9-A
「ではいただきます」
僕は愚かにも、いつもの癖で何も考えずに右手でスプーンを持とうとする。
「っ……!」
無造作に握りこんだ瞬間、件の指に痛みが走る。僕は思わずスプーンを取り落としてしまった。かしゃん、と床に落ちる音が耳に響く。
「アルト……!」ユキが立ち上がってすぐに隣へ。
「大丈夫か……!?」
彼女は指に触れないように僕の手を確かめる。
「だ、大丈夫。ちょっとびっくりして落としちゃっただけだよ」
「すまない、私が……!」
「それはいいんだよ…… もう、謝らないで」
またユキは悲痛な顔をする。もう、そのことで彼女に悲しんでほしくない。
ユキは落ちているスプーンを拾って脇に除けると、自分の席のスプーンを取る。
「私が食べさせる」「ええ! いいよっ……!」
だがユキはおかゆを掬うと、一度自分の唇に当て温度を確認して、僕の口元へ。
「う……」
ユキは心配そうに僕の顔を見つめている。ち、近い……! 美しい切れ長の目は、今は僕を案ずるように目尻が少しだけ下がって…… 昨晩の恐ろしかった彼女の、その片鱗も感じられない。
うう…… 綺麗だ…… 鼓動が早くなって、頭がぼーっとしてくる。
僕が観念してゆっくりと口を開くと、優しくスプーンが口内へ運ばれてくる。僕はされるがままにそれを食べる。
「熱くないか……?」
僕は小さく頷いた。口の中のおかゆを飲み込んだのを見ると、また一口掬って差し出してくれる。
再度優しく口内へ侵入してくるスプーンの先端。かぷりと僕は咥える。ぬるり、とスプーンが引き抜かれる。もぐもぐ、ごくん…… また食べやすい位置で待っていてくれるユキ。
かぷり、ぬるっ…… もぐもぐ、ごくっ…… かぷり、ぬるっ…… かぷ…… ぬる……
なんか僕…… 変な気持ちに……
「おいしいか……? アルト……」
「うん……」
「よしよし…… たくさん食べて、いい子だな……」
ユキはもう片方の手で僕の頭を撫でる。うう…… 獣耳の後ろ、撫でられると気持ちいい……
幾度となく繰り返される給餌に、僕の何かが目覚めてしまいそうだった。ていうかユキも頬が赤くなってないか……? 目がとろんとして、顔がどんどん近づいてきて、なでなで…… かぷ…… ぬる…… ごくんっ…… なでなできもちい…… かぷ…… ぬるぅ……
あ、ユキ…… 僕、もう……!
「あ…… 無くなってしまったな……」
ユキの何故か残念そうな声で我に返った。慌てて顔を離す。
あ、危ないところだった…… あのまま続けたら、帰ってこれない世界へ行っていた気がする。
ユキは続けてフォークでサラダを取ろうとするけれど、僕は鉄の意志でそれを止める。
「も、もういいから……! もうお腹いっぱい……!」
そこまでお腹いっぱいではないけどさ。
「そ、そうか…… うむ……」
ユキは手を止めるけれど、上気した顔で僕の隣から動こうとしない。
「ほら、ユキの分冷めちゃうよ……! 食べて病院行こっ!」
「あ、ああ…… そうだな」
僕は何とか危ない趣味に目覚めてしまうのを回避したのだった。“この時は”、だけど……




