪の日だった。
「前髪が伸びてきたのぉ」
椅子へ座るステラの前髪は目元へ掛かり、少し鬱陶
しそうだ。
長く伸びた髪は腰の辺りまで届いている。
もちろん切ろうと思えばもっと短くできる。だが、
それはマクスウェルの好みではなかった。ただ長い髪
が好き、それだけの理由である。
しかし、その髪を切ることは年々難しくなっていた。
魔力と気力、その両方を内包する身体から生えた髪は、
毛先だけが淡い赤色へ変化していた。触れれば柔らか
くさらさらとしているのに、普通の鋏では刃の方が
欠けてしまう。強化魔法を施した刃でようやく切れる
ほどだった。
研究者として興味を抱いたマクスウェルは、散髪の
たびに髪を袋へ集めるようになっていた。
「よし、これで良いのじゃ」
「おししょうさま、ありがとう!」
散髪を終えたステラは外へ飛び出し、ぶんぶんと頭を
振って切れ毛を落としている。
(まるで犬じゃな)
その姿にマクスウェルは思わず笑みを浮かべた。
◇
気が付けば、ステラも五歳になっていた。
修行を始めてから早くも三年。
死の淵をさまよったこともあれば、常識では考えら
れない奇跡を何度も見せられた。
驚かされ、肝を冷やし、時には命まで削るような
日々。
それでもステラは、一歩ずつ確実に成長を続けて
いる。
今では毎日、魔力と気力を増やす修行を当たり前の
ようにこなし、その基礎は十分と言ってよいほど身に
ついていた。
(そろそろ次の段階へ進めてもよい頃かの)
マクスウェルは顎へ手を添え、静かに思案する。
魔法。
剣術。
格闘術。
教えるべきことは、まだ数え切れないほどある。
だが、自分もすでに六十七歳。
いつ何が起きても不思議ではない年齢だ。
だからこそ、自分が生きているうちに、この世界を
生き抜くための術を一つでも多く伝えておきたかった。
知識も、技術も、経験も。
残せるものは、すべて残してやりたい。
(……となると、やはり最初は魔法からじゃな)
そう結論を出したマクスウェルは、小さく頷いた。
それから数日をかけて教える順番を整理し、新たな
修行の日を迎えるのだった。
◇
二人が向かった先は、見渡す限り草原が広がる場所
だった。
かつてマクスウェルの研究による大爆発が起こり、
ステラがこの世へ生まれ落ちた場所である。
今では巨大なクレーターも埋め戻され、草木が芽吹
き、あの日の痕跡はほとんど残っていない。
「まずは空間魔法から教えるかの」
「くうかんまほう? ひとかみずとかじゃないの?」
普通なら火や水の魔法から教える。その方が目に
見える変化があり、修行も楽しいからだ。
しかし、マクスウェルは静かに首を横へ振った。
「魔法とは、この世界の理の上で成り立つ技術じゃ。
火魔法だから火を生み出す。
水魔法だから水を生み出す。
それは自らの知識で想像し、自らの魔力で創造する 力なのじゃ。」
そう言うと、マクスウェルは足元の小石を拾い
上げた。
「しかしじゃな、この石も、空気も、水も、人の
身体も、魔力も。すべては空間の中に存在しておる。
この空間をどれだけ認識できるかどうかで魔法の
質が変わってくるのじゃ。」
ステラは真剣な眼差しで耳を傾ける。
「それにじゃな、結局のところ魔法を極めた者ほど
最後は空間へ辿り着くようになっとる。
逆に最初から空間を理解できれば、その後に覚える
すべての魔法が格段に扱いやすくなるのじゃ。
じゃから、お主には最初にこれを教える」
「わかった! おししょうさま!」
「では、よく見ているのじゃ」
マクスウェルは静かに目を閉じ、小さく息を整える。
左手をゆっくり前へ差し出すと、体内を巡る魔力が
魔力経路を通って腕へ集まり始めた。
やがて青白い魔力が指先から静かに溢れ出す。
その光は風もないのにゆらゆらと揺れ、生き物の
ように空中を漂っていた。
「……感じるのじゃ」
呟くと同時に、魔力が目の前の空間へ溶け込んで
いく。
次の瞬間。
景色が、水面へ石を落としたように静かに波紋を
広げた。
空気そのものが柔らかな布へ変わったかのように、
ゆっくりと伸び、縮み、草木も大地も空さえもわずか
に歪む。
「これが人の体にあった魔力を認識し、その魔力を
操作して取り出し、大気という空間へ干渉させる
ということじゃ」
「すごい……」
ステラは目を輝かせる。
「どうじゃ、やれそうかの?」
「やってみる!」
ステラは迷うことなく右手を前へ差し出した。
普通なら魔力を集めるだけでも時間が掛かる。
しかし、その小さな掌には一瞬で魔気力が集まり
始める。
淡く銀白色に輝く光が、指先へ静かに集束していく。
雪のように澄み切った銀白色。
その中へ、桜の花びらを溶かしたような淡い桃色が
ゆっくりと溶け込み、二つの色は決して濁ることなく
一つの輝きとなった。
神秘的でありながら、どこか温もりを感じさせる光。
それはこれまでマクスウェルが見てきた魔力とも、
気力とも違う。
世界でただ一つ、ステラだけが宿す『魔気力』
だった。
銀白色と淡い桜色の光は、花びらが風へ舞うように
静かに空間へ溶け込んでいく。
その軌跡をなぞるように景色がゆっくりと揺らぎ
始めた。
ぐにゃり。
空間は大きく歪み、縮み、伸び、波打つ。
まるで世界そのものが、少女の小さな手に優しく
応えているかのようだった。
「……は?」
思わずマクスウェルの口から間の抜けた声が漏れる。
普通なら空間へ干渉できるようになるまで数か月。
自在に扱えるようになるには何年もの鍛錬が必要だ。
それを、この少女はたった一度見ただけで再現して
しまった。
しかも、その制御は初めてとは思えないほど自然
だった。
空間は粘土細工のように、小さな指の動きへ素直に
従っている。
「こんなかんじ?」
無邪気な笑顔。
だが、その光景は世界中の魔法使いが見れば卒倒
するほど非常識だった。
(……またじゃ)
マクスウェルは額へ手を当て、小さく笑う。
(この子は、わしの常識を壊すことしかしない)
「……十分じゃ。今日からは、その感覚をもっと自在
に扱えるよう身体へ覚え込ませるのじゃ」
「はい、おししょうさま!」
こうしてステラには、新しい遊びが一つ増えたのだった。
◇
それからというもの、ステラは毎日のように
空間魔法で遊び続けていた。
最初は空間を伸ばしたり縮めたりするだけだった。
しかし、その遊びは日を追うごとに大胆になって
いく。
木を圧縮して細くしてみたり。
岩を押し潰して丸めてみたり。
土を引き伸ばして縄のようにしたり。
空間へ干渉する感覚を覚えたステラは、周囲の
あらゆる物を玩具のように扱い始めていた。
その吸収速度は異常だった。
普通の魔法使いなら数年掛けて身に付ける技術を、
少女は遊びの延長で覚えてしまう。
そして、ある日のこと。
「おししょうさま、みてみて! そらにおえかき
できるようになったよ!」
嬉しそうに空を指差すステラ。
見上げた先には、白い雲で描かれた鳥や動物たち
が空一面を駆け回っていた。
「……なん、じゃ、これは」
言葉を失うマクスウェル。
「こうするの!」
ステラは銀白色へ淡い桜色が溶け込んだ魔気力を
指先へ集める。
花びらが舞うような光は空高く伸び、雲へ優しく
触れた。
すると雲は糸のように細く伸び、時には千切れ、
時には集まり、一枚の大きな絵へ姿を変えていく。
空という巨大なキャンバスへ、少女は自由に絵筆を
走らせていた。
「すげー……」
「どう? じょうずにかけた?」
ステラは雲を操ったことよりも、絵の出来栄えの
方が気になるらしい。
「すごいのじゃ。うまい、うまい」
満面の笑みで頭を撫でる。
(いや……そもそも、あんな上空まで魔力を飛ばす
ことなど不可能じゃ)
普通なら魔力は途中で霧散する。
だがステラの魔気力は違う。
最近になり、マクスウェルも少しずつ魔気力の正体
へ近付き始めていた。
通常の魔法使いが放つ魔力は細い一本の糸のような
流れだ。
しかし、放出される魔気力は極太のしなやかな奔流。
それは気力が持つ強化するという力と魔力の柔軟に
変化させる万能力という、お互いの強味が深く
交じりあった結果であろう。
本来なら気力が魔力経路を塞いでしまう。
だが、ステラの身体では大量の魔力と気力が
滞ることなく流れ続けることができる極太の魔力経路
がある。
その経路の中で魔力と気力が自然に混ざり合い、
一体化しているのだ。
だからこそ、魔力は霧散せず、遠く離れた雲へ届く。
まるで気力が魔力を鎧のように包み込み、守って
いるかのようだった。
(やはり……魔気力は、魔力と気力が完全に融合した
新しい力なのじゃ)
「えへへー!」
自慢げに笑いながら、ステラは今日も雲をぐにぐに
と形作って遊ぶ。
少女は空という、この世で最も大きなキャンバスを
手に入れたのだった。
◇
それからしばらくして――。
マクスウェルが夕食の支度をしていた、その時
だった。
ドオオオオオオンッ!!
空気を震わせる轟音が、家のすぐ近くから響き
渡った。
「な、何事じゃ!?」
マクスウェルは手にしていた調理器具を置き、
慌てて外へ飛び出した。
そこで目にしたのは、全身びしょ濡れになった
ステラと、真っ二つに裂けて燃えている一本の大木
だった。
地面には泥水が飛び散り、裂けた幹の断面からは
白い煙が立ち上っている。
ステラはゆっくりとこちらを振り返った。
「あ、おししょうさま……てへっ」
見つかってしまった。
そんなことを顔全体で物語る、子どもらしい苦笑い
だった。
マクスウェルは大木から空へ視線を移す。
晴れていたはずの空には、一か所だけ黒い雲が渦を
巻いていた。
雲の内側では、今も細かな稲光が走っている。
(……雷を落としたのか)
だが、ただの雷魔法ではない。
通常であれば、自らの魔力を雷という現象へ変換し、
それを目標へ放つ。
生み出された雷は、術者の魔力によって形を与えら
れた一時的な現象だ。
魔力の供給が途切れれば、そこで消える。
しかし、ステラが引き起こしたものは違っていた。
まず魔気力によって、自らが想像した雷魔法を
形作る。
さらに空間魔法で上空の空気と雲へ干渉し、水分を
集め、雲を圧縮し、その内部に電荷の偏りまで生み
出している。
自ら生み出した雷へ、本物の自然現象を織り交ぜて
いたのだ。
魔気力によって作られた雷。
自然界で発生した雷。
その二つが重なり合い、一つの落雷となって大木へ
突き刺さった。
だからこそ、威力が桁違いだった。
(魔気力そのものの出力だけでも並の魔法使いを遥か
に超えておる)
(そこへ自然の力まで上乗せしておるのか……)
自らが創造した魔法を魔気力で作り出し、その魔法
へ周囲の自然現象を組み込んで完成させている。
魔法と自然。
二つの力を同時に扱う、複合型とも呼ぶべき魔法
だった。
そしてそれは、大賢者であるマクスウェルといえど
も何年もの月日を修行で費やし会得した力だ。
「はぁ……お主はまったく」
マクスウェルは深くため息をつく。
「とりあえず風呂へ入ってくるのじゃ。それと、
こういう危険な魔法は一人で試してはならん」
普段よりも少しだけ強い口調だった。
マクスウェルが本気で怒ることは滅多にない。
だからこそ、その声の違いは幼いステラにも
伝わった。
「……ごめんなさい」
肩を落とし、とぼとぼと風呂場へ向かっていく。
「ステラ」
呼び止められた少女が、不安そうに振り返った。
マクスウェルはその前で膝をつき、濡れた白い髪を
優しく撫でる。
「危険なことをしたのは確かじゃ。次からは必ずわし
へ相談するのじゃぞ」
「はい……」
「じゃが、お主が自分で考え、ここまでの魔法を
作り上げたことは本当にすごい。よく頑張ったの」
しょんぼりしていた顔が、少しずつ明るさを取り
戻す。
「おししょうさま!」
ステラは勢いよく抱きついた。
「よしよし」
師匠と弟子。
そして、まるで親と子のような関係。
褒めるだけではいけない。
危険なことは、きちんと叱らなければならない。
そう理解していても、怒ることに慣れていない
マクスウェルなのであった。
◇
やがて季節は冬となり、死の森にも白い雪が降り
始めた。
「今日は火魔法を教えるのじゃ」
寒い季節には火が一番。
実に単純な理由である。
もっとも、魔気力で常に全身を覆っているステラに
は、寒さなどほとんど関係ないのかもしれない。
火魔法を覚えるまでに、それほど時間は掛からな
かった。
ステラはすでに水を温め、暖炉へ火を灯すという
行為を、マクスウェルの真似をしながら自然に身に
つけていたからだ。
だが、改めて魔法として観察すると、そこにも
大きな違いがあった。
普通の火魔法は、魔力を炎へ創造したものだ。
見た目も熱も本物の炎に近い。
しかし、それを維持しているのはあくまで本人の
魔力である。
魔力の供給が途切れれば、燃やす物が存在していた
としても、魔法によって生み出された炎そのものは消えてしまう。
一方、ステラはまず魔気力で炎を作り出す。
それだけなら、原理は一般的な火魔法と変わらない。
だが同時に空間魔法を使い、周囲の空気を引き寄せ、
炎へ酸素を送り込み、熱が逃げないよう周囲の空間
まで整えていた。
魔気力によって生み出した炎を核とし、そこへ自然
の燃焼現象を重ね合わせているのだ。
その瞬間、魔法の炎は本物の炎へと変わる。
ステラが魔力の供給を止めても、燃える物と酸素が
ある限り消えることはない。
(普通の魔法使いは、魔力だけで魔法を完成させる)
(じゃがステラは、魔気力で魔法の核を作り、
空間魔法で自然の力を織り込んでおる)
(だから魔気力そのものの大出力へ、さらに自然現象
の力が上乗せされる)
魔法の威力が足し合わされるのではない。
互いを高め合い、さらに大きな現象へ成長していく。
ステラは外へ出ると、身体の周囲へいくつもの炎を
浮かべた。
銀白色に淡い桜色が混ざる魔気力の中で、赤橙色の
炎が花びらのように舞う。
「わぁ……!」
炎をまとったまま走り回り、くるくると回転する。
舞い散る炎が雪へ触れるたび、白い地面から湯気が
立ち上った。
小枝を燃やし、積もった雪を溶かし、ステラは
楽しそうに火魔法を試していく。
その結果、家の周囲だけ雪がほとんど積もらなく
なった。
「一家に一台……いや、一人かの」
優秀過ぎる除雪道具の誕生である。
◇
そして、ある冬の夜。
「みてみてー、おししょうさま!」
ステラはマクスウェルの手を引き、庭へ飛び出した。
冷たい空気の中で、小さな両手を夜空へ向ける。
魔気力が集まり、その中心へ赤い炎が灯った。
炎は空間魔法によって圧縮され、輝く火球へ
変わっていく。
「いくよー!」
放たれた火球は、尾を引きながら夜空を駆け
上がった。
魔気力の膜に守られているため、上空へ向かう途中
でも炎は霧散しない。
さらに火球は周囲の空気を取り込みながら、少し
ずつその力を増していく。
やがて雲へ届くほどの高さへ昇った、その瞬間。
バァアアアアン!!
轟音とともに火球が弾けた。
閉じ込められていた炎と熱が解放され、無数の火花
となって夜空いっぱいへ広がっていく。
赤。
橙。
金。
そして銀白色の輝きの中を、淡い桜色の光が星屑の
ように流れていく。
空間魔法によって整えられた火花は、ただ散るので
はなく、大きな花の形を作って夜空へ咲き誇った。
「おおお……」
マクスウェルは声を失い、空を見上げる。
「きれいじゃな……」
「えへへー! すごいでしょ!」
ステラは何度も火球を打ち上げた。
次々と咲く光の花。
その一つひとつが夜空を照らし、雪に覆われた大地
を昼のように明るく染めていく。
マクスウェルは隣で笑うステラへ目を向けた。
寒い冬の夜。
ここにいるのは、たった二人。
それでもマクスウェルにとって、この時間は何物に
も代え難いほど幸福だった。
静かな死の森の夜空に、ステラの笑顔と色とりどり
の花火が、いつまでも咲き続けていた。




