南へ
月曜日。大学、食堂。
冬夜は宮瀬の向かいで昼食を食べていた。最近は毎日のように一緒に食べている。
もう習慣の一部だ。
「ねえ久坂くん、聞いていい?」
「なんだ?」
「ゲームの中のセレスちゃんって、普段何してるの? 久坂くんがログアウトしてる間」
「草原で鹿の姿に戻って、草を食べたり、寝たりしているらしい」
「へえ……寂しくないのかな」
「本人は寂しいと言っている。毎回ログインすると『おそい!』と怒られる」
宮瀬は、微笑ましそうに目尻を垂れ下げた。その光景を想像しているのかもしれない。
「可愛いね。セレスちゃんって、どんな見た目なの?」
「手のひらに乗る大きさの……妖精? 一応は女の子だ。銀色の髪で、鹿の角と尻尾がある。白いワンピースを着ていて、背中に翼がある」
「えー、すっごく可愛い! 見てみたいなぁ」
「配信のアーカイブに映ってるぞ。ミコトの──」
「久坂くんの画面で見たいの」
自分のプレイ画面を宮瀬に見せる。
それは、トワとしての自分を、宮瀬に見せるということだ。
「……今度、考えておく」
「また考えておくだ。──でも、前よりは距離が近い言い方だね。前は、即答で断ってたもん」
「そうだったか?」
「前は、だけどね。……成長してるんだね、久坂くんも」
「成長では──」
「事実の修正、でしょ。知ってる」
思わず押し黙る冬夜を見て、宮瀬は嬉しそうに味噌汁を飲んでいた。
◇
夜。ログイン。
セレスが飛んできた。今日はリンゴを抱えていない。代わりに、何か小さなものを口にくわえている。
「トワ! おかえり! みて、みて!」
セレスが口から出したのは、小さな花だった。銀月の草原に咲いている、白い花。
「セレスがみつけた。きれいだから、トワにあげる」
小さな手で、花をトワの胸元に差し出す。
冬夜は花を受け取った。
「ありがとう。……綺麗だな」
「えへへ」
セレスの角がぽわっと光った。これは嬉しい時の光り方だと、最近は光り方ひとつでセレスの機嫌が分かるようになってきた。
アイテム欄を確認すると、【銀月の花】というアイテムが追加されていた。効果はない。ただの花だ。でもストレージにしまわず、胸のポケットの位置に装備した。
「つけてくれた!」
「ああ、旅のお守りになるからな」
セレスが最高輝度で光り出したので、慌てて「光るな」と言った。
今夜の目的地は南方だ。【旅人の羅針盤】が指す方角──銀月の草原の南端、崖の下の霧底の森を通り抜け、さらにその先へ。
セレスの【覚醒形態】に乗り、【星渡り】で霧底の森の南端に転送した。
森を抜けると──景色が変わった。
緑。濃い緑。
熱帯の密林が広がっていた。
巨大な樹木、はびこる蔦、苔と落ち葉、湿った空気、鳥の声、虫の音、水の流れる音。
【新エリア「翡翠の密林」に到達しました】
【このエリアはあなたが最初の踏破者です】
「トワ! みどり! いっぱいみどり!」
セレスが目を輝かせている。
銀月の草原は銀色、霧底の森は暗い灰色、星砂の廃都は赤、天蓋の遺跡は白。
――そしてここは、鮮やかな緑。
全く違う世界だ。
「くうきが、あったかい。あと、むしがいる」
「熱帯だからな」
「むし、きらい」
「虫も生態系の一部だぞ」
「きらいなものは、きらい」
セレスがトワのフードの中に潜り込んだ。虫が苦手らしい。角だけがフードから飛び出している。
密林を歩き始めた。土がしっとりと湿り、歩いていくのも一苦労だ。【見聞録】がモンスター反応を大量に捉えた。密林は生態系が豊かで、モンスターの密度が高い。
【密林の巨蟲 Lv89】
【翡翠の蛇蜥蜴 Lv91】
【苔纏いのゴーレム Lv93】
レベル帯が高い。しかし、トワのATKは旅の蓄積で日々上がっている。
まずは巨蟲を、三連斬で一撃。蛇蜥蜴を弓の精密射撃で仕留める。ゴーレムは硬いが、弱点である苔で作られた核を【見聞録】で発見し、槍で貫く。
密林を進みながら、地図を塗っていく。
◇
翡翠の密林を数日かけて探索した。踏破率は32%まで上がっている。
密林は広大で、奥に進むほど地形が複雑になる。巨木の根が迷路のように張り巡らされ、上下の層が入り組んでいる。【見聞録】がなければ道に迷う構造だ。
数日の間に、密林への入口──霧底の森の南端ルートが他のプレイヤーにも知られ始めたようだ。トワが開いた「崖下りの道」は旅人専用だが、霧底の森の南端には通常ルートも存在する。高レベルのパーティか、低レベルの旅人でも来ようと思えば通過できる。
そして、その日の夜。探索の途中で、異変があった。
【見聞録】がプレイヤー反応を捉えた。複数。しかも──戦闘中。
南東方向。プレイヤー十二人。うち八人がPKステータス表示──【プレイヤーキラー】。
赤いネームプレート。残り四人が……Lv1。旅人。
Lv1の旅人が四人? まさか──『旅人の集い』のメンバーか。
四人がPK八人に囲まれている。一方的に攻撃されている。Lv1の旅人がLv80台のPKに勝てるわけがない。
PKギルドの名前が【見聞録】に表示された。
〈翠蛇の牙〉
冬夜はその名前に見覚えがあった。BCOの公式フォーラムで何度か話題になっていたPKギルドだ。初心者狩りを専門にしている。弱いプレイヤーを狩って、装備やゴールドを奪う、BCOの害悪として知られる集団。
──旅人の集いのメンバーが、初心者狩りに遭っている。
冬夜は走り出した。
「セレス。方角は南東、最短ルートで行くぞ!」
「うん!」
セレスが覚醒形態に変わった。三倍速の疾走。密林の樹木の間を駆けていく。
◇
現場に着いた。
四人のLv1旅人が、地面に倒れていた。HPはゼロ──デスペナルティ状態。
装備が散らばっている。みんな、奪われたのだ。
八人のPKが、倒れた旅人たちの上で笑っていた。
「ははは、Lv1が密林に来るなんてなぁ。いいカモだぜ」
「装備は大したことねえが、素材アイテムは結構持ってたな」
「旅人の集いとかいうコミュニティ、全員カモだろ。あいつら、戦闘力ゼロだし」
冬夜の内側で、何かが湧き起こった。
怒りではない、もっと形容しがたい、理解し難いものを見たときに抱く感情。
倒れているのは、みんな旅人だ。自分と同じ、旅をするために歩きたかった人たち。まだ弱くて、まだ何も知らなくて……でも、自分の足で歩こうとしていた。
その旅を、踏みにじっている。
セレスが小さな姿に戻って、トワの肩に降りた。
「トワ。あのひとたち、わるいひと?」
「ああ」
「トワ、おこってる?」
「怒っていない。──ただ、許せないだけだ」
トワは密林の木の上から、八人を見下ろした。
【見聞録】が八人のデータを読む。Lv82〜87。装備は中級。スキルは盗賊系が多い。──強くはない。数で押すタイプのPK集団だ。
木の上から──弓を構えた。
一射。必中の精密射撃。八人のリーダー格のHPが一撃で半分消えた。
「な──!? どこから──」
二射目。三射目。四射目。CTゼロ。矢の雨が降り注ぐ。
「上だ! 上にいるぞ!」
八人が見上げた。
──そこには、Lv1の旅人が立っていた。
「……Lv1? 旅人?」
「待て、あれ──」
「トワだ!! あのトワだ!!」
一人が叫んだ瞬間、八人の顔色が変わった。
トワが木から飛び降りた。着地と同時に三連斬。リーダー格が吹き飛ぶ。
0.17秒で槍に切り替え。突進。二人目を貫く。
0.17秒で杖。氷の魔法。三人目と四人目をまとめて凍らせる。
0.17秒で剣に戻して三連斬。五人目。
五秒で五人を倒した。
残り三人が逃げ出した。背を向けて、密林の奥へ走る。
トワは追わなかった。弓を構え──三人の足元に矢を一本ずつ撃ち込んだ。足元の地面に矢が突き刺さり、三人は「ひぃっ!」と悲鳴を上げて転んだ。
トワはチャットを打った。
「二度と旅人に手を出すな。次は足元じゃなく、お前たちに当てる」
「はっ、はいいいいいぃ!」
「すみません、ごめんなさい、命だけは!」
「もうしません、だから許して!!」
三人は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
去って行くPK集団を傍目に、セレスは肩の上で腕を組んでいる。
「トワ、つよい。でも──あのひとたち、またくる?」
「来るかもしれない。だから、対策を考えよう」
倒れていた四人の旅人が復活した。デスペナルティから回復し、目を開ける。
「あ……あれ? 俺たち、助かった……?」
「誰が──」
四人がトワの顔を見た瞬間に、硬直した。
「ト……トワさん!?」
「怪我はないか」
「は、はい! あの、ありがとうございます! 俺たち旅人の集いのメンバーで、密林を探索してたんですけど、急にPKに囲まれて──」
「装備は奪われたか」
「はい……旅人の手記とか、集めてた素材が全部……」
冬夜は自分のアイテムストレージを開いた。【旅人の手記】の在庫──まだ三百個以上ある。
四人に手記を十個ずつ渡した。
「え、こんなに!? いいんですか!?」
「旅人同士だ。気にするな」
四人は顔を見合わせて、思わず泣きそうな顔になった。
『ありがとうございます……!』
「気にするなと言っているだろ、俺も同じ旅人だ」
「ですが……あの、トワさん! 実は……」
「なんだ?」
「『旅人の集い』のメンバーは、他にもこの辺にいるんです。密林の探索を始めたんですけど、〈翠蛇の牙〉がこのエリアを縄張りにしてるらしくて、何人もやられてて──」
冬夜は視線を引き絞った。
「何人やられた」
「さあ……わかってるだけで、二十人以上……」
旅人の集いの百人のうち、二十人が初心者狩りに遭っている。
セレスがトワの肩で、拳を握りしめていた。
「トワ。セレス、ゆるさない。たびするひとを、いじめるやつ」
「ああ、俺も同じ気持ちだ」
冬夜は四人に言った。
「旅人の集いの全員に伝えろ。翡翠の密林で〈翠蛇の牙〉に遭ったら、逃げずに俺に連絡しろ。──俺が行く」
「トワさんが……!? 来てくれるんですか!?」
「旅人を守るのも、旅人の仕事だ」
四人の旅人が涙を流すと、なぜかセレスが自慢げに胸を張った。
「トワ、かっこいい!」
「かっこよくない。当たり前のことだ」
「かっこいいの! セレスがきめた!」
「そういうもんか」
「うん、そういうもの!」
とりあえずは、これでPKたちへの対策にはなるだろう。
しかし……簡単にうまくいかないのが、MMOだ。
自分のことを気に入らないと思っているやつは、きっと復讐しにくるだろう。
「まあ……それも旅の一部か」
「どうしたの、トワ?」
「いや、なんでもない」
トワは薄暗い森の奥を睨みながら、探索に戻っていった。




