常世島
金曜日。午後三時。メンテナンス明け。
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始まりの町リベルタの噴水広場は、アップデート初日の熱気で溢れていた。プレイヤーが走り回っている。全体チャットが凄まじい速度で流れている。
──「常世島! 常世島!」
──「港町マリスタから常世船が出るぞ!」
──「賭技ってどんなシステムだ!?」
──「とりあえず行ってみないとわからん!」
──「乗船! 乗船だぁ!」
広場には、タマキもいた。噴水のそばに立って、鞄の中身を確認している。いつもより鞄がパンパンに膨らんでいる。
「トワさん。準備できてますよ」
「その鞄に、何を詰めてきたんだ?」
「空き瓶を五十本。新しい素材を採取するために、です!」
「五十本」
「足りないかもしれないので、予備の鞄も持ってきました」
予備の鞄を開くと、さらに三十本の空き瓶。硝子蛙のナギがけろけろ鳴いた。
「薬師の荷物が多いのは、いつものことか」
「いつものことです。でも新エリアの時はもっと多いです。これでも厳選しました」
セレスが肩の上でそわそわしている。
「トワ。あたらしいしま、いく?」
「行く」
「おいしいもの、ある?」
「行ってみないとわからない」
「いってみないとわからないのが、たび。セレス、しってる」
「覚えたか。偉いな」
「えらい。ごほうびに、おやつほしい」
「島に着いてからだ」
「トワ、さいきん、けち」
「経済的になったと言って欲しいな」
◇
港町マリスタへ転送した。
港に出て、息を呑んだ。
「常世船」は想像していた、ちんけな船ではなかった。
三層甲板の豪華客船――全長百メートルはある。船体が白と金で塗り分けられていて、舷側に「常世」の名前が光っている。
桟橋にはプレイヤーの行列だが、整然としている。NPCの案内係が列を誘導していて、乗船口にはレッドカーペットが敷かれている。
「クルーズ船だな、これは」
「すごい……。新大陸に行く時の船とは全然違いますね」
「あの時は普通の帆船だった。これは完全にリゾート仕様だな」
乗船した。
船内に入った瞬間、空気が変わった。木の温もりと柑橘系の香り。床は磨かれた石材で、壁には金の装飾が施されている。天井にシャンデリアが揺れている。船の中とは思えない。
NPCのスチュワードが出迎えた。白い制服。深々とお辞儀。
「いらっしゃいませ、旅人様。常世船へようこそ。航海中のお飲み物とお食事は全て無料でございます。一階がラウンジ、二階がレストラン、三階が展望デッキとなっております。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
「全部、無料なのか?」
「はい。常世島へのご招待の一環でございます」
セレスが肩の上から船内を見回した。
「トワ。ここ、きらきらしてる!」
「なかなか派手だな」
「おしょくじ、むりょう?」
「無料だそうだ」
「むりょうのおやつ! いく! にかい! にかいのレストラン!」
「おいおい、まだ出航もしていないぞ」
「だって、おなかはまってくれない」
タマキが船内の壁の装飾をじっと見ていた。
「この装飾、見た目は金ですが、素材が特殊ですね。見たことない鉱石……常世島固有のものでしょうか。船の内装にまで、島の素材を使っているのかもしれません」
「それも気になるところだが、いまはセレスが暴れる前に、二階に行こう」
二階のレストラン。
窓が大きく、海が見える。テーブルには白いクロス。銀の食器が並んでいる。メニューが水晶板に表示される。タッチ操作で注文する仕組みだ。
席に着いた。周囲にはプレイヤーが千人ほど座っている。
皆、目を丸くしてメニューを見ている。
「このクルーズ船のサービス、本当にゲームの中なのか?」
「VRの食事って味するのかな」
「するぞ。BCOの食事システムは五感再現だし」
メニューを見た。
前菜、スープ、メイン、デザート。贅沢なコース料理だ。
メブキが双葉をぴこぴこ揺らした。テーブルの上に着地して、銀のフォークを見つめている。
「くるくる……これ、なに? ぴかぴかの、ぼう?」
メブキが喋った。以前よりも、滑舌がしっかりしている。
その代わりに変わった口癖がついている、成長して自我が芽生えつつあるのかもしれない。
「フォークだ。食べ物を刺して、口に運ぶ食器だ」
「フォーク? めぶきは、はっぱでたべるよ?」
「双葉で挟んで食べるのか」
「ぴこぴこ……はっぱで、じゅうぶん!」
タマキがメブキに小皿を出した。パンが一切れ乗っている。
「メブキちゃん。パン、どうぞ」
「……パン!」
「セレスも、セレスも!」
「はい、セレスちゃんも!」
「タマキ……わたしも、ちょっと欲しい」
「分かっていますよ、ルーナちゃんもどうぞ!」
三人の小さな精霊たちが、パンをもぐもぐし始めた。
やがて料理が運ばれてきた。
前菜は島の魚介のカルパッチョ。スープは常世蜜を使った金色のコンソメ。
主食を食べた後のデザートは、もちろんセレスとメブキの奪い合いが始まった。犠牲となるお皿はもちろん、トワのデザートである。
「いいんですか、トワさん?」
「ゲームの中のデザートだ。これくらい、気にしないさ」
結局トワはデザートを諦め、三人に分けることに。
食後は、三階の展望デッキに出た。
海が広い。風が吹いている。始まりの町の港はもう見えない。世界の端に向かっている。
デッキにはプレイヤーが大勢出ていた。手すりにもたれて海を眺めている者。仲間と写真を撮っている者。風を肌で感じて身震いしている者。
ハンモックが並んでいる。デッキチェアもある。毛布とドリンクが備え付けてある。至れり尽くせりだ。
「タマキ。この船のサービスの感想は?」
「豪華すぎます。無料のコース料理、無料のドリンク、無料のハンモック。全部無料。こんなに無料だと、逆に何で稼いでるのか気になります」
「先行投資だろうな。島に着いたら、賭技でプレイヤーたちの財産を回収するんだろう」
「カジノの手法ですね。入り口は無料にして、中で使わせる」
「ああ。この船自体が、島への導線だ」
だが、それを差し引いても、良い船旅だった。海がきれいで、料理が美味くて、風が気持ちいい。
セレスがハンモックに転がった。パフェの満腹感で目が細くなっている。
「トワ。いいふね」
「ああ。いい船だ」
「セレス、ねむい」
「寝るな。もうすぐ着く」
「ちょっとだけ……」
五分後、水平線に影が見えた。
「見えたぞ!」
誰かが叫んだ。甲板のプレイヤーが一斉に前方を見た。
島だ。
最初に見えたのは、光だった。島全体が発光している。昼間なのに、建物が自ら光を放っている。金色と白が混ざった光。遠目にも派手だ。
近づくにつれて、全体像が見えてきた。
巨大な円形の島。中央が少し盛り上がっていて、その頂点に塔のような構造物がある。だが塔の上部は霧に隠れていて見えない。
港が見えた。屋根が丸い建物が立ち並んでいる。壁がカラフル。旗が何十本もはためいている。
船が着岸した。タラップが降りる。プレイヤーたちが歓声を上げながら島に降り立っていく。
【大型アップデート「楽土の章」】
【常世島に到着しました】
【島内マップが解放されます】
【初回来島ボーナス:常世銭100枚を獲得しました】
「常世銭……島の通貨か」
「100枚。多いのか少ないのか、まだわかりませんね」
足を踏み出した瞬間、星巡りの靴が反応した。光の足跡が常世島の地面に刻まれた。
「足跡が残る。この島でも」
「原初の世界と同じですね」
「マップ外のエリアだからかもしれない。通常のフィールドとルールが違う可能性がある」
見聞録を起動して、地面をスキャンした。
表層の下に魔力の流れがある。
複雑な回路のような構造――自然の地形ではない。
「この島の地面、人工物だ。誰かが設計して作っている」
「人工物? 運営が、ということですか」
「わからない。ただ、自然のフィールドとは構造が根本的に違うかもしれない」
ミニマップに常世島の全体図が表示された。
七つの区画が色分けされている。中央に「?」のマーク。
【黄金棟:カジノエリア】
【闘技宮:PvP・闘技エリア】
【星見座:劇場・エンターテイメントエリア】
【奈落遊戯場:上級者向けゲームエリア】
【宵市:夜市・交易エリア】
【湯楽郷:温泉・美食エリア】
【帳の間:現在入場不可】
「七つの区画。一つだけ入場不可になっている」
「帳の間……何かの条件で開くんでしょうか」
「奈落遊戯場っていうのも気になるな。名前が不穏だ」
「でも、今は気にしても仕方ないですね。トワさん、どこから行きますか?」
「迷うところだが……どうやら、彼女が俺たちを案内してくれるらしいぞ」
港から島に立ち入ると、NPCの案内人が立っていた。白い制服に金のネクタイ。船のスチュワードと同じ雰囲気だ。
「いらっしゃいませ、旅人様。常世島へようこそ。初めてのご来島でしたら、まずは『黄金棟』をご案内いたします。あちらでございます」
案内人が指差した先が、船から見えた巨大な建物だった。
近づくと、大きさが尋常ではないことがわかった。
横幅だけで百メートルはある。五階建て。正面の壁が全面ガラスになっていて、中の金色の照明が外に漏れている。入口には十メートルの金色のアーチ。アーチの頂点に水晶が据えてあり、虹色の光を放っている。
入口の両脇に噴水。噴水の水も金色に光っている。
プレイヤーたちが吸い込まれるように中に入っていく。
「すごい……」タマキが見上げた。「ゲームの中でこんな建物、見たことないです」
「ルミナリアの大聖堂より大きいかもしれないな」
「大聖堂は荘厳でしたけど、こっちは華やか。方向性が真逆ですね」
中に入った。
広い。天井が吹き抜けで、五階分の高さがそのまま見上げられる。天蓋のガラスから自然光が差し込んでいて、床の金色のタイルが輝いているように見える。
一階はスロットのフロアだった。数千台の賭技台が並んでいる。我慢しきれないプレイヤーたちは台に座っていて、もう回し始めている。
二階がカードゲームのフロア。
三階がルーレット。
四階がVIPルーム。
五階は「準備中」の表示で入れない。
吹き抜けのホールの中央に、巨大なモニュメントが立っていた。金色の樹。枝に宝石が実のようにぶら下がっている。一つ一つが光っていて、樹全体が発光している。
「あの樹は……何でしょうか」
トワが見聞録でスキャンした。
「装飾品……ではないな。魔力がある、ただの宝石というより……何かの装置のような」
「何かの装置?」
「具体的なことは、今はまだわからないな」
セレスが金色の樹を見上げていた。
「トワ。あのき、きれい。でもなんかへん」
「変か」
「うん。きれいだけど、いきてない。ほんもののきじゃない。かたちだけ」
「精霊の直感か」
「ちょっかん。セレスはわかる。いきてるものと、いきてないもの」
メブキが双葉をくるくる回した。
「くるくる……このき、ねっこがない。ねっこがないきは、き、じゃない」
「根がない。地面に根が張っていないのか」
「ぴこぴこ、めぶきにはわかる。ねっこのせいれいだから」
根の精霊が言うのだから、間違いないだろう。あの樹は根がない。地面に立っているだけで、大地と繋がっていない。何か意味があるのか、単純にただの装飾品扱いなのか。
トワたちは、スロットの台の前を通った。
【賭技・運命盤】
【対価:装備一点】
【報酬:常世銭100〜10,000 または 限定装備(確率0.5%)】
「限定装備の当選確率が0.5%。二百回に一回か」
「装備を二百個溶かして一つ当たる計算ですね……」
隣の台でプレイヤーが歓声を上げた。
「出た! 出たぞ、見ろ!! 常世銭5,000枚だぁ!!」
その二つ隣で、別のプレイヤーが頭を抱えている。
「消えた……俺が一ヶ月掛けて作った、星鋼の剣が……! 嘘だろ……!」
装備が「対価」として設定された瞬間、光の粒になって台に吸い込まれる。負けた場合、その光が台の底面から下に流れていく。勝った場合は、台の上部から常世銭が弾き出される。
見聞録でデータの流れを追った。
負けた装備のデータは台の地下に落ちて、金色の樹の方向に流れている。
「……あの樹に繋がっているようだな。没収されたデータが、樹に集まっている」
「消えたわけじゃなくて、移動してるんですね」
「ああ――だが、その先はスキャンが届かない」
セレスが台に近づいた。NPCのディーラーがセレスを見て微笑んだ。
「精霊さんも一回、いかがですか?」
「セレス、そーびがない」
「装備がなくても、スキルを対価にできますよ」
「スキルもない。セレスはせーれーだから」
「まあ……それは困りましたね」
ディーラーが困った顔をしている。賭けるものがない客は想定外らしい。
「トワ。ここ、おかねないとあそべないの?」
「賭けるものがないと遊べない仕組みだ」
「つまんない。おかねなくてもあそべるところ、ないの?」
「湯楽郷が無料エリアらしいが」
「じゃあそっちいく」
「明日な。今日はもう少し見て回る」
「えー」
「えーじゃない。旅人は、まず歩いて全体を見る」
「トワはまじめ」
「真面目じゃない、旅人の基本だ」
黄金棟を出た。
外の空気が涼しい。中の金色の光から出ると、島の自然な空が目に優しい。
「トワさん。あの建物、外から見た印象と中から見た印象が全然違いますね」
「外からは華やか。中に入ると、全てが賭技に導線を引いている。飾りの一つ一つが、プレイヤーの目を台に向けさせるように配置されている」
「船と同じですね。サービスで気持ちよくさせて、その先に賭技がある」
「ああ……導線が見事だが、だからこそ気になる。誰がどんな意図で、これを設計したのか。ただのゲーム的な演出なのか、それとも……」
日が傾き始めていた。初日はここまでだ。
明日は他の区画を回る。七つのうち、まだ一つしか見ていない。
トワは島の道を歩き始めた。足跡が光って残っていく。
常世島、一日目。
まだ何もわからない。だから、歩く。いつも通り、これが旅人の始め方だ。




