15章 ブルカ・ケンタウルの罪
三人は横並びになりながら銀河ステーションまでの道を行く。
心なしかイーハトーヴの街はいつもより賑やか、恐らく天国へ出発する銀河鉄道を見送るために多くの人が集まっているからだろう。
銀河鉄道が出る日は決まっていつも、駅前が騒然としている。
駅までの道のりを歩いている最中、ブルカ博士は辺りを何度も見回していた。
長い時間をこのイーハトーヴで過ごしてきたのだろうが、そんな日々ももうおしまい、この景色だって今日で見納めだ。
寂寥感に襲われたのか、ブルカ博士の瞳はどこか儚げに染まっている。
「……そういえば、ブルカ博士の罪って何だったの?」
初歩的ながら、驚くことに今まで訊いたことが無かった。
ブルカ博士は顎に手を添えて、昔を懐かしむように語り出す。
「ふむ、実はな、丘で出会った少年を実験のサンプルにしたことがあってだな……ああ誤解しないように、無論彼に害は与えていないし、っていうかテレパシー的な実験でどう害を与えるのかって話だし、ちゃんと彼に見返りだって与えたのであるぞ」
「それでどうして煉獄に?」
「いや、なんか……実験台になってもらう代わりに二枚の金貨を与えていたのだが、金を与えてその身を利用するっていうのがなんか援助交際に近いとか不健全だとか言われて……」
「…………」
さもありなん、ハルはしみじみと頷いた。
実際は恐らく何もしていないのだろうが、傍から見れば少年好きの男色家でしかない。
こりゃ神様も危惧して煉獄送りにするわ、と凄まじい勢いで合点がいった。
その事実を知っていたのだろう、クロは苦笑しながら肩を竦めるばかり。
最初聞いた時にはクロもハルと同じことを思ったのだろうか、そうに違いない。
「でもブルカ博士、生前から研究を続けていたのね。ご立派な」
「それほどでも……以前話した通り、自分でも何故研究せねばならないのか分からぬ研究であるしな。……父に命じられ、拒否権も与えられず、ただただ我輩は研究を続けるばかりであった」
ブルカ博士の瞳に憂いが混じり込む。
その視界には生前の過去が映っている、懐かしき、忌まわしき、彼の生きた軌跡の全てが。
「……物心付いた時から、父に研究を続けるよう言われてきた。その意義も教えては貰えず、やらねばお前を消すと脅され、幼少よりひたすらに研究を重ねていたのだ。全てをかなぐり捨て逃げ出そうかとも思った、弑逆まで考えた、しかし結局父の呪縛から逃れることはできず、我輩はつまらない人生を送っていたのであります」
娯楽も何も与えられず、ただ考究一筋の人間として生きてきた。
まだ誰も到達したことの無い未開拓な分野を、ゴールがあるのかさえ定かではない研究を重ね、そして一生を終えた。
「我輩の最後は、呆気ないものであったよ。我輩を用済みだと思った父に殺され、世に憚ること無く終止符が打たれたのだ。……我輩の人生は、そんな薄っぺらいものでしかなかった」
かける言葉も見つからず、ハルとクロは黙ってその話を聞いていることしかできない。
どんな言葉も、ブルカ博士の吐露した事実の前には、陳腐な嘯きにしかならないのだから。
ブルカ博士は沈んだ雰囲気を少しでも浮上させるかの如く笑った、しかし掠れて痛ましい声にしかならなかった。
「……だから、煉獄で其方達と過ごせた時間は、今までで一番幸福な時間であったよ」
あたじけない事情に振り回されて、不憫な現実で生きてきた彼は、……ここでは心から幸せに笑うことができた。
しがらみから解放されて、ようやく思い通りの日々を過ごすことができたのだ。
だからその言葉は嘘ではない、それだけは誰にも否定できない事実なのだ。
「でも、なら、どうして煉獄でも研究を続けているの? 押し付けられた研究ならほっぽり出して、別の何かに心血注げばいいのに」
「……我輩の父はいみじくも、研究をさせ続けるすべを会得していたのだ。我輩に研究以外の全てを与えず、それ以外の取り柄を全て奪った。研究以外のことを何もできないから、多くの者に見下され、爪弾きにされてきたのだ。だから我輩は手放せないのだよ。それしかできることがないから、それ以外のことを知らないから。故に、強迫観念に駆られるように、今尚研究を繰り返してしまう」
彼にとって研究はイコール自分、研究が剥奪されれば自己が、自我が崩壊してしまう。
だから止められない、どれほど逃れたくても、どれほど自由になりたくても。
「まあでも……天国へ行くのであるからな、そろそろ我輩も解き放たれる時やもしれぬ。少しずつながら、別のアイデンティティを見つける所存ではあるよ」
「……そっか、じゃあ今度天国で会える時を楽しみにしているわ。どんな奇抜な趣味が飛び出してくるか、見ものだもの」
「ほほ、存分に期待を抱くがいいであるぞ」
ブルカ博士が空を見上げた。
煉獄の空にはカラスが群れを成して滑空をしている。
まるでそれは大艦隊、今まさに演習をしているかのように。
声の枯れたカラスが尚声を張り上げる、鳥たちが空を舞う、ただただ駆け巡る。
静かに口を開いて、彼は呟く。
「もし母が存命していたならば、我輩の過去は違ったかもしれぬな」そんな『もしも』の話を語り、彼は「だが、母はもう物心ついた時にはおらず……恐らく我輩を産んだ時に亡くなったのであろう。一目でも会えたためしがない」そう言い落とす。
直後、自分に纏わりついていた重々しい何かを外したかのような清々しい顔で、
「今更言うのもおかしな話だろうがな、良き親は大切にせよ。常日頃の優しさも、気を抜けば当たり前に思えてしまうかもしれぬ。だが一度自分の環境を見直してみるのだ、親へ感謝すべきことは想像以上に甚大だろう。だから孝行できる時にはしておくがいい。……良き親を持てなかった我輩が言いたいのは、ただそれだけであるよ」
もしも天国かどこかで親と再会できたなら、良き親か悪き親かと見極めて、良き親なら恩を返すがいい。
……急に真面目になったせいで照れながら、ブルカ博士は自分の想いを全て述べるのだった。
親孝行の幸せを持てなかったブルカ博士から、まだ希望を抱ける若者たちへの最後の教訓。
二人は強く頷いて、そして前を見据える。
気が付けばもう駅に着いていた。
人で賑わう銀河ステーションに、三人は迷うことなく立ち入っていく。
ステーション内には別の街へ向かう路線と、煉獄と現世を繋ぐ路線、煉獄と地獄を繋ぐ路線、そして煉獄と天国を繋ぐ路線が用意されている。
駅内の人はほとんどが天国と繋がるプラットホームへと向かい、歩を進めていくのだった。
クロたち三人もそれに倣い、波のように進む人たちの間を歩く。
その途中、ハルとクロは窓口で硬券の入場券を購入し、相対式ホームへ踊り出る。
それと同じくして銀河鉄道が、煙と音を吐き出しながらホームに到着し、静かに扉を開く。
ホームへ入場する際に一度確認を行ったのだが、今一度、銀河鉄道に乗り込む際には天国行きの切符を提示するらしい。
ブルカ博士は切符を取り出し、銀河鉄道に乗る為の長い列を眺めた。
全ての人が乗車し切った時、恐らく発車時刻は予定ピッタリ、滞りなく天国に向かって出発するだろう。
それが、別れだ。
クロがハルとブルカ博士の袖口を掴んでいた。
この人混みの中ではぐれない為に、……はぐれてしまったら、もうブルカ博士とは出会えず、それが最後の別れになるかもしれないから。
丁度その時、一人の少女がブルカ博士の背を叩いた。
小さな手、主の身長もまだまだ未熟。
ブルカ博士はその人物が誰か、振り返る前にもう気づいているようだった。
だから、振り返りもせず、こう言う。
「こんな人混みの中で会えるとはまさに僥倖で御座いまする、香嬢……我輩はブルカ・ケンタウル、ニヒルに旅立つ気ままな鴉と言ったところでしょうか」
「……最後の最後まで、いつものブルカ博士なんですね」
香は悲しみを堪えるような口調でそう言い、「待っていたんですよ、私に報告しに来た後『次いで黒鐘家に報告しなくては』と去っていった貴方を、この場所で」と囁いた。
ブルカ博士は軽く笑い、「こんな美少女を駅に待たせてしまうとは、ブルカ・ケンタウル一生の恥というもの。猛省せねばであるな」と言い返す。
ようやくブルカ博士が振り向いた。
いつも通りの軽いような表情で香に向き合い、あっけらかんと言う。
「お詫びと言っては何であるが、この我輩と法を越えた結婚を少々……」
「……申し訳ないですが、私には好きな人がいますので」
「ほほ、やはり」
香から視線を逸らし、一瞬クロの顔を見て、ブルカ博士は三人に背を向けた。
片手で小さな切符を振りながら、一歩、また一歩と歩いていく。
「そろそろ乗り込む時が来たようである。……では諸君、いざさらば。願わくは、また天の国で会わんことを!」
決して振り返らず、ブルカ博士は乗車口へ向かう。
駅員に切符を見せて、乗車の許可が下って、電車に乗り込んで――そして、もう、姿が見えなくなった。
窓から身を乗り出して、別れを惜しむ輩も大勢いる。
しかしブルカ博士は姿を現さず、ただ静かに椅子へ座り、前だけを見据えていた。
目を合わせれば、きっと別れが辛くなるから。
そしてホーム内にベルが鳴り響き、銀河鉄道が緩やかに進んでいく。
だんだんと速度を上げながら、煙を巻き上げながら、天国に向かって。
しばらくすると銀河鉄道の前輪が浮き始める。
地に敷かれた線路から外れ、遥かなる大空へと昇っていく。
きっと銀河鉄道は宇宙を旅するだろう、名前通り銀河を往く鉄道なのだから。
そして終着駅は天国、そこで罪を禊ぎ終えた人たちは、永遠の幸せを手に入れる――。
銀河鉄道は速度を上げながら空を行き、そして、ついに、見えなくなった。
群衆たちと揃って空を見上げていた香が、ぽつりと言葉を漏らす。
「……また、会えるでしょうか」
「会えるよ、きっと」
強く返事を返したのはハル、記憶が無く、罪の禊ぎ方すら知らない者。
そんな彼女でも豪語する、断言できる。
いつかまた会えることを。
だって時間は無限大、禊ぐべき罪さえ把握していれば、誰だって天国へ行けるのだ。
だから会えないなんてことはない、絶対に。
だから、その時まで。
「……またね、ブルカ博士」




