色のない世界
糸読みの赤い方角に向かって歩いた。鏡映の湖を南に抜けると、地面が乾いてきた。草が消えた。土がざらざらの砂に変わった。
そして、色が消えた。
一歩踏み込んだ瞬間、視界からすべての色彩が抜け落ちた。空が灰色。砂が灰色。自分の手が灰色。タマキの髪が灰色。装備の色も、肌の色も、全部が灰色の濃淡だけで表現されている。
モノクロの世界だった。
「え……」タマキが自分の手を見て固まった。「色がない。全部灰色です」
「糸読みの色表示もモノクロだな。法則異常の種類が判別しにくい」
セレスがトワの肩から自分の手を見た。いつもは銀色に光る髪が、ただの灰色になっている。角の輝きもない。
「セレスのいろ、なくなった」
「この世界の法則がそうなっているんだ。色彩の情報が欠落してる」
「セレスのかみは、ぎんいろ。ぎんいろが、ない。……いや」
「モノクロなのが、嫌か」
「セレスのぎんいろは、セレスのだいじないろ。なくなるのは、いや」
「エリアを出れば戻る。心配するな」
「ほんと?」
「ほんとだ」
「……じゃあ、がまんする」
システムメッセージが表示された。
【新エリアに侵入しました】
【エリア名:??????(未復元)】
【環境効果:色彩消失・属性無効化】
【このエリアでは全ての属性が「無」になります】
【火・水・風・土・光・闇・その他、全ての属性攻撃・属性アイテムが無効化されます】
【物理攻撃のみ有効ですが、効果は50%に減衰します】
「属性が全部消えるんですね」
タマキが画面を読んだ。
「わたしの薬、属性効果に依存してるものが多いんですけど……」
「使えないのか」
「回復薬は無属性だから大丈夫です。でも解毒薬や強化薬は属性が乗ってるから、効果が消えます」
「物理攻撃も半減。属性攻撃は無効。かなり厳しいエリアだな」
ルーナが影の中から声を出した。
「……トワ。わたしの影の力も、闇属性に分類される。このエリアでは……使えないかもしれない」
「無理するな。影の中にいるだけなら、大丈夫なのか?」
「……大丈夫。出てくるのが難しいだけで、中にいることはできる」
「わかった。このエリアではルーナの支援は期待できないな」
メブキが頭の上で双葉をくるくる回した。
「くるくる……めぶきの根の力は、だいじょうぶ?」
「根は属性じゃないから、たぶん使える」
「めぶき、やくにたてる!」
「お前だけが通常営業だな」
皆で砂漠を歩いた。灰色の砂が広がっている。空も灰色。太陽らしきものが上にあるが、白い円盤のように見えるだけだ。影が薄い。色がないから、コントラストが弱い。
三十分歩いたところで、砂の中から何かが湧いた。
――影だ。
地面から、黒い影が立ち上がった。人型の影。顔がない。目も口もない。身体の輪郭だけがある。ゆらゆらと揺れている。
見聞録でスキャンした。
【モンスター名:砂影】
【Lv:98】
【HP:??????(スキャン不可)】
【特性:影で構成された存在。物理攻撃50%減衰。属性攻撃無効】
【弱点:??????(スキャン不可)】
【警告:通常の攻撃手段では討伐が困難です】
「HPもわからない。弱点もわからない。物理半減で属性無効。どうやって倒すんだ、これは」
砂影が動いた。黒い腕を振り上げて、トワに向かって振り下ろしてきた。トワが横に跳んで回避した。砂影の腕が地面に叩きつけられると、砂が巻き上がった。灰色の砂煙。
トワが果ての道標で斬りつけた。白銀の刃が砂影の胴体を通過した。
【トワの攻撃:果ての道標・白銀形態】
【砂影に2,050ダメージ(50%減衰)】
「ダメージは入るが、半分か。こいつのHPが見えないから、どれだけ削れたかわからない」
砂影が二体目、三体目と砂から湧いてきた。三体に囲まれた。
「タマキ、下がれ。属性薬が使えないなら、回復薬だけ頼む」
「待ってください、トワさん」
タマキが下がらなかった。インベントリを開いている。
「このエリア、色がないから属性が消えてるんですよね。だったら逆に、色を戻してやれば属性も戻りませんか」
「色を……戻す?」
「わたし、逆根草を持ってます。緑色の薬草です。これを使ったら、砂影に色が戻るかもしれません」
タマキが逆根草を一本取り出した。モノクロの世界の中で、逆根草だけが不思議な輝きを持っていた。この砂漠の外から持ち込んだ素材には、まだ「色の記憶」が残っている。
「タマキ、やってみてくれ!」
タマキが逆根草を砂影に投げつけた。緑の葉が砂影の胴体に当たった。
瞬間、砂影の胴体に緑色が広がった。モノクロだった影に、色が注入されていく。緑に染まった部分が実体化して、影ではなく固体になった。
【砂影に「属性:草」が付与されました!】
【物理減衰が解除されました!】
【属性弱点「火」が発生しました!】
「色を戻したら、属性が復活しました!」
「すごいなタマキ、物理減衰も解除されてるぞ」
トワが踏み込んだ。緑色に染まった砂影に、白銀の一閃を叩き込んだ。
【トワの攻撃:三連斬(果ての道標・白銀形態)】
【砂影に7,100ダメージ】
【砂影に7,100ダメージ】
【砂影に7,100ダメージ】
フルダメージが通った。砂影が砕けた。緑色の破片が散って、砂に沈んでいった。
【砂影を討伐しました】
【ドロップ:無色砂×1】
「タマキ! 残り二体にも頼む!」
「はい!」
タマキがインベントリから錆鉄鉱を取り出した。赤錆色の鉱石。砂影に投げつけた。赤い色が影に広がって、実体化した。
【砂影に「属性:鉄」が付与されました!】
トワが斬った。フルダメージ。二体目が消えた。
最後の一体。タマキが鏡水晶を投げた。銀白色の光が砂影に当たった。
【砂影に「属性:光」が付与されました!】
トワが三連斬を叩き込んだ。三体目が砕けた。
【砂影を討伐しました ×2】
【ドロップ:無色砂×2、影の欠片×1】
セレスがトワの肩の上で拍手した。
「トワ、すごい!」
「いや、すごいのはタマキだ」トワが振り返った。「色を与えるという発想は、俺にはなかった」
タマキが照れたように頭を掻いた。
「薬師ですから。素材の属性を操作するのは、調合の基本です。色がない世界に色を足す。やってることは薬の調合と同じですよ」
「このエリアでは、タマキがメインアタッカーだな」
「わたしが? 攻撃は、トワさんがしてますけど……」
「俺が斬れるのは、タマキが色を戻してくれるからだ。タマキがいなかったら、半減ダメージでいつまでも殴り続けるしかない」
「トワさんにそう言ってもらえると、薬師やっててよかったって思います」
砂漠の奥を眺めた。灰色の砂が果てしなく続いている。
その砂漠の中に、動いているものが見えた。
人影だ。プレイヤーではない。NPCの頭上表示がある。だが文字化けしている。
そして、そのNPCは止まっていなかった。
歩いていた。砂漠の中を、一人で、ずっと歩いている。




