表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大宋英雄譚 ――借金まみれの農民が、腐った貴族どもをぶっ飛ばして皇帝になった件――  作者: ブキ
大宋英雄譚 ――借金まみれの農民が、腐った貴族どもをぶっ飛ばして皇帝になった件――

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/20

第七話「桓玄の首」

夕闇が戦場を包み始めた頃、俺たち二千の兵は、三万の桓玄軍に正面から突撃をかけていた。


常識ではありえない。兵法の基本は「倍すれば戦い、十倍すれば包囲せよ」だ。こちらは相手の十分の一にも満たない。本来なら、戦うことすら愚かと笑われる。


だが。


「左翼、崩れました!! 敵の騎馬が側面に!!」

「構うな、前だけ見ろ!! 俺たちの狙いはただ一つだ!!」


俺は叫びながら、目の前の敵兵を斬り伏せた。鎧ごと断ち割る感触が腕に響く。血煙が視界を染めるが、構わずに馬を前に進める。


桓玄の本陣は、まだ遠い。三千の近衛兵が守る鉄壁の陣。通常ならば、辿り着くことすら不可能だ。


だが——不可能を可能にするのが、狂犬の生き方だ。


「檀!! 右はどうなってる!?」

「なんとか食い止めてる!! だが長くはもたねえぞ!!」

「それでいい!! 俺が戻るまで持ちこたえろ!!」


檀道済は、すでに全身に返り血を浴び、満身創痍だった。それでも、彼は笑っている。


「へっ、任せとけ!! 俺はお前が大将で良かったと思ってるぜ!!」

「……死ぬなよ」

「お前こそな!!」


俺は馬腹を蹴り、さらに前へ。劉穆之が率いる弓兵が背後から援護射撃を放つ。敵の矢が雨のように降り注ぐが、死線の予見がその軌道を教えてくれる。


右に、左に、時に馬を飛ばせて矢をかわしながら、俺はただひたすらに桓玄の首だけを目指した。


百騎がついてきていたはずの手勢は、気がつけば十数騎に減っていた。それでも誰も退かない。退くという選択肢を、俺は最初から与えていなかった。


「桓玄はどこだ!!」

「あの丘の上です!! 旗が見える!!」

「よし……行くぞ!!」


丘の麓には、最後の関門が待ち受けていた。桓玄直属の近衛兵——精鋭中の精鋭が三百、隊列を組んで俺たちを待ち構えている。


「よくぞここまで来たな、下賤の犬が」


指揮官らしき大男が、嘲るような声を上げた。


「だが、ここまでだ。桓玄様に指一本触れさせはせ——」


最後まで言わせなかった。


俺は馬を飛ばし、一気に間合いを詰めると、馬上から飛びかかるように斬りかかった。


——破城の剛力。


スキルが発動する。全身の力が一点に集中し、骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。その代償として——俺の一刀は、まるで紙のように敵の鎧と盾を両断した。


「な、なに——ぎゃあっ!!」


一撃で指揮官を斬り伏せると、そのままの勢いで敵陣に突っ込む。

右から槍、左から剣、正面から弩——全てを予見し、全てをかわし、全てを斬り捨てる。


五感が鋭敏になり、時間の流れが遅くなる。

自分が自分でなくなるような感覚。

かつて、あの初陣で味わった「何か」が、また体の奥から溢れ出してくる。


——戦場の悪鬼。


その名の通り、俺はもはや人間ですらなかった。

ただ敵を屠るだけの、純粋な暴力と化していた。


十分後。


気がつけば、周囲に立っている者はいなかった。

三百の近衛兵は、すべて地に伏している。


俺も無傷ではなかった。左肩には矢が刺さり、右脇腹からは血が流れている。左脚は感覚がなく、立っているのがやっとの状態だった。


それでも——俺は歩く。一歩、また一歩と、丘の頂上へ。


振り返ると、生き残ったわずかな手勢が、遠くで戦い続けているのが見えた。

檀の雄叫びが聞こえる。劉穆之の号令が響く。

みんな、まだ戦っている。


——なら、俺もまだ戦える。


頂上に着いた時、そこには桓玄がいた。

青白い顔をさらに蒼白にして、彼は震えていた。


「ひ、ひぃ……ば、化け物め……」

「化け物で結構」


俺はずるりと刀を引きずりながら近づく。


「三百を、たった一人で……お、お前は人間なのか……?」

「さあな。自分でもわからん」


桓玄は後退り、あがきのように佩刀を抜いた。だが、その手は震え、まともに構えることすらできていない。


「わ、私を殺せばどうなるか、わかっているのか!! 私は桓氏の嫡男!! 朝廷の最高権力者だぞ!!」

「知ったことか」


俺は刀を持ち上げた。


「お前は、俺の仲間を犬死にさせようとした。俺の妹や母から、最後の希望まで奪おうとした。その罪は——」

「ま、待て!! 金ならいくらでも出す!! 領地もやる!! お前さえ見逃せば、好きなだけ——」

「——万死に値する」


ザシュッ——


軽い音だった。

桓玄の首が、するりと胴体から離れ、地面に転がる。

その目は、最期まで驚愕に見開かれていた。


俺は桓玄の首を掴み、高く掲げた。


「桓玄——討ち取ったりぃぃぃ!!!!」


その声は、戦場の隅々まで響き渡った。


一瞬の静寂。


そして——地鳴りのような歓声が、戦場を包んだ。


「桓玄が死んだ!!」

「劉裕が討ち取ったぞ!!」

「勝った……俺たちの勝ちだ!!」


三万の桓玄軍は、総大将の死によって完全に崩壊した。武器を捨てて逃げ出す者、投降する者——もはや戦闘は終わっていた。


俺は、ゆっくりと空を見上げた。淮水の空は、いつの間にか晴れ渡り、満天の星が輝いている。


「大将——!!」


遠くから、檀が走ってくるのが見えた。

全身ボロボロだが、ちゃんと生きている。


「やりやがったな……!! 本当に一人でやりやがった!!」

「お前こそ、よく生きてたな」

「ははっ、死ぬわけねえだろ!! 俺はお前の右腕だぜ!!」


檀は涙をぬぐいもせず、俺の肩を抱いた。

それから、劉穆之も馬で駆けつけ、俺の姿を見て深いため息をついた。


「……信じがたい。歴史書に残る戦勝だ。たった二千で三万を破り、敵の総大将の首を取るとは」

「俺一人の力じゃない。お前たちがいたからだ」

「殊勝なことを言うじゃないか」

「たまにはな」


俺は笑った。体中が悲鳴を上げていたが、不思議と心は軽かった。

これで——また、一歩。


「穆之」

「なんだ」

「これで、俺はどれくらい上に行けた?」

「そうだな……」


劉穆之は少し考えてから、静かに言った。


「朝廷の最大派閥を潰した。これで君は、単なる一兵卒ではなくなった。名実ともに——天下人の一人だ」

「天下人、か」


その言葉は、まだ遠く感じた。

だが、確かにこの日——俺はかつてない高みへと足をかけたのだ。


檀が言った。

「で、これからどうするよ」

「決まってる。建康に戻る」

「戻って、どうするんだ?」

「決まってるだろ」


俺は桓玄の首を馬にくくりつけながら、にやりと笑った。


「——朝廷を、ひっくり返す」


---


こうして、淮水の戦いは終わった。


桓玄を失った朝廷は大混乱に陥り、もはや俺を止められる者はいなかった。

だが——本当の戦いは、これからだった。


戦場での戦いより、もっと複雑で、もっと狡猾な戦いが。

政治という名の戦場が、俺を待っていた。


「檀、穆之。ちょっと聞きたいことがある」

「なんだよ改まって」

「政治って、どうやるんだ?」


二人は顔を見合わせ、それから同時に吹き出した。


「大将、お前なあ……」

「今まで何も考えずにここまで来たのか」

「しょうがねえだろ。専門外だ」


笑い声が、静かな戦場に響く。

淮水の水面が、星明かりを静かに映していた。


——京口の狂犬が、いま天を噛む。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ