【裏世界・ソルシアの残滓】
大型アップデート【旅人の時代】が実装されてから三日後。
新コンテンツが大量に追加されていた。上位旅人職「導師」「探査士」「風来坊」の実装。旅人の道標システム(トワの旅路をトレースできる機能)。新エリア。新スキル。
旅人の集いのメンバーたちは興奮していた。
ハル:「トワさん! 上位職、どれにしましたか!?」
トワ:「どれにもしていない」
ハル:「え!? なんで!?」
トワ:「転職すると旅人ではなくなる。俺はLv1の旅人のまま行く」
ハル:「……かっこいいですけど、もったいなくないですか?」
トワ:「旅人のスキルが全て使えなくなるリスクがある。旅路の極意も、初心の心得も。──俺の強さは旅人であることに依存している。転職はしない」
ハルは「導師」に転職した。旅人のスキルを一部引き継ぎつつ、教導系のスキルが使える上位職。ハルらしい選択だった。
トワだけが【初期旅人】のまま、BCOで唯一の【転職しない旅人】。
でもそれ以上に気になることがあった。
アップデートのパッチノートの最後に、一行だけ──不自然な記述があった。
※世界の果てに到達した旅人は、『世界の裏側』に気づくことがあります
世界の裏側。
冬夜はログインし、世界の果てに戻った。あの空の上──ガラスの床の上。
床を見下ろした。BCOの全世界が足の下に広がっている。いつもの光景。
でもアップデート後、何かが変わっている気がした。
【見聞録】を最大感度にした。温度センサー。魔力感知。全センサー同時起動。
床の──さらに下に。通常の世界のさらに下に──微かな魔力反応がある。
表の世界には存在しないエネルギー。地下ではない。世界の【裏】。
「セレス。この下に──何か感じないか」
セレスがガラスの床に手をつけた。角がゆっくりと光る。
「……ある。なにか、ある。──セレス、これ、しってる」
「知っているのか」
「うん。むかし──セレスがうまれたところ。セレスがいたところ。──ソルシア」
ソルシア王国。壁画に描かれていた、滅びた文明。セレスの故郷。
「ソルシアは、ほろびた。でも、きえてない。せかいのうら──に、のこってる。きおくとして」
記憶。世界地図の欠片が【世界の記憶】と呼ばれていたのと同じだ。
冬夜はガラスの床に【果ての道標】を突き立てた。
ヒビが入った。
「トワ!? なにしてるの!?」
「道を作る」
もう一度。三連斬。ガラスが砕けた。
穴が開いた。穴の向こうに──暗い空間が広がっている。表の世界の【裏側】。
【隠しエリア「裏世界・ソルシアの残滓」への入口を発見しました】
【注意:このエリアは通常の踏破率に反映されません】
【注意:このエリアは不安定です。地形が時間経過で変化する可能性があります】
裏世界。踏破率に反映されない。地形が変化する。
──これまでの常識が通じない、新世界。
今までの旅とは、根本的に違う。
「トワ。いく?」
「行く。──お前の故郷だろう。見に行こう」
「うん……いく! トワと、いっしょに!」
二人で、穴の中に飛び込んだ。
◇
裏世界は──壊れかけの世界だった。
表のBCOが鮮やかな色彩に満ちているのに対し、裏世界は色褪せていた。セピア色の空。ひび割れた大地。倒壊した建物。枯れた木。
でも──美しかった。壊れかけているからこそ、儚い美しさがあった。
「ここが……ソルシアなのか」
「セレス、おぼえてる。ここ。むかし、ここに、いっぱいひとがいた。たびびとが。いっぱい、あるいてた」
今は──誰もいない。滅びた王国の残骸だけが残っている。
「歩こう。お前の記憶を辿りに」
「うん」
裏世界を歩き始めた。地面がところどころ崩れている。足場が不安定だ。一歩踏み出すたびに、地面がきしむ。
【警告:このエリアの地形は不安定です。5分ごとに地形が再構成されます】
五分で地形が変わる。マップを塗っても、五分後には違う形になっている。通常の踏破が意味をなさない世界。
「トワ。みち、かわっちゃう」
「ああ。だから──今この瞬間に見える景色を、よく見ておけ。二度と同じ景色は見られないかもしれない」
壊れかけの宮殿。かつて玉座があったであろう広間。壁にはソルシア王国の紋章が残っている。
セレスが壁画の前で足を止めた。
「これ。セレスの──」
壁画に描かれていたのは──小さな妖精だった。鹿の角と尻尾を持つ、手のひらサイズの女の子。
セレスと同じ姿。
「セレスは……ソルシアの、さいごのしゅごせいれい。おうこくがほろんだとき、セレスだけがのこった。──にげたの。おもてのせかいに。ぎんげつのくさはらに」
「逃げたんじゃない。生き残ったんだ」
「……うん。いきのこった。──そして、トワにあった」
冬夜はセレスの頭を指先でそっと撫でた。
「よく、生きていてくれた」
セレスの角がぽわっと光った。涙を堪えるように目を閉じて──でも、光だけは溢れていた。
その時──裏世界の奥から、声が聞こえた。
「──誰だ。この世界に、足を踏み入れたのは」
重く、冷たい声。
壊れかけの宮殿の奥から、一つの人影が歩いてきた。
フードを被った男。全身を闇色のローブに包んでいる。顔は見えないが──存在感が異常だ。
【ソルシアの管理者「ノクス」 ── Lv???】
「この世界は閉じられている。外の者が来る場所ではない」
セレスがトワの首元にしがみついた。
「トワ。このひと──こわい。むかしから、ここにいる」
ノクス。ソルシア王国の最後の王のAI──いや、管理者。この裏世界を「守っている」のか、「閉じ込めている」のか。
「俺はトワ、旅人だ。──この世界を、歩きに来た」
「歩く? この崩壊しかけた世界を?」
「崩壊しかけていても、歩ける場所があるなら歩く。それが旅人だ」
ノクスがしばし黙り込んだ。
「……面白い男だな。だが、忠告しておこう。この世界を外に開けば──表の世界が不安定になる。ソルシアの記憶は、表の世界を圧迫する」
「どういう意味だ?」
「この世界は──表の世界の『忘れられた記憶』だ。忘れることで、表の世界は安定を保っている。記憶を掘り起こせば──世界が壊れる」
ゲーム的に言えば──裏世界の存在が表の世界に影響を与える可能性がある。サーバーへの負荷か、あるいはゲームバランスへの影響か、それとも仕様か。
「立ち去れ、旅人。ここは、忘れられるべき場所だ」
冬夜は答えた。
「忘れられるべき場所なんてない。歩かれなかった道があるなら、歩くだけだ」
「そうか……ならば、好きにしろ。この世界で何が起きても、私は助けない」
ノクスが闇に消えた後、セレスがぶるりと身震いした。
「こわかった……」
「大丈夫だ。──行こう。お前の故郷を、歩こう」
「うん。──トワといっしょなら、こわくない」
【裏世界・ソルシア】
壊れかけた世界。五分ごとに変わる地形。管理者ノクスの警告。
新しい旅が──始まった。




