雨と門
六月。梅雨に入った。
冬夜と宮瀬は大学の帰りに、駅前の商店街を歩いていた。小雨が降っている。宮瀬が傘を差していて、冬夜は差していなかった。
「久坂くん、傘は」
「忘れた」
「朝の天気予報見なかったの?」
「見てない」
「見てください。梅雨ですよ」
「ゲームに天気予報はないからな。現実の天気を確認する習慣がない」
「ゲーム基準で生活しないでください」
宮瀬が傘を冬夜の方に寄せた。宮瀬の左肩が濡れている。
「お前が濡れてるだろう」
「わたしは傘を持ってるから大丈夫です」
「持ってるのに濡れてるのは大丈夫じゃないだろう」
「久坂くんが濡れるよりいいです」
「よくない」
冬夜が宮瀬の手から傘を取った。傘を高く持ち上げて、二人が入れるように位置を調整した。冬夜の方が背が高いから、冬夜が持った方が二人とも入れる。
「……ありがとう」
宮瀬の頬が少し赤くなった。
「傘を持ってるだけだ」
「傘を持ってくれるのが嬉しいんですよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
駅前のカフェに入った。窓際の席に座った。雨が窓を叩いている。
宮瀬がアイスカフェラテを頼んだ。冬夜がホットティーを頼んだ。
「久坂くん、ゲームの方はどうですか。境界門が起動しましたけど」
「安定度80%に到達して、門が開いた」
「となると、いよいよ新しいレイドですか?」
「たぶん。門の先に『紡ぎ手の領域』という場所がある。大規模戦闘になるだろうな」
「わたしも参加しますよ。薬を大量に作って」
「頼む。変動耐性の薬を、参加者全員分必要になる」
「何人くらいですか」
「わからない。運営の発表次第だが、百人単位の可能性がある」
「百人分の薬……。素材が足りるかな」
「足りなければ集める。俺が歩いて」
「久坂くんの解決法、いつも歩くですよね」
「旅人だからな」
「現実でも」
「現実でも」
宮瀬が笑った。カフェラテのストローを噛んでいる。
「ねえ、久坂くん。雨の日に一緒にカフェにいるの、いいですね」
「雨の日じゃなくてもいるだろう」
「雨の日は特別です。外に出られないから、ここにいる理由ができるでしょ」
「理由がなくてもいるが」
「……今の、嬉しかった」
「何がだ」
「理由がなくてもいるって言ったこと」
「……本当のことだからな」
「だから、嬉しいんです。何度でも」
冬夜は紅茶を飲んだ。窓の外の雨を見た。宮瀬が隣で笑っている。
特別な雨の日だと思った。
◇
週末。BCOにログイン。
仲間と合流して、虹砂の砂漠の境界門に向かった。トワ、タマキ、ハル、ミコト、ゼクス。
門に着いた。前回は休止中だった赤い石の門が、今は金色の光を放っていた。門の表面の文字が輝いている。門の中央に、暗い通路が開いている。
「開いてる……」ハルが息を呑んだ。「前は閉じてた門が、開いてます!」
「安定度80%で起動したんだな」
トワが門の前に立った。通路の奥から、異様な空気が流れてくる。冷たくて、熱くて、重くて、軽い。相反する感覚が同時にぶつかってくる。
見聞録でスキャンした。
【境界門の先をスキャンしています……】
【エリア名:綻びの核】
【警告:このエリアでは全ての法則異常が同時に存在しています】
【検出された法則異常:属性逆転 / 重力反転 / 音声消失 / 属性消失 / CT変動】
【異常は周期的に切り替わり、最終的に全異常が同時発生します】
【推定難易度:極高】
「全部、来る」
「全部……?」ゼクスが聞いた。
「属性逆転、重力反転、音声消失、属性消失、CT変動。今まで各エリアで別々に体験してきた法則異常が、全部一つの場所に集まってる。しかも、周期的に切り替わるらしい」
「一つずつならまだいい。最後に『全部同時』って書いてあるが」
「火魔法が水になって、重力が逆になって、声が出なくて、属性が消えて、CTが読めなくなる。同時に」
「……何人いれば攻略できると思う」ゼクスが静かに聞いた。
「わからないが、少人数では無理だ。法則が切り替わるたびに、対応できるプレイヤーの組み合わせが変わる。数で厚みを持たせないと、どこかのフェーズで詰む」
「大規模レイドか……」
「ああ、大きなやつだろう」
セレスがトワの肩の上で、門の奥を覗いていた。
「トワ。このなかから、かぜがふいてる。あったかくて、つめたい。へんなかぜ」
「法則が壊れてるからだ。全部が混ざってる」
「こわい?」
「少しだけ」
「セレスも、すこしだけこわい。でも、トワがいくなら、いく」
「ああ、一緒に行こう」
パーティチャットを開いた。
トワ:「境界門の中を確認した。綻びの核。法則異常が全部まとめて来る。大規模レイドが必要だ」
レクト:「規模は」
トワ:「大きければ大きいほどいい。法則が切り替わるから、各フェーズに対応できる専門家が必要になる。人数を集めてくれ」
蓮:「〈黄金の燐光〉に声をかける。オーレンにも連絡する」
レクト:「〈白霧の進軍〉は全員出す。他のギルドにも声をかける」
ヴェノム:「旅人の集いも動く」
ダリオ:「航海士の仲間を連れていく」
トワ:「タマキの変動耐性の薬が必須だ。参加者全員に行き渡るように、素材採取を手伝ってくれ」
ミコトがカメラを上げた。
「トワさん。配信、してもいいですか。人気のためじゃなく、情報共有のために!」
「しろ。人を集めるなら、配信で呼びかけた方が早い」
「了解です! ――皆さん、ミコトです! 遂に今日、境界門が開きました! 紡ぎ手の領域への突入レイド、参加者を募集します! 変動耐性の薬が必要なので、素材採取を手伝ってくれる方も募集中です! 集合場所は星花の里!」
フォーラムが動き始めた。配信を見たプレイヤーたちが反応している。
──「境界門開いたのか!」
──「ミコトの配信で見た。トワが中をスキャンしたらしい。法則異常が全部来るって」
──「全異常同時フェーズがあるらしい。頭おかしい」
──「参加したい。何すればいい」
──「変動耐性の薬が必須。素材採取を手伝えば薬がもらえるらしい」
──「虚空龍戦以来の大型レイドじゃないか?」
──「あれは十万人だったぞ。今回はどれくらい集まる?」
──「集まるだけ集まるだろ。門を開けたのがトワだぞ」
ルーナが影の中から静かに言った。
「……トワ。人が集まり始めてる。フォーラムの動きが速い」
「そうだな」
「……虚空龍の時と、同じ空気を感じる。何か……大きなものが動き出してる」
「ああ、止まらないだろうな」
「……止める必要はない。トワが先頭を歩けば、みんなついてくる」
メブキが頭の上で双葉をぴこぴこさせた。
「ぴこぴこ! めぶきも、さきとうをあるく! トワのあたまのうえで!」
「先頭を歩くのは俺で、お前は乗ってるだけだぞ」
「のってるだけでも、さきとう!」
門が光っている。金色の文字が輝いている。門の向こうから、壊れた法則の風が吹いている。
これから、大きな戦いが始まる。




