【26】後始末〈裏〉②
〈シュウ視点〉
遡ること、二年前。
『——げぇ! お、「お嬢」っ!?』
『——ふふっ、なんだいそれは? 面白いね、気に入ったよ』
衝撃的な思い出となったあの時から、コイツは精緻に作られた人形のような『美しさ』を宿していた。
叛星會《俺たち》とは別の中学に進学した今では、ゾッとするほどの『美貌』を纏い始めている。
色白の肌に、鮮やかな真紅の唇。
整った鼻梁に、切れ長の瞳。
自分の体型に合わせた特注の黒背広を身に纏い、腰元まで伸びる夜を溶かしたような黒髪を靡かせて、暗闇の中から現れた美少女……黒月ジョウは、廃ボウリング場で待機していた俺を見つけると。
「……やぁ、親友。今日は月が綺麗だね」
薔薇色の口元を、蠱惑的に歪めた。
形の良い目元には猛禽の輝きが宿っている。
相変わらず、妙に圧のある笑顔だ。
「あん? 綺麗もクソも、室内から空なんて見えねぇじゃねえか」
「ふふっ。相変わらずキミは、面白いことを言うね」
俺だって、有名な文豪の翻訳くらいは知っているさ。
でもコイツからの好意に、簡単に乗るわけにはいかない。
何故なら彼女の背後には……
「「「 …… 」」」
月下に伸びる、影にように。
無言の背広集団が控えている。
荒事慣れした魔力技能者たちを従えて……コツコツ、と。
上品に靴音を響かせながら歩み寄ってきた少女が、当たり前のように、俺の隣の席に腰を下ろした。
近い。
密着寸前の距離感だ。
体温や息遣い、高級な薔薇の香調が、蛇のようにまとわりついてくる。
「いや近ぇよ、お嬢」
「ふふっ。何を言うんだい、親友? ボクとキミの中じゃないか。照れているのかい?」
「親友ってのはそんな風にベタねぇし、湿度も高くねぇのよ」
「それは仕方ないよね? 親父殿の言いつけとはいえ、あんなつまらない学校に通わされてから、もう一ヶ月ほどもキミと逢えていなかったんだ。それをこんな強引に呼び出されて、蜜月だなんて、浮かれるなと言うのが無理というものさ」
「蜜月なんかじゃねぇよ。俺たちがここで出会ったのは『偶然』だ。そうだろ?」
「ああ、いいね。運命に導かれた邂逅というのも悪くない。ロマンチックな響きだ、気に入ったよ」
……クソっ。
相変わらず話が通じているようで、通じねぇヤロウだな。
コイツの中にはまず絶対的な『自分の答え』があって、基本的にそれが揺らぐことがない。
全てがいずれ自分の思い描く通りになると『確信』している、根っからの暴君気質なのだ。
些細な俺の抗議なんて、感触だけを味わいながら、右から左へと通り抜けていく。
「でも親友、ツレないじゃないか。どうしてボクからの連絡を、いつも無視するんだい?」
「あん? ちゃんと『おはよう』と『おやすみ』は返してるし、狙い目の投資情報だってちゃんと教えてやってるじゃねえか」
「足りない。全然足りないよ。ああ、全くもって足りないね。そんな上っ面の社交辞令や業務連絡だけではなく、キミはもっと異性への言葉に、情熱を込めるべきだ」
「うっせぇなぁ。つーか日に何十件もどうでもいいメッセージ送りつけといて、ブロックされてないだけマシと思え」
「……ふふっ」
つっけんどんな態度を、少女は嗤う。
「ダメだ……ダメだよ、ダメじゃないか、親友。そんな『できもしない』ことを、口にするもんじゃない」
「……」
妖しく微笑むジョウの言葉を。
俺は、否定できない。
だからこそ異性としての好意を拒みつつも、彼女曰くの『親友』としての好意は、受け入れざるを得ないのだ。
「まぁそんな嘘つきなところも、ボクとしてはキミの可愛らしいところだと思っているけれどね」
コテンと、小さな頭を預けてくる。
髪から濃厚で。
濃密で、限界まで濃縮された。
脳を侵食してくるような甘い匂いが、漂ってきた。
上機嫌に長い睫毛を伏して、しばし静寂を楽しむジョウ。
「……あ、あのっ」
彼女の甘いひとときを打ち破ったのは、戸惑いがちな男の声である。
「けっきょくオイラたちって、ど、どうなるんですかね……?」
この場に姿を見せてから、床に転がるドミニオンたちを一瞥だにしない黒髪の少女に、痺れを切らした様子の刺青男。
「……」
南無三、それは悪手だ。
すぅっ……と。
払われた雲間から月光が差すように。
閉じていた瞼から怜悧な輝きを宿す瞳を露わにしたジョウは、無言で立ち上がると……カツカツカツ。
怒りを孕んだ靴音が、刺青男へと近づいていく。
「あ、あの……おぶフッ!?」
そのまま容赦無く、顔面を蹴り飛ばした。
「喚くなよ、ゴミ屑」
「ちょ、なんだコイツ!? イカれてん——ングッ!? ンンンッ!」
黒服たちによって猿轡を噛まされた刺青男の顔面に、何度となく、少女の靴裏が振り下ろされていく。
「なぁ、見てわからない? 聞いていてわからなかったのか? ボクは今、久方ぶりに、親友との逢瀬を楽しんでいたんだぞ? それをなんでお前みたいなゴミ屑が、ジャマをする? ジャマなんてできる? よくジャマができたなぁ、えぇっ!? 誰が赦したんだよ、そんなこと! 弁えろよゴミ屑が! ただでさえボクの縄張りに不快な薬物を垂れ流しておきながら、そんなに今すぐ踏み潰してほしいのかッ!?」
見る間に刺青男の顔面が赤黒く腫れ上がっていくが、ジョウには一切の躊躇がない。
凍える月下の瞳は、言葉通りに、青年を人間として見ていなかった。
このままだと……
「……お嬢、そのくらいにしとけよ。死んじまうぞ、ソイツ」
「いいだろ、こんなゴミ屑。潰して山に埋めればいいさ」
「ダメだ、俺との約束を忘れたのか?」
こんなクソ野郎、ぶっちゃけどうなっても構わないが……そんな場面を『目撃』してしまえば、俺はコイツと本格的に縁を切らなければいけなくなる。
俺の前で、酌量の余地がない犯罪行為を冒さないこと。
それが一般人と極道が繋がっていられる、ギリギリの境界線だった。
「……ああ、そうだ。そうだね、その通りだ」
羽虫のように痙攣する青年から、ジョウの足が下がっていく。
「おい、そのゴミ屑を死なせるなよ。押収したヤクをぶち込んでもいいから、無理やりにでも心臓を動かしておけ」
「はいっ、ジョウ様っ!」
「ついでに周りのゴミどもも片付けろ。これ以上、親友との時間を邪魔されたくない」
「承知いたしました!」
この辺りを縄張りとする暴力団組織『黒月組』組長の娘であるジョウの指示で、黒服たちがドミニオンの連中を、用意していた麻袋に詰めていく。
「ひっ!」
「ノォオォォォ! プリーズ、ヘルプミーッ!」
「不要不要ッ! 清原涼我ッ!」
泣き喚く男たちが、機械的に袋詰めされて、闇の中へと出荷されていった。
彼らに今後、どのような未来が待ち受けているのかなんて、知らないし知るつもりもない。
ただ俺はたまたま『この場所を訪れただけ』で、たまたまそこで『散歩中の昔馴染みと出くわした』だけのこと。
そのあとで彼女が、黒月組では御法度とされている薬物を売り捌いていた連中を発見したとしても、それは俺の関与するところではなかった。
今夜の出来事は、そういうお話だ。
「さて、と。それでは親友、気を取り直して蜜月の続きといこうか」
様々な言語で懇願する男たちの悲鳴などまるで聴こえていないように、清々しい笑みを浮かべて、再びジョウが俺の隣へと腰を下ろした。
「それでは、そうだね……まずはここ一ヶ月のキミの学校生活でも、話してもらうかな」
少女の美しい微笑みに、魅了される人間は多いだろう。
だが前回の記憶を引き継ぐ俺は、知っていた。
深刻な魔力技能者不足とモラル低下によって司法が機能しなくなっていた情勢下、崩壊した治安の中で『女帝』などと呼ばれ、辣腕を振るっていた彼女の姿を……
(……でも前回では男嫌いで、陰で『お嬢』なんて叩かれるくらい、女扱いは御法度だって聞いてたんだけどなぁ?)
やはり噂なんてアテにならないということか。
ともあれ一周目では面識すらなかった有名人が、何故か二年ほど前から叛星會の活動に紛れ込んでおり、途中で素性を知った俺がつい『お嬢』と口にしてしまったことは、本当に迂闊だったと思う。
でも、何故か。
ジョウはそれを、殊更に気に入ったようで。
俺にだけ『お嬢』呼びを許す代わりに『親友』などと呼ぶ、この奇妙な関係が始まってしまった。
これもまた一周目にはなかった『想定外』のひとつである。
(どのみち叛星會《俺たち》が非合法な面を抱える以上は、遅かれ早かれ、何かしらの組織には目をつけられてたんだ。その中で『当たり』を引けた幸運を、無駄遣いしないようにしねえとな)
少なくとも前回においては、彼らの敷いた『掟』を守る限り、黒月組は裏社会でマシな部類だった。
俺がこうして『有益な情報』を流し続ける限り、悪いようにならないだろう。
(いちおういくつかの保険は張ってあるし、最悪……俺がトンズラこけばいいだけだ)
だからこそ窓口役は俺ひとりが請け負っていて、幼馴染たちでさえ関わらせてはいない。
「さぁ。まだまだ夜は長いんだ。親友は、明日休みなんだろう? 今夜はたっぷりと語り明かそうじゃないか!」
「んー、つってもなぁ……別に俺自身には大した話なんてねぇぞ? それよりも他の連中の方が——」
「——興味ないね。ボクが聞きたいのは、親友の話だけだよ」
「お、おう……そうですか」
なんかときどき、笑顔の裏に、蛇の幻影がチラつくんだけど。
なんにせよ、男嫌いで有名だったあの女帝様だ。
今はまだ物珍しい俺に興味を抱いていたとしても、メッキが剥がれ落ちてしまえば、一時の熱も引いていくに違いない。
「そうだなぁ、だったらこの前試してみた、魔力鍛錬の方法なんだけど——」
なんの面白味もない俺の私生活に、黒髪の少女はずっと笑顔のまま、耳を傾けていた。
〈作者の呟き〉
湿度の高いクール系ボクっ娘女子、癖なんです。




