表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大宋英雄譚 ――借金まみれの農民が、腐った貴族どもをぶっ飛ばして皇帝になった件――  作者: ブキ
大宋英雄譚 ――借金まみれの農民が、腐った貴族どもをぶっ飛ばして皇帝になった件――

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/21

第十六話「長安の城壁」

長安が見えた。


潼関を抜け、渭水いすいの流れに沿って西へ進むこと数日——広大な関中平野の果てに、それは忽然と姿を現した。


土埃にまみれた行軍の疲れも、その光景を目の当たりにした瞬間、吹き飛んだ。


「でけえ……」


檀が馬上でつぶやく。普段は軽口ばかりの男が、声を失っている。


俺も言葉が出なかった。

洛陽も大きな都だったが、長安は桁が違う。周囲を囲む城壁は高さ十メートルを優に超え、東西南北にそびえる城門は、それぞれが一つの城と言っていいほどの威容を誇っていた。


漢の高祖劉邦がここを都と定め、以来四百年——幾多の王朝がこの地を中心に天下を治めてきた。まさに「天下の中心」。その名に恥じない巨城だった。


「この城を落とすのか……」

誰かがつぶやいた。


俺は振り返り、兵たちの顔を見渡した。疲れ切った顔、不安そうな顔、それでも前を見ようとする顔——様々だった。


「——そうだ、この城を落とす」


俺はあえて、いつも通りの調子で言った。


「でかかろうが、堅かろうが、城は城だ。中には姚泓って若造がいる。そいつを引きずり出して、降伏させれば終わりだ。簡単だろ」


檀が吹き出した。


「大将、お前なあ……長安を落とすのが簡単なわけねえだろ」

「そうか?」

「そうだよ。でも——」


檀は槍を肩に担ぎ、にやりと笑った。


「そう言い切る大将についてきて、今まで全部勝ってきた。今回も——勝つんだろ?」

「当然だ」


兵たちの間に、笑い声が広がった。

不安が消えたわけじゃない。だが、それでも——前を向ける。


「全軍、布陣!! 長安を包囲する!!」


号令一下、北伐軍は散開し、長安の四方に陣を張った。


---


長安攻城戦は、これまでの戦いとは次元の異なる困難を極めた。


城壁は高く、堀は深く、矢倉からは絶え間なく矢が降り注ぐ。攻城塔を押し出せば熱油を浴びせられ、破城槌で門を叩けば上から巨石が落とされる。


十日が過ぎ、二十日が過ぎた。

犠牲者は日増しに増え、兵の疲労は限界に達しようとしていた。


それでも——姚泓は降伏しない。


「さすがに、ここまで粘るとはな」


劉穆之でさえ、普段の冷静さをやや欠いていた。


「姚泓は若いが、芯は強い。それに長安の民も、異民族に支配されて百年以上経つとはいえ、そう簡単に我々漢人に城を渡そうとはしないだろう」

「民を味方につける方法はないのか」

「難しいな。彼らにとって我々は『侵略者』だ。北伐の大義は、我々の理屈に過ぎない」


「……そうか」


俺は長安の城壁を見上げた。

石の隙間から、雑草が生えているのが見える。何百年もそこに立ち続けてきた城壁。その下で、どれだけの人間が死んだのだろう。


「——穆之」

「なんだ」

「城を落とすのは、やめだ」

「……何?」


劉穆之が、めずらしく素っ頓狂な声を出した。


「攻城を続けても、犠牲が増えるだけだ。それに、力で落とした城は、また力で奪い返される。そうじゃないだろ」

「では、どうするつもりだ」

「姚泓を——城の外に引きずり出す」


俺は立ち上がり、南の城門を指さした。


「包囲を一部、解け。南門を開け放つんだ」

「正気か!? せっかくの包囲を——」

「わざと隙を見せるんだ。『ここから逃げられるぞ』とな。姚泓が逃げ出すとは思わない。だが——家臣の誰かが、裏切るかもしれない」


劉穆之は、しばし考え込んでいたが、やがて小さく笑った。


「なるほど。力ではなく、疑心暗鬼で攻めるか。君にしては妙に頭を使う」

「たまにはな」


---


包囲が一部解かれてから三日後——変化は起きた。


夜明け前、南門が静かに開き、一人の武将が馬で駆け出してきた。姚泓の叔父・姚讃——潼関で内応したあの男が、またもや寝返ったのだ。


「姚泓は、すでに追い詰められております。籠城は限界。近いうちに、決死の突撃をかけるつもりでしょう」

「それで、お前は逃げてきたのか」

「……はい。私は、無駄な死を選ぶつもりはありません」


情けない男だ。だが——利用価値はある。


「よし、わかった。お前の命は保証する。その代わり——姚泓に出撃を決断させるための『最後の一押し』を、お前がやれ」

「な、何を——」

「偽りの情報を流すんだ。『北伐軍の兵糧が底をついた』『劉裕が病に倒れた』——何でもいい。姚泓が『今なら勝てる』と思い込むような話をな」


姚讃は青ざめた顔でうなずき、再び城内へと戻っていった。


---


二日後——

長安の城門が、ついに開かれた。


姚泓は、残る全軍を率いて打って出た。数は二万。城内に残っていた最後の精鋭たちだ。

若き皇帝は自ら陣頭に立ち、羌族の誇りを背負って突撃してきた。


「——来たか」


俺は、渭水のほとりに布陣した北伐軍の先頭に立っていた。

背後には黄河ならぬ渭水。かつて淮水で盧循を、黄河で姚紹を破った「却月陣」が、再びその姿を現す。


だが——今回は、違う。


「姚泓は、却月陣を知っている。姚紹から聞いているはずだ」

劉穆之が言った。


「ああ。だから——見せるんだ」

「見せる?」

「却月陣を、囮にする」


俺は刀を抜いた。


「敵が却月陣を警戒して陣形を崩したところを——檀の騎馬隊が横から突く。正面は俺が抑える」

「なるほど、二段構えか」

「ああ。知恵はお前から借りた。あとは——力で押す」


---


戦いが始まった。


姚泓は、やはり却月陣を知っていた。無理に中央へは突っ込まず、左右に部隊を展開し、包囲する構えを見せる。

だが——その動きこそが、こちらの狙いだった。


「今だ、檀!!」

「応!!」


渭水の上流に潜んでいた檀の騎馬隊が、轟音と共に戦場に突入した。側面に展開していた敵部隊は、完全に虚を突かれ、なす術もなく蹴散らされる。


「な、なに!? 伏兵だと!?」


姚泓の顔が強張る。


「まだだ!! 全軍、反転攻勢!!」


俺は自ら馬を駆り、敵の本陣へと突き進んだ。

死線の予見が、飛び来る矢を教えてくれる。戦場の悪鬼が、全身の力を限界まで引き上げる。


もはや、誰にも止められない。


近衛兵をなぎ倒し、ついに——姚泓の目前に辿り着いた。


「姚泓!! 勝負はついた!! 降伏しろ!!」

「——いやだ」


若き皇帝は、震える手で剣を構えた。


「私は、羌族の王だ。たとえ負けても——膝は屈しない」

「立派だ。だが——」

「わかっている。死ぬ覚悟はできている」


姚泓は、覚悟を決めた目で俺を見た。

その目には、不思議と憎しみはなかった。

むしろ——安堵のようなものが、かすかに浮かんでいる。


「劉裕、お前に聞きたいことがある」

「なんだ」

「お前は、この国をどうするつもりだ」

「——誰もが報われる国を作る。生まれで差別されず、実力でのし上がれる国だ」

「……いい答えだ」


姚泓は静かに笑い、剣を逆手に持ち替えた。


「ならば——せめて、お前の刀で逝こう。それが、敗者の名誉だ」


俺は一瞬、目を閉じた。

開けた時には、もう迷いはなかった。


「——さらばだ、姚泓」


一刀——振り抜く。

若き皇帝の体が、ゆっくりと地面に倒れた。


長安、陥落。


---


城内に入ると、そこには驚くほど静かな光景が広がっていた。

民たちは、恐怖と不安の入り混じった目で俺たちを見つめている。略奪も暴行も、固く禁じていた。違反者は斬罪に処すと布告していたからだ。


「長安の民に告ぐ」


俺は馬上から、できるだけ穏やかな声で言った。


「この街は、今日から俺が治める。だが——お前たちの暮らしを、大きく変えるつもりはない。羌族も漢族も、農民も商人も、皆等しく保護する。この劉裕、約束する」


ざわめきが広がる。

やがて、どこからか拍手が起こり、それが徐々に広がっていった。

歓迎ではない。だが——拒絶でもない。

それで十分だった。


---


夜、長安の宮城で、俺は一人になっていた。


ついに、長安を落とした。

祖父の夢を、曾祖父の無念を、百年越しに叶えた。

だが——


「これで終わりじゃない」


俺はつぶやいた。


「ここからが、本当の始まりだ」


天下は、まだ統一されていない。

北にはまだ、北魏をはじめとする異民族の国々が残っている。

そして何より——建康では、俺の留守を狙って動き出す者たちがいるはずだ。


「いつまで戦えば、終わるんだろうな」


誰もいない部屋で、ぽつりと言葉が漏れた。

答えはない。答えは、自分で作るしかないのだ。


ふと、懐から小さな布切れを取り出した。興弟が昔、お守りだと言って持たせてくれたものだった。ぼろぼろで、色も褪せている。それでもまだ、持ち続けている。


「……兄ちゃん、まだやれるよな」


誰にともなく問いかけ、俺は静かに笑った。


——京口の狂犬よ、天下はもう、すぐそこだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ