花見
土曜日。四月の第二週。
キャンパスの桜が満開だった。
冬夜が待ち合わせ場所の正門に着くと、宮瀬がもう立っていた。白いワンピースにカーディガン。手にはピクニックバスケットと、もう片方の手にレジャーシート。完全装備だ。
「久坂くん、おはよう!」
「おはよう。荷物が多いな」
「お弁当作ってきたの。おにぎりと、唐揚げと、卵焼き! 久坂くんの分だよ」
「そう言えば……お弁当を頼んだか?」
「頼まれなくても、作るの。それが、かっ……彼女の仕事ってものでしょ」
彼女という言葉が言い慣れてないのか、宮瀬は頬を桜色に染めている。
「彼女の職務範囲は、思っているよりも広いんだな」
「うん、広いよ。お弁当に、お掃除に、コーディネートに……久坂くんが知らないうちに、どんどん拡大してるの」
宮瀬がにこにこしている。冬夜はバスケットを持とうとしたが、宮瀬が引いた。
「持つよ、自分で」
「重いんじゃないか」
「重くないよ。愛が詰まってるから軽いの……ふふっ」
「自分で言って恥ずかしくなるな」
「いいじゃん、だって久坂くんが言ってくれないんだから」
「……ぐうの音も出ないな」
冬夜は宮瀬と並んで桜の並木道を歩いていく。
その途中で、「今日の服、似合っているな」と、ぽつり。
「久坂くん? いま……」
宮瀬は直ぐに聞き返そうとしたが、やっぱり止めた。
冬夜が顔を逸らした、耳の端まで赤くなっている。
「今日は、いい天気だな」
「はい、とってもお花見日和ですね」
ごまかすように天気の話に移る冬夜に、宮瀬は頬を綻ばせた。
◇
桜並木の下。レジャーシートを三枚敷いた。
蓮がビールとウーロン茶を箱で持ってきた。「花見には酒だ。異論は認めない」と言いながら、一人で缶を開けている。
ミコトが到着した。
私服で、髪を下ろしている。高校の制服とはだいぶ印象が違う。
「久坂さん、宮瀬さん! お久しぶりです!」
「ミコト、髪下ろしてると大人っぽいな」蓮が言った。
「そ、そうですか? 今日はオフ会なので、ちょっとおしゃれしてきました」
「おしゃれか。冬夜、お前も負けないようにおしゃれしろよ」
「しているぞ」
「どこがだ?」
「いつもより、シャツにアイロンをかけた」
「それはおしゃれではなく、身だしなみだ」
「同じことだろ」
宮瀬が冬夜の袖をちょいちょいと引いた。
「久坂くん。わたしは気づいてるよ。今日、いつもと違う香水つけてるでしょ」
「つけていない」
「嘘。ほんのり柑橘系の匂いがする。前にわたしが『この匂い好き』って言ったやつ」
「……制汗剤だ」
「どっちにしても、気にしてくれてるってことだよね」
「……花見の話をしないか?」
「あーっ、逃げた!」
蓮が缶ビールを傾けながら「ごちそうさまでした」と呟いた。
◇
ハルが走ってきた。息を切らしている。
「すみません、遅れました! 電車を乗り間違えて……!」
「ハルちゃん、前回のオフ会でも乗り間違えてなかった?」ミコトが笑った。
「方向音痴は治りません……! ゲームの中では見聞録があるから迷わないんですけど、現実にはセンサーがなくて……あっ、師匠! じゃなくて、えっと……久坂さん! 桜、きれいですね!」
「俺もきれいだと思う」
「あ……素直に言った。珍しい」蓮がビールを飲みながら言った。
「桜がきれいなのは事実だろ」
「久坂くん、事実って言葉が好きだよね」宮瀬が隣で笑っている。
「事実は好きだ。何よりも信頼できるからな」
「じゃあ聞くけど、わたしのこと好きなのも事実?」
「…………」
「あ、黙った」
「事実だが、公共の場で言うことじゃない」
「言った! 言いましたよ今! 蓮くん聞いた!?」
「聞いたし、録音してるぞ。再生するか?」
「するな」
他愛ない話をしていると、ゲーム組が合流した。
岸田、篠原、海野。レクトは用事で来られなかったが、チャットで「花見の写真送ってください!」と連絡が来ていた。
篠原が重箱を持ってきた。中身は煮物と和菓子。丁寧に詰められている。
「篠原さん、料理上手なんですね」宮瀬が覗き込んだ。
「いえ、経理部の先輩に教わりまして……。エクセルの合間に、煮物を作るのが趣味なんです」
「エクセルと煮物の聖騎士……」蓮が言った。
「その呼び方はやめてください……!」
ダリオが日本酒の一升瓶を掲げた。
「花見には日本酒だ! 海の男は陸でも飲むぜ!」
「声がでかい」岸田が言った。
「花見は声がでかくていい場所だろう!」
「まあ……確かに」
「言いくるめられるなよ、ゼクス」と、トワ。
「反論すると、いちいちでかいのが飛んでくるからな」
「それはまあ……否めないが……」
宮瀬がお弁当が出した。
おにぎり、唐揚げ、卵焼き、ミニトマト、ブロッコリー。彩りと栄養のバランスが良い。
「宮瀬さんのお弁当だ……美味しそう!」ミコトが言った。
「冬夜の分、別の容器に入ってるぞ。見ろ、あれ」蓮が指差した。
冬夜の分だけ、別のタッパーに入っている。蓋にマスキングテープで「久坂くん」と書いてある。丁寧にハート付きで。
「宮瀬……このハートは何だ」
「デコレーションだよ」
「お弁当にデコレーションはいるのか……?」
「お弁当だからいるんじゃないよ。久坂くんだから、いるの」
「……」
「あっ、黙った」
「おいおいそこのお二人さん、公の場であまりいちゃつかないでもらえる?」
「蓮……お前はこれが、いちゃついているように見えるのか?」
「見えるな」
「見えるぞ」
「見えますね」
「見えます」
宮瀬、ゼクス、ハル、ミコトが同時に言った。
トワは言い返す言葉が浮かばず、唐揚げに箸を伸ばした。
◇
食事が進む中で、話題がゲームの話に移った。
「で、みんなアプデの話はしないのか。楽土の章」蓮が切り出した。
「蓮くん、やっぱり気になるんだ」宮瀬が言った。
「気にならないわけがない。『世界の端に新エリア』って、どういうことだ。マップの外側に何か作ったのか?」
「詳細は実装日に公開って書いてありましたよね。何があるか全然わかんないです」ハルが言った。
「賭技っていう新システムが気になるな」ダリオが唐揚げを食べながら言った。「俺たちは何を賭けるんだ……経験値とか、レベルとか?」
「リスクがあるのなら、賭けなければいいだけだろ」冬夜が言った。
「久坂さんはLv1だから、賭けるものがないですよね」ミコトが言った。
「ああ、俺は何もない」
「ある意味、一番安全じゃないですか」
「安全かどうかは行ってみないとわからない。ただ、Lv1なら失うものがないだろうな」
「失うものがない人間が一番強いってのは、ゲームでも現実でも同じか」
蓮が考え込むように言った。
「いや、俺にも失うものはあるぞ。現にいま、お前たちがいるだろ」
さらっと出た言葉に、テーブルが一瞬静かになった。
「……お前さ」蓮が缶を置いた。「そういうことを花見でさらっと言うの、ずるくないか」
「ずるい?」
「美味い酒が、もっと美味くなる」
「それは良かったじゃないか」
「良くないだろ……目頭が熱い。ったく、花見で泣かせるな」
「泣いてないだろう。というか……なぜこんなことで泣くんだ」
「幼馴染みだからだよ。あのネトゲ廃人兼引きこもりだったお前が、俺たちのことをそう思ってくれてる日が来るなんて、夢にも思わねえだろ」
「……そうだな。みんなで花見ができるなんて、あの頃は想像もできなかった」
「よし、もう一杯飲むぞ! お前のせいだからな!」
蓮がビールを開けた。冬夜はウーロン茶を飲んだ。桜の花びらがシートの上に落ちてきた。
◇
夕方。人が減り始めた。
ダリオと篠原と岸田は先に帰った。ダリオが「次は島で会おうぜ!」と叫びながら去っていった。
ハルとミコトが並んで歩いている。
「ミコトちゃん。受験勉強、始めた?」
「始めたよ。英語がやばい」
「わたしも数学がやばい」
「お互い頑張ろう。来年、同じ大学行けたらいいな」
「行こ、絶対!」
二人が手を振って帰っていくと、蓮が最後のビールを飲み干した。
「さて……俺もそろそろ帰る。長編の原稿が待ってるからな」
「進捗はどうだ? 進んでるのか?」
「心配すんなよ、四章まで書いたぜ。来月、編集者に見せるんだ」
「そうか……頑張れ」
「お前もな。それじゃあ、また島で」
蓮も去った。
冬夜と宮瀬が二人っきり。レジャーシートを畳みながら、桜を見上げている。
「ねえねえ、久坂くん」
「何だ?」
「今日、楽しかった?」
「ああ」
「即答……珍しい」
「楽しかったものは、楽しかったと言えるようになった。……宮瀬のおかげだ」
宮瀬が少し笑って、それからシートを畳む手を止めた。
「ねえ、常世島に行く前にさ。前に約束したでしょ、デート」
「覚えている。宮瀬に『どこでも行く』と言った」
「言った。だから、どこでも行こうよ。場所は、久坂くんが選んで」
冬夜は考えた。しばらく黙って、桜を見ていた。
「……海」
「海?」
「前に一度、二月に見に行った。寒かったが、良かった。今度は……暖かい時期に」
宮瀬が目を丸くした。
「覚えてるんだ、あの時のこと」
「ああ、覚えている」
「久坂くんが覚えてるのは知ってるけど、自分から言ってくれるのが嬉しい」
「それと、今度は俺が計画を立ててみたい」
「……え?」
「何だ?」
「久坂くんが……デートプランを?」
「そんなに変か」
宮瀬が両手でバスケットを抱え直した。口元が緩んでいる。抑えようとして、抑えきれていない。
「変じゃない。変じゃないよ。ただ……すごく、嬉しい」
「期待するな。俺は……そういうのが苦手だ。うまく出来るか分からない」
「大丈夫だよ、どんな内容でもいいから。本当に、とっても楽しみにしてる!」
「いや、楽しみにしないでくれ……」
「楽しみにしてる!」
「……好きにしろ」
桜が舞っている。夕日が沈んでいく。春の風が暖かい。
来月は常世島。その前に、海。
ゲームでも現実でも、次の場所が決まっている。
悪くない春だ。




