16章 始動する執筆
別れの夜、まだ気持ちの整理もつかない時のことだった。
肉詰めピーマン三つを解体し、肉とピーマンを分けているクロ(クロは肉が苦手な反面野菜が好物なようで、野菜本来の味を楽しむために分けるのだとか)がハルに対して、ようやくこんなことを口走り始めたのだ。
「そろそろ童話執筆も本番に入るとするか」
コンソメスープを飲んでいたハルの動きが止まり、刹那、咳き込みながらスープ入りカップをソーサーへ戻した。
突然の開始宣言に咽こんで、スープが逆流して鼻から出かけたものの女子としてそこは死に物狂いで耐える。
「……前振り無しでそういうこと言わないで」
「え、前説が要るか? 今宵は黒々とした良き夜になりましたが皆様如何お過ごしでしょうが、不肖私めは本日重大なる発表を用意して来た所存で御座いまして――みたいな切り口で始めたほうがいいのか? ホントに?」
「いやそこまでする必要は無いけど、まだかな~まだ練習を続けるのかな~って思っているところに突然そんなことを言われたら、さすがにコンソメを噴出することも辞さないというか」
ティッシュで口元を拭い、ハルは肉詰めピーマンを解体することなく口まで運んだ。
料理を作った者の立場から言えば、完成品を解体されることは微妙に不愉快なのである。
「で、一体何を思って本番に取り掛かろうと考えたの?」
「んー、まあハルも練習を重ねて上達したし、俺のプロットもいい具合に煮詰まってきたからな。そろそろ機会だと見計らっていたんだ」
野菜の盛り合わせを死ぬんじゃないかってくらいかっ込みつつ、さらりとクロはそう言ってみせるのだった。
一方のハルは複雑そうな表情、箸先でプチトマトを弄びつつ、唇をとんがらせて思案する。
確かに練習ばっかりでまだかな~まだかな~という気持ちになってはいたが、いざ本稿となるとやや気が引けてしまう。
今の自分で大丈夫なのか、実力不足ではないのか、そんなマイナスなことばかりを思ってしまって、いたたまれない気持ちになるのだ。
そんなハルの心配を察したのか、クロは頼りがいがあるのか無いのかいまいち分からない口調でこう言ってのける。
「まあ俺が隣で色々アドバイスするから大丈夫だって。もし見過ごせない箇所があったら怒涛の勢いで指摘するから」
ハルの執筆時間は主に夜だ。
じゃあお前は夜通し隣で原稿を見続けるのか、異性としてその行動はやや糾弾されかねないんじゃないのか。
そんな考えが脳裏にちらつくが、ここは犯罪のできない煉獄、男女が密室にいたからといって、恋人同士でもなければ下手な真似は行えまい。
「ちなみに先んじて訊いておくけど、そのお話の長さは如何ほどに?」
「短い短い、俺の知能線くらい短い。……ちなみに知能線が短いっていうと単なるオタンコナスに聞こえるけど、実際のところは即断即決の職人肌ってことだから」
「や、その補足説明はいらない」
ぐいっとコンソメスープを飲み干し、クロは一度手を叩いた。
これにてキマリ、という意の表れだろう。
「じゃあ今夜、いよいよ開始ということで」
「……分かったわ」
念の為もう一度参考書を読んでおこう、そう決意するのであった。




