53.学士の都にて(3)
会議を終えたファルイエがニールフェンの邸宅に訪れた時には、もう空を濃紺の帳が覆い尽くしてしまっていた。精も魂も尽き果てた様子の彼女がふらりと扉のドアを叩く。そしてそれを開いて出て来たロナに思いきり縋り付いた。
「ファル姉さん、おかえりなさい。わっ、どうしたんですか、そんなに疲れて!」
「ロナちゃん……しばらく休ませて。はぁもう、胃が痛くてぇ……」
「大丈夫ですか、とりあえずソファでゆっくりして下さい」
台所を借りてロナが茶を入れる間、ファルイエはずっと額に手を当ててぐったりとしていた。いつもは引っ張られたように立つ三角の耳も、支えを失ったかのようにひしゃげている。ロナは暖かい茶を淹れたカップを渡すと隣に座り彼女の愚痴に付き合った。
「うぅ……まったく、あの狐親父ったら本当にしつこくて……。ロナちゃんも気を付けなさい」
「誰の話です?」
「ヴィスゲント副館長よ……戻った時から見てたなんて、学士か門衛かそれとも厩番でも買収してたのかしら……」
「背の高い、怖い顔の方の副館長ですよね? 私は遠くからしか見たことが無いので何とも言えませんけど、監視だなんて何だか穏やかでは無いですね」
結局あの後、会議はつつがなく進行したものの、ファルイエはヴィスゲント副館長に呼び止められ、かなりの時間を拘束された。
要件としては彼付きの秘書役をやらないかと言う事で、将来的に教導長の地位を約束するとの言葉まで頂いたが、もちろんファルイエは波風を立てないように至極丁重にお断りした。ファルイエはそこまで地位に執着はしておらず、保守派から改革派に鞍替えするつもりも無いのだ……大金や名誉と引き換えに自らを椅子に縛り付けるのは御免だった。
恐らく、次期館長の座に着く為の根回しの一環なのだろうが、少しきな臭い感じもする。とはいえ自ら組織運営に積極的に関わり、保守派の旗頭となって彼らと敵対するなどという気ファルイエには毛頭ない。
仮に館長が代替わりして改革派が実験を握ったとしても、それはそれで時代の流れというもの。双方の主張どちらにも理が有るからこそ二分しているのだから……何より今は優先すべきことが別にあった。
「大方、改革派の陣営を少しでも強化したいんでしょうね。手段を考えないような無思慮な人物だとは思わないけど、少し警戒しておいた方が良いわ」
「大丈夫ですよ、同じ学び舎の先達なんですし。それに私、人望も実力も有る姉さんとは違いますもん」
「そういうことじゃ無いの……それに、ちゃんとあなただって成長してるんだから、先の事なんて誰にも分からないわよ」
今は未だその才能は開花していないものの、ロナは努力家で勤勉だ。きっとこの先、どこかでそれが報われる時が来るだろう。彼女なら、優しいその気持ちを保ったまま、惑い苦しむ若い世代の者達を導いていくことが出来るようになるかも知れない。是非その時には傍らでそれを眺めていたいものだと思う……彼女の周りに集まる人々の笑った姿を。
そんなふうにして眺めていたロナが「私なんて、まだろくに魔法も扱えないのに」と自嘲し、話を逸らすように尋ねた。
「それより、館を離れる手続きの方は無事に済みそうですか?」
「それは明日以降ね……せっかくニールフェンが調べてくれるんだから。万が一ってこともあるでしょうし」
ファルイエもレンティットの言葉が虚言であると考えているわけでは無かったが、国外へ出向くような大事になると、間違っていたでは済まされない。念には念を入れておきたかった。
そうして茶を片手に束の間の休息を過ごしていると、奥の扉が開き、二人が姿を現わす。疲れた様子でこめかみを揉むニールフェンの傍らで、レンティットがぐっとその背を伸ばした。
「ふぅ……おや、君も戻ってたんだね。こちらの解析は終わったけど、話を聞くかい?」
「お疲れ様……ええ、良かったらすぐに聞かせてちょうだい」
ファルイエはレンティットを手招きして座らせ、ソファが一杯になったのでニールフェンは床に腰を下ろす。それをロナは申し訳なさそうにしていたが、彼は「我が家は女性優先だから気にしないで」と笑い譲ろうとはしなかった。
そうして、三人の前でニールフェンの講釈が始まる。
「今回、奥にある機材でレンちゃんの左胸の刻印を解析して見たんだが、僕をもってしても刻印の構造自体は完全に解析できなかった。現代の刻印魔法に使われる図式には一つ一つが意味を持っていて、例えば、線は流す、円は溜める、四角は放つ、他にも火であれば赤色を使う等、属性によって色分けしたりね。そう言った役割の決まった図形を重ね合わせられ作られる場合が多いんだが……君のは例外中の例外だね」
彼はレンティットにいつもとは違う冷めた眼差しを向けた。こちらが彼の研究者としての顔になるのだろう。
「この刻印自体も血液が固化したものが皮膚と同化して表れているようで、こういった技術は現代ではあまり推奨されていない。被術者の魔力の流れに悪影響を及ぼす恐れがあるからね。そして極めつけはその機能的なものだが……推測でしか無いけど恐らく特殊な場所に蓄えられた魔力を、空間を通じて引き出し、利用する為の……」
「ちょっと待って、その辺りも興味はある話だけど、結局どうなのかしら、彼女の言っていることは正しいの?」
「それに関しては、こちらで見て貰った方が早いかな」
彼が手招きした室内には、台座の着いた円筒形の装置と、それに繋がれた背の高い机があった。その天板は透明で、半分には段分けされた光の文字、もう半分には地図が表示されている。
「何だか、遺跡に有った装置と少し似てますね」
「そうなんだ……これも古代技術を転用した計測器だよ。ちょっと魔導研の方に友人がいてね、研究用の試作品を元に作ってもらったのさ。これによって対象物の組成や、魔力の強度、流れ、使用されている魔法の象化構造等、色々なことが読み取れる……はずなんだけどね。発生源とその結び付き位しかわからなかったよ」
透明な板に表示された地図を彼女達が覗き込むと、そこには三つの点がある。まず一つはここ、リシテル国のキオマ。そして大陸の北方に記されている大きな円と、海を渡った別の大陸の中部やや南に位置する小さな点。それら薄っすらとぼやけた光の線が繋いでいる。
「恐らくこの、北にある一番大きな物が発生源なのだろうと思う……そして」
「この西側の大陸の小さいのが、エイスケなのね。間違いないの?」
「多分ね、とは言え位置情報はそこまで正確ではないかも知れない。ただまあ、海向こうにいることはほぼ間違いだろうと思うよ」
ファルイエは手の平と視線を上に向けて呆れた。レンティットの言う言葉を芯から疑っていたわけでは無いのだが、どこか間違っていてくれることを期待していたのは否めない。何せ距離が遠すぎるのに加えて、向こうの大陸では案内の伝手も無いのだ。その中で人探しを行おうと言うのだから、無茶もいいところではある。ただし……。
「ええと、レンちゃん……多分なんだけど、彼と近づけば近づく程、居所が正確にわかると考えて良いのよね?」
「それはそうだよ……そうでないとあの時、そこまで辿り着けなかったもの」
遺跡まで何の案内も無く足取りを追えたのだから、距離さえ詰めればいいのだ。ファルイエはもう開き直るしかなかった。
「そう……なら、今日は宿を取って、手続きが済めば明日にでも発ちましょう」
「明日!? 急すぎやしないか? 少しくらいゆっくりしていったらどうなんだい?」
「この子との約束でもあるしね……それに」
ファルイエはレンティットの頭を撫でながら言った。
「何だか、嫌な予感がするのよ」
「そんな曖昧な……いや君が言う位だからあながちそうでもないのかも知れないが。まあ、君達の選んだ道だし、好きにするといいけどさ」
ニールフェンの茶色の瞳が少し不満の色を帯びるのにファルイエは口元をほころばせた。話好きなこの男のこと、きっと色々積もる話もあったのだろう。彼のこういう子供っぽいところがファルイエは嫌いではなく、また、出会った頃から変わらず接してくれるその気持ちが何より有難かった。
「ありがとう、この埋め合わせはまた今度させて貰うわね……また飲みにでも行きましょう。もちろん、ケイトリンも一緒に」
「ケイはともかく君の方は底無しだからなあ……よし、どうせなら、件の彼やそこの二人も連れて一緒にどんちゃん騒ぎにしようか! うん、楽しみになって来た」
「私は少しなら良いですけど、レンはお酒は飲める歳なんですか?」
「どうだったかな……十と、いち、に、さん、し……」
仮住まいを後にした彼らは家路を辿る大勢の人々の中に紛れ、何ら変わらない日常の風景の中に溶け込んでいく。この先もきっと幾多いる人々と出会い、繋がり、別れていくのだろう。終わりが訪れる時、思いだすのが大切な人達と過ごしている今このような時であってくれればいいと、ファルイエはそっと心の中で願った。
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