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星紡ぎのステラ  作者: YOU
第1章_幼少期編
11/14

第11話_旅立ち


そして――。


 時は、再び静かに動き始める。


 あの日のことを思い返していると、いつの間にか

頬へ一筋の涙が流れていた。


「……また、泣いちゃった。」


 そっと涙を拭う。


 最近は、こんな日が増えた。


 ふとした瞬間に、お師匠様との思い出が蘇る。


 一緒に笑ったこと。


 一緒に修行したこと。


 頭を撫でてもらったこと。


 思い出すたびに胸が温かくなって、同時に

どうしようもなく寂しくなる。


 涙は、もう珍しいものではなくなっていた。


     ◇


 マクスウェルが亡くなったあと、私は家の近くへ

お墓を建てた。


 本で読んだことがある。


 人が亡くなった時は、お墓を建てて供養するもの

なのだと。


 それから毎朝、お墓へ手を合わせることが私の日課

になった。


「おはよう、お師匠様。」


 そう声を掛けてから、木刀を握る。


 毎日の修行だけは欠かさない。


 それがお師匠様へできる、私なりの恩返しのような

気がしていた。


 剣術。


 魔法。


 家事。


 生きていくための知識。


 お師匠様は、本当にたくさんのことを教えてくれた。


 だけど。


「これから私は、どういう人生を歩いていけばいいん

だろう……。」


 木刀を握る手へ自然と力が入る。


 今までは、お師匠様が私の道しるべだった。


 迷えば相談して。


 分からないことは教えてもらって。


 私はずっと、その背中を追い掛けてきた。


 でも、もうその背中はどこにもない。


「はぁ……。」


 小さくため息が漏れる。


「私を、一人にしないでよ……。」


 そう呟いても返事はない。


 春風が静かに吹き抜け、お墓の前へ花びらが一枚

舞い落ちるだけだった。


 それでも私は、木刀を握り直した。


 泣いてばかりじゃ、お師匠様に笑われてしまう。


 だから今日も修行をする。


 それだけは、これからも続けようと思った。


     ◇


 それから、しばらくして。


 私は九歳の誕生日を迎えた。


 一人で迎える、初めての誕生日。


 朝、目を覚ます。


 特別なことは何もない。


 誕生日だけど、今年はいつも通りでいい。


 そんなふうに思いながら部屋を出た、その時だった。


「……え?」


 思わず足が止まる。


 部屋には色とりどりの飾り付けがされ、テーブルの

上にはたくさんのご馳走が並んでいた。


「え? ええ!?」


 思わず辺りを見回す。


 もちろん、自分で用意した覚えなんてない。


 むしろ今年は、一人だから誕生日なんて気にしなく

てもいいかと思っていたくらいだ。


 だけど、この飾り付けには見覚えがあった。


 毎年、お師匠様が飾ってくれた部屋。


 誕生日になると決まって並ぶご馳走。


 目の前の光景は、今まで何度も見てきた誕生日と

まったく同じだった。


「……お師匠様!」


 胸が高鳴る。


 もしかしたら。


 そんなあり得ない期待を胸に、私は家の中を駆け

出した。


 お師匠様の部屋を開ける。


「お師匠様!」


 返事はない。


 庭へ飛び出す。


 誰の姿も見えない。


 家の周りを探しても、お師匠様の気配はどこにも

感じられなかった。


 その時だった。


「あ……。」


 私はようやく気付く。


 いつもお師匠様が座っていた席。


 そのテーブルの上へ、いくつもの箱と、一通の手紙

が静かに置かれていた。


 胸がどくんと鳴る。


 震える手で、その手紙をそっと手に取る。


「……お師匠様。」


 小さく呟きながら、私はゆっくりと封を開いた。



~~~~~~~~ ステラへ ~~~~~~~~~~


 まずは、お誕生日おめでとうじゃ。


 お主がこの手紙を読んでおる頃には、もう九歳に

なっておる頃じゃな。


 そして……きっと、その頃にはわしはもう、この世

にはおらんのじゃろう。


 寂しい思いをさせてしまって、本当にすまんのぉ。


 本当なら、あと何年も一緒におって、お主へ教えた

いことはまだまだ山ほどあった。


 剣のことも。


 魔法のことも。


 世界のことも。


 まだ見せてやりたい景色も、行ってみたい場所も

あったんじゃが……。


 どうやら時間が、わしを待ってはくれんかった。


 不出来な師匠で、本当にすまん。


 じゃがな。


 残された時間で、お主へ残せるものは全部残した

つもりじゃ。


 だから、これはわしからの最後の誕生日プレゼント

じゃと思って受け取ってほしい。


 まず一つ目。


 本じゃ。


 見ただけで「多いなぁ……」なんて思ったかも

しれんの。


 安心せい。


 わしも全部一日で読めとは言わん。


 暇な日に、一冊ずつ。


 眠れない夜に、一ページずつ。


 そんな読み方で十分じゃ。


 そこには、わしが今まで学んできたこと、研究して

きたことを全部詰め込んである。


 魔法。


 薬草。


 魔物。


 錬金術。


 結界術。


 それから、わしが何十年も掛けて積み上げてきた

知識も全部じゃ。


 きっといつか、お主の助けになってくれる。


 そう信じて書いたんじゃ。


 二つ目は刀じゃ。


 これはな、わしの最後の最高傑作じゃ。


 残っておった魔力を全部使って、一から鍛え上げた。


 素材も妥協はしとらん。


 一番硬い鉱石やら、珍しい素材やら、それはもう

山ほど使った。


 それと……実は、お主の髪の毛もできるだけ混ぜて

ある。


 勝手に使ってしまって悪いの。


 でも、その方がお主に一番馴染む刀になると思った

んじゃ。


 名前も付けておいたぞ。


 お主ならきっと、


「名前ないの?」


 なんて言いそうじゃったからの。


 『神剣・アステラス』


 どうじゃ?かっこいいじゃろ。


 ステラと少し似た意味を持つ名前じゃ。


 気に入ってくれると、お師匠様は嬉しいぞ。


 三つ目は指輪じゃ。


 これは、わしお手製の空間魔術を込めた指輪じゃ。


 荷物を中へしまえる便利な代物での。


 旅をするなら、絶対あった方がええと思って作った。


 お主は昔から荷物をいっぱい持とうとするからのぉ。


 あれもこれも持って行きたいと言い出しそうじゃ。


 これなら重くならん。


 便利じゃろう?


 使い方は本へちゃんと書いてある。


 面倒臭がらず読んでおくんじゃぞ。


 そして最後、四つ目じゃ。


 これが一番大事な話になる。


 これからのお主の人生についてじゃ。


 きっと今のお主は、


「これからどうしよう。」


 そう悩んでおるじゃろう。


 今までは、わしがお主の隣におった。


 じゃが、これからは自分で歩いていかなければ

ならん。


 そこでじゃ。


 わしが昔通っておった学校へ、お主の推薦状を

書いておいた。


 昔からの知り合いが今も先生をやっておる。


 きっと、お主の力になってくれるはずじゃ。


 やりたいことがまだ見つかっておらんなら、

一度学校へ行ってみるといい。


 いろんな人と出会って。


 いろんなことを学んで。


 その中で、お主自身の道を見つけてくれたら、

わしは嬉しい。


 場所は本の最後へ書いてある。


 ただ、少し遠い。


 ここから歩けば一年くらい掛かるじゃろう。


 急ぐ必要はない。


 旅をしながら世界を見るのも良し。


 途中で目標を見つけるのも良し。


 全部、お主の好きに生きなさい。


 ただ、最後に一つだけ。


 わしからお願いがある。


 わしは、本当なら自分の手で果たしたかった願い

がある。


 じゃが、それも叶わんかった。


 その願いを、お主へ託したい。


 その願いとは――


 わしが愛した女性を助けてほしいということじゃ。


 名前は『ニア』


 わしの目の前で王国の兵士に連れていかれて

しまっての。


 いきなりのことじゃった。わしの力では王国には

太刀打ちできんくての。


 探し続けたんじゃが、最後まで居場所は分からん

かった。


 無理に探せとは言わん。


 お主には、お主の人生があるからの。


 じゃが、もし。


 いつか出会うことがあったなら。


 その時は、どうか助けてやってほしい。


 ……あとは、そうじゃの。


 お主と出会えて、本当に幸せじゃった。


 あの泣き虫だったステラが。


 今では料理もできるようになって。


 洗濯も掃除もできるようになって。


 魔法も剣術も、見違えるほど強くなった。


 立派に成長したお主を見ることができて、わしは

幸せ者じゃ。


 体には気を付けるんじゃぞ。


 危ないと思ったら、ちゃんと逃げるんじゃぞ。


 辛い時は、一人で抱え込むでない。


 苦しくなったら、本を開けばええ。


 きっと、わしが隣で教えてやれる。


 そして――。


 何年先も。


 何十年先も。


 わしは、ずっとお主を見守っておる。


 だから安心して前へ進みなさい。


 そして、ずっと愛しておるぞ。


 ステラよ。


                      

マクスウェルより


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


手紙を読み終えても、しばらく顔を上げることが

できなかった。


 最後に書かれた文字が、涙で滲んでいく。


『そして、ずっと愛しておるぞ。ステラよ』


 何度読んでも。


 何度目で追っても。


 そこに書かれている言葉は変わらない。


「……お師匠様……」


 ぽたり。


 手紙の上へ、大粒の涙が落ちた。


 慌てて袖で拭おうとして――手を止める。


 お師匠様が、私のために書いてくれた手紙だ。


 濡らしたくない。


 汚したくない。


 震える手でそっと手紙を胸へ抱き締める。


 最後の最後まで。


 お師匠様は、私のことを考えてくれていた。


 たくさんの本を残して。


 刀を作って。


 指輪まで用意して。


 これから私がどう生きていけばいいのか、その道

まで残してくれた。


 自分がもういなくなると分かっていたのに。


 きっと身体だって辛かったはずなのに。


 それでも最後まで――私のために。


「お師匠様……」


 もう、堪えられなかった。


「おししょうさまぁあああああっ!!」


 膝から力が抜けた。


 その場へ崩れ落ち、手紙を胸へ抱き締めたまま、

私は声を上げて泣いた。


「うぁぁぁぁぁ……!」


 寂しい。


 会いたい。


 もう一度だけでいい。


 頭を撫でてほしい。


 名前を呼んでほしい。


『ステラよ』


 あの優しい声で、もう一度――。


「会いたいよぉ……お師匠様ぁ……!」


 どれだけ泣いたのか分からない。


 涙が止まっても、また手紙を見ると溢れてくる。


 鼻をすすりながら。


 何度も目元を拭いながら。


 私はずっと、その場から動けずにいた。


     ◇


 やがて――。


「……ぐすっ」


 ようやく泣き声が小さくなった頃。


 静まり返った部屋へ、別の音が響いた。


 ぐぅぅぅぅ……。


「…………」


 自分のお腹だった。


 あれだけ泣いたというのに。


 こんな時でも、お腹は空くらしい。


「……もう」


 少しだけ恥ずかしくなって、お腹を押さえる。


 そして顔を上げると、テーブルの上へ並んだ料理

が目に入った。


「あ……」


 そこで、気付いた。


 これは――。


「お師匠様の……最後の料理……」


 誕生日を迎えた私が食べられるように。


 お師匠様が、生きている間に用意してくれたもの。


 魔法か何かで保存していたのだろう。


 湯気まで立っている料理は、まるで今さっき作られ

たばかりのようだった。


 毎年の誕生日に作ってくれた、ご馳走。


 私の好きなものばかり。


「……いただきます」


 いつもの癖で、向かいの席を見る。


 そこには誰もいない。


 いつもなら、お師匠様が座っていた。


『ほれ、冷める前に食べるのじゃ』


『そんなに慌てて食べんでも、誰も取らんわい』


 そんな声が聞こえてきそうだった。


「……ちゃんと、食べるからね」


 私は箸を手に取った。


 一口。


 ゆっくりと噛む。


「…………」


 懐かしい。


 ずっと食べてきた、お師匠様の料理。


 だけど――。


「……おいしい……」


 そう呟いた瞬間、また涙が溢れた。


 ぽろぽろと頬を伝い、止まらなくなる。


「おいしいよ……お師匠様……」


 一口食べるたびに、思い出す。


 朝ご飯を作ってくれたこと。


 一緒に食卓を囲んだこと。


 私が美味しいと言えば、嬉しそうに笑っていたこと。


 嬉しい。


 懐かしい。


 そして、どうしようもなく悲しい。


 いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、とうとう

料理の味まで分からなくなってしまった。


 それでも。


 私は箸を止めなかった。


 これが、お師匠様の作ってくれた最後の料理だから。


 絶対に残したくなかった。


 一口ずつ。


 何度も噛んで。


 泣きながら、全部食べた。


「……ごちそうさまでした」


 空になった皿へ手を合わせる。


 これでもう。


 お師匠様の料理を食べることもない。


 そう思った、その時だった。


「…………あ」


 私は固まった。


 一つ、とても大切なことに気付いてしまった。


「レシピ……」


 聞いてない。


 お師匠様が作ってくれた料理の作り方。


 一度も、ちゃんと教えてもらっていない。


「レシピ、聞いておけばよかった……」


 もっと早く気付けばよかった。


 一緒に料理をしている時に聞けばよかった。


 何を入れているのか。


 どうやって作っているのか。


 ちゃんと教えてもらえばよかった。


「……ばか」


 今さら聞きたくても。


 もう、聞くことはできない。


「私のばか……」


 空になった皿を見つめながら、また少しだけ泣いた。


     ◇


 食事を終え、気持ちが少し落ち着いてから。


 私は、お師匠様が残してくれたものを一つずつ確認

することにした。


 最初に手を伸ばしたのは――本。


「……重っ」


 両手で持ち上げる。


 分厚い。


 手紙には一冊ずつと書かれていたけれど、とても

短期間で読み切れるような量ではなかった。


 表紙を開き、ぱらぱらとページをめくってみる。


「わぁ……」


 一ページ目から最後まで。


 見覚えのある綺麗な字が、びっしりと並んでいた。


 魔法について。


 魔物について。


 薬草や錬金術。


 結界。


 歴史。


 土地。


 お師匠様が長い人生の中で知り、学び、研究して

きたことが、一ページ一ページへ細かく書き残されて

いる。


「……すごい」


 何冊か手に取ってみても同じだった。


 余白がほとんどないほど文字が書き込まれている。


 これを全部――。


 身体が動かなくなっていく中で、私のために書いて

くれたのだろうか。


 そう思うと、胸の奥がまた苦しくなった。


「ちゃんと読むからね……」


 ページを傷つけないよう、そっと閉じる。


 そして最後の本を手に取り、一番後ろのページを

開いた。


「これが……」


 そこには、大きな地図が描かれていた。


 私が今まで見たこともないほど広い世界。


 森。


 山。


 町。


 国。


 そして、お師匠様が手紙に書いていた学校の場所。


「ここから……一年くらい」


 指先で、今いる場所から学校までをゆっくりと

なぞる。


 紙の上では、ほんの僅かな距離。


 けれど実際に歩けば、一年。


 私が今まで暮らしてきた森が、世界のほんの一部で

しかないことを初めて実感した。


「……こんなに広いんだ」


 これから私は、この世界へ出ていく。


 そう考えると。


 少しだけ怖くて。


 それと同じくらい――知らない世界を見てみたい

とも思った。


     ◇


 次に開けたのは、細長い箱だった。


 蓋を持ち上げる。


「……これが、アステラス」


 中には一本の刀が収められていた。


 長さは百二十センチほど。


 私が今まで使ってきた木刀よりも少し長い。


 鞘と柄は、ユリと同じ黒を基調に赤があしらわれていた。


「お師匠様らしいなぁ……」


 思わず、小さく笑う。


 ユリを作ってくれた時と同じだ。


 きっとこれも。


『こっちの方がステラに似合う』


 なんて、一人で悩みながら作ったのだろう。


 刀へ手を伸ばす。


 柄を握った瞬間。


「……!」


 不思議な感覚がした。


 手に馴染む。


 初めて握ったはずなのに、ずっと前から使っていた

ように。


 自分の身体の一部を握っているように。


 自然だった。


 ゆっくりと刀を持ち上げる。


 そして――。


 鞘から引き抜いた。


 シャァァン――。


「……綺麗」


 思わず声が漏れた。


 刀身は、雪のように真っ白だった。


 光を受けると、ほんの僅かに淡い輝きを放っている。


 そして刃の部分だけが、薄っすらと赤みを帯びて

いた。


 白から淡い赤へ。


 その色は――。


「私の髪みたい……」


 毛先だけが淡い赤色へ染まった、自分の髪。


 まるでそれを、そのまま刀へ変えたようだった。


 試しに少しだけ魔気力を流してみる。


「っ……!」


 瞬間。


 アステラスが僅かに震えた。


 流し込んだ魔気力が、何の抵抗もなく刀身全体へ

広がっていく。


 ユリと同じ。


 いや。


 それ以上に――私の力へ馴染む。


 詳しいことは、まだ分からない。


 それでも。


 手に持っただけで理解できた。


「……すごい刀」


 お師匠様が最後に作った、最高傑作。


 その言葉が、決して大袈裟ではないことだけは

分かった。


 もう少し試してみたい気持ちを抑え、刀を鞘へ戻す。


 カチャリ。


「あとで、外で使ってみよう」


 これは大切に使おう。


 お師匠様が残してくれた。


 私だけの刀だから。


     ◇


 そして最後。


「これが、指輪……」


 箱の中から、小さな指輪を取り出した。


 一見すれば、何の変哲もない指輪に見える。


 けれど、お師匠様の手紙によれば、この中へ物を

収納できるらしい。


「どうやるんだろう……」


 詳しい使い方は、本に書いてある。


 該当するページを探し、説明を読みながら試して

みることにした。


 ちょうど近くに、食事で使った皿が置いてある。


「これでいいかな」


 指輪を嵌めた手を皿へ向ける。


 本に書かれている通り、指輪へ魔力を流し込む。


 すると――。


「え?」


 皿が小さくなった。


「えっ、えっ?」


 みるみる縮んでいく。


 半分。


 さらに半分。


 そして最後には小さな光となり、指輪の中へ吸い

込まれるように消えてしまった。


「…………」


 何もなくなったテーブルを見る。


 指輪を見る。


 もう一度テーブルを見る。


「え、なにこれ。すごい」


 思わず素の声が漏れた。


 慌てて本へ視線を戻す。


「取り出す時は……魔力を流して、中にある物を意識

する……」


 指輪へ魔力を流す。


 すると、不思議なことに中へ入れた皿の存在が

分かった。


 それを掴むように意識して、手を引く。


 小さな光が指輪から飛び出した。


「わっ」


 光は手の中でみるみる大きくなり――。


 元の大きさへ戻った皿が、両手の中へすっぽりと

収まった。


「……ほんとに戻った」


 ひっくり返してみる。


 傷もない。


 形も変わっていない。


 さっきまで使っていた皿そのものだ。


「すごい……!」


 もう一度入れてみる。


 取り出す。


 また入れる。


 また取り出す。


「すごい、すごい!」


 気が付けば、私は夢中になって何度も試していた。


 そして、ふと。


 手紙に書かれていた言葉を思い出す。


『お主は昔から荷物をいっぱい持とうとするからのぉ』


「…………」


 指輪を見つめる。


「……やっぱり、お師匠様には全部分かってたんだね」


 思わず笑ってしまった。


 涙でぐしゃぐしゃだった顔に。


 ほんの少しだけ。


 いつもの笑顔が戻っていた。


    ◇


 そして――。


 残されたものを一通り確認し終えた私は、もう一度、

お師匠様の手紙へ目を落とした。


「……学校、か」


 最後に残された四つ目。


 それは物ではなかった。


 これから私が進む道について。


 お師匠様が示してくれた、一つの選択肢だった。


 私は近くに積んであった本の中から、この世界に

ついて書かれた一冊を手に取る。


 ページをめくり、学校について書かれているところ

を探した。


 そこには、私の知らない世界のことがたくさん

書かれていた。


 多くの人間は、ある程度の年齢になると学校へ通う。


 そこで勉強をしたり。


 身体を鍛えたり。


 魔法を学んだり。


 自分とは違う多くの人と出会いながら、将来自分が

何をしたいのかを見つけていくのだという。


 ある者は騎士になり。


 ある者は商人になり。


 ある者は冒険者となって世界中を旅する。


 もちろん、それ以外の道を選ぶ人もいる。


「将来……やりたいこと……」


 ぽつりと呟く。


 考えてみる。


 私は、何がしたいのだろう。


「…………」


 答えは出なかった。


 魔法は好きだ。


 剣術も好き。


 本を読むのも嫌いじゃない。


 料理だって、まだまだだけど一人でできるように

なった。


 だけど。


 それは全部、お師匠様から教えてもらったものだ。


 私自身が、これから何をしたいのか。


 どんなふうに生きていきたいのか。


 そんなこと、一度も考えたことがなかった。


 今までは、それでよかった。


 朝起きれば、お師匠様がいる。


 一緒にご飯を食べて。


 修行をして。


 分からないことを教えてもらって。


 夜になれば、同じ家へ帰る。


 それが私の毎日だった。


 ずっと続くと思っていた。


「……そっか」


 だから私は。


 自分の将来なんて、考えたことがなかったんだ。


 必要がなかったから。


 お師匠様と一緒にいる。


 それだけで毎日が楽しかった。


 それだけで、十分だった。


 けれど。


 これからは違う。


 私は、自分で自分の道を決めなければならない。


「学校に行ったら……見つかるのかな」


 自分が本当にやりたいこと。


 これから先、どんなふうに生きていきたいのか。


 お師匠様の言う通り、いろんな人に会って、

いろんなことを知れば。


 いつか見つけられるのかもしれない。


「…………」


 すぐに答えを出すことはできなかった。


 私は静かに本を閉じた。


「……もう少し、考えてみよう」


     ◇


 それから数日。


 私はいつも通りの日々を過ごした。


 朝になれば、お師匠様のお墓へ行く。


 帰ってきたら修行をして。


 空いた時間には、残してくれた本を読む。


 魔法。


 魔物。


 薬草。


 錬金術。


 知らなかったことが、いくら読んでも次々と

出てくる。


「お師匠様……本当に、何でも知ってたんだなぁ」


 何冊読んでも終わりが見えない。


 これだけの知識を一人で積み上げたのだと思うと、

改めてお師匠様の凄さが分かった。


 時には庭へ出て、アステラスを振ってみた。


 初めて扱う本物の刀。


 木刀とは重さも、重心も、空気を切る感覚もまるで

違う。


 それでも不思議なほど手に馴染んだ。


 魔気力を流せば、刀身はまるで私の意思へ応える

ように淡く輝く。


 まだ、どれほどの力を秘めているのかは分からない。


 だからこそ、少しずつ確かめながら使い方を覚えて

いった。


 指輪についても同じだった。


 本を読みながら、物を入れて。


 取り出して。


 また入れる。


 最初は皿一枚だったのが、次第に服や本、道具と

大きなものまで試すようになった。


 そうやって。


 お師匠様が残してくれたものを、一つずつ自分の

ものにしていった。


 だけど――。


「…………」


 何をしていても。


 頭の片隅から離れないことがあった。


 学校へ行くかどうか。


 行くのなら、この家を離れなければならない。


 生まれてからずっと暮らしてきた場所を。


 お師匠様と過ごした、この家を。


 一人で出ていく。


 そう考えると、怖かった。


 私は、お師匠様以外の人間をほとんど知らない。


 知っているものといえば。


「……魔物くらいだよね」


 自分で言って、少しおかしくなる。


 だけど、本当にそうなのだ。


 人間がどんなふうに暮らしているのか。


 町とはどんな場所なのか。


 学校にはどんな人がいるのか。


 友達というものだって、本の中でしか知らない。


 何もかもが分からない。


 だから怖い。


 この家にいれば安全だ。


 お師匠様が残してくれた結界もある。


 本もある。


 畑もある。


 一人で生きていくだけなら、きっと困らない。


 ここにずっといることだってできる。


 でも――。


 そんなことを考えていると。


 いつも、お師匠様の言葉を思い出した。


『新しいことを始めることは怖いことだが、それなく

しては人は前には進めないのじゃ』


「…………」


 昔のお師匠様なら。


 今の私を見て、なんて言うだろう。


 きっと。


『怖いからといって、いつまでそこで立ち止まって

おるつもりじゃ』


 なんて笑うのだろう。


「……そうだよね」


 新しいことを始めるのは、怖い。


 知らない世界へ行くのも怖い。


 だけど。


 それでも前へ進まなければならない時がある。


 そして――。


 きっと、私にとっては。


 今が、その時なんだ。


     ◇


 その日の夕方。


 私は一人で、お師匠様のお墓の前へ座っていた。


 沈み始めた夕日が、森を赤く染めている。


「お師匠様」


 返事はない。


 だけど、いつものように話し掛ける。


「私ね……」


 膝を抱えながら、少しだけ笑った。


「また、お師匠様からいっぱい貰っちゃった」


 本。


 アステラス。


 指輪。


 そして。


 これから先へ進むための道。


 思い返してみれば。


 私はずっと、お師匠様から貰ってばかりだった。


 命を助けてもらって。


 育ててもらって。


 ご飯を作ってもらって。


 魔法を教えてもらって。


 剣術を教えてもらって。


 服まで作ってもらって。


 最後の最後まで、こんなにたくさんのものを残して

もらった。


 なのに私は――。


「私……お師匠様に、何かしてあげられたのかな」


 弟子として。


 家族として。


 私は、お師匠様へ何を返せたのだろう。


 何も思い浮かばなかった。


「手紙には、不出来な師匠って書いてたけど……」


 そんなわけがない。


 私にとって。


 お師匠様以上の人なんて、どこにもいない。


 不出来だったとしたら。


「……不出来なのは、私の方だ」


 もっと何かしてあげたかった。


 もっと一緒にいたかった。


 もっとたくさん話したかった。


 ありがとうって。


 ちゃんと言えばよかった。


「…………」


 風が吹く。


 木々の葉が静かに揺れる。


 私は目を閉じた。


 もう、お師匠様へ直接何かを返すことはできない。


 だったら。


 せめて――。


 お師匠様が私へ残してくれたものを無駄にしない。


 教えてくれたことを忘れない。


 そして。


 私が幸せに生きる。


 それがきっと。


 今の私にできる、たった一つの恩返しなのだと

思った。


     ◇


 それからさらに数日が過ぎた。


 そして――。


「……よし」


 ようやく、私の心は決まった。


「行こう」


 学校へ。


 お師匠様が勧めてくれた場所へ。


 そこでいろんなものを見て。


 いろんな人に会って。


 自分が本当にやりたいことを探す。


 見つかるかどうかなんて分からない。


 もしかしたら、学校へ行っても何も見つからない

かもしれない。


 それでも。


「行ってみないと、分からないもんね」


 そう口にすると。


 胸の中にずっとあった迷いが、少しだけ軽くなった

気がした。


 決めてしまえば、その後の行動は早かった。


 まずは家の片付け。


 しばらく戻ってこないかもしれない。


 だから、できるだけ綺麗な状態で残しておきた

かった。


 食器を片付け。


 机を拭いて。


 床を掃き。


 寝具を整える。


 旅に必要そうなものは、片っ端から指輪へ入れて

いった。


 着替え。


 食料。


 水。


 調理道具。


 薬草。


 お師匠様が残してくれた本。


「これも必要かな……」


 手に取っては指輪へ。


「……これも」


 また指輪へ。


「これも持っていこう」


 また一つ。


 気が付けば。


 手紙に書かれていた通り、あれもこれもと詰め

込んでいた。


「……お師匠様」


 自分の指にはめた指輪を見る。


「やっぱり、こうなるって分かってたんだ」


 思わず笑ってしまう。


 そして。


 すべての準備を終えた頃には、家の中は驚くほど

簡素になっていた。


「…………」


 部屋の中央に立ち、ゆっくりと見回す。


 ほとんど何もない。


 ただの小さな家。


 だけど。


 私にとっては違う。


 あそこで、ご飯を食べた。


 あそこで、本を読んでもらった。


 あの暖炉の前で魔法を教えてもらった。


 あの椅子には、いつもお師匠様が座っていた。


 廊下を走って怒られたこともある。


 一緒に笑ったこともある。


 泣いたこともある。


 九年間。


 私の人生のすべてが、この家には詰まっている。


「……明日、出発しよう」


 そう呟いた。


     ◇


 翌朝。


 旅支度を整えた私は、お師匠様のお墓の前へ立って

いた。


 ユリを纏い。


 腰には、神剣・アステラス。


 指には、お師匠様が残してくれた指輪。


 春の柔らかな風が、白銀の髪を揺らしていく。


「お師匠様」


 墓石へ向かって呼び掛ける。


 いつもと同じ。


 返事はない。


 それでも。


 今日は、きちんと伝えなければならない。


「私、旅立つことにしました」


 自分の口から言葉にした瞬間。


 胸の奥が、きゅっと締め付けられた。


「お師匠様の言う通り、自分のやりたいことを見つけ

に行こうと思います」


 学校へ行く。


 知らない世界を見る。


 知らない人たちと出会う。


 怖くないと言えば嘘になる。


 でも。


「私、頑張ってみるね」


 墓石へ向かって、笑う。


「まだ何をしたいのかも分からないし、外のことも

全然知らないけど……」


 一度、言葉を切る。


「それでも、行ってきます」


 そして深く頭を下げた。


「どうか――」


 声が、少しだけ震える。


「不出来な弟子を、これからも見守っていてください」


 もう泣かない。


 そう決めていたのに。


 視界が僅かに滲んだ。


 それでも私は顔を上げる。


 今度は、ちゃんと笑って。


「行ってきます! お師匠様!」


 春風が吹き抜ける。


 まるで返事をするように。


 墓の傍らへ咲いていた花が、静かに揺れた。


     ◇


 最後に。


 私は家の前へ立った。


「…………」


 決して、大きな家ではない。


 少し古くて。


 ところどころ、お師匠様が自分で直した跡が残って

いる。


 その隣には、広い庭。


 毎日のように木刀を振った。


 魔法の練習をした。


 転んだ。


 怒られた。


 褒めてもらった。


 あの場所で。


 私は育った。


「九年間……」


 生まれた時から、ずっと。


 この家が私の世界だった。


 そして。


 私を九年間、育ててくれた場所だった。


「…………」


 私は家へ向かって、深く頭を下げる。


「今まで――」


 胸いっぱいに息を吸う。


「ありがとうございました!」


 森の中へ、私の声が響いた。


 ゆっくりと頭を上げる。


 もう一度だけ。


 家を見る。


「……行ってきます」


 小さく呟き。


 私は背を向けた。


 一歩。


 また一歩。


 歩き出す。


 何度も振り返りたくなる。


 だけど、振り返らなかった。


 前へ進むと決めたから。


 お師匠様が教えてくれたように。


 新しいことを始めなければ、人は前へ進めない。


 だから私は歩く。


 森の外へ。


 まだ見たことのない場所へ。


 まだ出会ったことのない人たちがいる世界へ。


 九歳の少女にとって。


 それは、生まれて初めての旅。


 そして――。


 初めて、自分自身の意思で選んだ道だった。


 この先に何が待っているのか。


 まだ、何も分からない。


 楽しいことがあるかもしれない。


 苦しいこともあるかもしれない。


 それでも。


 私の人生は――。


 まだ、始まったばかりなのだから。



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