42章 さよならイーハトーヴ
発車時刻の直前、銀河ステーションは人で一杯だ。
クロとハルは手を取り合い、強く握りしめながら、天国行きの鉄道が来るプラットホームを目指す。
二人が駅員に切符を見せると、驚いたような顔をしながら道を開け、二人の通行を許可してくれる。
そして、プラットホームへ。
今日もホームは人でごった返し、階段を上っていくことさえも困難なほどだ。
ようやく階段を上り終えても安堵してはいられず、線路側へと移動するだけで異常なほどの労力を使ってしまう。
潮騒のような人々の声を聞きながら、二人は半ば抱き合うようにして人の間をかき分けていった。
涙を流しながら家族と抱き合う老人、旅立つ者へ思い出の品を渡している青年、ただ黙って虚空を見上げる少女。
様々なドラマがこのプラットホームに集い、一様揃って閉幕していく。
知る由もない赤の他人だって、今この時がクライマックス、新たなる日々へ船出をする時。
だからより一層、悲壮な声は強くなる。
ブルカ博士も、香も、今から自分たちの赴く場所にいるはずだ。
恐らく天国で楽しくはしゃぎつつ、二人の来訪を待ちかねているだろう。
再会までもう秒読みの段階、そう思うと少しだけ、蕭索に苛まれていた心が楽になる。
二人が線路側に辿り着いた時、駅に警鐘のようなものが鳴り響く。
お下がりくださいという車掌の渋い声が響き渡り、やがて、線路の向こうから蜜柑色の光が近づいてきた。
最初は小さな提燈程度の大きさだった光が左右にぶれ、増大し、乗客たちの視界を光で覆う。
そして甲高い汽笛が鳴り響き、銀河鉄道がホームに到着した。
今日もまた、銀河鉄道は檳榔子染の空に溶けるような漆黒の体。月白色のスモークを燻らせて、旅人を導き入れる。
最初は誰も動かなかった。
誰もがその銀河鉄道を見上げ、唖然として口を開き、その美しき姿を目に仕舞い込むばかり。
しかしいつまでも棒立ちしているわけにはいかない、発車時刻を迎えれば、銀河鉄道はこのイーハトーヴを去ってしまうのだから。
駅員に切符を見せ、同志たちが鉄道に乗り込んでいく。
見送る人々の涕泣をバックミュージックに、ハルたちもその列に並んだ。
今宵銀河鉄道に運ばれるのは数少なく、ハルたちを除けばたった六人しかいない。
ハルたちは列の最後尾、鉄道に乗り込むにはもう暫しの時間を要する。
その間、二人は空を見上げて時を待つ。
……そうしていくうち、真っ黒な空に何度も、一筋の光が駆け抜けるのを目視した。
「流れ星」
「流れ星じゃない、あれは銀河鉄道さ」
そんな会話をしているうちにも、光はまるで流星群のように空を走っていく。
時雨のように疎らと、一度光って儚く消える瞬き。
幾筋もの灯火が軌跡を描き、空に切れ目を入れていくのだ。時には放射状に、時には水の流れのように。
「銀河鉄道は天国で乗客を降ろした後、銀河を走り続けるんだ。広大な宇宙を永遠に。だから、このプラットホームに着く銀河鉄道は全て違う個体なんだよ」
役目を終えた銀河鉄道は光を帯びて、銀河の合間を駆け巡る。
そして銀河を構成する一つの要素となり、もっと空を華やかに染めていく。
鉄道が人を天へ送り届ける度に、見上げた空は美しく彩られ、更に輝きを増していくのだ。
「まるで日照雨みたいね……」
その幻想的な空を見上げているうち、自分たちの番がやってくる。
ハルとクロは切符を取り出して駅員に見せ、こちらの駅員もやはり驚いたような顔をしながら、二人を銀河鉄道へと迎え入れるのだった。
ホームから一歩を踏み出し、銀河鉄道の青い床に今踏み立つ。
その瞬間、今まで自分が生きてきた世界との乖離感を得て、寂しさを覚えてしまう。
ああ本当にこの地を去ってしまうのかと、今までで一番強烈に実感し、思わず足を止めてしまった。
それでも立ち止まることは許されない。
後ろを歩くクロに促され、ハルは銀河鉄道の奥へと進んでいく。
迷いを吹っ切るように、車室へと繋がる扉を開いた。
銀河鉄道の車室は青を基調とした落ち着きのある色に染まっている。
見送る人々はあれほど多いのに、車両の中は空席が多く、青い天蚕絨を張った腰掛けが静かに佇んでいるばかりだった。
地面の色は青海原のように深い青碧、天井の色は蒼穹のような淡い白群に染まり、鼠色のワニスを塗った壁には真鍮の大きなボタンが二つ光っている。
こうして見れば、乗客たちは天と地の狭間を滑空するイカロスの如く。
この配色は地を離れて天へ往くことを黙示しているかのようだ。
二人は近くの席に座り、窓ガラスに咲いた霜花をそっと指で拭って、イーハトーヴの人々の顔を眺める。
見知った顔もあれば、今日初めて見る顔もある。
だが誰もが等しくこの街で時間を共にした者だ。
紡いだ思い出は無くとも、今こうして出会えたことに、今まで同胞として日々を過ごしたことに、礼を言うかの如く手を振った。
おめでとう、と誰かが言った。
ありがとう、と誰かに言った。
もう誰が声を発しているかも分からないほど、ホーム内は人で満員状態だ。
誰も線路と鉄道の間に落ちていないことが不思議なくらいに、彼らは去りゆく者たちの姿を見送ろうとする。
蝉時雨のような別れの言葉が反響する中、銀河鉄道が汽笛を鳴らす。
甲高い声で喚叫し、そして、より一層人々の声が大きくなる。
そして、後ろ髪を引かれているかのように緩やかに、銀河鉄道は進みだしていく。
一度振り切ってしまえば一目散、銀河鉄道は韋駄天のように速度を上げ、興奮の坩堝と化したプラットホームの音を振り切り、そして、やがて、空へ飛び立つ。
線路のしがらみから抜け、宝石箱のように星々が瞬く天空へ、銀河鉄道は脇目も振らず走っていく。
雲の合間を、闇の空隙を潜り抜けて。
迷うことなく一天を駆け、やがて窓からの景色は更なる黒鳶に変わるが、それでも月夜の空へ昇っていく。
イーハトーヴの街が遥か眼下に見える、あれほど愛した街は、今や精巧なミニチュアであるようにしか見えない。
もうこの頃には、車室内は静寂に包まれていた。
あれほどまでに賑やかだったのが白昼夢だったかのよう、今はただガタン、ゴトンという音が断続的に聞こえてくるばかり。
高層ビルを越え、摩天楼さえ越え、もう、鳥の鳴き声だって聞こえない。
気が付いた頃には、窓から見える風景は銀河一面だった。




