53.学士の都にて(1)
全体的に落ち着いた配色の建物が連なる中に目立つのは、背部に白い本の刺繍が描かれた薄青色のローブを纏う者達。それは街の中央にある、ある学び舎に在籍していると言う証だ。
ここは学士達の都、《キオマ》。中心に置かれた学士の館を取り囲むようにして広がる街。
青色は知識と理性を象徴するということで、館の建物にも使われている。ちなみに、ローブを今一行の中で身に着けているのはロナだけで、ファルイエは戦いで所々破れてしまったそれを鞄の中にしまったままだ。
「……あれが、学士の館」
遠くに見えるその建造物を見上げ、レンティットが背伸びする。きっと空から見れば、広がる茶色や黒の屋根の中心に、湖のように青く彩られたそれが周囲から浮いて見えたことだろう。
「どうしましょうか、せっかくだから軽く観光でもしていく?」
「そんな暇無いよ……早く行こ」
「まぁまぁ……取りあえず腹ごなししましょ? もうお昼だし。あら、ロナちゃーん?」
足早にその場を去ろうとしたレンティットを追って襟首をひっつかみ後ろを見ると、ロナは一人の男に話しかけられて慌てている様子だった。
黒眼鏡と帽子で顔を隠した男にファルイエの視線がきっと険しくなり……レンティットを荷物のように抱きかかえると彼女は詰め寄った。
「人の連れに勝手に粉かけないでくれる? 何か用があるなら私が聞くけど……?」
「あ、姉さん違うんです……この人は」
「……相変わらずだなぁ、ファル。まだ気づいてくれないのかい?」
男が目深に被った狩猟帽を持ち上げ、黒眼鏡を下げたので、その顔が陽の下に晒された。所々渦巻く短くちぢれた茶髪の下に、陽気そうな鳶色の目が弧を描いている。特徴的なのは目の下にある隈の様な入れ墨だ。
「……ニル! 何だもう、驚いて損した気分」
「ははっ、ま、そう言わないでくれよ……僕も位が上がって、窮屈な身分になってしまったってことさ。二人とも、元気そうで何より。……ところでその、元気なお尻は誰のかな?」
未だ小脇に抱えられたままバタつく少女を慌てて下に降ろすと、彼女は赤くなった顔で青年を一瞥してそのまま歩き出そうとする。
「こらこら、待ちなさいって……」
「知らない人に興味は無いから……早くあそこで用事を済ませて南に向かわないと」
「おやおや、会ってそうそうつれないお嬢ちゃんだ。まぁそう顔をしかめないでさ……せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか」
彼はレンティットのいく先を塞ぐように前に出ると、帽子を取って会釈をした。首と肩の隙間に、ゆるく括られた茶色の頭髪が揺れた。
「僕の名はニールフェン・ディスキー。若き天才刻印師さ……《刻印狂》なんて失礼な名前で呼ぶ奴もいるけどね。親愛を込めてニルって呼んでくれたまえ」
「ファル……何なのこの人? どかせてよ」
怪訝そうに深められた額の皺が彼女の苛立ちを示すが、ファルイエはそれをやんわりと拒否した。
「残念ながら、その男の手を借りる必要があるのよ……知る人ぞ知る刻印技術の専門家が彼って訳なの」
「ははっ、館きっての才媛から言われるとむず痒いものがあるね。お初にお目にかかります、綺麗な青髪のお嬢さん。どうぞよろしく。訳は知らないけど、女性には優しくする主義なので、困ったことがあれば何でも手伝おうじゃないか」
いかにも軽薄そうな調子で手を差し出す彼を指差し、レンティットは口を曲げてファルイエを見上げた。
「学士ってこんなのばかりなの?」
「変わり者が多いのは認めるけど……彼を基準にされても困るわね」
「いやぁ。お褒めに与り光栄だなぁ」
「ニルさん、誉め言葉ではないですよ……」
「細かいことはいいじゃない……しかしロナちゃんも久しぶりに見ると一段と可愛らしくなったね。どうだい、お兄さんと付き合わない?」
「ニル……いい加減にしなさいよ。首でも絞められたい?」
「ああ、ファルにならそれもいいかも知れない。さぁ君の細く美しい指で僕の首を優しく抱きしめてくれ……」
その陶酔したような仕草にレンティットは引きながら、ファルイエを見た。この話の通じない男をどうにかしろと、その顔にはありありと書かれている。
「そんな目で見ないでよ……腕は確かなんだから。ほらニル、人目が集まるからもうちょっと大人しくしなさいな」
ファルイエは男の期待を裏切り、にこやかに腹部に拳をめり込ませた。彼はそれを受け軽く咳き込みながらもどこか幸せそうな笑みを絶やさない。
「ごほっ……この久々のこの感触。愛を感じてしまうね。ともかくお食事でもしながら事情を聞こうじゃないの、ちょっと、痛」
容赦の無い追撃に耐えながらどこか嬉しそうにする不気味な男。周りの視線が気になるロナもこの場から離れるように促した。
「何でもいいから早く行きましょうよ……知り合いも多いんですから」
「しかし、その可愛い君。中々珍しい物を着けてるねぇ、ここに……理由はそれ絡みなのかい?」
男の見透かした言葉にレンティットは、つい身を強張らせる。明確に自身の左胸を指す指先……無論、分厚い冬着の上からでは透けることもない刻印を、男はどうやって見破ったのだろうか。その瞳はただ興味深そうに彼女を見つめるだけだ。
「どうして……?」
「ま、それも含めて説明するから、一旦どこかで腰を落ち着けましょう」
そのままファルイエに引きずられ出すニールフェンという男。彼の無邪気そうな瞳がもう自身を映していないのにほっとすると、レンティットは渋々後について歩きだした。
ファルイエが三人を引っ張って訪れたのは、洒落た造りをした一軒の建物だった。ロビーに品の良い織物が敷き詰められたその場所を、レンティットは最初、高級な宿だとばかり思っていた。
《賢人の庵》……個室喫茶店であるこの建物は、その部屋一つ一つが魔法装置の様なもので、防音や耐衝撃などの強固な魔法障壁や、温湿度等の室内環境調節機構が備えられているという、密談に最適な場所と言えるのだった。噂によれば、上層階には要人専用に作られた貸し切りの個室なども存在するらしく、それに通じる秘密の入り口なども有るとか無いとか……。
手慣れた様子で部屋を借りたファルイエは一行を案内する。室内に入ると、六人掛けの円卓が中央に置かれていて、四方にさりげなく品の良い調度品が彩っていた。手を掛けようとした椅子がニールフェンの手によって後ろにひかれ、つい仏頂面で礼を言うレンティット。
「ありがと……」
「どういたしまして……どう、少しは僕のこと好きになってくれた?」
「あのねえ……あんた、そろそろ他の女に色目使うの止めた方が良いわよ? それか、一度位彼女に刺されてみるのも良い薬になっていいかも知れないけどね」
「……止めてくれよ、君が言うと洒落に聞こえないから」
いつになく辛辣なファルイエの言葉に彼は笑みを引きつらせ、黙って席に着いた。レンティットは高級な椅子のふわふわした様子に慣れず何度も座り直し、気を利かせたロナが通信用の魔法装置で給仕と応答して簡単な注文を始める。
程無くして昼食も兼ねた、軽くつまめる各種のサンドイッチが給仕の手により運ばれ、飲み物と共に卓上に置かれた。恭しく退出するのを見送った後、それぞれ手を伸ばしながら会話を始めだす。
「でもニル、位が上がったって事はあなたも教導員になったの?」
「そういうことだね。今回の事件で方々に欠員が出たから、埋め合わせだって言うのも有るだろうけど……僕にとっては面倒な話さ。やりたいのは刻印魔法の研究と女の子と遊ぶことだけなのに……。後進の育成とか興味ないんだよね。おっと、君やロナちゃんみたいな可愛い女の子だったら別だよ? どう、君も学士になって見ない? 勉強でも魔法でも、手でも足でもどこでも取って教えてあげるよ?」
「い、いらないから……なんなのこの人」
「ニルさん……それ以上絡むとケイトリンさんに言いつけますよ」
ロナがファルイエから教わったこの魔法の言葉は効果覿面で、途端にニールフェンは背筋を伸ばして口を噤む。余程その彼女とやらが恐ろしいのだろう。
「ロナちゃんまでそういうことを言うようになったのは君のせいだよ、ファルイエ……数年前まではあんなに素直に、ニルお兄さんと慕ってくれていたというのに」
「当たり前でしょう、いつまでも子供じゃあるまいし……まあ、旧交を温めるのはまた今度にしましょ」
自分に向けられた恨めし気な目をぞんざいに受け流すと、ファルイエは男に向けて事情を話し出す。ファルイエがこの男を頼ろうとしていたのは、専門的な知識があるのとは別に、同期である程度信用が置け、かつ地位や名誉欲が無く上昇志向の無い自由人である為、知り得た秘密を人に漏らすようなことが考えにくいからだった。
「ふ~ん……成程ね。どうしてもその彼を助けたいが、本当にこの、レンティットちゃんの言う事が真実であるかどうか確証を得たいと」
「まあ、そういうことよね」
「ううむ……悪いけど、協力は出来ないな」
「ど、どうしてですか……。ニルさんは見たことの無い刻印とあれば見ず知らずの人に土下座して靴を舐めてでも調べたがる位の変態じゃ無かったんですか!?」
「ファルイエェ……有ること無いこと吹き込まないで貰いたいな」
驚愕したロナの言葉にえぐられたように胸を押さえ、恨みがましい目で彼はファルイエを見つめた。
「だってあなた、大体そんな感じじゃない? 上司命令無視して、変な魔法使いに弟子入りして学士を破門されかけたり、刺青を刻印と勘違いして女性更衣室まで追いかけて問題になったりとか無茶苦茶してたじゃない」
「初対面の人間の前で僕の尊厳を破壊しないでくれるかな!? 汚物を見るような視線が突き刺さって非常に心苦しいんだけど……まあ、それはともかくとして、だ」
彼は一つ咳払いをして真面目な表情を作り、腕を組む。
「協力できない理由、それは実に簡単な事さ。何が悲しくて僕が男を助ける手伝いをしなきゃならないんだい……麗しい乙女を救う為ならともかく」
「ん~……なんて? もう一回言ってくれるかしら?」
「あいだだだだだだっ……! 嘘、これは冗談! 理由、理由を話させてくれっ」
場が凍り付いた後、ファルイエの手が彼の額に喰い込む。頭蓋を軋ませながら彼が必死に弁解するのを聞いて、ようやく彼女はニールフェンを解放した。
「はぁ、はぁ……まあ真剣な話、君……今回の事、上にどう報告するつもりなんだい?」
「うまく誤魔化すつもりではいるわよ……それだけ?」
「もちろんそれだけじゃないさ……今回の件、結構な数の犠牲が出てるんだ。そんな中で教導員が私的な理由で数か月も任務を離れるなんて、破門も辞さない覚悟が必要になる、それをわかっているかい?」
「そうだとしても……彼は自身の身も顧みず、こちらの危険な任務に協力してくれて、私の一番大事な物を救ってくれた。確かに私は仕事に誇りを持ってるけど、恩人と秤に掛ける程では無いわ」
真摯にこちらの身を案じてくれる彼に感謝しながらも、ファルイエは自分の考えをはっきりとぶつける。双方が睨み合った後、根負けしたのはやはりというか、ニールフェンの方であった。
「どうやら意志は固いようだね……だが、君は良いとしてロナちゃんの方は構わないのか? 何なら彼女の身柄は僕が預かっていてもいいんだよ?」
「御気持ちは有難いのですけど、彼の事を助けたい気持ちは私も一緒です」
「そうか……ならもう黙って協力するしか無いわけだ。しかし羨ましい男だな、そいつは。一体どんな男なんだい? さぞ華の有る見事な人物なんだろうね」
その言葉を聞いてファルイエとロナは同時にくすくすと笑いだす。
「……どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたも……まあ、会ってみたらわかるわよ」
「そうですね、きっと驚くと思いますよ」
はぐらかす二人の様子が腑に落ちず、ニールフェンは疑問符を浮かべて首を捻り、隣では花を抱えたエイスケの姿を想像したレンティットが同じように首を傾げた。
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