8-A
目覚めは穏やかだった。
今何時だろう…… 今日学校はないんだっけ……? 僕の意識はゆっくりと覚醒していく。ああそうだった。学校なんてもう行かなくていいんだ。ここは日本じゃない。
今日は何か予定は…… 確か昨日は……
僕は飛び起きた。
「い゛っっ……!?」
その瞬間、全身を痛みが襲う。そうだ、全て思い出した。咄嗟に右手を見る。包帯で巻かれた指を認識した瞬間、指からもじんじんと痛みを感じ始める。
記憶ははっきりしていたけれど、僕は混乱の極みだった。僕はまだ生きてるんだよな……? ユキは僕を殺さなかった。それどころか指を元に戻して、手当てをしてくれた。なぜ……? なんで……
ユキはどこへ? 訳の分からないままベッドから出る。一歩ごとに痛みの波が押し寄せる。ゆっくり、ゆっくりと歩くのが精一杯だ。
部屋から出た僕は、息を呑んだ。ユキが廊下に、少し離れた場所に立っている。
「大丈夫だ。何もしない。心配なら隷印で縛ってくれ…… 君は使いたくないかもしれないが」
ユキは両手を顔の横にあげる。
「ユ、ユキ……」
僕はその場で立ち尽くす。混乱と緊張、そしてなによりも、恐れで心臓が早鐘を打っている。どうしたらいいのかわからない。僕たちは無言で見つめ合う……
おもむろにユキが、深々と頭を下げた。
「アルト、本当に、すまなかった……」「え……」
「謝って許されることでないのは分かっている。私を殺しても、構わない」
「そ、そんな…… こと……」
ユキは面を上げない。
「殺したりなんてしないよっ…… か、顔上げてっ!」
僕はいたたまれなくなって言う。ユキはゆっくりと僕を見た。
「そう、か…… 私は、どんな命令でも従うよ。君が手を下すのが嫌なら、自害しろと命令してもらえば、迷惑にならないように死ぬ。それか私が君にしたように、拷問されるのだって――」
「やめてよ!」僕はユキを遮った。「そんなことしない!」
「僕こそごめんっ……! 本当にごめんなさい……!」
「君が謝らないでくれ……!」
ユキが苦しそうに言う。
「ユキは、もう怒ってないの……? ゆ、許してくれるの、僕を……」
「許すも何もない、アルトは何も悪くないんだ」
「そんな…… 僕が悪いよ……」
けれど言葉とは裏腹に僕は、有難くて、嬉しくて、安堵して、涙がとめどなくあふれて来る。
「ユキは、悪くない…… 死なせたりなんかしない……」
2人の気持ちが落ち着くのには、いくらか時間がかかった。お互い顔を見合わせる。
「アルト、顔……」ユキは僕の寝室で、ティッシュで顔を優しく拭いてくれる。
「ほら、鼻かんで……」新たなティッシュをあてがってくる。僕は流石に自分でティッシュを受け取って鼻をかんだ。
「今日は病院に行かなくては…… 歩くと痛むか……?」僕は正直に頷く。
「わかった。なら……」「わあ……!」
僕はユキに抱き抱えられた。これ、お姫様抱っこ……!?
「もう少し私の方に。そうだ、いい子だな…… 鎮痛剤があったな。それを飲んで…… 食べ物も何か少し胃に入れておいた方がいいだろう」
ユキは僕をダイニングまで抱いて行ってくれる。本当のことを言えば、僕は恐ろしかった。今のユキはまるで別人みたいに僕を気遣っているけれど、昨晩の、恐怖の権化のような彼女が、次の瞬間にでも“本性”として姿を現し、僕をまた痛めつけるのではないか……
僕を苦しめたいのなら、どんな命令でも従うなんて嘘をついて、隷印で縛られようとするのはおかしい。本当に僕が彼女を縛ったらそれで終わりだ…… けれど、恐怖の感情は理屈でどうこうできるものじゃなかった。
僕は代わりに、恐ろしくなかった時のユキを思い出す。僕と一緒に、一心不乱にご飯を食べ、ひどい有様で笑いあった。部屋を使っていいと言ったら、感謝してくれた。それから…… 彼女が折った僕の指を、治そうとしてくれた。ユキ…… それぞれの時の彼女が、偽りの姿だとは思えない。僕の体の強張りは、少しだけましになる。
「冷凍している食べ物はまだ残っているか? 用意するから場所を教えてほしい」
僕を座らせたユキが言う。僕は悩んだ。食べ物は転生アイテムであるところのフードボックスの中だ。僕が自分でキッチンに取りに行こうとしたらユキも着いてきてしまう。まあ、ご主人様命令で待機を命じれば待っていてくれるだろうけど、それでは怪しすぎる…… 正直に見られたくない物があるからと言おうか、いや、もうそこまで言ってしまうのだったらいっそ……
「キッチンの角にある、白い大きなやつに料理が入ってるんだけど…… ごめんねユキ、冷凍してるっていうのは嘘…… ユキ、びっくりしないでね」
ユキは少し怪訝そうな顔でキッチンに向かった。すぐに慌てて戻ってくる。
「アルト……! あれは一体……!?」ユキはありえない物を見たという顔だ。
「ま、まあそれはまた今度説明するから…… けど、それのことは人に言わないでね。広まったりしたらちょっと大変だから」
ユキは神妙な面持ちで頷く。
「わかった。絶対に、誰にも言わないと誓う」
いや、そこまで大げさな話でもないんだけど、まあいいか……
「ユキ、好きな料理取って食べて。僕は何でもいいよ」「うむ…… では少し待っていてくれ」
しばらくすると、ユキが料理を運んできてくれる。シーザーっぽいサラダ、コーンっぽいスープ、そしておかゆっぽい雑炊料理。“っぽい”というのは、食材も調理法も地球に似てはいるけれど別物だから。昨日食べたチキンも、ニワトリの肉という訳じゃない。
「私が選んでしまったがこれでいいか? 無理しなくていいからな。食べられる分だけ食べてくれ」
ユキも僕と同じものを食べようとしている。
「ユキはそれじゃ足りないでしょう?」「いや、私はこれで……」
「料理は日が変わるたびに補充されるから」
「なんと」
「だから遠慮しないで」
「いやしかし、奴隷がご主人様より多く食べるなんて……」
ご、ご主人様……! ユキについにそう呼ばれてくらりと来てしまった。僕はこの美しいお姉さんのご主人様……!
「いいからいいから…… 僕は子供だよ? ユキが同じ量だったら死んじゃうよ」
「むう…… わかった。ではありがたく頂く」
ユキはついに折れて、追加で料理を取ってきた。しかしことあるごとにこんな感じじゃこの先大変だ……
今回のお話、幾度か書き直したのですがしっくりきてません。いずれまた改稿する可能性高し。
ユキ視点でまたこのシーンを書くのが苦しいので、飛ばしてしまいます。従いまして次回は8-Yではなく9-Aとなります。




