47章 天国にて
我に返った時、クロの視界は色とりどりの花で埋め尽くされていた。
身を起こして見回した時、彼はようやく自分が花畑に寝転がっていたことを自覚する。
その場所には見たことも無い花が咲き誇り、涼やかな風と共に靡いて揺れる、そんな幻想的な花の都だった。
花以外のものはここにはない。
永遠に続く花畑、太陽も月も空には昇らず、星すらもその姿を見せてはくれない。
空は絵具を適当に塗りたくったかの如く厚塗りな水色、鳥もいない、その囀りさえ届いては来ない。
そんなクロの前に一人の老人が現れた。
彼は自分のことを神だと自称し、命に代えて人を守ったクロを称賛し始めた。
最初こそは胡散臭く思ったクロも、その老人の見せた多様な奇術に感嘆し、最終的には彼が神であることを信じざるを得なくなってしまう。
その神から、クロは様々な事実を聞いた。
まずクロが濁流に呑まれて溺死したこと、ハルの父親が生き延びたこと、しかし彼は意識不明のままで今も眠り続けていること。
ここは天国で、勇敢な生き様を見せたクロは永遠に天国で幸せになる権利を得たこと。
地獄という場所があること、煉獄という場所があること。
天国に来たクロは、まず戒名を神から授かった。
黒鐘・アルビレオ、今日からそれが彼の名前だ。
死の世界に来たものは、全員星の名前を付けられ、それを以て新しき日々を歩む権利を享受できるのだとか。
神はクロを天国の色々な場所に連れて行こうとした。
しかしクロは神に対し『……眠り続けているハルの父親を、どうにか回復させることはできませんか』と懇願する。
『ふむ……そのハルとやらの父親は今、臨死状態に陥り、煉獄の世界で彷徨っている。故に意識を戻すためには魂を現世へ送り返すしかすべがないのだが……神直々に現世へ戻すという行為は、如何せん前例がなくてな』と、蓄えられた顎鬚を手で梳きながら神は言う。
しかし前例が無いながらも、勇敢なるクロを讃え、神はクロの願いを聞き入れた。
ハルの父親に現世行きの切符を与え、銀河鉄道の臨時便に乗るよう促したのだ。
そしてハルの父親は銀河鉄道に乗り、現世からの道を逆走しながら還るべき世界へと魂が戻っていく――。
だがそう上手くも行かなかった。
現世に還るという無理矢理な移動をしたせいで、銀河鉄道は非常に険しい道を進むこととなる。
その渦中、ハルの父親は記憶の欠片を失い、記憶喪失のまま現世へ蘇ることになってしまった。
記憶を失った彼は混乱し、逃げ惑った。
誰も信じられず病院からも抜け出し、自分が誰かを探し求めて、ただ彷徨い続けている。
このままでは事故にでも遭い、死んでしまうだろう。
『……記憶が無い状態で現世に戻っても、意味がありません』と、クロは重々しく言う。
『そうだな……それでは其方の望む結末には至れぬな。ならこうしようではないか』
現実世界から彼の娘であるジョヴァンナ・ハルモニウスを煉獄まで呼び寄せて、記憶の欠片を現世まで持ち帰ってもらおう。
そう神は提案した。
……しかし計画は難航を極める。
父親と同じルートで現世へ戻れば、ハルも記憶を失ってしまう可能性があるからだ。
どうにか別ルートで現世へ戻らなくてはならないが、……その別ルートを通るには、一人の犠牲が必要であった。
ハルの記憶を失わせることなく現世へ還す為には、誰かが天国の向こう側までハルを連れて行き、現世への出入り口近くを電車が通った瞬間、黒い切符を使って現世への道筋を作らなくてはならない。
しかし天国の向こう側まで行くということは、もう二度と天国へは至れないということ。
煉獄にも戻れず、地獄にも行けず――永遠の旅路を往くということだ。
だがクロは表情を変えもせず、その案に強く頷く。
『例えどんなに険しい未来があろうが、俺はやりますよ。ハルのためならどんなことでもやってみせますとも』
『……本当に良いのか。もしそんなことをすれば……』
『構いません。あいつが幸せになれるなら、俺がどうなろうと知ったことではないです。……ただ一つだけ我が儘を言ってもいいですか』
『何だ、言ってみろ』
『ハルが煉獄に来るのならば……煉獄にいる間、あいつを記憶喪失の状態にしてやってくれませんか』
『……記憶の欠片を持ち込ませないようにすれば可能であるが……何故だ? 再会できるのだぞ、お前が現世で言い残した言葉を伝えられるチャンスなのだぞ? そのチャンスをふいにするつもりか』
『……あいつとは他人として出会って、他人らしく別れたいんです。あいつが記憶を持った状態で永遠の別れを迎えれば、きっと泣き喚いてしまうでしょうから。……もうそんな姿は二度と見たくないんです』
『……左様か、お前の心意気は伝わった』
神様が翳した掌に光が集う。そして円の形に収束し、一つの指輪となった。
その指輪を神様は数度眺めてから、クロに手渡す。
これがハルの父親が無くしてしまった記憶の欠片、クロはこれをハルに渡し、現実世界へ持って行かせなくてはならない。
そして神様は煙管を振り、死後の世界に奇跡を起こす。
クロの魂が宇宙を進み、煉獄の地へと向かう。
最愛の人と再び出会う地に、彼を送り届ける。
黒鐘よ、お前はイーハトーヴの街に住み、しばらくの平穏を謳歌しなさい。
やがて時が満ちた時、ジョヴァンナ・ハルモニウスを煉獄へ送り届けよう。
お前は毎日駅に向かい、彼女の来訪を待ちなさい。
そして彼女と出会えたら、彼女が生前送った人生を紙に綴らせなさい。
そこに我が教授した印を書き加えれば、それが生の証となって、現世へ還る切符に成り得るはず。
黒鐘よ、お前は胸を張りなさい。
現世でも死後でも愛する者を慈しみ続けるお前は、紛れもなく良き人間なのだから。
願わくは、お前が望むシナリオが実現するように。
お前の心優しさが、記憶を無くした彼女に届き、幸せに暮らせるように。
得られなかった日々が、このイーハトーヴで紡げるように。
お前の幸を、私は、祈っている。
――――そして、二人の物語が始まった。




