出会いの日 7-Y ※
今回は暴力的な描写、少々の暗い展開があります。
完全に気配を殺してアルトの背後へ忍び寄る。
「これで終わりのつもりか?」
私が声をかけるとアルトはほとんど飛び上がるようにして振り向いた。目を見開いているが、この暗さでは私の姿は良く見えていないだろう。
「謝って済むとでも……?」
謝罪なんかどうでもいい。お前がどうしてこんなことをしたのか、私をこれからどうしたいのか知りたいんだ。
「えっ! あっあっ、ごめんっ、そのっ、ほんとにっ」
言葉では埒が明かないようだな。
「殺す」
瞬時に踏み込み、下から浮き上げるようにみぞおちへ拳を叩き込む。華奢なアルトは吹っ飛んで壁に叩きつけられた。崩れ落ちて苦しそうに息を吐く。反撃する意思は欠片も認められない。私は目の前まで近付いてしゃがみ、目線を合わせてやる。アルトは思いついたままに謝罪を繰り返している。愚かな。もう善人ぶったって意味が無いんだよ。お前はそれしかないのか。もういい。正解を示してやる。
「隷印を使え」「えっ?」
「隷印を使え!!」
その力で示せよ。お前が主人で私は奴隷だと。私が逆らうことなど不可能だと。
「それは…… 隷印は……」
いまさら何をごまかす必要があるのか。お前の欲望のままに、私の自由を奪って辱めればいい……!
「隷印は…… 嫌だ……」
自分の頭に血が上るのを感じた。まだ意地を張るか。後悔させてやる。
私は立ち上がってアルトに蹴りを入れる。僅かに残った理性が、内臓が破裂しない程度の慈悲を与えた。アルトはまた吹っ飛んで壁に叩きつけられて、四つん這いになって激しく嘔吐する。彼の小さな口だけでは吐ききれないようで、行き場を求めた胃液が鼻からも噴き出している。あれはずいぶん苦しいだろう……
「ごめ゛んなざっ、ごめ゛んなざっ……! ゆるじでっ、お願いっ……! ゆるじでぐだざっ!!」
何度不正解を足しても、正解にはならないぞ。私は、すぐに意識を失わない程度にアルトの首を絞め上げる。
「使え。死ぬぞ」
もう一度促してやるが、やはり奴は拒否する。ギリギリまで苦しめたがダメだった。手を離すとアルトは床に這いつくばって必死に酸素を取り込む。
「お前…… 私が本気じゃないと思ってるのか? 自分が殺されないと?」
その問いはそのまま自分に突き刺さる。当初の計画通りさっさと殺して逃亡すればいい。それで私は自由の身だ…… なぜ殺さない? なぜ…… はっきりした答えなんか求める。こいつが善人か悪人か……
私の体は欲望に忠実に動くようで、アルトの手を掴む。ここまでやることになるとは思わなかった。
「お前が思うほど甘くないぞ」
もっとも単純なやり方だが、何の準備も道具もいらない。
「今から一本ずつお前の指を折っていく…… お前が隷印で私を止めない限り……」
「ひっ……!? やっ、やめっ! お願いじまずっ! 許してっ助げでっ」――思い知れ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ッ!!!!」
まだ喉仏も出ていない細い首から、命を削る声が発される。だが店から家への道中で地理は完全に頭に叩き込んである。この近くに人家は無い……
「近くに家は無いだろう!? どれだけ叫んだってここには誰も来ない! 隷印を使え! さもないと……」
さもないと、本当に…… 私の発する言葉は、懇願に代わり始めていた。
「ごべんなざいっっ!! おねがいじまずっっ!! ゆるじでぐだざいっっ!!!」
アルトの顔は涙と鼻水、胃液、涎…… 悲惨極まって許しを請う。そこまで意地を張るのかっ……!
「ふざけるなよ……! 許しなんか乞うなッ……! お前はその左手の力で私に命令すればいいんだ! ほら、次の指行くぞ……!」
「いやああああぁぁぁ……!!!」――頼む……
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」
その叫び、痛み、恐怖…… どれも彼の人生で突き抜けて最大だろう。彼が味わっているのは純度100%の苦しみ、普通の人間なら一生味わわないで済む責め苦を、たった10歳で……
「使え使え使え使えッッ!!!! 使えよッ!!!!」
私も泣いていた。もう辞めるべきだ。こんなにこいつが強情だとは思わなかった。私の負けでいい。
「あ゛あ゛ーっ!! あ゛あ゛ーっ!!」
そもそももう、隷印を使われても…… だが私の口は勝手に動く。
「何本でも折るぞ……!」
きっと賭博で身を滅ぼす人間はこうなのだろう。払った犠牲を無駄にすることを認められない…… 全て失えば私は地獄行きだ……
「さんっ……! にいっ……!」
私は自分のカウントダウンに恐怖した。アルト、頼む……
「いちっ……!」
お願いだ、許してくれ――
「“やめ゛て゛ッ――!!!”」
瞬間、私の胸の奥に、重い鉄塊が撃ち込まれたかのように感じた。
「ぐっ…… うう……」
立っていられないほど体が重くなり、後ろへよろめいてそのまま座り込んでしまった。
「はあ…… はあ……」
助かったのか、私は…… 隷印の束縛により全身を倦怠感が襲う。文言は“やめて”、少なくとも暫くは主人に悪意のある行動はできない。
「あああぁ……! いたい……! いたいよおおっ……!」
アルトは隷印を使ったのだ。私は望んだものを得ただろうか。私が知りたかったのは、アルトがどんな人間なのか…… 私は目を閉じ考える。
奴隷を買う男はみな救いようのない下衆だと思っていた。私を買ってきた男どもは、今まで皆そうだったから。けれどこの男は、どうしてもそう見えなかった。まるで悪意を知らぬように振舞った。私は愚かにも保証を欲して、彼に私を辱めないのかと聞き、彼はそれはしないと言った。だから私はこの男は、本当に絶対的な善人なのだと思った。
けれどアルトは、私を襲った…… 私はまた分からなくなった。私はきっと、曖昧な状態に耐えられなかったのだ。主人を絶対的な善人として信用するか、それとも絶対的な悪人として反抗し続けるか、どちらにせよ悩む必要のない“絶対”を欲した。隷印を使ったらやはり悪人認定できると、悩み続けることを拒んだ私が無意識にひねり出した考えはしかし、あまりにも浅はか。10歳の子供を拷問して、隷印で止めさせて、ほら見ろ使ったではないかなどとふざけた物語では、何より自分を騙せない。
いや、そもそも…… 私は目を開けた。絶対などありはしないのだ。善も、悪も…… 心のどこかでは分かっていたこと。私に人並み以上の寝食を与えたのがアルトなら、私を犯そうとしたのも同じアルト……
そうだ。私を辱め、犯し、捨ててきたあの男たちも、きっと他の誰かを幸せにすることはある…… それを認め、彼らを許す度量は私にはない。けれどそれらがまた一面の真実であるということは、頭では分かっている。
アルトはぼろ雑巾のように転がってしゃくり上げている。答えは出ない。答えなどないというのが答えなのだ。常に考え、行動し続けろ。さあ、今為すべきことがある。
私は立ち上がった。
「いっ……! ひっ……!」
私が近づくのに気付いたアルトが恐怖の声を漏らす。私は隷印で縛られていること、指を治すだけだということを伝えるが、アルトは四肢を振り回して逃れようとする。今の彼には理屈などない、怯えた動物――
私は彼の身体を優しく抑え込む。
「大丈夫、一瞬だから…… ほら、これを噛んでくれ」「いやああぁっ!」
アルトが舌を噛まないように、彼の服を噛ませてやろうとするが、すぐに吐き出してしまう。言葉の意味もあまり理解できていないのかもしれない。重要なのは敵意が無いと伝えることだ……
「頼む、アルトお願いだ…… お願いだから…… いま元に戻さなくては、手が使い物にならなくなってしまう……」
彼は身をよじって抜け出そうとする。私は彼を撫でさすり、抑え込む。
「うあああ…… ああぁ……」
あまりにも凄惨な光景、私が引き起こした…… いや、今考えるのはよせ。
しばらくすると、ついに観念したのか、それとも体力が尽きたのか、ぐったりとアルトが横たわる。私はアルトの頭をゆっくりと撫で、出来るだけ落ち着かせる。服を噛ませた。
「よしよし…… いい子だな…… 2本同時に戻すからな。いいか、いくぞ」
私は間髪入れずに、彼の人差し指と中指を本来あるべき方向へ。
「~~~~~~~ッッッッ!!!!
アルトの喉からくぐもった悲鳴が漏れ出た。ぎゅっと閉じられた目からはとめどなく涙が流れ出す。
「よーしよし…… 頑張ったな…… えらい子だ……」
服を噛んだまま苦悶の声を漏らすアルトの頭をまたゆっくりと、敏感な彼の獣耳には触れすぎないように撫でてやる。少し落ち着くまで待ってから、私は夕方の案内の時に教えてもらった医療品箱を取りに行った。
医療品箱を開け、私は激しく後悔した。鎮静剤がある。これを先に飲ませてやっていれば、無駄な苦しみを味わわせなくて済んだ…… そうだ、冷静に考えれば、先にどんな医療品があるのか検分してから処置すべきだった。ひどいミスだ、いつもの私ならこんなことは…… いや、今は悔いている時ではない。幸い目当てだった包帯もある。鎮静剤を飲ませるための水も水道から汲み、アルトの元へ。とりあえずの応急処置を行う。
「いい子いい子…… 今日はもう眠れ…… ベッドに運んでやるから。おそらく後遺症は残らんと思うが、明日は病院に行こう。さあ、おやすみ……」
私はアルトが眠ったのを確認すると、彼の身体を慎重にチェックしていく。私が殴った箇所、蹴った箇所はひどい内出血だ。大きな外傷は無いが、骨が折れている可能性はある…… 明日診断が必要だ。
アルトを彼の部屋のベッドまで抱き抱えていく。楽な姿勢で寝かせ、しばらく異変がないか見守る。汚れに塗れた顔を拭いてやった。薬のお陰か、寝顔は安らかだ。問題なさそうだと判断した私は、次の仕事へ……
私は廊下の掃除を始める。やっと自分の犯した罪について考えるべき時間が来た。
私のやったことは…… 恐ろしいことだ。齢10の子供に暴行し、拷問した。彼が私の寝込みを襲おうとし、結局ほとんど何もせずやめてしまったこと、その報復の範疇に収まるとは、少なくとも私は考えられない。いやそもそも報復など成立しない。彼は奴隷の私にありえないほど上等な寝食を与え、労働も金銭も求めなかった。私がその対価に支払えるものは私の身体しかなく、彼がそれを求めるのは当然の権利だ、私の今の考えでは。
私は私を許さないし、何よりアルトは…… 私を殺すだろうか。それは当然の報いだ。私を殺したとて、彼の心には深い傷が残るだろう。ともすれば、日常生活を送るのすら困難なほどに。私の身体が震えだした。そうなったら取り返す方法は無い。一人の子供の人生を、修復不可能に破壊した。ああ、私は、私は何ということを……
私は自分で自分を抱くようにして何とか立っていた。落ち着け、今投げ出してはいけない。可能な限り償うのだ。念のためアルトの容態を見ておくこと、明日病院へ連れていくこと…… もちろん命令があれば何でも従う。性的な奉仕でも、自害でも……
私は掃除を終え、再度アルトの部屋へ向かう。今夜中は容態を見守っておかなくては。
読んでくださっている皆様方、私のこんな趣味にお付き合い頂きありがとうございます。
一応これで第一章が終わりという扱いです。次章からもよろしくお願いします。
まだ全く同じお話ですが、R-18版の方がミッドナイトノベルズの日間ランキングで、少しの間だけ1位になっててとても驚き、めちゃくちゃ嬉しかったです。読者の皆様には感謝しかありません。まさか自分の妄想がこんなに多くの人に読まれることになるとは……




