【60】The Butterfly Dream
〈シュウ視点〉
夢を……観ている。
懐かしい過去であり。
あり得なかった幻想だ。
今の俺は、夢を見ていると理解している……どうやら明晰夢と呼ばれる状態らしい。
その証拠に、今こうして目に映るのは。
俺が辿り着くことのできなかった『一周目』の光景である。
『……兄さん、また落選したんですか?』
この世界では、俺は幼馴染たちと袂を分つことがなかったのだろう。
そして1999年の大異界蝕も、なかったようだ。
魔力という概念のない、平和な社会。
俺と同い年の28歳にまで成長した、美麗過ぎる青年……ジンヤが、どこにでもあるチェーン店の居酒屋で、気落ちする俺を気遣うように慰めていた。
学生時代から優秀な成績を収め続けてきた秀才は、進学も就職もあっさりと決めて、エリートコースを邁進。
今では超一流企業における同期の中でも、頭ひとつ抜けた出世株として、バリバリにキャリアを積み上げていっている。
一方の俺は、無職のフリーターだ。
学生時代にハマった異世界もののマンガやアニメに影響を受けて、何をトチ狂ったのか『絵とか描けないなら原作者になればいーじゃーんっ!』などと。
軽い気持ちで口にしてから、すでに十年以上。
今回の応募も、賞には届かなかった。
またしばらく、アルバイト生活が確定である。
『大丈夫、兄さんならきっといつか、芽が出ますよ。その間は僕が、出資者になりますから。だからもう少しだけ、頑張ってみましょうよ? ね?』
『うぅぅぅ……』
労りに満ちた言葉。
思わず机に突っ伏してしまう。
お酒が沁みるぜ。
(こんなダメ兄貴に……なんて出来た、弟分なんだっ!)
本来であれば、社会的な成功者と敗北者。
交わることなどない二人である。
しかし俺たちの幼馴染という関係は、未だ途切れていなかった。
流石に普段の接点は減っているものの、俺がSNSで愚痴を漏らすなり、多忙な仕事の合間を縫ってこうして飲み会に付き合ってくれる程度には、ジンヤと良好な関係を維持している。
『おいジンヤぁ、あんまおにぃを甘やかすんじゃねえよ』
居酒屋の個室。
机に伏せて愚痴る俺を挟んで。
ジンヤの対面から、厳しい声音が飛んできた。
『いやマジで、いい加減に現実見ろって。もういい歳なんだぜ? さっさと就職して金貯めろって。趣味はその合間だけにしとけよ。なっ?』
『やめてぇ……正論パンチ、聴きたくねぇよぉ……』
痛い。
あまりに痛すぎる。
圧倒的正義とは、ときに暴力なのだ。
(いやまあ……単に俺が、情けなさ過ぎるだけなんだけど)
言い返す言葉もございません。
チビチビと、酒を舐める。
『……っ! アユムさん、そういう人の可能性を潰すような発言は、組織を率いる人間として不適切ですよ!』
『あーもー、うっぜぇなぁ! ウチは別に、間違ったこと言ってねーし! つーかテメエが無責任に甘やかすから、おにぃがいつまで経っても自立しねぇんだろうが!』
社会強者であるジンヤに臆面もなく言い返せるのは、小さな美容院とはいえ、この歳で自分の店を構えた若き経営者……アユムだからこそだろう。
言葉には重みがあり。
声音には芯が通っていた。
立場や環境が人を育てるとは、よく言ったものだ。
『つーかよぉ、ジンヤ! オマエがコソコソとおにぃに小遣いとか渡してんの、ウチら全員、知ってんだからな!?』
『むしろ兄さんが受け取ってくれないから、全然渡せていませんよ! せっかくそのために稼いでいるのに、貯金が貯まる一方です!』
『キッモ! 毒親じゃなくて、マジもんの毒弟じゃねえか!』
こうして顔を合わせる度に。
何かと理由をつけて結構な大金を渡そうとしてくるジンヤに、アユムがドン引きしていた。
いちおうこんな俺にも、兄貴分としての意地がある。
断腸の思いで、基本的には断っているのだが……
たまに……
一ヶ月に一回くらいは……
ちょっとだけ、その優しさに甘えることもあった。
たぶん今日も、飲み代は奢ってもらうだろう。
タダ飯、美味いです。
『あはははっ♡ アユねぇもジンくんも、まるでにぃにのママとパパみた〜いっ♡』
『『 はぁあああッ!? 』』
ビール1杯目で。
すでに酔いが、回っているのか。
普段以上に顔を弛緩させた、凄まじい凹凸ボディの持ち主……ハルカが、天然の爆弾発言で二人に素っ頓狂な悲鳴をあげさせていた。
『フザケんなハル! 言っていいことと悪いことがあるだろうがボケぇッ!』
『そうですよハルカさん。兄さんを扶養するのは、僕ひとりで十分です』
『あれ……俺が養われるのって、確定なの? マジで?』
義弟や義妹に養われる兄貴分とか。
存在理由が迷子過ぎる。
でもそんな未来にちょっぴり揺れてしまっている、自分が本当に怖い。
きっとアルコールが足りないせいだ。
飲もう飲もう。
ぐびぐび。
『きゃはははっ! ほらぁ、息ぴったり〜っ♡』
まるで手間のかかるガキんちょを、あやすように。
保育士のハルカが、上機嫌に手を叩いて笑い転げていた。
縦ニットのセーターに包まれた巨大な胸部が、バインバインと揺れている。
(……いや、あんな凶器よぉ)
子どもの教育に、悪影響過ぎるだろ。
『……でもそうしたら、あーしも一緒に飼ってもらえそうだから、みんな一緒にいられるねー? っていうかむしろ、それが良くない!? ねぇねぇ、エルくんもそう思うでしょー?』
『……』
相変わらず頭のネジが、一本か二本。
確実にぶっ飛んでいるハルカの発言。
先ほどから彼女の隣の席で、ガツガツと。
マイペースにメシを食い続けていた褐色肌の青年……ガエルが、チラリと視線を向けた。
『……ご飯と屋根があれば、何でもいい』
さすが、世界中を旅するバックパッカーである。
義兄妹のヒモになることに、なんの抵抗もない。
見習いたい鬼メンタルだ。
(でもコイツ、なんか旅先でアップしてる写真とかバズりまくってるし、フォロワー数とかもエグいから、本人さえその気になればいつでも化けそうなポテンシャルあるんだよなぁ……)
コツコツと新作をウェブ媒体にアップしているのに、一向にフォロワーの伸びない俺とは、雲泥の差である。
まあマイペースなガエルに、マメなSNSの更新と運営なんて、どうせ無理だろうけど。
ともあれ。
『だぁーかぁーらぁーっ! 夢は大事! でも現実はもっと大事だろうがっ!』
『人は働くために生きているのではありません、生きるために働いているのです。目的と手段を履き違えてはいけませんよ』
『あはははは! ねぇねぇ、にぃに、カラオケ行こうよぉカラオケぇ! 今日は朝までオールだー、いえーっ!』
『……眠い』
俺を挟んで熱く教育論を語る、ジンヤとアユム。
顔を真っ赤にして、テンションをぶち上げているハルカ。
腹一杯になったのか、うつらうつらと船を漕いでいるガエル。
幾つになっても。
たぶん……いつまでも。
変わらない幼馴染たちの姿に。
何故か胸が、締め付けられるように痛んだ。
(……ああ、そういえばこれ、夢だったっけ?)
そして、ふと思う。
これが夢なら、現実の俺は、一体どんな人間なんだろう。
やはりこうして、気の置けない幼馴染たちに囲まれているのか。
それとも彼らとは、別々の人生を歩んでいるのか。
わからない。
わからないけど……
(……もう少し、このまま……)
今はこの幸せな夢に、浸っていたかった。
⚫︎
〈リスキー視点〉
ここにあって、ここにない。
人間たちが観測することもできない、上位位相である。
趣のある古時計、巨大なクマのぬいぐるみ、天蓋付きのベッド、宝箱からはみ出した金銀財宝、自身の肖像画、古書から新書まで様々な本がジャンルを問わず詰め込まれた本棚……と。
子どもが目についた『興味あるもの』を。
片っ端からかき集めたような。
重厚な歴史と。
無邪気な稚気が混在する。
悪夢のように、豪奢な空間だった。
「いひひひっ♡ いーい夢を、見ているようなのだーねー、シュウくんっ♡」
空間の創造主である上位存在……リスキーが。
食卓でぷらぷらと、足を揺らし。
虹色の巨大キャンディーを舐めながら。
満足そうに、アメジストの瞳を細めている。
視線の先には、机上に浮かぶ無数の四角形。
大小様々な空中の投射映像には、リスキーが目をつけた下位存在たちの生涯が、編集された動画のように映し出されていた。
そのなかのひとつ。
リスキーが〈権能〉を与え、二周目の人生をやり直している下位存在が、ここ最近の彼女のイチ押し娯楽だ。
「今回はとてもとても、楽しませてくれたから、太っ腹なリスキーちゃんからのご褒美なのだーっ♡ 感謝して咽び泣くといいのだー♡」
上位存在からすれば、下位存在の世界から分岐した並行世界を見つけ出して、その光景を『夢』という形で対象に接続することなど、造作もない。
とくに、意味もない。
ご褒美と言ってはいるが、いつもの戯れだ。
ただ……なんとなく。
少年が望んでも、決して手には入らない泡沫の幻想を、観せてあげたかっただけである。
「うふふっ♡ シュウくんは見事、『歪み』を乗り越えたのだー♡ でもそのせいで歪みはより深く、濃くなってしまったのだーっ♡」
二周目の世界で。
誰ひとり、仲間を欠かすことなく。
全ての可能性を未来へと繋いだ偉業は、賞賛されて然るべきもの。
鑑賞しているリスキーが、思わずお気に入りの食器を握り潰してしまうほどに、胸熱な展開だった。
だが一方で……それは。
余分な重荷を、捨て損ねて。
さらなる泥沼へと嵌る可能性も孕んでいた。
「いひひひひっ♡ あー、楽しみなのだー♡ 期待しちゃうのだー♡ その調子でこれからもずっと、リスキーちゃんの退屈を紛らわしてほしいのだーよ、シュウくんっ♡」
上位存在は嗤う。
下位存在の一生を、娯楽資源として使い潰す。
悪意ではなく。
善意でもない。
ただ無邪気な、笑い声が。
誰もいない空間に、虚しく響き渡っていた。
〈作者の呟き〉
あともう一話だけ、続きます(^^)v




