新しい朝
土曜日の朝。
冬夜は目覚まし時計ではなく、自然に目が覚めた。珍しいことだ。いつもは夜更かしで朝が辛いのに。
カーテンを開けた。秋の朝日が差し込む。空が高い。
──今日はBCOにログインする前に、やることがある。
シャワーを浴びて、着替えて、駅前に向かった。蓮のアドバイス通り、シャツにパンツ。前回の外食で学んだ。もうパーカーでは行かない。
カフェの前で待っていると、宮瀬が来た。薄手のニットにスカート。秋らしい装い。
「おはよう、久坂くん! 早いね」
「約束したからな」
「うん。約束したもんね」
カフェに入った。コーヒーを頼んで、窓際の席に座る。
「で、聞いてもいい? 久坂くんが、ゲームでどう感じてるのか、とか」
冬夜は考え込むように顎に手を添えながら、
「……最初は、一人で歩いてた。誰もいない場所を、知らない景色を見るために」
「うん」
「途中で、人と出会った。戦った相手がいて、一緒に戦う仲間ができて、肩の上に小さな友達ができた」
「セレスちゃんだ」
「一人の旅は好きだった。今でも好きだ。でも、隣に誰かがいる旅も、同じくらい好きになった」
宮瀬はコーヒーカップを両手で包んで、冬夜の顔を見つめていた。
「久坂くんの口から『好き』って言葉が二回も出た。……すごいことだよね、それって」
「そうか?」
「前の久坂くんだったら、『悪くない』って言ってた。好きとは言わなかったもん」
──確かにそうかもしれない。でも、いつから変わったのだろう。
「それって、ゲームの中だけの話?」
「なに……?」
冬夜は宮瀬の顔を見つめた。
彼女の質問の意味がわかっていないわけではなかった。ただ、答え方がわからなかった。
「その……ゲーム以外でも、ひとりじゃない時間も好きなのかなって」
冬夜は少しだけ間を置いてから、
「最近は、ゲームの外でも同じかもしれない」
宮瀬がにっと微笑む。
「そっか。──なら、よかった」
コーヒーを飲みながら、他の話もした。来週の講義のこと、レポートの進み具合、学食の新メニューがイマイチだったこと。冬夜は相槌を打ちながら聞いていた。
「久坂くんって、前より話すようになったよね」
「そう思うか?」
「前は『ああ』と『そうか』しか言わなかった。今は、ちゃんと会話してくれるから」
「会話の質が上がったかどうかはわからないな」
「上がってるよ。少なくとも、味噌汁に箸を突っ込む回数は減ったよ」
「ゼロにはなっていないぞ」
「知ってる。先週も、一回やってたもんね」
宮瀬が笑った。冬夜も少しだけ笑った。
やがてコーヒーを飲み終えて、カフェを出た。秋の風が気持ちいい。
「ねえ久坂くん。また来ようね」
「ああ」
「約束ね」
「約束だ」
駅前で別れた。宮瀬が北に、冬夜が南に。手を振る宮瀬の姿が、並木道の向こうに消えていく。
帰り道、コンビニに寄った。カップ麺──ではなく、弁当を買った。最近はこっちの方が多い。宮瀬の影響だ。ついでにリンゴも買った。たぶん、これはセレスの分。
レジで並んでいると、後ろから声をかけられた。
「あの、久坂さん」
振り返ると、ゲーム研究会の男子学生だった。前に廊下で声をかけてきた相手。
「先日はすみませんでした。あの……ゲームのことは聞きませんから、一つだけいいですか?」
「なんだ」
「久坂さんのプレイに、僕らは本気で感動してるんです。それだけは伝えたくって」
「そうか……ありがとう」
男子学生が嬉しそうにお辞儀をして去っていった。
コンビニを出て、アパートに向かう。リンゴの入った袋がかさかさと鳴る。
──知らない人にまで、伝わっている。自分の旅が。
不思議な気持ちだった。ゲームの中で歩いているだけなのに、現実の世界で「感動した」と言われる。
嫌ではない。ただ……よくわからない。自分はただ、歩いているだけなのに。
アパートに着いた。弁当を食べて、リンゴを一つ洗って、VRゴーグルの横に置いた。ログインしたらセレスに渡す分だ。
VRゴーグルを手に取る。
セレスが待っている。仲間が待っている。そして、まだ歩いていない道が──たくさん、待っている。
ログインした。
セレスが飛んできた。
「トワ! おかえり! ──あ、なにそれ。まるいの。あかい」
冬夜が差し出したリンゴ(ゲーム内アイテムに変換されたもの)を見て、セレスの目がキラキラと輝いた。
「リンゴ! あたらしいリンゴ!」
「現実で買ってきた。お前の分だ」
「セレスのぶん!? トワが、セレスのために、かってきた!?」
「まあ、だいたいそんなところだな」
「トワ、だいすき! リンゴ、だいすき!」
「リンゴと同列にされている気がするが……」
「トワがいちばん! リンゴがにばん!」
「……まあいいだろう」
世界地図の欠片、4/7。
全エリア踏破率、89.6%。
旅人の最終試練までは、まだ遠い。
セレスを肩に乗せた。セレスはリンゴを小脇に抱えたまま、トワの肩に座った。リンゴが頭からはみ出している。
さあ行こう。南へ。まだ見ぬ大地へ。




