第十三話「水面下の刃」
桑落洲から凱旋した俺を待っていたのは、またしても重苦しい空気だった。
盧循の乱を鎮圧し、南燕を滅ぼし、もはや軍功では誰も俺に敵わない。朝廷での地位も盤石——そう思っていた時期が、俺にもあった。
だが、現実は違った。
「劉毅が、挙兵した」
劉穆之の一言に、俺は言葉を失った。
「……劉毅が? あの劉毅がか」
「ああ。君が南で盧循と戦っている間に、奴は江陵で兵を集め、『劉裕を討つ』と檄を飛ばした」
劉毅——かつて朝廷で俺に味方し、手を組んだ男。北伐の裏で、俺の不在を狙って動いていたのだ。
「理由は」
「『劉裕は功に驕り、朝廷を私物化している』——表向きはな。本音は、自分が天下を取りたいのだろう」
俺は拳を握りしめた。
たしかに、劉毅は野心家だとわかっていた。いつかは決着をつける日が来るだろうとも思っていた。
だが——今か。
仲間だと思っていた。いや、今でもそう思っている自分がいる。
「檀はどこだ」
「すでに先遣隊を率いて江陵へ向かっている。君が動く前に、敵の動きを止めるつもりだろう」
「あいつ一人でか!?」
「君が止めても、彼は行くだろう。君の右腕は、君と同じくらい頑固だ」
俺はすぐさま出陣の準備を命じた。
劉穆之が静かに言う。
「劉毅は、かつての君の盟友だ。戦う覚悟はできているか」
「……できているさ」
俺は短く答え、刀を手に取った。
だが、心のどこかで、まだ割り切れない自分がいることも、認めざるを得なかった。
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江陵への道中、俺は劉毅という男のことを考え続けていた。
初めて会った日のことを覚えている。朝廷の謁見の間で、他の貴族たちが俺を遠巻きにする中、劉毅だけが笑いながら近づいてきた。
「私はずっと待っていた。この腐った朝廷をひっくり返す男をな」
その言葉は、嘘ではなかったはずだ。
劉毅もまた、貴族でありながら貴族社会に嫌気が差していた。実力でのし上がろうとする点では、俺と同じだった。
だからこそ——
「なぜ、今なんだ」
思わず声に出していた。
横を進む劉穆之が、静かに答える。
「彼もまた、君と同じ種類の人間だからだろう」
「同じ?」
「自分の力で天下を取りたいと思う者同士——いずれは衝突する運命にある。君と劉毅は、似すぎていたのだ」
「……そうかもな」
俺はそれ以上、何も言わなかった。
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江陵に到着すると、すでに檀の部隊が城の手前で陣を張っていた。
「大将!!」
檀が駆け寄ってくる。鎧は泥と血で汚れ、顔には疲労の色が濃い。だが、その目はまだ闘志を失っていなかった。
「状況は」
「劉毅は完全に籠城の構えだ。兵はおよそ一万。対してこっちは五千。数じゃ負けてるが、まあいつものことだな」
「無茶をしたな」
「大将に言われたくねえよ」
檀は笑ったが、その笑顔にはいつもの軽さがなかった。
「大将、あんた、劉毅と戦えるのか」
「……戦うさ。それしかない」
「そうか」
檀はそれだけ言って、槍を手に立ち上がった。
「じゃあ、いつも通りやろうぜ。大将が正面から突っ込んで、俺が右を叩く。穆之がなんか頭のいいことをする」
「……なんだ、その作戦」
「いつもの作戦だろ」
思わず吹き出してしまった。
そうだ。いつもの通りだ。相手が誰であろうと、俺たちの戦い方は変わらない。
「よし、行くぞ」
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攻城戦は熾烈を極めた。
劉毅はさすがに有能だった。城の守りは堅く、こちらの攻め手を尽くしても容易には崩れない。
数日の攻防が続き、両軍に疲労が溜まっていく。
そして、六日目の夜——
劉毅からの使者が、陣を訪れた。
「劉毅様より、劉裕様にお伝えしたいことがあるとのこと。明朝、城の門前にて、両者一騎のみでの会見を望まれます」
劉穆之は眉をひそめた。
「罠の可能性が高い。応じるべきではない」
「だが——あいつが一騎で来るなら、俺も一騎で行く。それが筋だ」
「……君は、どこまでも劉毅に甘い」
俺は苦笑した。
たしかに、そうなのかもしれない。
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翌朝、霧が立ち込める中、俺は城門の前で待っていた。
やがて門が開き、一騎の馬が歩み出てくる。
劉毅だった。
鎧もつけず、剣も帯びていない。まさか、本当に丸腰で来るとは——
「久しいな、劉裕」
「劉毅——なぜ、こんなことに」
「なぜ、か」
劉毅は静かに笑った。
「君がいたからだよ、劉裕」
「俺が?」
「君は強すぎる。そして、あまりに真っ直ぐだ。君が天下を取れば、この国は変わるだろう。それはわかっている。だが——」
彼は空を見上げた。
「私は、君の家臣になるつもりはない。私は私の天下を取りたい。たとえ、それが君と争うことになろうとも」
「お前となら、共に天下を取れると思っていた」
「私もだ。だが——天下は一人のものだ」
劉毅は俺の目をまっすぐに見つめた。
「私は私の道を行く。君も、君の道を行け。そして——決着をつけよう」
俺は、長い沈黙の後にうなずいた。
「……わかった」
「よい返事だ」
劉毅は馬を返し、城へと戻っていく。
俺はその背中を見送りながら、小さくつぶやいた。
「——さらばだ、友よ」
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その日の午後、総攻撃が開始された。
俺は自ら先陣を切り、城門へと突撃した。
飛び交う矢。降り注ぐ熱油。悲鳴と怒号が入り混じる中、俺はひたすら前へと進んだ。
——破城の剛力。
スキルが発動し、体が悲鳴を上げる。
構わずに振り抜いた一刀が、城門を断ち割った。
「門が開いたぞ!!」
「突入!! 突入せよ!!」
兵たちが城内へと雪崩れ込む。
俺は、本丸へと続く道を一人で進んだ。
そこには、劉毅が立っていた。今度は鎧をまとい、剣を手にしている。
「来たか、劉裕」
「ああ」
言葉は、もう必要なかった。
刀と剣が交錯し、火花が散る。
互いに譲らず、互いに全力で——
まるで、これまでの友情を確かめ合うかのように、激しい鍔迫り合いが続いた。
そして——
「——見事だ」
劉毅の剣が折れ、俺の刀がその胸を貫いた。
「お前こそ……」
「はは……私は、君の家臣にはなれなかった。だが——友として死ねるなら、本望だ」
劉毅は血を吐きながら、それでも笑っていた。
あの日、朝廷で初めて会った時と同じ笑顔だった。
「劉裕——君は、どこまで行く」
「上までだ」
「そうか……なら——見せてみろ。君の——天下を——」
彼の体から力が抜け、ゆっくりと倒れる。
俺はその場に膝をつき、しばし動けなかった。
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江陵の戦いは終わった。
劉毅の死により、反乱軍は降伏。これでまた一つ、国内の火種は消えた。
だが——俺の心には、深い傷が残った。
共に戦った友を、自分の手で討ったという傷が。
「大将——」
檀が近づいてくる。
その声には、いつもの軽口はなかった。
「檀、俺は——」
「言うな。わかってる」
檀は俺の肩に手を置いた。
「あんたが背負うもんは、俺も背負う。それが嫌なら、俺はここにいない」
「……悪いな」
「いいさ。俺は、大将の右腕だからな」
俺は立ち上がり、江陵の城を見上げた。
空は、どこまでも高く、青かった。
——友を失い、それでもなお、前へ。




