王座の後で
コロセウムに歓声が響き続けている。
トワは手のひらの中で眠るセレスを見下ろしたまま、しばらく動けなかった。
そうしてセレスを見つめていると、レナたちが駆け寄ってきた。
「トワさん! 優勝!! 優勝だよ!!!」
レナが泣いていた。リゼも泣いていた。マルクが目を赤くしている。カインだけが笑っていたが、その目も潤んでいた。
「トワさん! 見て、称号! 『王座の戦士』って出てる! 私の頭の上に!」
「泣きながら称号を自慢するな」
「だって、嬉しいんだもん!」
レナがトワの手元を覗き込んだ。
「セレスちゃん、寝てる……? 大丈夫?」
「大丈夫だ。疲れて眠っただけだ。──たぶん」
「たぶん!?」
カインが近づいてきて、セレスの様子を観察した。
「ステータスは表示されているか?」
トワがセレスの情報を確認した。
【セレスティア 状態:深い眠り HP:正常 回復中】
「回復中、と出ている。問題ないようだ」
全員がほっとため息をついた。
「よかったぁ……」レナが胸を撫で下ろす。
マルクが僧侶として回復魔法を使おうとした。
「一応、回復かけておくか?」
「頼む」
マルクの回復の光がセレスを包んだ。セレスがむにゃむにゃと寝言を言った。
「トワ……おなか……へった……」
全員が吹き出した。
「寝言でも食べ物の話してるよこの子!」レナが笑い泣きしている。
「ぶれないな」カインが肩を揺らしている。
リゼが自分のアイテムストレージから果物、ゲーム内のリンゴを取り出した。
「これ、置いとく? 起きた時に食べるかも」
「ありがとう。でも、セレスは手のひらサイズだぞ。リンゴ丸ごとは大きすぎる」
「あ、そっか。じゃあ小さく切る?」
「リゼ、ナイフ持ってる?」
「持ってないけど、カインが持ってるでしょ」
カインが無言で暗殺用の短剣を取り出し、リンゴを細かく切り分けた。暗殺者の短剣でリンゴを切る。微妙に贅沢な使い方だった。
「暗殺者がリンゴ切ってるの面白い」とレナが言った。
「黙れ」とカインが返した。
切ったリンゴをセレスの横に置いておいた。セレスは起きなかったが、寝たまま小さな手がリンゴのかけらを掴んだ。本能で食べ物を握る、守護精霊さま。
バルトが歩いてきて、トワの肩を叩いた。
「ありがとう、トワ。お前がいなければ──いや、お前がいなくても、こいつらは強くなっていた。でもな、お前がいたから、もっと強くなれたんだ」
「……俺は、歩いていただけだぞ」
「知ってる。それが、お前のすごいところだ。──飯でも食いに行くか? 打ち上げだ」
「打ち上げ?」
「ギルドで勝利した後に飯を食う。普通のことだ」
普通のこと。冬夜はその「普通」をやったことがなかった。二年間ソロだったから。
「……行く」
「よし。全員、始まりの町の酒場に集合だ!」
◇
始まりの町・リベルタの酒場。
〈深紅の牙〉の五十人が酒場を占拠していた。NPCの酒場のマスターが大忙しで料理を運んでいる。ギルド対抗戦の優勝チームが来たということで、マスターは上機嫌だった。
「おお、トワじゃないか! 久しぶりだな! 優勝おめでとうよ!」
始まりの町のNPCは全員、トワとの友好度がMAXだ。マスターがトワ専用の特別料理を出してくれた。
【酒場のマスター特製・祝勝の煮込みを入手しました】
「おお、トワさんだけ特別メニューだ」
「ずるい!」
「NPC友好度の格差社会だ……」
トワは煮込みをセレスの横に置いた。セレスはまだ寝ている。だが匂いを嗅いだのか、鼻がぴくぴく動いた。
「……ん……おいしい……におい……」
目は閉じたまま、小さな手が煮込みの方向に伸びていく。
レナが悲鳴を上げた。
「可愛すぎて死ぬ!!」
ミコトがそっと隣に座った。目が真っ赤だ。
「トワさん」
「なんだ」
「……おめでとうございます」
「ああ。ありがとう。お前の【鷹の目】がなければ、前半を凌げなかった」
「私なんて、全然大したことしてないですよ……」
「そんなことはない。お前の矢がなければ、俺は三回死んでいた」
ミコトが目を見開いた。
「……数えてたんですか」
「戦場では味方の位置も、助けられた回数も把握するだろ」
「………もう、ほんと……」
ミコトが何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「トワさん、その……これからも、あなたの旅を配信させてください」
「好きにしろ。いつもそう言っているだろ」
「はい。──好きにします」
ミコトの声が、いつもより少し低かった。冬夜はその違いに気づかなかった。
酒場の隅で、レナとリゼがこちらを見ながらひそひそ話をしていた。
「ミコトちゃんって……あれ、一歩手前じゃない?」
「トワさん、絶対気づいてないよね」
「うん。絶対気づいてない」
「かわいそうに……」
「でも、そこがいいんだよね、トワさんは」
セレスが寝たまま、むにゃむにゃと寝言を言った。
「トワ……セレスの……トワは……セレスの……」
レナとリゼが顔を見合わせた。
「セレスちゃんまで参戦してるよ」
「寝ながら牽制してるのすごくない?」
◇
観客席では、別の場面が展開していた。
蓮と宮瀬が、特設コロセウムの観客席に座ったままだった。周囲のプレイヤーたちが歓声を上げて帰っていく中、二人だけが動けなかった。
『……すごかった』
宮瀬が呟いた。
『久坂くんが……あんなに──たくさんの人の中で、あんなふうに戦ってるの、初めて見た』
蓮が隣でうなずいた。
『お前、泣いてたろ』
『泣いてないよ』
『嘘つけ。俺も泣いてたけど』
宮瀬がふふっと笑った。
『あの小さい女の子が倒れかけた時、久坂くんが走って受け止めたでしょ。あの時──なんか、普段の久坂くんと全然違って見えた。あの人、ゲームの中だとあんなに必死になれるんだね』
蓮が腕を組んで考えた。
『あいつは、ゲームの中でも外でも同じだよ。ただ──ゲームの中だと、それが見えやすいだけだ。あいつはいつだって、自分の大事なもののために全力で走る。普段はわからないだけで』
宮瀬がしばらく黙って考えていた。
『……岡野くん。私、久坂くんのこと──』
『知ってる。前から気づいてた』
『えっ』
『お前、ノート借りた時から顔に出てたからな。──あいつは鈍いけど、俺は鈍くない』
宮瀬の顔色が真っ赤になった。
『言わないでよ! 本人に!』
『言わねえよ。あいつが自分で気づくまで待て。──ま、いつになるかわからんが』
『……長そう』
『七千時間歩いて最強になる男だからな。気長にいけ』
二人が帰り支度を始めた。
◇
酒場の打ち上げが終わった後、トワは一人で草原に転送した。セレスはまだ眠っている。手のひらの中で、リンゴのかけらを握りしめたまま。
草原を歩いた。セレスを両手で抱えているから、剣は持てない。モンスターに出くわしたら困るが──銀月の草原の夜間は穏やかだ。大丈夫だろう。
いつもの丘に登った。月を見上げる。
スマホの通知が大量に来ているのを感じる。フォーラムのことは後で見ればいい。
──いや、少しだけ見るか。
フォーラムを開いた。
【ギルド王座決定戦 〈深紅の牙〉が〈聖銀の盾〉を破り優勝!!】
──「泣いた」
──「前半の闇夜の帳で索敵封じられた10分間、本当にハラハラした」
──「あの10分を耐えた深紅の牙の練度がすごい。トワがいない前提で練習してたんだな」
──「で、後半の情報共有がとどめ。あれは反則」
──「セレスの拡張モード、限界超えてたよな。最後ふらふらだった」
──「トワがセレスを受け止めたシーンで泣かないやつはいない」
──「配信のアーカイブもう800万再生いってるぞ」
別のスレッド。
【考察】トワが戦闘中に旅人の手記を連打してATKを積み上げていた件
──「あれ気づいた? アストレアとの一対一の時、手記を連打してバフ積んでたぞ」
──「マジ? 戦闘中に?」
──「CTゼロだからアイテムも連打できるんだよ。それを戦闘中のバフ積みに使うのは初めて見た」
──「しかも途中でスープ飲んでた」
──「戦闘中にスープ飲む旅人wwwwww」
──「アストレアが『戦闘中に食事まで!?』って驚いてたの草」
──「しかも理由が『美味いから』なのも草」
──「時間が経つほど強くなる戦い方。旅人の歩くほど強くなるって、ほんとさ……」
──「この発想はトワにしかない」
さらに別のスレッド。
【投票】BCO史上最高の名場面を決めよう
──1位:トワがセレスを両手で受け止める(決勝)
──2位:「いい旅だった」(グラオザーム初討伐)
──3位:セレスがゼクスの顔面に体当たり(準決勝)
──4位:「旅人の仕事だ」(ゼクス再戦)
──5位:0.5秒の敗北と「もう一度やる時は、間に合わせる」
冬夜はフォーラムを閉じた。
スマホに宮瀬からメッセージが来ていた。
宮瀬:「優勝おめでとう。泣いちゃった。岡野くんも泣いてたよ」
宮瀬:「最後にセレスちゃんを両手で受け止めたとこで、もうダメだった」
宮瀬:「久坂くん。あなたの旅、すごく素敵です」
冬夜はしばらくメッセージを見つめていた。
「あなたの旅」。宮瀬は、BCOの中身は知らない。トワの名前も、旅人の詳細も。でも、自分の旅が「素敵」だと言ってくれた。
返信を打つ。
冬夜:「ありがとう。お前に見てもらえてよかった」
送信してから気づいた。「お前」と打っている。ゲーム内の口調が出た。
慌てて訂正しようとしたら、宮瀬から即座に返信が来た。
宮瀬:「お前って言ったね。もしかして、ゲームの中の久坂くんの口調?」
冬夜:「間違えた。すまない」
宮瀬:「いいよ。なんか嬉しい。ゲームの中の久坂くんに少し会えた気がする」
冬夜はスマホを伏せた。
顔が熱い。スープを飲んだせからではない。
手のひらの中で、セレスが寝返りを打った。リンゴのかけらをもぐもぐと食べている。まだ寝ている。寝ながら食べている。
「……起きてから食べろ」
返事はない。寝ながら食べ終えて、満足そうに丸くなった。尻尾をぱたぱたと振っている。
冬夜は、笑った。声に出して。
誰も見ていない、月の下の草原で。手のひらの中の小さな妖精と、二人きりで。




