14章 別れはいつも突然に
同日の夕方、黒鐘家のインターホンが鳴った。
その時ハルはクロから借りた本に目を通していたのだが、実際は視線を紙の上で滑らせていただけ、刻まれた文字は何一つ頭の中に入ってはいなかった。
たった一つの懸念事項が原因で、集中しようにも雑念が混じり込んで思い通りに行かない。
ブルカ博士が今どうしているのか、それが気がかりでならなかったのだ。
だからチャイムの音を聴いた時、ハルは真っ先に彼の訪問を予感した。
椅子を蹴るようにして立ち上がり、急ぎ足で玄関先へと向かう。
ハルがクロの部屋の前を通り過ぎた瞬間、その扉が開き、中からクロが姿を現す。
「クロ!」
ハルがクロの名を呼び、クロは彼女に頷き返す。
お前の予想は間違っていないとでも言うように力強く。
そして二人揃って玄関まで歩いていった。
扉を開けると――ああやはり、ハルの目算通り。
そこに立っていたのは紛れもないブルカ博士だった。
彼はいつもの黒装束に身を包んでいるが、その身形はどこかいつもより綺麗に整えられていて、まるでこれから何かの式にでも参列するかのよう。
……いや、黒ずくめのその見て呉れは、どちらかと言えば葬式への参列者に近いだろうか。
「御機嫌よう黒鐘夫妻、本日が晴天になりて非常に喜ばしいでありますな」
一礼しながらそう言い、ブルカ博士は懐から封筒を取り出す。
「そんな呑気な挨拶をしている場合じゃなくて、一体どうしたんです? 突然バイトを止めるだなんて……」
「ふむ、突然の話になってしまって誠に申し訳ない。しかし仕方があるまいよ、今の我輩はバイトをしている場合ではないのだから」
ブルカ博士は先ほど取り出した封筒をクロへ手渡す。開封してもいいかと問うように小首を傾げたクロに対し、ブルカ博士は深く首肯した。
許可を得たクロは中身を傷つけないよう慎重に開封し、その中を覗き込む。
予想通りと言いたげに目を伏せ、クロは掌の上で封筒を逆さまにした。
中からはひらひらと小さな鼠色の切符が舞い落ちてくる。
クロはその切符を太陽に翳しながら、か細く、ぽつりと呟く。
「本日19時20分、銀河ステーション発、銀河鉄道乗車券」
「無論、天国行きであるよ」
誇らしげに胸を張って、ブルカ博士は威張ってみせる。
その紙切れが示す意味は只一つ、何故なればそれは罪を禊ぎ終えた者だけが享受できる開放の証。
詳細を知らないハルでも一目瞭然、きっとそれを銀河ステーションの駅員に提示すれば、あの銀河鉄道に乗って天国へ行けるのだ。
それは祝福すべきことなのだろう、ブルカ博士は今、罪の全くない無罪状態なのだから。
そして彼はこれから憂惧すべきものの一切無い、最高に幸福な世界へ行ける。
それは全ての煉獄の者にとっての夢、人生を終えた後の最終駅。
なのにどこか心の中に空洞が出来たように思えて、素直に笑えない。
喪失感、虚脱感、様々な負の感情がその空洞を見たし、埋め尽くしていく。
まだ出会えて一ヶ月も経っていないのに、友人を失う気持ちはただただひたすらに痛い。
「というわけで、我輩は本日付で天国の者! 罪無き子! ああ天国に行ったら何をしようか、とりあえずは女をはべらせて酒をいいだけ飲んでパリダカに参加して……」
輝かしきビジョンを夢見ながら、ブルカ博士はやりたいことを指折り数えていく。
天国に行ったからと言って急に女にモテるとは到底思えないが、そこまで彼が浮付いてしまうもの仕方の無いことだ。
13つほど夢を数えたところで、ブルカ博士は表情を曇らせているハルに気づく。
そしてセロのように美しい声で宥めるように、
「そう暗い顔をするものではない。死別するわけでもなし、ハルモニア嬢が天国へ来ればまた会えるのだから! その時は本当に国儀と呼べる規模の婚儀を執り行いましょうぞ」
「婚約は嫌だけど……うん、そうね。またいつか会えるんだものね」
再会がいつになるかは分からないが、多少の気休め程度にはなった。
ハルの表情は少しだけいつもの明るさを取り戻す。
その隣ではクロが己の腕時計を確認し、切符に書かれた時間と見比べていた。
「発車時刻まで後20分程度か、そろそろ移動し始めたほうがいいだろうな。乗り遅れたら切符の再発行まで時間がかかるらしいし」
「ああ、そうであるな」




