第十四話「巨星、墜つ」
江陵から建康への帰路、俺はほとんど口をきかなかった。
劉毅を討った——その事実が、重い鎖のように心に絡みついていた。
戦場ではいつも通りに振る舞ったつもりだったが、さすがの檀も劉穆之も、必要以上に声をかけてはこなかった。
建康に着くと、都はまたもや祝賀ムードに包まれていた。
「反逆者・劉毅を討った英雄」として、俺を迎える声が街中に溢れている。
——反逆者、か。
ついこの前まで「盟友」と呼ばれていた男が、死んだ途端に反逆者だ。
勝てば官軍、負ければ賊軍——言葉の通りだった。
俺は祝宴の誘いをすべて断り、屋敷に閉じこもった。
劉穆之は「体調不良」と適当な理由をつけて、貴族たちを追い返してくれた。
「——兄ちゃん」
ふと顔を上げると、興弟が部屋の入り口に立っていた。
いつの間に建康に来ていたのか。いや、俺が北伐や南征で留守にしている間に、王神愛が気を利かせて都に呼び寄せていたのだろう。
「なんだ、どうした」
「ご飯、食べた?」
「……いや」
「じゃあ、一緒に食べよ。私が作ったの」
興弟は、盆に乗せた粥と干し魚を差し出した。
昔と変わらぬ、貧しいながらも温かい食事。京口にいた頃、三人で分け合って食べていたものだ。
「うまいか?」
「……ああ、うまい」
「よかった」
興弟は俺の隣に座り、自分も粥をすすりながら、ぽつりと言った。
「兄ちゃん、昔言ってたよね。『いつか腹いっぱい飯を食わせてやる』って」
「言ったな」
「もう、お腹いっぱいだよ。毎日、お魚もお肉も食べられる」
「そうか」
「でもね——兄ちゃんが笑わなくなった気がする」
俺は箸を止めた。
興弟は、じっと俺の顔を見つめていた。もう子供ではない。苦労を重ねてきたからこそ、人の心の機微がわかる。そんな歳になっていた。
「兄ちゃんは、誰かを倒すたびに、少しずつ笑わなくなるね」
「……そうかもな」
「でも、それでいいんだよ」
「いいのか」
「うん。だって兄ちゃんが戦うのをやめたら、今度は私たちが笑えなくなるもん」
興弟はにっこりと笑った。
その笑顔は、京口のボロ家で見せていたものと、何も変わっていなかった。
「私は、兄ちゃんが守ってくれた分、たくさん笑うから。だから兄ちゃんは、笑えなくてもいい。その分は、私が笑う」
「……生意気な妹だ」
「兄ちゃん譲りだよ」
俺は久しぶりに、声を出して笑った。
ほんの少しだけ、心の鎖が緩んだ気がした。
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数日後、朝廷から正式な沙汰が下った。
俺は「太尉・都督中外諸軍事」に昇進し、建康に常駐することが決まった。これで名実ともに、軍事に関する全権を掌握したことになる。
同時に、王神愛との婚儀も正式に決まった。
これは王家からの強い要請でもあり、俺自身も彼女となら——と思えるようになっていた。
婚儀は質素なものだった。戦が続く中で、華美な式を挙げる気にはなれなかったのだ。
王神愛もそれを理解してくれていた。
「あなたは、これからも戦い続けるのでしょう」
「ああ」
「私は止めません。ただ——」
「ただ?」
「帰る場所があることを、忘れないでください」
俺は彼女の手を握り、静かにうなずいた。
言葉は多くなかったが、それで十分だった。
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月日は流れ、俺は着実に「次」への準備を進めていた。
南燕を滅ぼし、盧循の乱を鎮め、劉毅を討ったことで、国内に俺に逆らう者はいなくなった。
だが——俺の目は、すでにさらに北へと向いていた。
中原の完全奪還。
かつて晋が失った長安と洛陽。それを取り戻さなければ、北伐は完結しない。
「次の相手は——後秦だ」
劉穆之が地図を広げた。
「後秦の皇帝・姚泓は若く経験不足だが、羌族の精鋭と、長安という堅城がある。容易な相手ではない」
「いつも通りだな」
「そうだな」
檀が笑いながら槍を手に取る。
「で、大将。今回はどんな無茶をするんだ」
「決まってる」
俺は地図の真ん中を指さした。
「正面突破だ」
檀と劉穆之が、同時にため息をついた。
王神愛だけが、静かに微笑んでいる。
「あなたらしいですね」
「そうか?」
「ええ、とても」
俺は窓の外を見た。
北の空は、いつもと同じ青さだった。
——京口の狂犬よ、まだ見ぬ長安を目指せ。
天下はもうすぐ、そこにある。




