51.青い針の導く先
彼らが赤熊洞に逗留する様になって数日後の事。普段はゆったりと構えているファルイエが、慌ただしく扉を開け出て行くのを見て、ルピルは察した……彼女の連れが、街に戻って来たのだと。
それからしばらく経ち、顔じゅうを涙などでぐちゃぐちゃにしたファルイエを連れ、二人組の少女が宿に入って来る。ロナとレンティットだ。
「ちょっと、姉さんいい加減にして下さいって……ほら、もうそろそろいいでしょう!? わざわざ魔法まで使って飛んで来るなんて……」
「だってだって、本当に心配したんだからぁ……。お姉ちゃん、ロナちゃんがいなくなっちゃたらぁ、生きてけないぃ……」
鼻声でロナの体にしがみつく銀髪の獣人は、いつものあの艶やかな淑女と同一人物とは思えない位で、驚きを禁じ得ずルピルは苦笑した。その影からその前に少しばつが悪そうにして、青い髪の少女がちょこんと進み出て来る。上目遣いで口ごもるレンティットに彼女にルピルはなんて声を掛けていいか、迷ってしまうのだった……。
「ええと……その、お帰りなさい、よく無事で。……怪我とかは無い?」
「うん……ちゃんと治してもらったから、大丈夫。ごめんね……エイスケ、連れて帰れなかった」
「レンちゃんが謝らなくてもいいのに……。こっちこそ、何の力にもなれなくて……い、生きてるのよね?」
「うん……でも、とっても遠いところにいて、会えない」
(どういうことなんだろう……?)
彼女は元気をなくしている様子だ。ルピルは困惑しながら、せめて彼女と仲の良かったミィアに合わせてあげようと、手を引いて行く。その後ろでいい加減困り果てたロナが叫んだ。
「ファル姉さん、もういい加減にしゃんとして下さいってば! いつまでも泣いてないでっ……これから皆さんに説明しなければならないことがあるんですからっ!」
そして、それぞれの時間をしばし過ごした後、面々はいつもの食堂に集った。その中でオルベウだけは若干の気まずさを感じていた。何しろ女ばかりの姦しい空気の中だ。未だロナにべったりしているファルイエとは対面にルピルとレンが座っている。とりあえず、戻って来たレンティットに声を掛けてみた。
「よ、よう……良く戻ったな、レン」
「誰だったっけ……今思いだす。オ……オル、オル……ゥ? ……オルで良かった?」
「オルベウだが、もうそれでいいよ……」
どうやら途中までは思いだせたようだが、その先が続かず……オルベウはがっくりと頭を垂れて諦め、彼女の隣に座る。対面にはロナとしなだれかかるようにしているファルイエの姿がある。
「ロナもよく無事で……」
「ご無沙汰してます……ちょっともう、姉さん、いい加減……離れるっ!」
「あぁんもう……いいじゃない、久しぶりなんだから」
「はぁ。もうこの人に付き合っていては話が進みませんので……あの時あったことを説明していきますね……」
どうやらまだスキンシップが足りないらしく、放っておけば一日中でもくっ付いていそうなファルイエに辟易しながら、ロナは強引に未練がましく手を伸びる手を押しやり、事情を話しだした。
「どこまで皆さんがご存じか分からないので、まずは私が体験したことから……戦いが始まってしばらくした後、全身に傷を負ったエイスケとレンさんが、遺跡の中に転移して来たのです……彼はそれを魔剣のせいだと言っていました」
「あれか、あの黒い短剣みてえな……普通の魔剣じゃなかったって事なのか?」
「ええ、そうだと思います。何しろその後、その魔剣の力で、私達はイゼシアまで飛ばされ、彼は海の向こうまで移動したというのですから」
「海の向こう、って……」
ルピルも流石に地図位は目にしたことがある。一般的な世界地図に描かれる二つの大きな大陸。海を隔てて二つに割れたその向こう側には、もう一つの大地が拡がっているのだ。だが、それがどんなものか、ルピルには欠片も想像することが出来なかった。
「……彼は、西大陸……シア・ナンハイへ飛んでしまったと、言うことらしいんです。そうですよね、レンさん?」
その言葉に頷くレンティット。彼女は、左胸を押さえ、ゆっくりと目を伏せた。
「私と彼は、ある契約を交わして、お互いの存在を感じ取れるようになってる。流石に遠すぎて意思疎通は出来ないけど……エイスケがそのシア・何とかにいること位はなんとなくわかるんだ」
オルベウは頭を押さえて唸り……ファルイエも眉間に軽く皺を寄せた。
「それ、本当なのかよ……だとしたら、また遠くまで飛ばされたもんだな」
「私が倒れた後のことね……オルベウはまだその時起きてたのよね?」
「しょっちゅう寝てるような言い方せんでくれよ……まあ確かにあんたが吹っ飛んだ後、あの痩せ男にエイスケと二人で突っかかって早々に吹っ飛んで気絶したけどな。んで恐らく、その後レンが来たんだろ? てっきり俺は、レンが何かしてそいつを撃退したのかと思ったが……違うのか?」
「来た順番はそれで合ってるだろうけど……でもその後私も魔法で傷を受けて気を失ったから、後の事はエイスケしか知らないよ。少なくとも私も、何もできなかった……」
結局、一番重要な所を知っている物がこの場にいないので、真相を知ることは叶わないようだ……彼らがそれぞれの考えに耽る中、ルピルがおずおずと手を挙げて発言する。
「あの、彼をこっちに連れ帰ることはできるんでしょうか? 私その、西大陸のこと全然知らなくて」
彼女がが遠慮がちにだがはっきり言うのを聞いて、ファルイエがそれに答えた。
「一応、リシテルとも国交があるみたいね。確か北部と南部の港から、船便が出ていたと思うの……それに乗って行けば、一月かそこらあれば着くと思うんだけど……」
ファルイエは真剣に瞳を据えて、レンティットに顔を向ける。彼女がエイスケのことを大事に思っているのは分かっていても、その話をそのまま鵜呑みにする訳にはいかない。数か月にわたる長い旅路に赴こうというのなら、間違いでは済まされないので、何らかの証左が欲しいところであった。
「ごめんなさい、あなたの気を悪くしたいわけじゃないんだけど、他者と契約してその位置を把握できる魔法……しかも海を越えてなんて、聞いたことも無い。……何かでそれが本当だと証明して欲しいの」
「一応、契約の印は私の胸と彼の胸、両方にあるよ。それを見て分かることがあるなら」
「ちょ、ちょっと待って……オルベウ、出てなさい」
「あいあい……わーってる」
レンティットが衣服の首元をはだけようとしたのでファルイエは慌ててそれを止め、オルベウを追い出した。上衣のボタンが外されて覗いたその白い肌の、左の鎖骨から指二本程下のあたりに円形の黒い刻印が確かに存在している。
彼女はレンティットに断ってそれに手を触れるが、感じられたのは、内に向かう僅かな魔力の流れだけだった。
(魔法的な何かであるのは間違いないけれど……何とも言えないわね。刻印魔法なんて専門外とはいえ、自分の知識不足を呪うわ)
「……もういい?」
「ええ……悪いけど、これだけじゃ何とも判断できないわ」
「でも、他に何もわかるものなんてないよ」
レンティットが少し紅潮した頬を膨らましながらそう訴えた。
「あなた達が別に信じてくれなくても、それでも私はエイスケを探しに行くから……別にいいけど」
「まあ、そう言わないでちょっと落ち着きなさいな……大体、旅に出るのも大変な事なのよ? ましてや、数か月もかかるような長い旅なんて、お金も、準備も相当必要になるわ」
「な、なんとか……するもん。私だってこの国の外から来たんだからどうにかなるはずっ!」
興奮する彼女を宥めながらファルイエはどうしたものか、眉の端を下げて口を閉じた。彼女としてもどうにかしてあげたい気持ちはある。彼らがいなければ、ロナは今この場に居なかったかもしれないのだし……当のロナもどうにかして彼を追いかけたい気持ちはあるようで積極的に意見を出している。
「もし、彼を追うとしても、北からの航路は避けた方が良いと思うんです……恐ろしい話なんですが、戦争が始まってしまったらしくて……」
「戦争だ? 穏やかじゃねえな……。北部山脈のせいで隣接した国々は、やすやすリシテルには攻め込んじゃ来れないって聞いてたが」
呼び戻されたオルベウが、怪訝そうに言う。彼も一応貴族の次男坊なので、国内外の動静はある程度把握しているのだろう。
「私もある方に聞いただけなのですが、国内の話ではなく、北部山脈を越えて東側のロウゼン国が他国の連合軍に攻め込まれて危険な状態らしいです。それを牽制するべくリシテルは彼の国と同盟を結ぶ形で援護するらしいですね」
「成程な……北の海路はそれじゃいつ攻撃を受けてもおかしくない状態になってるのか」
「下手をすれば渡航制限がかかっていることも考えられるわね……行くとしたら南から、か」
「あいつが帰って来るのを待つっていうのは、無しか? 動いて行き違いになっちまう可能性は?」
「……近づいて来てる感じがほとんどしないの。きっと慣れない土地とかで困ってるんじゃないかと思う」
オルベウの冷静な意見にレンティットは首を振った。その内に考えが纏まったのか、ファルイエは、対面のレンティットの興味を煽るようにおどけたような目配せを送った。
「そうね、レンちゃん……取引をしない?」
「……どういうこと?」
「一度、あなたのその刻印を詳しく調べる為に学士の館に寄って行って欲しいのよ。あなたがもしその条件を飲んでくれるなら、旅にかかる諸々の費用なんかは私が負担して上げてもいい。大丈夫、変なことは誓ってさせないから……ね、きっとあなたが単独で無理するよりも良い方向に進むと思うわ」
彼女としても、レンティットの事は心配であったし、何より本当の事を言っているのなら学士として若干の興味もある。生体など自由意思のある存在を空間転移させるのは、例えば異世界人召喚の様に膨大な時間や魔力を掛けて本来行われるもので、そんな機能が遺跡に有ったなど何とも心をくすぐられる話であった。なるべくなら自身で一度体験してみたいものである。
若干の打算ありきの言葉ではあったが、しばし少女は考えた後、その提案に乗った。今は一刻も早くエイスケの元に辿り着くことが彼女にとって最優先のようだ。
「……わかった。けど、そんなに長くは居られないよ?」
「数日もあれば、調べるだけなら何とかなると思うわ、向こうには専門家もいるし……それじゃ、レンちゃん、ロナちゃん、私は学士の館を目指して南へと向かうけど……オルベウ、あなたはどうする?」
オルベウは頬を掻きながら答えた。
「俺も行く、と言いてえところだが……装備が壊れちまってるしな。調べ物は俺がいたって役には立たねえだろうし、国都のオグって奴いたろ? あいつに一度会いに行って見ようかと思うんだ。それから合流するから、場所を決めて置いてくれるか?」
ファルイエは鞄から地図を取り出し、机に広げて見せる。細かく書き込みがされているその地図は、使い込まれているものの、破れなどは無く丁寧に扱われているのが分かった。
「それなら、ええと……学士の館の有る街 《キオマ》からさらに南部に下った沿岸部の港町 《セーリント》、ここね。ここで待ち合わせしましょう。街に着いたら冒険者ギルドに寄って連絡を言づけておくわ」
「おしきた! ならちゃっちゃと準備すっかね……そんじゃ、俺は他に用事があるから、これでな」
彼も処理班に籍を置く傍ら色々報告などの義務があるのだろう……言うが早いか腕を回して部屋を出て行った。
「あの……私に何か、出来ることは無いですか?」
「ルピルさんは……残念だけどあなたをこの旅に連れていくことは出来ないし、あなたもここを離れることはできないもの。仕方が無いわ。ここで朗報を期待して待っていて?」
蚊帳の外に置かれたルピルの顔は曇ってしまっている。生きているといいながらも、どうも雲をつかむような話を聞かされたのだから仕方が無いことかもしれない。しょげるルピルに、レンティットはあえて強い口調で言う。
「そんな風に何でもかんでも求めるのはズルいよ。私達は、旅の仲間。あなたは宿の娘。きっと、それぞれの関わり方があるんだ。だから彼の帰る場所をしっかり守ってあげてよ……あなたが動ける私達を羨ましいと思うのと同じように、私だってあなたの事、羨ましいんだから」
エイスケにとって、この宿は本拠地で、そこで過ごした記憶は消えることが無く……それを共有できたルピルにレンティットもまた嫉妬を覚えているのだ。
ルピルは唇をぎゅっと噛んでレンティットと軽く睨み合った。火花が散る様なその様を、ロナはハラハラと、ファルイエはどこか楽しそうに眺めている。やがて悔しそうにルピルは頷いた。
「……わかったよ、レンちゃん。その代わりエイスケさんを絶対無事に連れ戻してね」
「言われなくても……」
二人は再度睨み合うと、どちらともなく表情を崩して笑いだす。その様を見て、ファルイエはロナに含み笑いを向けながら二人を指差した。
「混ざらなくていいの?」
「私は……私のできることをやりますからいいんです。せっかく仲が良いのに水を差したくはないですし?」
「うう……どんどん大人になってゆくのね、ロナちゃん」
そうつんと鼻を背けるロナに、ファルイエは何だか彼女が自分の手を離れていくように感じて寂しくて仕方が無く、再度目頭を熱くさせるのだった。
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