表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大宋英雄譚 ――借金まみれの農民が、腐った貴族どもをぶっ飛ばして皇帝になった件――  作者: ブキ
大宋英雄譚 ――借金まみれの農民が、腐った貴族どもをぶっ飛ばして皇帝になった件――

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/21

第一話「最底辺の狂犬」

その日、空はどこまでも灰色だった。


「兄ちゃん、お米……もうないの」


妹・興弟の声に、俺は何も答えられなかった。

握りしめた銅銭はわずか三枚。昨夜、賭場でスってきたことを悟られぬよう、無理に笑ってみせる。


「明日には兵隊に行く。そうすりゃ借金も帳消しだ。飯も食える」


母は布団の中で咳き込みながら泣き、興弟は俺の破れた袖を掴んで離さなかった。


——それでも行くしかなかった。


何も持たない男が、何かを掴むには、命を賭けるしかない。

これは、そんなクズの物語だ。


---


建康の片隅、京口けいこうと呼ばれる貧民街。

ここは北方からの避難民が流れ着く吹き溜まりで、俺・劉裕も例に漏れず、曾祖父の代にこの地へ逃れてきた難民の末裔だった。


家柄など欠片もない。

あるのは死にかけの母と、まだ十歳の妹、そして俺の両腕だけ。


臨時の徴兵所に着くと、同じような身なりの男たちが並んでいた。農民、流れ者、元盗賊。誰もが目だけはギラつかせているが、体は痩せ細っている。


「次、お前」


軍吏がだるそうに俺の顔を見た。名を名乗ると、木簡に適当な字を走らせる。


「劉裕。年齢は二十。……お前、字は読めるのか?」

「いえ」

「だろうな。装備はあっちだ。次!」


支給されたのは、刃こぼれした直刀一振りと、革と呼ぶのもおこがましい粗末な鎧。武器をまともに持ったのはこれが初めてだったが、妙に手に馴染んだのを覚えている。


訓練らしい訓練もないまま、数日後には初陣の命が下った。

孫恩の乱——南方で起きた宗教反乱。数万規模の叛徒を鎮圧するため、俺たち新兵も駆り出されたのだ。


---


「お、おい……あれ、見ろよ……」


前線に着いた俺たちを待っていたのは、地獄だった。

味方の部隊が次々と潰走し、指揮官は真っ先に逃げ出している。


「撤退だ! 総撤退!!」


叫び声と悲鳴が入り混じる中、俺は逃げ遅れた数名と共に、完全に敵中に取り残されていた。


——死ぬ。


頭のどこかで冷静な自分が囁く。

十数人で、数千を相手にできるわけがない。


だが、なぜか足は震えなかった。


「お前ら、ちょっとそこで見てろ」


気がつけば、俺は笑っていた。


敵の斥候がこちらに気づき、槍を構えて突っ込んでくる。

一人、二人、三人——全部で五人はいるか。


——ああ、そうだ。


子どもの頃、生きるために野犬を素手で絞め殺したことがある。

あの時の匂いが、ふいに蘇った。


最初の敵が槍を突き出してくる。俺は身をかわすと同時に、その穂先を掴み、力任せに引き寄せた。


ガツン。


鍔で相手のこめかみを打ち抜く。崩れ落ちる体から槍を奪い、二人目の喉笛に突き立てた。


血飛沫が顔に降りかかる。生温かい。


三発目の矢が頬をかすめる中、俺は倒したばかりの死体を盾にし、残る三人との距離を一気に詰めた。


——俺は狂っているのかもしれない。


だが、不思議と心は凪いでいた。刀を振るうたび、何かが体の奥から溢れ出してくる。


三分後。周囲に立っているのは俺だけだった。


「……おい。生きてるか」


振り返ると、仲間たちは腰を抜かし、俺を幽霊でも見るような目で見つめていた。


「な、なんでお前……たった一人で……」

「さあな。体が勝手に動いた」


これが、俺の初陣だった。


---


後日、この戦の生き残りが語り継いだ話が、いつしか軍中に広まった。


「京口に狂犬あり。一人で数十を屠り、笑いながら血を啜る」


真実は誇張され、脚色され、俺はいつしか 「一人で数百を殺した狂人」 として知られるようになる。


もちろん、全部が事実というわけじゃない。

数百はさすがに盛りすぎだ。数十だ。


だが、俺の人生はこの日、確かに動き出した。


---


陣営に戻った俺を待っていたのは、初めて出会うタイプの人間だった。


「君が劉裕か」


天幕から現れたのは、年の頃は三十代前半。痩身で青白い顔の文官だった。官服は煤けてはいるが、一目で只者ではないとわかる鋭い目をしている。


「俺は劉穆之。この軍の書記官だ。君の戦いぶり、見ていたよ」


「はあ……それで、何か用ですか」


俺は面倒くさそうに答えた。貴族風情と関わってもろくなことがないのを、すでに身に染みて知っていたからだ。


だが、劉穆之は気を悪くした様子もなく、むしろ口元を歪めて笑った。


「単刀直入に言おう。君はここで終わる器じゃない。 私と手を組まないか」


「手を組む?」

「この国は腐っている。生まれで全てが決まる貴族制。能力のない者が上に立ち、有能な者は這い上がれない。君もそれは痛感しているはずだ」


図星だった。俺が黙っていると、劉穆之はさらに続けた。


「私はね、劉裕。この秩序を破壊したいのだ。そして、君にはその 『力』 がある」


「俺に何をしろと?」


「まずは生き残ることだ。そして武功を重ね、のし上がれ。その過程で、君の邪魔をする愚かな貴族は——」


劉穆之は、手に持った筆をパキリと折った。


「——排除すればいい」


俺はしばし考え込み、やがてニヤリと笑った。


「面白い。乗ってやる。ただし条件がある」

「なんだ」

「出世したら、妹と母にたらふく飯を食わせること。それだけは約束しろ」


劉穆之は一瞬きょとんとしてから、声を上げて笑った。


「はは……! いいだろう。最高の料理人を雇ってやる」

「よし。じゃあ決まりだ」


こうして俺の、本当の意味での戦いが始まった。

この時はまだ、この選択が歴史を変えることになるとは、もちろん知る由もなかった。


——最底辺の狂犬が、天下を喰らう日まで、あと少し。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ