21章 恋の夢-Ⅱ
再び、ハルは夢を見ている。
泡沫のように虚ろで幻想のように儚い、そんな静かなる夢を。
自分が夢を見ていることも自覚できずに、ハルは辺りを見回した。
辺りは一面の銀世界、空からは風花が舞い、鈍い銀色の光を放っている。
冬を迎えて、日本にも降雪のシーズンが到来したのだ。
ハルが住んでいた地方も処女雪で覆われて、真っ白に染め上げられていた。
家先に置かれた雪だるま、窓ガラスの外側に佇む雪うさぎ。
子供たちは空き地で雪合戦をし、お隣さんは家族でかまくらを作って暖を取っている。
みんな久しぶりの雪に大はしゃぎ、無論自分も例外ではない。
ハルは手袋、帽子、マフラーにコートと重装備をしながら、自宅の庭で雪玉を作っていた。
一時間ほど作り続けていたせいで大量に生成され、彼女の隣には夥しい数の雪玉が並んでいる。
無邪気な顔で雪を固めている幼きハルの顔を、高校生のハルは他人事のように眺めていた。
ああ、昔の自分はこんなにもあどけない顔で笑うのだなと、適当な感想を浮かべるばかりだ。
「おーい、ハルー! この僕が直々に雪遊びの提案を申込みに来てやブフッ!」
物陰から現れた星冬の顔面に、ハルは容赦なく雪玉を投げつけた。その素早さと物量はもうメタルストームの速射並だろう。いや、それは言い過ぎか。
「やはり来たわね星冬! 雪が降ると犬みたいにはしゃぎ出す健康的小学生男児め! 今ここで楽しく愉快に息の根を止めてやるわ!」
蓄えておいた雪玉を投げつけるハルに対し、星冬はもうたまらんとでも言いたげな顔をしながら庭に停めてある乗用車の後ろに隠れた。
そして息を荒げながら、
「な、何なんだ! 人がせっかく遊びにきたというのにこの仕打ち、理由によっては手袋を顔面へ投げつけることも辞さない!」
「フハハ! 理由などないわ! 対峙した敵は排除よ、我が兵は残党を見逃すほど甘ちゃんじゃないもの! 撃ーッ!」
「……ハル、雪のせいで極限までテンション上がっているだろ。くそっ、こうなったら交戦か降参だ!」
――とある雪の日、ハルと星冬は庭の雪を使って楽しく遊んでいた。
雪が大好きなハルは大はしゃぎ、無論年相応の男の子な星冬だって大興奮だ。
二人はテンションに身を任せ、雪合戦を……「誰か短刀を持って参れ、将軍首ば頂くぞ!」「なんの、オォ誰ぞ、火を灯せ! 敵将軍を焼き討つのじゃ!」……もはや単なる合戦をしている。
久しぶりに出会った二人は死ぬほど楽しそうで、……そんな戯れを見ているハルは、痒みのような胸の疼きを得ていた。
自分の心の中にも芽生えている恋の種が、更に強く咲き誇るのを感じている。
彼の姿を見る度に、奥底へ封印していた恋慕の感情が増幅され、どんどん好きという感情が強くなっていく。
「……痛……ッ」
雪合戦を楽しんでいたハルが、その時突然しゃがみ込む。
一瞬何かの作戦かと思った星冬だが、ハルの苦悶の表情を見てその考えを放棄、すぐさま彼女の元へと駆け寄っていく。
「どうした、僕の投げた雪玉に石でも入っていたか?」
「違うの、ただ手が……」
星冬がハルの手首を握り、己の顔を近づける。
いつの間にかハルは手袋を脱ぎ捨て、素手で雪玉を作っていたようだ。そのおかげで両手とも霜焼けを起こしてしまい、ちょっとだけだが腫れていた。
「手袋はどうした、なんで外したんだ」
「雪玉作る時に煩わしかったから……」
「バカ、そんなことしたら霜焼けするに決まってるだろ!」
そう言いながら星冬がハルの両手を握りしめる。
温めていれば多少は症状が改善するかもしれないと思ったからだろうが――それを知って尚、一方のハルは穏やかではない顔になってしまう。
好きな人に手を握られて、冷静でいられるわけがない。ハルは見事なまでに慌て、頬を林檎みたいに赤く染めてしまう。
必死な顔で患部を温め続けている星冬には、そんなこと知る由もなかったが。
「アカギレにはなっていないようだし、これくらいなら大丈夫かな。それでも数日間はジンジンするかもしれないけど」
「う、うむ、左様ですか」
動揺のあまり紳士的な返答してしまうハルを、高校生のハルは胡散臭そうな目で眺めている。
こんなにピュアでいじらしい少女が本当に自分と同一人物なのか、どこで自分はこれほど捻くれてしまったのか、真剣に考えている顔だ。
「まあなるべく手を使わないほうがいいだろうな。飯くらいなら僕が食べさせてあげてもいいが、どうする?」
「いや、それはお父さんに多大な誤解を与えるからちょっと……」
嬉しい申し出を断り、ハルは白い息を吐きながら空を見上げた。
(……こっちはこんなにドキドキしているのに、星冬ときたら途方も無く鈍いんだから)
もう彼女だって小学生の中学年、そろそろ恋の正しい在り方を知る時期だ。
ただ見つめているだけでは形にはならない、果実は収穫しなければ甘さを与えてはくれないように、想い人がいるならば、告白しなければならないだろう。
傷つくかもしれない、付き合っていないこの時期が一番楽しいのかもしれない。
でも、言わなければ、いつか必ず後悔する。
秘めたる愛を言葉にする前に、死別してしまうことだってあるのだから。
――だから、いつか星冬に告白しようと、ハルは誓う。
それは例えば、今日みたいに雪の降る日に。
二人向かい合って、ロマンチックな雰囲気の中で。
そうだ、それがいい。
雪の舞い散る中で、大好きな星冬に告白したい。
それだけが、今の彼女の願いだった。
「……」
ハルの意識が閉じていく。
視界の輪郭から闇が広がっていき、やがて完全なる黒色が全てを塗り潰した。
もう、終わりの時間だ。
楽しい過去を回想する時はここまでで、これからは現実を行かなくてはならない。またしばらく星冬と会えなくなるのは心残りだが、いつまでも夢の中で生きるわけにもいかないのだ。
記憶を取り戻すという目的を果たさなくてはならないのだから。
夢と現実を繋ぐ道を行き、黒染めの世界を切り裂いて一筋の光が溢れて出て……、
そしてハルは目覚め、朝を知覚した。




