53.学士の都にて(4)
学士の館という建物は、巨大な平屋建ての上に二本の塔が立つ形をしており、下部が学士見習いの為の教室や寮、そして塔部分の各フロアごとを占有する形で各教室が存在している。
教室とはいっても、部屋そのものを指すわけではない。その言葉は、十数人の教導長が管理する、それぞれの班のような集団を指していた。学士の館では、見習いの内に基礎教養課程として色々な知識を身に着けた後、学士として資格を得ると、それぞれがこの教室に配属され、現地実習を兼ねる形で色々な仕事を学んでゆくのだ。
ファルイエが所属する第八教室は、左側の塔の数フロア上にあった為、昇降機で昇り降りした方が早い。だが、開いたままの昇降口の扉に違和感を覚えた彼女が中に入ると、操作パネルの紅いランプが点滅しており、思わず苦笑を漏らす。
おそらく、係の人間が魔力の補充を怠ったのだろう。動力部の暗証番号を知っていた彼女は、手早く入力して小型のハッチを開け、大型の菅型魔法端子に魔力を注ぎ込んでゆく。半ば程迄注ぎ込んだ所で、騒々しい足音と共に一人の青年が息せき切って走り込んで来た。
「も、申し訳ありませんッ、ちょっと仕事が立て込んでまして……え、ファルイエさん!? あぁ!?」
「あら、ロットーお久しぶり。元気にしてた?」
「元気にしてたじゃないでしょうがッ! あの後僕らがどれだけ苦労して――」
「あ~ストップストップ。ほら、封入終わったから、話は教室でしましょう」
「ぐっ……相変わらず仕事だけは早い……」
この男は、ファルイエの下に付いた二人の学士長のうち一人で、以前彼女がゼンドールにロナを迎えに行った際、後始末を任されたのも彼だった。絵にかいた様な平凡な容姿をした男で、融通の利かない真面目さが取柄でもあり、また欠点でもある。
二人は昇降機に揺られて左塔の第八層まで上がり、教室の扉を開く。そこにはがらんどうの空間が口を拡げ、主のいない机が寂しく連なっているばかりで人影もまばらだ。
「……殆ど出払ってますよ、皆。今忙しいんですから」
「そっか、あなたとシャンテには伝えておこうと思ったんだけど、ロナちゃんと一緒にしばらくまた留守にするから」
「はぁん!?」
柳眉を吊り上げ、目が一気に据わらせた彼は、唾を飛ばさんばかりの早口でまくし立てた。
「……何ですって!? いい加減して下さいよ! 今だって遺跡の改修作業でてんやわんやなんですから、この部屋見りゃわかるでしょう! 講義は中止して見習いまで作業に駆り出されてるような状態なんですよ!? ふざけんな!」
「ん~でも、その分各方面の遺跡の保全作業は軒並み停止中でしょ? 学士見習いまで動員して人海戦術で魔法道具の組み立てとか魔力の補充作業する位だったら、私ら二人位いようがいまいが関係ないわよ」
「そういう問題じゃないでしょう! あの書類の束見えてます?」
ファルイエの机の上にうずたかく積まれた白い紙の山。それは恐らく彼女の決裁、承認待ちの物で、周りに散らばっているのは、恐らく途中で崩れた分であろう。彼女は塞いだ耳から手を離すと、おざなりに手を振った。
「あ~わかった、わかったってば! あれだけは片してくから……後の事はあなたとシャンテに任せるわよ、判は置いてくから適当にうまくやっといて」
「冗談じゃありませんて! 最近彼女日に日に目つきが険しくなって来てて……ずっと『ファルイエさんはどこ……』ってうわごとの様に呟いてるんですよ!」
彼女の部下のもう一人の学士長、シャンテという人物は、ファルイエを信奉する余り是非第八教室で働きたいと自ら売り込んで来た女性で、有能かつ面白いので自分の下に付くよう根回ししたのだ。
魔法の才や知識的にはそこまで秀でたところは無いが、実務方面で際立つ手腕を有している為、彼女は日々ファルイエに膨大な仕事を押し付けられて鍛え上げられた。結局能力の上昇に比例して次々と任される仕事が多くなっていくという負の螺旋に組み込まれたある意味可哀想な人物なのである。余談だが、彼女はいつもファルイエのそばに居るロナをちょっとだけ目の敵にしている。
「それじゃあ、こう言ってたって伝えておいて……。『私の代わりが務まるのはあなたしかいないの、シャンテ。何しろ私の腹心の部下なんだもの、今回の試練も必ず乗り越えて、きっと私の期待に応えてくれるって信じてるわ』……ってね。後、これ渡しておいてくれる? プレゼントだって」
ファルイエが品を作りながら腰に付けた収納箱から取り出したのは、青と赤にそれぞれラッピングされた、二つの小さい包みだった。
「青い方はあなたに……。趣味に合わないと悪いから、筆記具にしておいたわよ。指輪とかの方が良かった?」
ロットーは溜息をついて首を振ると、彼女に眇めて細くなった目を向ける。
「まあ、貰っておきますけど……彼女はともかく、僕はこんな事じゃ誤魔化されませんよ」
「そう言わないで……今回は本当に大事な用なのよ」
「……ロナ学士にも関係あるんですか? あんまり彼女を巻き込まないであげた方が良いかと思いますよ。彼女はあなたみたいに優秀じゃない……あまり危険な目に遭わせないであげて欲しいな」
一理あるが、この言葉は、先輩としてのただの意見なのか、それともロナ個人に向けられたものなのかファルイエは少し気にならないでもなかったので、反応を伺うように言葉を選ぶ。
「だって、ロナちゃん自らもそれを望んでいるんだから……世話になった彼をどうしても助けてあげたいのよ」
「男なんかにうつつを抜かしている暇があったら勉学に勤しんだ方が彼女の為ですよ。何の為に学士になったんだか、全く。あなたもあなただ。何故そばに居るあなたがちゃんと導いてあげないんだ」
「まあ、そう言わないでよ……それに、私はこれが間違っているとは思っていないから。忠告なんていうのは迷いのある人にしか必要ないものよ」
わずかに眉間の皺を増やして苛立つ彼に自覚は無いようだが、好意はあるように感じる。このまま彼と楽しい話を続けるのも悪くはなかったが、残念なことに今は時間が無い。ファルイエは程々に会話を切り上げて仕事に手を付け始めた。
「……もうこれ以上引き留めはしませんが、帰って来た後にどうなっていても文句は言わないで下さいよ」
「信用してるから、何も心配してないけどね」
彼女が意見を変えることは無いだろうと悟ったロットーも、がっくりと首を落とし、黙って自席に戻る。
たまった書類を高速で片づけ始めたファルイエに目をやりながら、ロットーは贈り物を広げた。中には銀色に光る雪割草が小さく描かれた黒い万年筆。確かその花言葉は……。
(信頼か……ずるい人だよ、あなたは)
心の中で一つ呟き、彼もまた目の前の仕事に没頭し始めた。
その後、ファルイエは戻って来た第八教室の教導長に事情を説明し、ロナと共にしばらく任務外の要件で学士の館を離れることを告げる。予想通り、かなり渋い顔をされたが今回の事件で人材の数が減ったことと、次の館長選に保守派の人物を推すことを約束したことで、なんとか長期間の休暇扱いで処理してもらうことができた。
戻って来た時には馬車馬のように働かされることだろう。その時の事を思うと、手放しで喜べない感はあったが、こればかりは甘んじて受け入れるしかないのだった。
引継ぎを済ませ、日が傾く前に館を出てファルイエは三人と合流したが、その時には既に背後にひりついた気配を感じていた。数人だが、確実につけられている。宿内に集まった顔ぶれの前でそれを打ち明けた。
「易々感づかれるところを見ると、大したことの無い相手だと思うのだけれど……目的が良く分からないわね」
「君は目立つからね、どこかでまた恨みを買ったんじゃないのかい? どうするの? しばらく逗留してやり過ごすのも良いかも知れないけど……」
「居所が割れているのは痛いし、外に出て炙りだしましょう。ニル、一つ策を打つからちょっと協力してもらえる?」
「何か考えがあるんだね。いいよ、聞かせてくれ」
顔を寄せた二人は息の合った笑い顔を浮かべた。
……至る所から宿の一室を見張っていた男達が、魔法の使い手が送る指示に従い入り口に目をやる。数は四人……間違いなく全員が出て来たのを確認すると、一定距離を保ちながら歩きだす。
目立たず周囲に溶け込み、さりげないようすで通行人とすれ違いながら、彼らは目標を見失わぬように追跡する。
うち一人が、先回りしようと細道に入り込み、出会い頭にぶつかりそうになった人物の顔を見て固まった……驚愕に壁に背をぶつける彼の目の前には、ここには居ないはずの人物がいたのだ。
「なッ!? おま……」
「はぁい、動かないでねぇ」
疑問の言葉を最後まで吐き出す事は叶わず、男は眠剤を染み込まされた布に意識を奪われ、地面に横たわる。
「これで一人、と……しばらく大人しく寝てなさいな」
男の足と手を布で縛った後、ファルイエは灰色の魔法の外套を被り、姿を消して次の目標へと向かってゆく。
そして、ニールフェン達が馬車の溜まりに近づく頃……連絡役の魔法使いは仲間達が一向に集まらないのを不審に思い、撤退するどうか迷っていた。彼が使う魔法による音声発信は一方通行の為、周りで何が起こっているのか知る術はなかった。
「畜生、このままじゃ報酬が貰えねえのに……。あいつら一体どこで遊んでやがる……」
状況確認の為、周辺感知の魔法に切り替えようとした時、背中に硬い何かが当たる。
「……それって、この人達の事かしら?」
「ひぃっ! ひあぁぁぁあっ!」
後ろから突き出された二人の男の頭に、魔法使いは絶叫して後ろに倒れ込んだ。
「大丈夫よ、寝てるだけだから……」
両手に持った男達の体を投げ出すと、ファルイエは魔法使いに顔を近づけにたりと笑う。
「ねえ、どうして私達を着けていたのか説明して貰えるかしら? それか……【捩風】」
指から放たれた、細く撚られた風の槍が魔法使いの頬の横をかすめ、地面に小さく深い穴を穿つ。
「好きな所に穴を開けてあげましょうか? 耳でも手でも足でも、喋ってくれるまで順々に」
「た、頼まれたんだよ……それ以上は言えねえ! 本当に知らねえんだ! なァ、頼む……見逃してくれよッ!」
必死に言い募る男の周りに数発追加で魔法を撃ちこんでみたが、喋る気配は無く、ファルイエは結局男を解放する。手足を振り回しながら逃げ去って行く男が路地裏から抜け出たその時……。
火線が目の前を横切り、男に突き刺さるのが見えた。重い音と同時に上がる幾つもの悲鳴。
途端彼女は警戒を最大限に高め、魔力による障壁を張って路地裏から躍り出た。遠方から恐るべき速度で飛来した何かが障壁の表面で弾け、火花を散らす。
ファルイエは衝撃があった方向に素早く目を向けたが、近辺に遮られず攻撃できるような建物は存在せず、順々に遠くに目を向けて愕然とした。その視野の奥にそびえ立つのは、青い二つの塔を備えた巨大な建造物。
(そんな、まさか……館から、魔法で? 狙って撃ったって言うの!? 有り得ない……)
足元で側頭部を一撃で撃ち抜かれた男の死体が血の海を広げていく中、わけもわからずファルイエはただ立ち尽くすしかなかった。
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