第二話「無能の代償」
初陣から一月が経った。
あの日の生き残りは俺を含めてわずか十一人。大半は逃げ帰ったか、逃げ遅れて死んだかのどちらかだった。
本来なら処罰ものの敗走だったが、上は責任を追及するどころか、この戦を「勝利」として朝廷に報告したらしい。敵の死体を適当に数えて水増しし、あたかも大戦果を挙げたかのように偽装したのだ。
「これが貴族のやり方かよ……」
俺は苦い思いでその話を聞いた。死んでいった連中の命は、帳尻合わせの数字でしかないのか。
そんな俺を、劉穆之は冷めた目で見つめながら言った。
「慣れろ。これが東晋という国だ。手柄は貴族のもの、責任は庶民のもの。それが嫌なら——」
「のし上がれ、だろ?」
「理解が早くて助かる」
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三日後、新たな出撃命令が下りた。
今度の相手は、反乱軍の主力部隊。数は五千。対する味方は千二百。
まともに戦えば勝ち目はない。誰の目にも明らかだった。
しかし。
「全軍、正面から突撃せよ」
指揮官・桓玄が発した命令は、にわかには信じがたいものだった。
桓玄——当代きっての名門、桓氏の嫡男。齢は三十に届かず、白粉で化粧した青白い顔には、戦場の土埃など一粒もついたことがない。
「は、は……正気ですか!? 敵は我が軍の四倍。せめて地の利を活かして——」
「黙れ」
反論した副将を、桓玄は鞭で打ち据えた。
「貴様のような下賤の者に、この私の戦略が理解できるとでも? 数など関係ない。正面から堂々と突撃し、正々堂々と勝つのが兵の誉れだ」
——こいつ、戦というものを何もわかっちゃいない。
俺は歯噛みした。正面からの突撃が通用するのは、兵の質も数も勝っている場合だけだ。現状はその真逆。これは戦術ではなく、ただの犬死にだ。
だが、命令は絶対だった。
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戦場は、まさに地獄絵図だった。
「うわああああ!!」
「ち、違う、俺は百姓で——ぎゃあっ!」
次々と倒れていく味方。密集した槍衾に突っ込んだ歩兵たちが、串刺しになって崩れ落ちる。
俺は必死で刀を振るったが、乱戦の中ではどうにもならない。
そして、ついに——
「——がっ」
隣で戦っていた男が、喉を矢で射抜かれて倒れた。
何の変哲もない農民だった。俺と同じ京口から来た、家族を養うために志願した男。
名前は、確か——檀道済。
「おい……おい、檀!!」
俺は叫んだ。だが、返事はない。
まだ死んでいない。だが、このままでは死ぬ。
俺は仲間を数人呼び寄せ、檀を担いで後方へ下がらせた。幸い、矢は急所を外れている。手当てをすれば助かるかもしれない。
「劉裕……お前、どうするんだ……?」
「決まってる」
俺は前を向いた。目の前では、無能な将軍がまだふんぞり返っている。
「——あの馬鹿を殴る」
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指揮所に戻った俺を、桓玄は忌々しそうに見下ろした。
「貴様、何故持ち場を離れた。逃げ帰ったのか」
「ちがいます。このままじゃ全滅します。撤退の指示を」
「黙れ!!」
桓玄の鞭が唸りを上げて俺の頬を打った。じわりと血が滲む。
「貴様ごとき一兵卒が、この私に意見するなど百年早いわ。さっさと戦場に戻れ。死にたくなければな」
その瞬間、俺の中で何かが切れた。
——死にたくなければ、だと?
こいつは、兵をなんだと思っている。
死んで当然の駒か。生まれが違うというだけで、自分より価値がないとでも言うのか。
「……もう、いい加減にしろよ」
俺の右手が、勝手に動いていた。
バキィッ!!
鈍い音と共に、桓玄の身体が吹き飛んだ。
殴った。思い切り、顔面を。
「ひ、ひぃっ……き、貴様ぁ!! な、何を——」
「うるせぇ。てめぇはここで黙って見てろ」
俺は桓玄の胸倉を掴み上げ、地面に叩きつけると、振り返って全軍に怒鳴った。
「聞け、お前ら!! これより指揮は俺が執る!! 死にたくなければ俺の言う通りにしろ!! 命を賭ける価値ぐらい、俺に見せてみせろ!!」
一瞬の静寂。
誰もが呆気に取られていた。一兵卒が大将を殴り倒し、指揮権を奪うなど前代未聞だ。
だが——
「——乗った」
真っ先に声を上げたのは、意外な人物だった。いつの間にか担架から起き上がった檀道済が、傷だらけの顔でニヤリと笑っている。
「どうせ死ぬなら、お前の下で死にてぇや」
「……お前、名前は」
「檀道済。さっきお前に助けられた男だ。よろしく頼むぜ、大将」
その声に呼応するように、次々と兵たちが武器を掲げた。
「俺も行く!」
「どうせ死ぬなら好きにやらせろ!」
「狂犬に賭けるぜ!」
貴族に使い潰されるだけの人生。それに、誰もがうんざりしていたのだ。
俺は不敵に笑って、敵軍を見据えた。
「よし。作戦を言う。名付けて——却月陣」




