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50.窓辺から見えた光

 気が抜けていたのだろう。背筋にひやっとした感触が上り、彼女は小さく叫んだ。


「きゃっ!」


 手から白い陶製のカップが滑り落ち、盛大に音を立て破片を辺りに散らせた。赤熊洞では、宿泊客に任意で昼食を提供していたりするのだが、それがちょうど終わった時間帯のことだった。


「……ご、ごめんなさい。手が滑って」


 遅くなった昼食の後、食器を片付けようとしてルピルが下に落としてしまったのだ。一緒に食事していたミィアが駆け寄り、気遣って言葉を掛けた。


「お姉ちゃん、大丈夫!? ケガとかしてないです?」

「だ、大丈夫だから……危ないから触らないでね、すぐ片すから」


 そこへ、箒と塵取りを取ってきたククルが寄って来た。彼はいつもと同じ表情で、手早くそれを片付けにかかる。


「いいよ、俺やるから……姉さんはちょっと休んでなよ。最近ちょっと、疲れてるみたいだしさ」

「……ごめんなさい。駄目だな……私。あなた達に心配かけちゃうなんて」

「……そんなことないです。いつもお世話になってるんですから」


 小さい妹が投げかけてくれる笑いに、ルピルは無理して笑みを返すが、それがなんとなくぎこちないのが自分でも分かり、気持ちはさらに落ち込んでしまう。


「ほら、後片付けは終わらしとくからさ。今日はもうたいした仕事も残って無いしゆっくりしてなよ。何か困ったことがあったら呼べばいいだろ」

「あ、ありがと……ククル、ミィアも。それじゃ少しだけ、甘えちゃおうかな……」


 あれから……エイスケの姿がフェロンから消えてから半月程経っただろうか。彼は未だ帰らない。変わったことはそれ位で、ルピルの生活にそこまで変化がある訳でもない。だが、どうにもこうにもやる気が出ないのだ。


 彼が帰って来ないということは……そういうことなのだろうか。一度タルカンにもそれは諭された。いい加減あいつの事は忘れて、しっかりしろと。でもどうにもルピルには、それがしっくりこなかった。


「忘れられるわけ、ないよ……」


 自室に戻ったルピルは、窓からぼんやりと街並みを眺めた。最近こうしていることが多いのは、憂鬱な気分を和らげる為ではない。ふとした時に探してしまうのだ……彼の姿を。


 初めて彼が出て行ったことを知り、最初に彼女の心を襲ったのは強い落胆だった。どうして自分達には危険な旅に出ることを伝えずに姿を消してしまったのか……ルピルは彼の事を家族同然に気にかけていただけショックだったのだ。そして、悲しみと同時に襲って来たのは強い喪失感だった……。


 だが、それに浸る暇もなく次々と急かされるように毎日は過ぎて行く。ククルとミィアの手前仕事に没頭し何でも無いように装って忘れようとしていたのだが、結局この始末。情けないことこの上なかった。


「レンちゃんには、手紙を置いてたのになぁ……私の方が付き合いだって長いのに、どうして……一言位相談してくれたって、さぁ……」


 ついつい愚痴を吐いていると、じんわりと目頭が熱くなって来て困る。彼女も、自分に相談されたところで何とも仕様が無いのは分かっていたが、せめて話だけでもちゃんと聞きたかったのだ。窓の桟に頬杖をつきながら、ぼんやりと眼下を眺め、鼻を啜った。


 目に何かの光がちらりと入って、ルピルは思わず目をすぼめた。反射光の元凶は銀色の……鎧だろうか。どこかで見覚えのあるそれと、連れ立った見事な銀髪の女性の姿に、彼女は窓枠を叩くようにして身を翻した。


「……あの人……もしかしてっ!」

 

 ルピルは自室のドアを勢い良く開けると、廊下を走り、勢いよく階段を駆け下りる。スカートがふわりとめくれ上がり、はしたない様子になったが、そんな事は気にしていられなかった。そのまま、転がるようにして入り口へ飛び出し、銀髪の獣人に抱き着くようにして頭を下げる。


「……あのっ、ちょっとお話をっ、聞かせてくださいっ!」

「あら、あなたはあの時の……」


 扉から入って来た女性は目を丸く拡げた後、にっこりと笑みを浮かべる。それははっとするような柔らかさと優しさを備えていた。


「もしかしたら、エイスケの事かしら……大丈夫よ、彼は生きてる。今日はその事もあって来たの。もうしばらくしたら私の仲間がこちらに着くから、詳しい話はその時にさせて貰えるかしら」

「本当ですか!? ……良かった」


 滲んだ彼女の紅い瞳から流れた涙が一筋目尻から伝った。


「心配かけたみたいだな、ルピルちゃん……全くあの男が羨ましいぜ」


 慌ててそれを拭う彼女を茶化すのは、後ろから姿を見せた鎧の男……自慢の銀鎧もところどころへこんではいたが彼も健在であるようだ。


「またしばらく厄介になる。短い間だがよろしく頼むぜ」

「オルベウさんもご一緒されていたんですか? で、でもなんでエイスケさんだけが……」

「彼だけじゃないわ、レンティットって、あの青い髪のお嬢ちゃんや、うちのロナちゃんもどこかに飛ばされちゃったみたいで、ここを集合場所にさせて貰ったの。彼女達が最後までエイスケと一緒にいたそうだから、話を聞かないと私達にも良く分からないのよ」

「……そう、ですか。ごめんなさい、取り乱したりして……。しばらく泊って頂けるんですよね? でしたら……宿の案内をさせていただきますね!」

「ええ、お願いするわ」


 オルベウは一度来ているからと固辞し、タルカンから鍵を受け取る……相変わらず彼は憮然とした面持ちを崩さなかったが、何か考える所もあるのか、ずっと視線を遠くに飛ばしたままだった。




 連れ立って小さい宿の施設をぐるりと回り、彼女達は今、食堂に来ていた。ちょうどよい時間なのだし、お茶でもとルピルが誘ったのだ。暖かい紅茶を注ぎ、ファルイエの対面に座る。


「ありがとう……とても落ち着くわ。いいお宿ね」

「そう言っていただけて嬉しいです……」


 ルピルは恐縮して照れ笑いを浮かべる。


「小さいけど、お父さんとお母さんが建てた、自慢の宿だから。頑張って守って行かないと……何か困ったことがあったら言って下さい! 出来る限りのことはさせて貰いますから」

「ええ……わかったわ。そう言えば、あの子たちは元気にしているかしら、ちっちゃな獣人の兄妹」

「ククルとミィアですか? 良かったら呼んできましょうか? ちょっと待って下さいね!」

「あら……元気にしていてくれればそれでいいのだけれど」


 慌ただしく探しに行ってしまったルピルを待つ間、ファルイエはゆったりと紅茶を楽しむ。隅々まで掃除された食堂を見ると、あの少年は今日も頑張って仕事をしているのだろうと思えて微笑ましい。


 扉が開く音がして、ルピルが戻って来たのかと思って顔を上げるが、そこに立っていたのは獣人の兄妹だけだった。手をつないだ彼らがおずおずと歩み寄るので、ファルイエは立ち上がって、妹の方を抱き上げた。


「こんにちは。元気にしてた?」

「は、はいっ!」

「うん……」


 急に視点が変わっておたおたする少女と、むっつりとした少年が首肯する。ファルイエは彼女を椅子に乗せてあげた。


「二人ともお仕事頑張ってるみたいね……何かあった?」

「別に……ただ、姉さんの名前、聞いてなかったからさ」


 目を逸らして口ごもる少年が可愛らしいので、ファルイエはちょっとした悪戯心を起こした。


「だーめ。人に名乗るときは、ちゃんと目を見て、にっこり笑って自分から言うものよ。さあ、やってみて?」

「うっ……」

「ほら、頑張って。あなたはできるわよね?」


 ファルイエは妹の方に顔を向けると、妹はちょっとだけ照れながらだが、にこっと笑ってお辞儀をした。


「ミ、ミィア・ウィゼルといいます。よ、よろしくお願いしますです……」

「よくできました~。可愛いわ、とっても素敵……さて、妹さんができて君が出来ないってことは無いわよね?」

 

 獣人の妹をぎゅっと抱きしめて頬ずりしながら、ファルイエは楽しげな目でククルの方を見やった。ミィアも兄のそんな姿が珍しいのか、興味津々に目を輝かせる。その視線に耐え切れなくなったのか、ククルはやがて意を決すると怒鳴るように言った。


「俺はククル……ククル・ウィゼルだよっ! こ、これでいいんだろっ!」


 叫んだ後も未だ顔を紅潮させている彼の姿が可笑しくてファルイエはミィアと顔を合わせてくすくすと笑う。その後、ファルイエは彼らにしっかりと目を合わせて、お手本通りの挨拶を見せた。


「私の名前は、ファルイエ・ロトシルタって言うの。二人ともよろしくね」


 やんわりと手を包んで来た彼女の手を握り返し、獣人の兄妹は席を勧められた。初めは気が進まない顔をしていたククルも、やがてファルイエが語る他愛も無い話に夢中になり、素直な顔を垣間見せている。


(あれっ? ……二人とも、もう仲良くなったのかしら)


 戻ってきたルピルは扉の外からその姿をそっと眺めて笑う。ファルイエと目が合い手を振り返した後、思いがけず良き日になったことを神に感謝し、彼女は晴れやかな気持ちで仕事へと戻って行った。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 忘れてた。 遺跡のシステムが自らを遺跡と名乗っている。 ……まあ、当時から遺跡だったのを改造した施設ならありうる。
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