24章 自覚できないデートの刻
「さすが有名店だけあって、出てくる料理も一級品だったな……フォアグラのソテーとか鴨肉のコンフィとか……」
「でもなんか格式高くてやってられなかったわ。こちとらフランス料理のマナーなんて知らないというのに……」
諸々の買い物を終えた二人は、一旦『山猫軒』という料理店で昼食を済ませ、再びトキーオの街をぶらぶらと歩き始めた。
だんだんシナハンという名目すら忘れ、二人はただ漫然とトキーオの街を歩きながら、特筆する必要もないほど他愛も無い話をしている。
時にはウィンドウに掲示された服を見てハルが感嘆を上げ、時にはクロが店先に設置されたガシャポンを見て童心に返ったりもした。
傍から見れば単なる仲良しな男女、よもや二人が契約の元同居しているだなんて夢にも思えない。
それほど普通に楽しみ、普通にウィンドウショッピングをしている。
記憶を無くした事実も、星冬のこともジョヴァンナのことも、今だけは何もかもを忘れて、二人仲睦まじく昼下がりを過ごす。
「……」
これがかの有名なデートというヤツなのだろうか、なんてハルは俗なことを考える。
広辞苑的には割と現在の状況に近いものが定義付けられているので、きっとこれはデートなのだろう。お互いにその意識があるかどうかはさて置くとして。
しかしデートという言葉がピンと来ないのもまた事実だ。
デートというのはもう少し少女漫画的な、ドキドキとかワクワクを含むものではないのだろうか。
今の自分にはそんな感覚なんて与えられておらず、ただいつものようにクロと会話を交わすばかりだ。
そして恋愛的なことを考えた瞬間、星冬という名前が胸中に漂っている。
多分だけど、星冬と二人で街中デートをしたら、今まで自分が味わったことの無いくらいの緊張と興奮が味わえるだろう。
恐らくそれが正しいデートのありかた、こう言っては失礼だけど、今はその足元にも及ばない。
まあ、それでもだ。
クロも意外とやりおる男だから侮れないし、少しばかり見直した部分もある。
道を歩いている時さり気無く車道側を歩いてくれるし、長く無言が続かないよう話題を振ってくれるし、荷物もなんだかんだ言って全部クロが持っているし(申し訳ないから自分も持つと言っても凄まじい台詞回しによって却下されるのだ)、それでこちらが気を遣わないよう色々な理由を口から出してみせている。
今度はこっちに行ってみよう、と提案するのもクロだし、飽きないようルートを考えてくれているのも何となく感じ取れる。
私に好きな人がいなかったらやや依ってしまいそうなほど、クロの行動は男性として理想的なことばかりだった。
こちらも同じような対応で返したいところではあるが、悔しいことにかつてのデートの記憶すら今は持ち得ておらず(そもそもデートをしたことがあったかどうかが問題だが)、ロクな気遣いや気配りさえできやしない。
今の記憶上では、これが人生初めてのデートなのだから。
初めてのデートはまだ未熟、いつものような態度を取ることしかできない。
本当はもう少し上手くやれるのに、日頃はそう思っていたのに、余裕ができなくて視野が狭くて先の展開を誘導できなくて、ただただ導かれるがままクロに着いていくばかり。
楽と言えば楽だけど、少しだけ心の中にはしこりが残る。
自分だってなにかしなくちゃいけないんじゃないか、そんな焦燥感に襲われる。
隣の誰かさんが上手くやれればやれるほど、対照的に自分がちっぽけなものに思えて。
そのせいで空回りしてしまって、思い通りに事が運ばなくて。
……別に恋心を持っている相手でもないのに、なんでここまで焦っているのだろうか?
クロに出し抜かれた気がして悔しいからだろうか、いつもは対等にケンカしたり日々を過ごしたりしているけど、こういう箇所で一歩大人な部分が見えてしまって、そこに追いつきたいからだろうか。
皆目見当もつかない。
乙女心なんてモンは自分でも理解し難く、自分でも分からないんだから世の中の男が女の心なんか読めるわけねえや。……なんて身も蓋も無い結論が出てきてしまった。
自分が自分の心を分かっていないのと同じように、男も男の心が分かっていないのかもしれない。
分からないまま分かったふりをして相手のことを分かろうとしているのかもしれない。
結局そんなものなのだろう。
「……」
そんなことをしみじみと考えている場合でもなくって、ここまで頑張っているクロの為に何かできることがないかを考えたほうが建設的だ。恋愛ポンコツな自分にだって、一つくらいできることがあるだろう。
久しぶりに大都会へ来たのだ、クロだって己の趣味的な範囲でどこか寄りたいところがあるだろう。
でも恐らくそれは相方である自分の興味無い場所だから自重しているはず、己の趣味に付き合わせるのはどうかと思っているはず。
さり気無くそこに誘導するとかできたらまだ何か色々挽回できるようなできないような。
「……そういえばクロって演奏家なのよね、何の楽器を嗜んでいるんだっけ?」
「セロだよ。長いこと活動写真館の楽団でセロ弾きをやっていてな、その経験を生かして今はソロで活動中だ」
「セロねえ……素人だから、ヴァイオリンやヴィオラとかとの違いがいまいち分からないわ。セロはやたら大きいんだっけ?」
「そうそう、顎で挟み込めないからエンドピンってのを使って楽器を支えるんだ」
「へえ……あれ、でもクロがセロの手入れしているのを見たことないけど、長いこと放置していて大丈夫なの。張り替えるための新しい弦とか、クリーナーとか買っていった方がいいんじゃあ……」
「ノープログレム。手入れ道具は完備、無論弓の方ほうもな。曲がりなりにもセロで生計を立てているんだ、そういう面で抜かりはない」
「ああ、そうなの……あ、でもあれじゃない、音楽家ならクラシックのCDとか買うんでしょう。新しいのが出ているかもしれないわよ」
「その点に関しても無問題、イーハトーヴの隅っこにアンティークな雰囲気のCD屋があってな、新作はそこで毎回取り置きしてもらっている。みすみす新作を見逃すようなヘマをやらかす男児ではない」
「う……で、でもでも、ホラ、なんかあるじゃない、掘り出し物とか。探せば色々出てくる可能性が無きにしも非ず――」
「……ぷ」
小さく響いたその音は屁ではない、クロが静かに笑いを零したのだ。
何故笑われたのか理解できないハルは焦りながら首を傾げ、クロは何とも愉快そうな笑みを浮かべている。
「そんな気ィ遣わなくていいって。別に俺はこうしてハルとぶらぶらしているだけで楽しいし」
「な」
男のクセにイタズラっぽい笑顔を湛えつつ、ハルの何もかもを見透かして、そんなようなことを言ってのけるのだ。
受け取り手のハルは平仮名一文字を口にして、お見通しされていた恥ずかしさと、クロが恥ずかしげも無く行った台詞で、頬に淡い朱を混ぜている。
紅くなった顔を見られたくなくて、反射的にクロへ背を向けてしまい、それを見たクロが再び堪え切れずに一噴きした。
「……わ、分かってたんなら、『そうだね、じゃあ楽器屋にちょっと寄ってみようか』くらい言えばいいじゃないの!」
「いやあ、一生懸命そこへ誘導するハルがおかしくて面白くて、ついつい言及を」
そこに気を遣えよ! と言いたいが、顔が熱くてそれどころではない。恐らく耳朶まで真っ赤だろう。
ああもう、くそう、なんかじわじわと敗北感が込み上がってくる!
なんで今に限ってストレートなことを言うの、いつもなら『お前なんかと街をうろつくくらいなら、ダイオウグソクムシにリード付けてお散歩していたほうがマシだ』とか言うくせに。
面食らっちゃったじゃないの、不意打ちされたじゃないの。
あんまりにも唐突すぎて……ああそうだきっとそうだ、突然過ぎたからここまで動揺しているんだ。他意はない、他意はない。
「で、如何いたしますかハルモニア嬢。楽器屋はすぐそこの角であるが?」
「行かんわ! 一人で行きなさい!」
ブルカ風のクロに背を向けたままハルは直進、楽器屋とは真逆の方向へ歩き出す。
いつもはあまり見せない純粋な笑みを浮かべながらクロがハルに追いつき、その隣を歩きながら声をかけた。
「怒るなって」
「クロなんかもう知らない、コンバインハーベスターで轢かれちゃえばいいのよ!」
「俺が悪かったって、地獄に落ちるくらい悪かった。何か奢るから許してくれよ」
「……パフェ、ゾウくらいでかいやつ!」
「仰せの通りに、ハルモニア嬢」
未だ顔に赤みを混ぜているハルと、その隣でさも愉快そうなクロ。
そんなクロの横顔をこっそりと見ながら、ハルは静かに『まあ、こんなのも悪くはないか』と思うのだった。
これは恋ではないけれども、きっと友情以上の何か。
長い時間を共に過ごす内、自分たちは想像よりもっと互いのことを信頼していたのだろう。
居心地がよくて、鼓動こそ早まらないけど、幸せが心に咲き誇るひと時だ。
クロは意地悪だけど嫌な奴じゃない、面白くて個性的で時々男らしくて、そんな不思議な同居人。
少しわがままかもしれないけど、こんなことを願ってしまう。
例え全てが終わった後も、……童話が完成して、私たちの契約が履行された後も、良き友としてクロと共にいられればいいなと。
そう思っていた、そんなことを願っていた。
……今、この時は。
同居人として共に居られればいいなと、今はまだそんな甘いことを。
しかし事態は突如変わるもの――よもやハルも思わなかっただろう。
この後たった数分後に、その考えが改められるだなんて。




