第4話_体の異変
新しい修行を始めてから、一年の月日が流れた。
ステラはもうすぐで三歳になり、身体も少しずつ
大きくなっていた。
肩ほどだった白い髪は、今では背中を覆うほど
長く伸びている。
陽の光を受けると絹糸のような艶を帯び、あと少し
もすれば腰へ届きそうだった。
言葉も以前よりずっと滑らかになり、家の中では
朝から晩まで明るい声が響いている。
そして、修行の成果も確実に現れていた。
魔力核へ限界近くまで魔力を満たし、その器を少し
ずつ押し広げる。
初めの頃は、マクスウェルが付きっきりで魔力を
送り込み、循環を補助しなければならなかった。
だが今では、ステラは自分自身の力で修行を行える
ようになっていた。
それを初めて知ったのは、三か月ほど前のこと
だった。
◇
その日、マクスウェルはリビングの片付けをして
いた。
机の上へ積まれた書物を棚へ戻し、床へ散らばった
紙を一枚ずつ拾い集めていく。
「まったく……少し目を離しただけで、なぜこうも
散らかるのじゃ」
もっとも、散らかした原因の半分以上は自分である。
研究へ夢中になると、読み終えた本や書き損じた
紙を、その場へ放置してしまう。
以前なら誰も気にしなかった。
だが今は、ステラが家中を元気に走り回る。
床に物を置いたままにすれば、転ぶかもしれない。
「片付けも修行の一つと思えばよいかのぉ……」
誰に聞かせるでもなく呟いた、その時だった。
「おししょうさまー!」
廊下の奥から、ステラの声が聞こえた。
ぱたぱたと小さな足音が近づいてくる。
「走るでないぞ。転ぶ――」
言い終えるより先に、白い影が勢いよく飛び込んで
きた。
「おっと!」
マクスウェルは咄嗟に左腕を広げ、飛びついてきた
ステラを受け止める。
小さな身体が胸元へぶつかり、そのままぎゅっと
抱きついてきた。
「どうしたのじゃ、そんなに慌てて」
ステラは顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。
「おししょうさま、ひとりでひかれるようになった!」
「……何?」
最初は、言葉の意味が理解できなかった。
だが、改めてステラの姿を見た瞬間、マクスウェル
は完全に言葉を失った。
ステラの身体が、淡く光っていた。
白い肌の内側から滲み出す、柔らかな輝き。
魔力核へ限界近くまで魔力を満たした時に現れる、
あの光だった。
さらに、額からは大粒の汗が流れ、服も肌へ張り
付いている。
誰かに魔力を送り込まれた様子はない。
当然だ。
この家には、マクスウェルとステラしかいない。
「おししょうさま?」
返事をしないマクスウェルを、不思議そうに
見上げる。
「ど、どどど、どうやったのじゃ?」
自分でも驚くほど声が裏返った。
長い人生の中で、これほど取り乱したことは滅多
にない。
ステラは首を傾げ、少し考える。
「うんとね、なんかね、いっぱいすったらできたの」
「いっぱい……吸った?」
「うん!」
何を吸ったのか。
考えるまでもない。
大気中に満ちるマナだ。
ステラは自らの意思で周囲のマナを取り込み、
それを魔力へ変換し、魔力核を限界まで満たしたのだ。
「まさか……」
マクスウェルは息を呑む。
「一人で、魔力吸収を覚えたというのか……?」
通常、人は大気中のマナを無意識に取り込んでいる。
しかし、その量は僅かだ。
意思を持って大量に吸収し、自らの魔力へ変える
など、マクスウェルでさえできない。
彼がステラへ魔力を満たす時も、自分の体内にある
魔力を直接送り込んでいた。
大気中のマナをそのまま利用できるのであれば、
他者の助けを借りる必要すらない。
(わしにもできぬことを、誰にも教わらず身につけた
……?)
驚き。
困惑。
そして、それ以上の喜び。
あらゆる感情が一度に押し寄せる。
(本当に……わし以上の逸材かもしれん)
気が付けば、マクスウェルはステラを高く抱き上げ
ていた。
「よくやった! ステラ、これは本当にすごいこと
ゃぞ!」
「すごい?」
「すごいとも! わしにもできぬことを、おぬしは
一人でやってのけたのじゃ!」
「すごい! すごい!」
マクスウェルが頬を擦り寄せると、ステラも嬉し
そうに頬を擦り返してきた。
すりすり。
すりすり。
淡い光を放つ身体は、驚くほど温かかった。
冬ならば、抱いているだけで暖房代わりになりそう
な温度である。
だが、今は夏。
「……あついのぉ」
「ステラ、あったかい?」
「あったかいというより、少々暑いわい」
それでもマクスウェルは、しばらくステラを離そう
とはしなかった。
「おししょうさま、うれしい?」
「もちろんじゃ」
「えへへ」
ステラはマクスウェルの嬉しそうな顔を見て、
さらに楽しそうにはしゃいでいる。
やがて彼はステラを床へ下ろし、汗で濡れた白い髪
を撫でた。
「随分と汗をかいたのぉ。風呂を準備するとしよう」
「おふろはいる!」
ステラは淡く発光したまま、無邪気に飛び跳ねる。
その姿を眺めながら、マクスウェルは笑みを
浮かべた。
だが、胸の奥では別の考えが芽生えていた。
(自分でできるようになったのは喜ばしい。じゃが、
やり過ぎれば危険じゃ)
この修行は、本来なら大人でさえ慎重に行うものだ。
ましてステラは、まだ三歳。
自分の限界を正しく判断できるとは限らない。
(これまで以上に、よく見ておかねばならんな)
淡い光をまといながら、嬉しそうに風呂場へ向かう
ステラ。
マクスウェルはその背中を見つめながら、静かに
決意した。
◇
それからというもの、ステラは食事と睡眠の時間を
除き、ほとんど常に淡く光り続けるようになった。
歩いている時も。
庭で遊んでいる時も。
本を読んでもらっている時でさえ。
身体は柔らかな光に包まれている。
事情を知らない者が見れば、神の使いか、あるいは
本物の神だと思ったかもしれない。
「常に光っていて、苦しくはないのかの?」
ある日、マクスウェルは心配になって尋ねた。
以前は魔力核を限界まで満たすたび、苦しそうに汗
を流していた。
だが、今のステラは平然としている。
「そこまでくるしくないよ?」
「本当か?」
「うん。あせがでるくらい」
そう言いながら、額の汗を袖で拭う。
確かに息は乱れていない。
表情にも苦痛は見られなかった。
しかし、常に汗を流し続けているということは、
それだけ身体へ熱と負担がかかっているということ
でもある。
今は平気でも、後から異変が起きる可能性はある。
「少しでも苦しくなったら、必ずわしへ言うのじゃぞ」
「はーい!」
「本当に分かっておるのかのぉ……」
元気よく返事をしながら駆け出していくステラを、
マクスウェルは不安そうに見送った。
それからは、できる限り彼女から目を離さないよう
になった。
だが、当の本人は自分の身体が光ることを、
すっかり新しい遊びとして楽しんでいる。
暗い部屋へ入り、自分の光で周囲を照らしてみたり。
布を頭から被り、その内側が光る様子を眺めたり。
時には、光の強さを変えようとして、さらに多くの
マナを吸い込もうとする。
「こら! それ以上は吸うでない!」
「もっとぴかぴかする!」
「ぴかぴかせんでよい!」
そんなやり取りが、毎日のように続いた。
修行を始めてから一年。
ステラの魔力総量は、すでにマクスウェルのおよそ
三倍にまで膨れ上がっていた。
大賢者と呼ばれた男の三倍。
三歳の子どもが持つ量としては、あまりにも異常
だった。
それでもステラは毎日楽しそうに光り続ける。
その姿を見ていると、マクスウェルはどこか自分に
似ているような気がしてならなかった。
(遊び道具がないなら、自分を使えばよい……か)
かつての自分も、研究のためと称して何度も自らの
身体を実験台にした。
危険だと理解していても、興味が勝れば止まれない。
「……こういうところだけは、本当に親子のよう
じゃな」
小さく呟くと、庭で光りながら走っていたステラが
振り返る。
「おししょうさま、いまなにかいった?」
「何でもないわい。転ぶでないぞ」
「はーい!」
その日は、ステラの三歳の誕生日だった。
二人はいつもより豪華な料理を並べ、ささやかで
ありながらも盛大に祝い合った。
マクスウェルは、嬉しそうに料理を頬張るステラを
眺めながら思う。
この子は強くなった。
これからも、さらに大きく成長していくだろう。
その未来を、何の疑いもなく信じていた。
◇
異変が起きたのは、それから数か月後のことだった。
その朝は、いつもと何一つ変わらない朝だった。
季節は冬。
家の周囲にはうっすらと雪が積もり、吐く息は白く
染まる。
マクスウェルは目を覚まし、隣のベッドへ視線を
向けた。
そこにいるはずのステラの姿はない。
「もう起きたのか」
三歳になったステラは、一人で目覚めることも
増えていた。
マクスウェルは朝食を作ろうと部屋を出る。
しかし、廊下へ足を踏み出した瞬間、その足が
止まった。
床に赤い雫が落ちていた。
それは一本の線となって、リビングへ続いている。
「……血?」
胸騒ぎがした。
彼は血痕を追うように走り出す。
◇
「ステラ!!」
リビングへ飛び込んだ瞬間、目の前の光景に息を
呑んだ。
ソファの前で、ステラが血だまりの中へ倒れていた。
白い髪も、服も、小さな手も、真っ赤な血で
染まっている。
「ステラ!」
抱き起こすと身体は冷たく、弱々しい呼吸だけが
残っていた。
「返事をするのじゃ!」
すぐに回復魔法をかける。
しかし血は止まらない。
もう一度。
さらに強く。
それでも結果は同じだった。
「なぜじゃ……!」
傷は見当たらない。
それなのに全身から血だけが滲み続けている。
暖炉へ火を入れ、部屋を暖める。
冷え切った身体を温めながら、マクスウェルは必死
に原因を探った。
昨日まで元気だった。
毎日笑いながら光り、「おししょうさま!」と抱き
ついてきた。
その姿が脳裏をよぎる。
そして、一つの答えへ辿り着いた。
「……そうか」
ステラの魔力量は、自分の三倍を超えている。
幼い肉体が、その膨大な魔力へ耐え切れなくなった
のだ。
「肉体が……魔力に負け始めたのか!」
震える指先で再び身体を調べる。
裂けた傷はない。
それでも皮膚の表面から血が噴き出し続けていた。
回復魔法をかけると一瞬だけ止まる。
しかし、すぐに新しい血が滲み出る。
「内側から破壊され続けておる……!」
その言葉とともに、マクスウェルの額を冷たい
汗が流れた。
このままでは、血が尽きてしまう。
マクスウェルは焦っていた。
回復魔法が効かない症状など、長い研究人生の中
でも一度として経験したことがない。
「そうか……魔力を一時的に放出すれば!」
閃いた彼は、以前と同じようにステラの体内へ
意識を向ける。
魔力循環を利用し、溢れた魔力を体外へ逃がして
いく。
すると、一度だけ血は止まった。
「よし……!」
だが、その安堵は一瞬だった。
ステラの身体は再び淡く輝き始め、大気中のマナが
吸い寄せられるように集まってくる。
次の瞬間、再び血が滲み始めた。
「無意識で吸収しておるのか!」
毎日のように発光して遊んでいたステラ。
その遊びの中で、本人も気付かぬうちにマナの吸収
を身体が覚えてしまっていたのだ。
焦りだけが募る。
(このままでは間に合わん……!)
考えろ。
必ず助ける方法があるはずだ。
そして、一つの結論へ辿り着く。
「肉体そのものを強くするしかない!」
壊れているのは魔力ではない。
膨大な魔力へ耐えられない身体だ。
ならば、器そのものを強化すればいい。
マクスウェルは迷うことなく、身体強化魔法を
ステラへ施した。
――身体強化魔法。
一言で言えば単純な魔法に思えるが、その実態は
決して容易なものではない。
自らの魔力を他者へ流し込み、その魔力を相手の
魔力と寸分違わず同調させる。
さらに、全身を巡る魔力を細胞の一つひとつへ染み
渡らせ、生命力そのものを活性化させなければなら
ない。
それはまるで、針の穴へ糸を通し続けるような、
気の遠くなるほど繊細な作業だった。
普通だったらそこまで気を配る必要はないが、今の
マクスウェルは、それだけではない。
暴走しかけた魔力を体外へ放出し続けながら、
傷付き続ける肉体へ回復魔法を絶え間なく施し、
さらに身体強化魔法を維持する。
三種類もの高度な魔法を同時に制御するなど、
大賢者と呼ばれたマクスウェルですら滅多に行うこと
のない離れ業である。
額から汗が流れ落ちる。
少しでも集中が乱れれば、どれか一つの魔法が崩れ、
ステラの命は失われる。
それでも彼は一切手を止めなかった。
絶対に諦めない。
諦めてなるものか。
そんな気の遠くなる作業をしばらく続けると、皮膚から溢れ続けていた血が、少しずつ止まり始めた。
「止まった……」
深く息を吐く。
しかし安心はできない。
ステラは、死んでもおかしくないほど大量の血を
失っていた。
今もなお、生死の境をさまよっている。
(くそっ…目を離してはならなかったはずじゃろう!)
マクスウェルは自分を強く責めた。
◇
それからの一週間。
マクスウェルは眠ることなくステラへ付き添い
続けた。
身体強化魔法を維持し、溢れそうになる魔力を
放出し、傷付いた身体へ回復魔法をかけ続ける。
食事も睡眠も最低限。
ただ一人の弟子を助けるためだけに、すべてを
注いだ。
そして一週間後――。
「……おし、しょうさ、ま」
か細い声が部屋へ響く。
その一言で、体の限界を迎えうたた寝をしていた
マクスウェルは勢いよく身体を起こした。
「ステラ!!」
二人の手は、この一週間ずっと繋がれたままだった。
その小さな手が、弱々しくも確かに握り返してくる。
「おは、よう、ございます」
まだ顔色は悪い。
それでも、その瞳には確かな命の光が宿っていた。
「よかった……本当によかった」
マクスウェルの目から涙が溢れる。
強く、強く、その小さな手を握り締めた。
「まだ眠るとよいのじゃ」
白い髪を優しく撫でる。
ステラは安心したように目を細め、再び静かな眠り
へ落ちていった。
その穏やかな寝顔を見つめながら、マクスウェルは
ようやく肩の力を抜くことができた。
◇
それから数日が過ぎ、ステラは完全に回復した。
一度は死の淵をさまよったその身体は、以前よりも
さらに強靭さを増していた。
マナを大気中から無意識に吸収し続けていた
としても、もはや細胞が破壊されることはない。
それほどまでに、ステラの肉体は死線を越えたこと
で大きく成長していた。
その姿を確認した瞬間、張り詰めていた糸が切れた
のだろう。
憔悴しきっていたマクスウェルは、その場へ崩れ
落ちるように眠りへ落ちた。
まるで命尽きたかのような深い眠りだった。
ベッドの傍らでは、ステラが小さな手で
マクスウェルの手を握り締めたまま、静かにその
寝顔を見つめていた。
眠っている間も、ずっと自分のそばにいてくれた。
そんな気がしていた。
ステラはゆっくりとベッドから降りると、家の中を
見回った。
床やソファには、まだ血痕が残っている。
マクスウェルは自分を助けるため、掃除をする暇も
なく魔法をかけ続けていたのだ。
その光景を見たステラは、小さく俯いた。
(わたしが……なにかしちゃったんだ)
胸が締め付けられる。
けれど、この家には二人しかいない。
自分がやらなければならない。
ステラはぎゅっと拳を握った。
「がんばります!!」
◇
それからのステラの行動は早かった。
暖炉へ火を灯し、キッチンで水を汲み、お湯を
沸かす。
濡れた布で床を拭き、散らかった部屋を少しずつ
片付けていく。
もちろん完璧ではない。
それでも、小さな身体は休むことなく動き続けた。
いつもマクスウェルの後ろをついて歩き、抱っこ
されながら見てきた景色。
料理をする姿。
掃除をする姿。
暖炉へ火を入れる姿。
言葉で教わったわけではない。
行動のすべてが、ステラにとっての先生だった。
やがて掃除を終えると、水とタオルを持って寝室へ
向かう。
小さなテーブルへ静かに置き、眠るマクスウェルへ
寄り添うようにベッドへ潜り込む。
「おししょうさま……」
小さく呟き、その胸へ抱きついたまま眠りについた。
◇
それから数日。
マクスウェルはなおも眠り続けていた。
大量の魔力消費と極度の精神的疲労。
その反動は想像以上に大きかった。
一人残されたステラは、椅子へ座って足をぶらぶら
させながら考える。
自分が弱かったから。
お師匠様をこんなに疲れさせてしまった。
もう二度と心配はかけたくない。
泣くことはしなかった。
泣いても、お師匠様は起きてくれないから。
何度も何度も考え、少女は一つの答えへ辿り着く。
「からだをつよくしよう!」
丈夫な身体になれば、お師匠様は心配しない。
もっと強くなれば、同じ失敗は繰り返さない。
眠っている間、身体の奥で細胞が再生し、以前より
強くなっていく感覚も確かに残っていた。
それが、三歳の少女なりに見つけた答えだった。
「がんばります!」
小さな拳を胸の前でぎゅっと握る。
それはいつしか、ステラの決意を表す癖になって
いた。
こうして少女は、自らの意思で新たな一歩を踏み
出す。
まだ誰にも教えられていない、自分だけの修行を
始めるために。




