48章 全ては童話に綴られた物語
「……それが、俺の話す真実だ」
深々と音を殺し続ける銀河鉄道の中で、全ての真実を諳んじていたクロが、瞳を閉じながらそう言ったきり、口を閉ざして黙りこくった。
隣のハルは薄紅梅色の唇を揺らし、言葉を紡ごうとするも――それは音にさえ至れない。
胸中に浮かんだどんな想いも変換されず、口からは吐息が僅かばかり漏れるだけ。
まるでそれは往生際のように弱々しい息で、隣にいるクロでさえその音を聞き取れない。
あの時クロと駅で出会えたのは偶然ではない。
全ては彼が綴ったシナリオ通り。
出会いだけではなく、何もかもがハルを思って用意されたものだ。
部屋にあった高級な家具もハルの為、部屋中に用紙が散らばるほど童話のプロットを製出していたのもハルの為、一人暮らしには勿体無いほど大きな家もハルの為。
全てはハルを迎えるために拵えられたもの。
玉響と呼ぶには長すぎるほど、ハルはクロの語りを咀嚼し続ける。
糾う真実を理解するには、少しだけ時間が必要なようだった。
クロが何か声を掛けようとするが生半に、最初の一文字だけしか声に出ない。
ひたすらに押し黙って窓の外を眺めていることしかできなかった。
――やがて、ハルが粛として言う。
「……クロが今こうしてここにいるのは、そして命を落としたのは、……全部、私のためだったのね」
もしクロが己の身を案じていたならば、今も現世でクロと二人一緒だったのだろうか。
父親は失っていただろうけど、まだ恋の芽は育ち続けていたのだろうか。
……そんな『IF』の話をしても無駄だとは分かっている。
しかし想い人の死が自分を想ってのことだと知って、バカなことを考えてしまうのも仕方がないだろう。
悔やんで悔やんで――言葉にしかける。
ねえ、もしも貴方が私と出会っていなければ、貴方は死なずに済んだのにね。
……そんなクロの努力を水泡に帰しかねないことを言いかけ、慌てて口を噤んだ。
流れた時間はもう取り戻せない、そんな『もしも』の話に意味なんかない。
出会っていなければとか、あの時助けなければとか。
言えば言うだけ虚しいだけだ。
ハルはただ、クロの腕を抱きしめた。
言葉を選ぶより、行動で表したほうが早い。
「……本当は、この話をする気はなかったんだ。お前とは他人として別れようって思っていたからな」
「真実を何も言わず、別れるつもりだったの?」
「ああ。本当はな、見ず知らずの俺が偶然お前の親父を救っただとか、お前の記憶喪失は煉獄に来る際の衝撃が原因とか、それらしい嘘をいくつも並べようと思っていたんだ。お前をどう騙くらかそうか、徹底的に考えていたんだぞ。切符を作る為、お前に生前の事実を綴らせなきゃならなかったんだが、それも童話として比喩的にカモフラージュすることでクリアしたし……まあ偶然にも他の方々が語った過去と類似したせいで、いらない疑念を与えてしまったがな」
全てが全てクロの計画の内、大筋は彼の考案したシナリオ通りに動いていたのだ。
ただ一つ、ハルが星冬の名を思い出しただけで、全ては崩壊してしまったのだが。
「そんなもので煙に巻いて、永遠に別れを迎えようとしていたんだが――全て無駄になっちまったな」
星冬という名を思い出さなければ、真相を知る機会は永遠に失われていたのだろう。
そして現実に戻り、ようやく黒鐘星冬という名を思い出して、死ぬほど悔やんでいたはずだ。
そう思うと、別れの悲しさは辛いけれど、この結末になってよかったのだと思う。
何も知らないまま別れてしまうより、真実を知って別れるほうが全然良いのだから。
「――ああ――もうすぐ時間だ」
窓の外を見ながら、クロがそう呟く。
残された時間はもう僅か、定められた時を迎えれば、二人は永遠に会えなくなってしまう。
「これを、お前に託す。神の言うことが本当ならば、お前がこれを現世に持ち帰るだけで、全ては上手くいくはずだ」
懐から指輪を取り出し、クロはハルの手を握った。
そしてその左手の薬指に優しく、決して指を傷つけないよう注意しながら指輪を嵌める。
「頼んだぜ、後の全てを」
そう言うクロの表情が、なんだか、ハルにとって遠いものであるかのように感じる。
一度瞬きすれば掻き消えてしまうような、風が吹けば薄らいでしまう蜃気楼であるかのような、儚くて弱々しいものに見えて仕方がない。
それが、それこそが、別れを告げるシグナル。
最後の話をしたいのに、何を話したらいいか分からない。
言いたいことが多すぎて、何も言葉には出せない。
――その時、窓から黒くて大きな孔が見えた。
天の川の中心に穿たれたその穴は、今まで見てきたどの闇よりも深い黒色に染まり、見ているだけで眼がしんしんと痛む。
恐らく、その穴こそが現世と繋がる唯一の場所なのだろう。
ハルが向かうべき場所であり、同時に、二人の別れの場所でもある。
クロは躊躇することなく黒い切符を取り出し、その穴のほうに掲げた。
すると黒い切符は桃花色に発光し、桜吹雪となって霧散してしまう。
切符の残滓が溶けて消えた瞬間、銀河鉄道が方向転換し、黒い穴のほうへ向かう。
あの穴へ辿り着いた時、それが、この長い旅の終わりとなるだろう。
「……初めて出会った時のことを、憶えているか?」
ひたすらに前を向きながら、クロがそう訊いた。
ハルは閉じた目から一筋の涙を流しつつ、口を開く。
「うん、憶えているわ」
切符の残滓がハルの身を纏っていた。
それは切手に刻まれた――いや、彼女が三度綴った自身の物語。
クロと共に書いた童話が、いや過去が、彼女に失われていた欠片を与える。
あの日々の記憶が蘇り、彼女の脳内を満たしていく。
彼女はようやく今、面と向き合う。
かつての恋心と、忘れ難き日々と――。
「お前は泣き虫で、弱虫で」
「いつもクラスのみんなに虐められていたわね」
全ては童話に綴られた物語。
ハルは父子家庭で産まれ、父親と二人っきりで生きてきた。
亡き母親が外国人だった所為で、ハルの髪はブロンド、瞳の色だって日本人とは違う。
そんな彼女が学校に入学した時、他の生徒とあまりにも外見が違いすぎて、クラスメートみんなから疎外されていた。
いつも一人ぼっちで、虐められて。
毎日泣きながら家に帰って、学校になんか行きたくないと思っていた。
――クロと出会ったのは、そんなある日のこと。
「そんなお前と最初に会った時、お前は俺に対して怯えていたよな」
「うん。この人にも虐められるんじゃないかって、すごく不安だった」
「血の繋がったいとこなのに、敬語で話されて、全然距離感を詰めてくれなくて。でもそんなお前を見て、意地でも仲良くなってやろうって思ったんだ」
「クロは私に何度も話しかけてきて、優しくしてくれて……」
「ようやくお前は心を開いてくれたんだ」
全ては童話に綴られた物語。
クラスメートから虐められていたハルは、ようやくクロという心の拠り所を手に入れた。
父親以外でただ一人、心の底から笑いかけられる相手だったのだ。
そんな彼にブロンドの髪を褒められて、可愛いと言ってもらえて、少しずつハルは前向きな少女になっていった。
クロに褒められた髪を貶された時、彼女は初めてクラスメートの暴言に言い返すことができた。
対抗する勇気を、クロと過ごすうちに手に入れることができたのだ。
虐められ続ける少女ではなく、それに立ち向かえる強い女の子として、彼女は変わっていく。
そして中学校に上がった頃、もう虐めは無くなっていた。
学校にも友達ができて、夢だった部活をやることもできて、彼女はようやく本当の幸せを手に入れられた。
そしてクロともどんどん親密になり、お互い、幼少の頃から持っていた恋心を、より一層強く燃やしていく。
「……あのまま、幸せな日々が続くと思っていたわ」
「でも、俺はお前とお別れしなくちゃならなかった」
全ては童話に綴られた物語。
父親と愛する人の戻らぬ家で、ハルは今も一人ぼっちだ。
川が氾濫した事実はニュースで知っている。近所の人からも聞いた。
……そして今、二人が戻らないということは、きっとそれに巻き込まれてしまったんだろうという予測さえしている。
彼女は誰も帰らない家で、今日も、膝を抱え続けている。
――それは『これまで』の話だ。
ここから紡ぐのは『これから』の物語――。
彼女は現実に戻り、長く続いた苦しみから解放される。
やがて家に戻ってくる父親を待ち、そして再会できた時、おかえりと言うのだ。
その言葉を以て、彼女の日々はリスタートする。
父親と二人で生きて幸せになって、立派な人生を歩んでいくのだ。
きっとそれが彼女に与えられた義務、大切な人を失っても胸を張って生きていけると、彼女はあの夜に香へ語ったのだから。




