門の前で
現実。六月の土曜日。朝十時。
冬夜は自室でコーヒーを飲んでいた。窓の外は曇り。梅雨の合間の薄日が差している。
スマホが鳴った。蓮からだ。
「よう、冬夜。今日だな」
「そうだな、今日だ」
「〈黄金の燐光〉は全員ログイン済みだ。百二十人。フル動員」
「多いな」
「お前のレイドだからな。みんな参加したがった」
「俺のレイドじゃない。みんなのレイドだ」
「お前がそう言うのは知ってる。でも門を開けたのはお前で、世界を直したのもお前だ。お前が先頭を歩くから、みんながついてくる。それはお前のレイドだよ」
「まあ……何でもいい、行くぞ」
「ああ、行こう」
電話を切った後、宮瀬からメッセージが来た。
『今日ですね。変動耐性の薬、二千五百本。全部持ちました。重いです』
『ゲーム内のインベントリに重さはないだろう』
『気持ちの問題です。三日間ぶっ通しで作りましたから』
『無理してないか?』
『してません。楽しかったです。ミラさんと二人で調合してると、ゲームの中なのに研究室にいるみたいで。わたし、こういう仕事が好きなんだなって改めて思いました』
『なら良かった』
『今日は、トワさんの隣で最後まで立ちます。薬師として』
『頼む』
『はい! 頼まれました! じゃあ、午後一時にログインしますね!』
冬夜はコーヒーを飲み干した。カップを洗って、机の上を片付けた。VRヘルメットを手に取った。
六月の光がヘルメットの表面に反射している。
今日、この世界の核を直しに行く。
◇
午後一時。BCOにログイン。
星花の里の地下から綻びの大地に入った。修復済みの五つのエリアを抜けて、虹砂の砂漠の境界門に向かった。
門が見えてきた。
そして、その前にいた人数に、トワは足を止めた。
数えきれないほどのプレイヤーが集まっていた。
虹砂の砂漠の砂丘という砂丘に、プレイヤーがびっしりと立っている。座っている。準備をしている。ギルドの旗が何十本も立っていた。〈黄金の燐光〉の金色の旗。〈白霧の進軍〉の白い旗。〈深紅の牙〉の赤い旗。見たことのないギルドの旗もいくつもある。
「何人いるんだ、これ……」
ハルがメモ帳を出して、目を走らせた。
「ギルド単位で数えると、主要ギルドだけで十二。総数はたぶん三千人を超えてます」
「三千……」
「ミコトさんの配信を見て来た人が多いみたいです。フォーラムでも『トワの大型レイド』って話題になってましたから」
ミコトが配信カメラを構えていた。
「視聴者数、今の時点で五十万人を超えてます。みんな見てますよ、トワさん」
トワが門の前に歩いていった。人波が道を開けた。三千人のプレイヤーが、トワのために道を作った。星巡りの靴の光の足跡が、虹色の砂の上に白い線を引いていく。
セレスがトワの肩の上で、左右を見回していた。
「トワ。ひとが、いっぱい。セレス、まだたくさんのひとは、なれない」
「大丈夫だ、俺も慣れてない」
「でも、みんな、トワをみてる」
「……そうか?」
「かっこいい。トワが、いちばんかっこいい」
「俺は歩いてるだけだぞ」
「あるいてるだけが、いちばんかっこいい。セレスがほしょ-する」
門の前に着いた。
そこに、五人の姿があった。プレイヤーではない。NPCだ。
リルクトが炉道具を背負って立っていた。ガレスが鎧を磨いていた。ミラが薬箱を抱えていた。ノーネが杖を持って、静かに佇んでいた。ウルがメブキの隣に座って、四つ葉をゆっくり回していた。
五人のNPCが、門の前で待っていた。
プレイヤーたちがざわめいた。
「NPCがいるぞ。あれ、綻びの大地のNPCか?」
「トワが復元した連中だ。レイドに参加するのか?」
リルクトがトワに声をかけた。
「遅いぞ、旅人。俺たちの方が先に着いた」
「すまんな。道中の景色を見ていた」
「景色? 何千人ものプレイヤーが並んでる景色か」
「ああ、なかなか壮観な景色だった」
「俺は全員分の修理道具を持ってきた。核の中で装備が壊れたら、すぐ直してやる」
ノーネが言った。
「核の内部の地形データは、わたしの中にある。全マップを歩いた。案内はできる」
ミラが紙を掲げた。『前線で薬を調合します。素材を持ってきてください』と書いてある。
ウルが双葉のメブキの隣で、四つ葉をぴこぴこさせた。
「……わたしとメブキで、根の状態をリアルタイムで伝える。核の中で何が起きてるか、感じ取れる」
「めぶきとウル、こうしんする!」
ゼクスがNPCたちを見て、腕を組んだ。
「プレイヤーとNPCの混成レイドになるな」
「たぶんな」
「お前はいつも、奇妙なことばかりやる」
「やろうと思ってやってるわけじゃない。歩いてたらこうなった」
「歩いてたらこうなった、か。お前らしい」
タマキがトワの隣に来た。変動耐性の薬を山ほど抱えている。
「トワさん。薬、二千五百本。ミラさんと二人で三日間ぶっ通しで作りました。参加者全員分、足りるはずです」
「三日間ぶっ通しか」
「ミラさんが休まないんですよ。『薬師は薬がある限り手を止めない』って」
「お前も休んでないだろう」
「わたしも薬師ですから」
「無理するなとは言わない。だが、倒れるなよ」
「倒れません。トワさんの隣で最後まで立ってます」
「……頼むぞ」
「はい、頼まれました!」
ガレスが一歩前に出た。三千人のプレイヤーを見回して、声を張った。守衛長の声だ。広場全体に響いた。
「俺はガレス。この世界の奏響の都の守衛長だ。旅人トワが俺の名前を取り戻してくれた。この世界に色を戻し、音を戻し、根を正した。今日、門の向こうに行く。俺たちの世界の核を直すために。手を貸してくれるか」
三千人が静まった。
NPCがプレイヤーに助けを求めている。ゲームの中のキャラクターが、プレイヤーに向かって「手を貸してくれ」と言っている。
オーレンが最初に声を上げた。
「貸すに決まってるだろう! 〈黄金の燐光〉、全員準備完了!」
レクトが続いた。
「〈白霧の進軍〉、いつでも行ける!」
「〈深紅の牙〉も!」レナが叫んだ。
次々とギルドが名乗りを上げた。歓声が広がった。砂漠に声が反響した。三千人の声。ミコトの配信画面では、コメントが滝のように流れている。
トワが境界門の前に立った。金色の光を放つ門。紡ぎ手の領域への入口。
振り返った。三千人のプレイヤーと五人のNPCがこちらを見ている。
レイドチャットを開いた。三千人に同時に届くチャットだ。
トワ:「行く。ついてこい」
端的ながらも、十分な指揮だった。
トワが門に足を踏み入れた。星巡りの靴の光が、暗い通路を照らした。肩にセレス。頭にメブキ。影にルーナ。ブーツにテン。隣にタマキ。後ろに三千人。そして五人のNPC。
綻びの核へ。この世界の一番深い場所へ。
旅人が、歩き始めた。




