27章 二人だけのコンサート
その時一陣の風が吹いた。
風を巻き起こしていたのは一本の鉄道、恐らくアナウンスを聞き逃していたのだろう、突然の到着に二人は驚く他ない。
今しがた到着した鉄道は、日に数本しか走っていない鈍足鉄道だった。
かつてはよく利用されていたが最新型の特急鉄道が導入されてからは下位互換扱い、むしろ今乗るより数十分後に到着する特急鉄道を待ったほうが早く目的地に着けるほどだ。近々運行を終了する噂だって蔓延っている。
だからその鉄道には乗客が乗っていない。
珍しく誰かが乗っていたとしても、ほとんどがこのトキーオで降りてしまう。
二人は合図も無く同時に歩き出し、その鈍足鉄道に乗り込んだ。
無論車両の中には誰もいない、二人だけの貸し切り状態。
やはりここでも言葉は交わさないまま、二人は近くの席に腰を下ろす。
二人横並びになって、クロが窓側に、ハルが通路側に座る。
そして鉄道が汽笛を鳴らしながら進みだしても尚、二人は言葉を零さない。
ガタン、ゴトン、規則的な音だけを耳にし、時の刻みを感じる。
「……」
暫しの時が過ぎた頃、ハルがカバンの中から音楽機器を取り出した。
それは以前クロがハルのリクエストを受けて買ってあげたものだ。
最新機種が売り切れていたせいで、一世代だけ旧型のものになってしまった。それでもハルは非常に喜んでいた。
思い返してみれば、ハルは就寝前に音楽を聞いて楽しんでいることが多かった。
何を聴いているのかは皆目分からないが、楽しそうに聴いているから、彼女に買ってあげてよかったと思っていた。
ハルは音楽機器を操作し、そして、イヤホンを片耳に突っ込んで――、
「……ん」
もう片方のイヤホンを、クロのほうに向けるのだ。
「……」
一瞬面食らったが逆らうことなく受け取り、クロも倣って片耳に入れる。
すると、しゃん、しゃん、しゃん、とスズの音が流れてきた。
有名アーティストの切なげな声で表現されたクリスマスソングが、世界の音の半分を満たす。
言葉を交わすことも無く、ハルとクロは共に歌を聞いている。
それは他の誰にも聞こえない、二人だけのコンサート。
クロが少し視線を横にずらすと、窓から夜の繁華街が見えた。
この鉄道から見るとまるでホタルの群れ――いや、宝石が地上で煌めいているようにさえ見える。一枚のガラスを隔てて、鮮やかな光の海が満遍無く瞬いているのだ。
きっとあの場所には、今まで見たこともないほど綺麗なものがたくさんあるのだろう。
そう、手を伸ばしても届かない場所に、綺麗なものはたくさん転がっている。
手の届く場所には、一人の女の子がいる。
理想なんてあの窓の向こうにしかなくて、見ているだけでカタチにすることができなくて。
喧嘩をして、言い争いをして、そんなような現実は、すぐ触れることができるほど傍にいる。
喧嘩もせずに諍いも起こさずに――そんなような存在は、ここにはない。窓の向こうにしかない。
その手を握ることもできないし、頭を撫でてやることもできない。
きっと風が吹けば倒れてしまうような張りぼてだ。
バカをして、互いの悪いところを見せあって、時々ぶつかり合って、でもまた笑って。
そんなハルならこちら側にいて、そいつは予想外に近くにいる。
こうして一つの音楽を分け合って、気づけば肩が触れ合っている。
初めて会った時から大好きな、愛しいハルが隣にいる。
「……」
今はもう、ハルは自分の抱いていた疑問を口にする気が無くなっていた。
クロの正体――星冬なのかどうか、それを問うタイミングをずっと何度も窺っていたが、もう止めることにした。
確信が持てたのだ。
言葉よりも強烈で信憑性のある事実を、ハルはクロの行動から受け取っていた。
バラバラに浮遊している記憶の断片と示し合わせても、反証となるシーンが一つもない。
クロは、星冬だ。
これは疑いようもない事実だろう。
この胸の高鳴りも、頬紅を付けたかのような自分の顔も、全てがその事実を真実だと証明してくれる。
今隣にいるのは、自分の好きな人なのだ。
湧き出る万感の思いを言葉になんかできやしない。
ハルは目を瞑り、クロの肩にそっと頭を預けた。
「……私、寝るから」
そう言い残し、ハルは動かなくなる。
「あと十五分もないぞ」というクロの言葉にも反応せず、ただ瞳を閉じ続けた。
肩に確かな温もりを感じつつ、クロは再び窓の外を見やる。
窓の向こうではやはり宝石たちが嫌味なくらいに光っている。
でも先ほどよりその光が鈍くなっている気がした。
それより眩しい何者かに目を奪われ、今のクロには宝石が石ころのように見えてくる。
次の歌に進むまで、あと三分。
駅に着くまで、あと十二分。
その間一度も、クロがハルの寝息を聞くことはなかった。




