最後の日
門の向こうは、広場だった。
都市の中心。円形の大きな広場。噴水の残骸が中央にある。水は出ていない。石のベンチが並んでいる。周囲に高い建物が並んでいたが、半分以上が崩れている。
そして広場の中央、噴水の真下に、ほころびがあった。
紫と灰色の混じった光が噴き出している。ここが五つ目のほころびだ。
だがトワは、すぐには修復に入らなかった。
「ガレス。一つ聞きたいことがある」
「何だ」
「この都市が生きていた頃の話を聞かせてくれ」
ガレスは噴水の縁に座った。鎧が軋んだ。
「この都市には、三百人のNPCが住んでいた。パン屋、鍛冶屋、薬屋、宿屋。子供もいた。老人もいた。普通の町だ。あんたたちの町と変わらない」
「三百人か」
「だが、俺たちは、決まった動きしかしなかった。パン屋は朝五時に起きてパンを焼く。薬屋は九時に店を開ける。俺は六時に門を開ける。毎日同じだ。全部、決められた通りに動いていた」
「それが、変わったのか」
「いつだったか覚えていない。だがある日、パン屋のアーベルが、いつもと違うパンを焼いた。誰にも命じられていないのに。ナッツを入れたんだ。いつもの丸パンに、くるみを入れた。アーベルは言った。『なんとなく、入れてみたくなった』と」
セレスがトワの肩の上で聞き入っていた。双葉の間の角がかすかに震えている。
「それからだ。一人、また一人と、決められた通りじゃないことをし始めた。薬屋が新しい配合を試した。宿屋のおかみが窓に花を飾った。子供たちが遊びを発明した。全部、誰にも命じられていないことだ」
「『紡世者』は、それを知っていたのか」
「知っていた。最初は何も言わなかった。だがある日、上から命令が来た。上というのは、俺たちにとって『世界の外側にいる者たち』だ。そこから命令が来た。『全員を初期状態に戻す』と」
「初期化するつもりだったのか」
「いや……その前に世界を捨てた。初期化すらしなかった。ただ、管理を放棄した。電源を切るように。俺たちは一人ずつ止まっていった」
ガレスが空を見上げた。
「最初に止まったのは、子供たちだった。次に老人。次に商人たち。最後まで動いていたのは、仕事を持っている者たちだ。仕事が、存在を支えていた」
「ノーネもそうだった。歩く仕事が、存在を支えていた」
「旅人のノーネか。あいつは歩き続けたのか。……そうか。あいつらしい」
タマキが小さな声で聞いた。
「ガレスさん。その子供たちは、もう戻せないんですか」
「わからない。だが、残響兵の中にデータが残っている者がいるかもしれない。断片でもいい。一人でも多く、取り戻したい」
ハルがメモを取りながら、声を震わせていた。
「師匠。この話、記録に残していいですか」
「残せ。ガレスが覚えている限りの記録を、全部残せ。忘れられたら終わりだ」
「はい……はい」
◇
ほころびの修復に入った。
五回目だ。手慣れている。綻びの外套の効果もある。だが今回は、ガレスの話を聞いた後だ。集中の中に、感情が混じった。
子供たちが最初に消えた。老人が次に消えた。商人たちが消えた。パン屋のアーベルも消えた。くるみのパンを焼いた男も。
全部、初期化すらされなかった。ただ放棄された。
糸の鍵が光った。白い糸が噴水の亀裂を縫い合わせていく。
【修復率:30%……55%……80%……100%!】
【ほころびの修復が完了しました!】
【エリア名を復元しました:「歌う廃墟」→「奏響の都」】
廃墟が変わった。崩れていた建物の一部が修復された。完全ではないが、壁が立ち直り、屋根が戻った場所がある。噴水から、水が出始めた。澄んだ水。水が石にぶつかって音を立てている。
建物が歌っていた音が変わった。悲しい音ではなくなった。水の音と混じって、穏やかな和音になっている。
「……綺麗だな」ゼクスが呟いた。
ガレスが立ち上がって、噴水を見つめていた。
「この噴水は、毎朝六時に水が出ていた。俺が門を開けるのと同時に。住民たちが起きる合図だった」
「また出てる。お前が守った町に、水が戻った」
ガレスは何も言わなかったが、鎧の下で肩が震えていた。
システムメッセージが全員の画面に表示された。
【BCO運営チームからのお知らせ】
【「紡ぎ直しの大地」の安定度が80%に到達しました!】
【修復者:旅人トワ】
【特別イベントが解放されます】
【「境界門」が起動しました】
【紡ぎ手の領域への入場が可能になります】
【詳細は後日発表いたします】
「80%だ!」ハルが叫んだ。「安定度80%、境界門が起動しました!」
フォーラムが沸騰しているのが想像できたが、今は見ない。
セレスがトワの肩の上で、噴水の水を見ていた。
「トワ。おみず、きれい」
「ああ、綺麗だな」
「このまち、まえは、もっときれいだったんだね」
「三百人が暮らしていた町だ」
「さんびゃくにん。いまは、ガレスだけ」
「ガレスだけだ」
「さみしいね」
「だから、直す。直せるものは、全部直す」
「セレスも、てつだう」
「頼む」
メブキが噴水の水に双葉を浸していた。
「おみず、あったかい。この水、ねっこから来てる。この都市のねっこが、まだ生きてる」
「都市の根が生きてるのか」
「ガレスがまもってたから。ねっこも、まだ生きてる」
ルーナが影の中から静かに言った。
「……トワ。境界門が起動した。この先のことは、今まで以上に慎重に行くべきだと思う」
「ああ、そのつもりだ」
「……でも、トワなら大丈夫。そう思ってる」
トワは噴水の水に手を浸した。温かい水だった。三百人が暮らした町の水。ガレスが一人で守り続けた町の水。
次は、境界門の先に行く。紡ぎ手の領域。この世界の核に近い場所。
旅人の歩みは、止まらない。




